豆天狗

中邑優駿

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第六羽 ちこうてとほきもの、とほくてちかきもの

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段々と冬至が近付いているのは、その日の短さで分かってくるものだ。
京都はクリスマス近くの商店街の活気と、年末を迎える古都としての両面で賑わっていた。



そんな中、カラス小天狗のマメは今日は貴船神社で紅葉を見ていた。
ヒトの高校生ぐらいの少年にしかぐらいの見えない大天狗候補のサナトと一緒である。
もっともカラスに化けているマメは、サナトの頭上を飛んでいるのだ。
人目の無い時には肩に降りてきて止まり、小声で話をしている。

「マメ、ヒトは何で出来ているか知っている?」
「うん、身体と心でしょ?」

マメは天狗を始めとする色々な妖怪から、そう聞かされていた。
サナトは感心した表情をカラスのマメに向けて、話を続ける。

「そう、よく知っているね。
 それで、ヒトの身体は殆どが水で出来ているんだ。」

マメは驚いて羽を拡げてしまった。
あんなにシッカリしているヒトが水で出来ている…?
サナトの言う事だから間違ってはいないのだろうけれど…。

「この貴船神社はね、水の神様を祀っているのだよ。」

その事はマメも知っていた。
大きな台風が京都に近付いてきた時に、大天狗様が貴船神社で祈っていたからである。
サナトは肩に止まっているカラスに向けて話を続けた。

「ヒトの心はね、魂と記憶で出来ているんだ。」
「きおく…?」
「想い出って事かな。」



貴船神社から少し歩いて貴船川の橋に差し掛かった。
その橋を渡ると鞍馬寺西門の入り口へと向かうのである。
遠くからでも目立つ程に美しい、見覚えのある顔が立っていた。
川天狗のサコが、ヒトの恰好をして待っていたのである。
マメは不思議だった、何故二人はヒトの恰好をしているのかが。

「待たせたね。」
「それほどでも。
 …こんばんは、マメ。」
「こんばんはサコ、今日も綺麗。」

二人と一羽は歩いて橋を渡り、鞍馬寺へと向かった。
いつもよりサコの表情が静かだな…、とマメは思ったのである。

まるで螺旋の模様みたいに捻じれている急な階段を上っていく。
マメは急に雰囲気が変わっているのに気付いた。
まるで時間の流れや空間の在り方が、変わってしまったかの様に。

少しいくと小さな御堂が祀られていた。
そこに彫られている「尊天」の文字が微かに光っている。
サナトが手を触れると御堂全体が光った。
サコが続いたので、天狗に戻ったマメも同じ様に触れる。
まるでヒトの乗る電車の、自動改札の様でもあった。

「あれは正しい時間に入る為の装置なんだ。
 今はヒトの2679年に当たる年なんだよ。」

サナトの言葉の意味が、マメにはサッパリ分からなかったのである。
それでマメはサナトに質問で返してみた。

「サナトは幾つなの…?」
「650万歳ぐらいかな…、マメには多過ぎて分からないかな?」

もちろんマメには想像も出来ないぐらいの数字であった。
だけど多くて凄いのは感覚的に分かっていた、それで充分なのだ。

進んでいくに従って、周囲の樹々の様子が不思議な光景を見せていた。
まるで時空の歪みを体現しているかの様に、捻じれているのだ。
二つの樹々が混ざってしまっているかに見える木も在る。
一見不気味に見えるが、一方では妙に落ち着く景色でもあった。



更に上り進んでいくと、鞍馬寺の奥の院に建てられている魔王殿に辿り着く。
すっかりと日も暮れているのでヒトも訪れる事はないだろう。
マメはカラス小天狗に姿を変えた、だが二人はヒトに化けたままだった。

魔王殿に立っている石灯篭が鈍く光っている。
サナトとサコに続いてマメも触れた。

「これで時間も次元も正確になっている、転生の情報も受け取れる筈だ。」

サナトの言葉にサコは頷いて目を瞑る。
マメは、そんな二人を神聖な目で見つめ続ける事しか出来なかった。
一体何が始まるのか、…始まっているのかさえ分からない。



突然、その瞬間は訪れた。
宵闇の雲間から一瞬、光が差し込んできたのである。
呼応するかの様に魔王殿の全体が輝いた、それに続いて石灯篭も光った。
触れていたマメ達に色々なエネルギーが流れ込んでくる。
それは断片的な映像であり、音声でもあった。

マメは何が何だか分からずにサコを見たのである。
サコは潤んだ瞳をサナトに向けた、まるで助けを求める様に。
サナトは静かだが確信的な声で話し始めた。

「チベットだね…、おそらくはトゥルクのリンポチェとしてだろう。」

サコは笑顔で頷いていたが、マメには何一つ分からなかった。
チベットは国名であり、トゥルクは転生して応身した師僧の総称でありリンポチェは尊称である。
サコは感激に身を震わせていた。

「サコ、大丈夫?」
「大丈夫よマメ、…待ち続けたヒトにやっと逢えるのよ。」

サコを置いていってしまったヒトが転生するのか…。
チベットって鞍馬山から遠いのかな…?

「でもサコ、これからが長いよ。」
「それでも…永遠に比べたら短いわ。」

心配したサナトの言葉に、サコは間髪入れずに返事したのである。
サナトもマメですらも、その愛情の総量と覚悟に驚いた。
女性は全ての優先順位を愛情で決められるのだから。



皆で大杉権現を通り、本殿金堂に辿り着く。
てっきりマメはここで何かが行われると思っていたのだが、通り過ぎた。
三人は揃って石造りの階段である、九十九祈参道を登っていく。
マメは足元の石段が微かに鈍く光を放っているのに気付いて、サナトとサコを見る。
その視線に気付いたサナトが話し始めてくれた。

「マメは走馬灯って知っているかい?」
「そうまとう…?」

初めて聞いた言葉にマメは興味津々になる。
サコは一瞬だけサナトの方を見た。

「ヒトは死ぬ時に自分の人生の想い出が、写真の様に頭の中に見えるんだ。
 …夢みたいな感じかな。」
「ええっ、そうなの?」

それと、この足元の光と何の関係が在るのだろう…?
マメは不思議がっていた。

「この石の階段を一段登る度に、想い出が一つ見えるんだ。」
「ええっ、ボク見えないよ?」
「私達はヒトではないからね…。
 私達に在るのは記憶だけで、想い出ではないのだよ。」

ボク達の記憶と、ヒトの想い出は違う…?
記憶と想い出は何が違うのだろう…?
マメはサナトに尋ねた。

「記憶は記録であり、写真の様なものなんだ。
 だけど想い出は、その記憶に持ち主の思いが足されるんだよ。
 その持ち主が描いた絵の様なものになる。」
「じゃあその想い出は、どのヒトが持ち主になるの?」
「私の大切なヒトよ、だから私にしか見えないの。」

サコが嬉しそうに話した。
これはサコの為にしている事なんだ…、マメは理解した。
微かに光る九十九祈参道の石段を一段登る度に、サコは何かを噛み締めている。
それは大切なヒトの想い出だったのだ。



清少納言「枕草子」で鞍馬山の九十九参道の事が、近くて遠いものとして詠まれている。
九十九折り…幾重にも重ねられていて、まるでヒトの想い出に似た道。
遠くて近いものはヒトの男女の仲である…、とも。
それはヒトとヒトではないものの仲にも当てはまるのではないだろうか。




「ヒトは亡くなる時に想い出を失くす、…走馬灯を見た後にね。
 その走馬灯をサコが見て、記憶として自分の心に残しているのだよ。」

ヒトは転生する時に記憶も想い出も全て失くしてしまう…。
全く別の人生を一から始める事になるんだ…。

「じゃあボクとか天狗や式神は、どうなるの?」

マメは自分自身で分かっていない自分の事をサナトに尋ねた。
サコはヒトの想い出に浸りながら、ゆっくりと石段を登っていく。

「記憶として残っていくのだよ、…引き出しに仕舞われる様なものだね。
 そして必要な時に引き出されて、その時に自分の思いが足される事になる。」
「失くならないの?」
「失くならないよ、ただ量が多いから引き出しに入れておくのだよ。」

マメはホッとした。
ユイちゃんやガルウダや十二天将、それにサコの事も忘れなくてよいのだ。
もしマメが転生したとしても、皆の事は記憶として残るのだから。

「サコは何でヒトの想い出を記憶しているの?」
「その大切なヒトが失くしてしまうから、代わりに自分が持っていたいのだろう。」
「ふうん。」
「とても大切に思っているヒトのものでなければ、とても持てないからね。」

一段一段登って行った先に、不思議な物が見えてきた。
普段は山の上を飛んで移動しているマメには、初めて見る物である。
それはヒトが何かを模して建てた像である、マメは再びサナトに尋ねた。

「あれは…何?」
「鞍馬山の尊天様の為に建てられた像…『いのち』だよ。」
「いのち…?」

立札の説明によると、愛と光と力の像であると書かれている。
鞍馬寺の象徴でもあるのだ。
その像までもが微かに鈍く光り始めていた。

「サコ、始めるぞ。」
「はい。」

サナトが、その像の前に立ったと同時に像の輝きが増した。
特に像にデザインとして付けられている三つの輪が強く光り始める。
そして次の瞬間に、その三つの輪の内の一番下の輪が廻り始めたのである。

くるくる…、くるくる…。

サコは閉じた瞳の内側で、何かを見始めていた。
サナトは像に向かって手をかざしながら、口許で何かを呟き始める。
廻る速度が増した輪の上で、真ん中の輪も回転し始めた。

きゅるきゅる…、きゅるきゅる…。
くるくる…、くるくる…。

やがて二つの輪の回転速度が速い方にと揃っていった。
マメは不思議で美しい像と、いま起こっている光景に見惚れている。
そして遂に一番上の輪も廻り始めた。
三つの輪が作る光の線が、やがて一つに合わさって太い光となる。
『いのち』の像の周りを光が回転しているのだ。

「サコ。」

サナトに促されたサコが像に近付いていく。
そして回転している光の輪に手を入れる様な仕草を見せた。
すると同時に像の全体が輝きに包まれ、それはやがてサコをも包み込んでいく。

サコは今やヒトの想い出の中に入っている。
自分とヒトとの想い出を、自分自身で反芻しているのであった。
それは懐かしくて素晴らしい時間である。
サコは大粒の涙を両目から止めどなく溢れさせていた。

ヒト本人は、その想い出を失くして生まれ変わってくる。
流れ込んできた想い出を共有する事は出来ないのだ。
だからサコが、その想い出を自分の記憶に取り込んで保存するのである。
二人の想い出を独りで記憶するのだ。
サコはヒトの想い出を全て受け止めていく、そして自分の心の大切な場所に仕舞う。

マメは、その作業の一部始終に立ち会っているのであった。
だが何故、自分が呼ばれたのかは見当も付いていなかったのである。
ただ、この大切な時間に呼ばれた事が嬉しかった。

像の全体が光り輝く、サナトも目を閉じる。
サコの髪が後光の様に立ち拡がって輝き、やがていつもの綺麗な黒髪へと戻った。

サナトがサコに話し掛ける、それはマメが聞いた事の無い外国の言葉でである。
その外国語でサコも返事をしていた。
おそらくサコの大切なヒトの転生する国の言葉なんだろうな…、ふとマメは思う。
チベットって飛騨高山より遠いんだろうな…。

「ありがとう。」

サコは涙の跡を拭いながらサナトに礼を言う。
サナトは優しく微笑みながらサコの肩に掌を乗せた。

「止めても無駄なのは分かっている、大天狗様のお付きを頼むね。」
「はい、任せて下さい。」
「サコ…、行っちゃうんだね?」
「そうよマメ。」
「寂しくなっちゃうな…。」

その時マメは気付いた、サナトはサコと最後に会わせてくれる為に呼んでくれたんだ…。
サコはマメに微笑みながら優しく語りかけた。

「マメにもユイちゃんがいるでしょ?
 大切に見守ってあげるのよ。」

ユイちゃんが好きだという事を、サコに知られていて驚いた。
顔を真っ赤にしながらも胸を張ってマメは答えた。

「任せといて!」




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