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最終章 それぞれの旅路

第469話 旅立ちの日

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 結局私はケントニス皇帝から帝位の禅譲を受けることを承諾させられてしまいました。全く不本意です。
 その後催された国賓である私の歓迎パーティーでのこと。
 居並ぶ諸侯たちを前にして、ケントニス皇帝は私に皇帝の座を譲ることを公表しました。

 平民に対する差別意識の強い帝国です、今まで蔑まれてきた『色なし』であれば尚更忌避感が強いはずです。
 私は、会場から反対の声が上がることを期待していました。逃げるなら、諸侯の反対を理由にするしかないと。

 しかし、ケントニス皇帝の公表と共に起こった満場の拍手、まるで皆が歓迎してるかのようです。
 これはケントニス皇帝の派閥による仕込みでしょうか。
 反対の声がひとつも上がらないとは考えられません。

 そんな私の疑問を先回りするようにケントニス皇帝が言いました。

「別にこれは、仕込みでもなければ、やらせでもないぞ。
 ここにいる皆はもう疲れておるのだ、そんな中でハンナちゃんに一縷の望みを託しているのさ。」
 
 僅か十五歳の少女の肩になんてモノを背負わせようと言うのでしょうか。
 一縷の望みしかないものをこの私にどうしろと。

 ケントニス皇帝の話では、今宮廷にいる方々はみな徒労感にさいなまれているそうです。
 食糧難、国土の荒廃、人材不足、そうした大きな問題ではなく、もっと身近なところに不毛な作業があったからです。

 『黒の使徒』の愚か者共を排除して刷新した体制を待ち構えていたのは、膨大な使途不明金に官吏による資金着服という経理面の問題でした。
 それに加え、あからさまな縁故採用による不良官吏、いえ無能官吏の問題も露呈しました。

 経理畑の職員の仕事は帝国の正確な財政状態を把握するところから始まったのです。
 それが分からないと予算の組み様がないのです。

 そして、その作業の中で判明した驚愕の事実、主計という国の最も重要な部署に計算もロクに出来ない愚か者がいたというのです。

 慌てて調査したところ、なんと宮廷の官吏の半数近くがそんな状態だったそうです。
 そのほとんどが先帝派の貴族のコネで採用した官吏だったということです。

 ケントニス皇帝は激怒し無能官吏を一掃しようとしましたが、そう単純な問題ではありませんでした。それをすると、絶対的な人員が不足してしまうのです。
 宮廷には、力仕事や雑役など余り頭を使わない仕事もあります。
 無能官吏をそういった仕事に回し、少しでも優秀な人材を重要な部署に移す。

 そんな不毛な仕事が五年を過ぎた今でも延々と続いており、皆徒労感にさいなまれているようなのです。
 そんなことまで、押し付けられても困ります。私だって万能ではないのですから。


「いや、ハンナちゃんにそこまでしてもらおうとは誰も思っていないさ。
 人は誰しも、どこかに希望を見出せれば頑張ろうと思うものなのだよ。
 歳若いハンナちゃんが一所懸命頑張っている姿をみれば、みな我もと思うのさ。
 少なくとも今ここに集まっている者達はそういう気概のある者ばかりさ。」

 ケントニス皇帝はそう言いますが、信じてよいものでしょうか……。
 私は疑心暗鬼に捕らわれながらも、逃げ場を失ったことに気が付くのでした。

 
   **********


 そして、瞬く間に時は過ぎ去り、次の春が来て、今日、私は住みなれたオストマルク王立学園の寮を引き払うことになりました。

 この寮は、私にとって初めて出来た安住の地、借り物でしたが故郷と呼べるのはここだけです。

 物心付いた時から村の人達に邪険に扱われてきた私は、オストエンデの町に捨てられる頃にはすっかり周囲の人の視線に怯える子供になってしまいました。
 そんな私が六歳の時、オストエンデの市場の片隅で死に掛けていたところを、ターニャお姉ちゃんに拾ってもらい連れて来られたのがこの部屋です。

 ターニャおねえちゃんとミーナお姉ちゃんは、私と同じ『色なし』だったこともあり、とても温かく私を迎え入れてくれました。
 また、オストマルク王国は王祖様が『色なし』だったこともあり差別や偏見が少なく、悪意ある視線に晒される事がない生活をここで初めて手に入れたのです。

 以来九年間、私は周囲の人の視線に怯えることなく生活することが出来ました。
 この寮には本当に感謝です。

 元々、この部屋はターニャお姉ちゃんとミーナお姉ちゃんのために借りられた部屋です。
 私から見ると二学年上級生の方の住む寮なのですが、結局卒業まで居付いてしまいました。

 本来学園の寮は入学年次ごとに入居することになっています。
 普通クラスの最上級生が卒業すると寮が一斉に空室になり、翌年度の新入生が入寮することになるのです。
 途中で特別クラスの生徒が卒業するので、三年間空室が発生することになります。

 私と途中編入のリリちゃんは特別クラスで入学したので、飛び級をして七年で高等部まで修了します。
 初等部を普通クラスで入学すると高等部の卒業まで十年掛かるのです。
 結果として、ターニャお姉ちゃんと同じ入学年次の普通クラスの方々より一年早く卒業してしまいます。
 本来空室となる部屋に住むのですから、この寮のままでも問題ないとされたのです。


 学園の卒業式も昨日済ませました。
 卒業する私とリリちゃんの保護者として、ウンディーネ様とミルトさん、それにフローラさんまで式に出席してくださいました。

 突然現われた皇太子妃に、その王女、そして王族二人に丁重に案内される正体不明の貴婦人。
 学園の講堂は、ザワザワとした喧騒に包まれました。
 皆さん気になりますよね、今年は王族の方のご卒業はないのですから。

 卒業生の席の最前列で式が始まるのを待っていた私とリリちゃんの許を訪れる三人、再び会場がざわめきました。きっと、私達がどういった人物なのかを詮索しているのでしょうね。

「二人とも卒業おめでとう。
 早いものね、あんなに小さかったハンナちゃんがもう高等部を卒業する歳になるなんて。
 私も歳をとるはずだわ……。」

 ミルトさんがお祝いの言葉をかけてくださいました。…最後はため息交じりでしたけど。
 いえ、そんなことないですよ、ミルトさんは何時までも若々しくて……。

 そして、卒業式、私は卒業生代表として来場の皆さんの前で挨拶をさせていただきました。
 その時、来賓として見えられていた国王陛下より、私が近々帝国の皇帝に即位することが公表されたのです。

 余りにも突飛な情報に、来場の皆さんは言葉を失っています、おや、クラスメートのみんなも。
 そう言えば、身近な人以外には言っていませんでしたね
 シーンと静まり返った卒業式会場、貴賓席からパチ、パチと拍手が聞こえました。
 ウンディーネ様とミルトさんです。

 そして、貴賓席から聞こえる拍手につられるように、講堂全体に拍手の嵐が巻き起こったのです。

 会場に響き渡る拍手と喝采、私は温かい拍手に送られて学園を後にしたのです。


     **********


 そうして、今日、私とリリちゃんはこの寮を去ります。
 私達の目の前には全ての調度品がとり払われて、がらんとした部屋が広がってます。

 朝のうちにターニャお姉ちゃんが、部屋の中の物を全て帝都近郊の館へ転移術で送ってくれました。時空を操れるって便利ですね、引越し屋さんが出来そうです。

 そうそう、ターニャお姉ちゃんが卒業する時、人の世界にあるターニャお姉ちゃんの資産を、私達三人に分けてくれたのです。精霊になった自分には不要なものだからと。

 魔導車を各人一台ずつ、精霊の森の館も三人で分けるようにと言われました。
 館は十ヵ所以上ありましたが、ミーナお姉ちゃんはノイエシュタット近郊の館だけ受け取って、後は私とリリちゃんで分けなさいと言ったのです。

 私もリリちゃんも館が欲しいとは思っていなかったので、結局そのまま二人で使っています。
 これも、そのうち二人で分けないといけないかも知れませんね。

 それと上位精霊の皆さんなのですが、ターニャお姉ちゃんがここを去る時、ソールさんとアリエルさんは精霊の森に帰りました。
 そして、ミツハさんとホアカリさんは、ここを去るミーナお姉ちゃんの護衛として付いて行きました。

 今、私達の許に残っているのは、フェイさんとシュケーさん、六歳の頃の私のお世話をしてくださった二人です。
 ターニャお姉ちゃんとミーナお姉ちゃんが学園に行っている間、この二人が遊び相手になってくださったのです。
 今回も、この二人が帝国について来てくださることになりました、非常に心強いです。


     **********


 さて、いつまでも何もない部屋を眺めている訳にもいけません。
 そろそろ、ここを去る時間のようです。
 九年間、有り難うございました、私は心の中でそう告げて住み慣れた我が家を後にしたのです。

 この後、ミルトさんにご挨拶して精霊の泉から帝都近郊の屋敷に転移します。
 が、その前に……、私達は徒歩で校門に向かって歩き出しました。

 やはり、卒業する時くらいは自分の足で校門を出たいではありませんか。

 ここに住んで九年間、一度たりとも歩いて外へ出たことがないことに気付いたのです。
 今更ですね。
 四人で、肩を並べて学園の中を歩きます。
 広い学園です、正門までは九年間の出来事を思い出すには十分な距離がありました。

 大雪が降った冬に北部地方の人達がかまくらを作っていましたね、炭火で炙ったお魚の干物が美味しかったです。
 秋の学園祭でコスモスの迷路も作りましたね、あの時は私も作るのを手伝いました。
 ここを拠点に王国の各地に旅もしました、南のポルトから北の果てまで。

 正門に向かってのんびりと歩いていると、そんな九年間の出来事が次々と浮かんできました。
 ここでの生活は楽しいことばかりでした、九年前スラムで餓死寸前だった私に幸せな時間を与えてくれたこの場所に感謝です。

 正門に辿り着いた私は寮の方を振り返り、軽く一礼して学園を去ったのです。

 時に、私、ハンナが十五歳の春でした。


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