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第12章 三度目の夏休み
第292話 初航海
しおりを挟む「うー、暑いよ、ミルトさん。こんなに暑いとは思わなかったよ。」
「ええ、そうね。冬があれだけ暖かいのだから夏の暑さは推して知るべしだったわね。」
今日は五の月の一日、今日から王立学園は夏休みだよ。
今年の夏休みは、帝国の東部辺境に行くのは一旦お休みにして、王国南部最大の都市ポルトにいるの。
ポルトは冬場、寒さを逃れるために王侯貴族がやって来る町なの。
だから、夏場は暑いのだろうとは思っていたよ。
でも、予想を上回る暑さだった、茹だるような暑さとはこのことだろね…。
どちらかと言えば冷涼な気候の王都に慣れたわたし達にはきつい暑さなのだけど…。
「うわわぁ!大きな町だね、リリがいた町よりずっと大きいよ。
それにすごくきれい、夏なのに全然臭くないんだ。」
生まれ育った町もポルト同様南にある町らしく、リリちゃんはポルトの暑さをものともせず、馬車の窓にしがみ付いてポルトの町を眺めてはしゃいでいる。
わたし達が引き取ってから約半月でリリちゃんは日常会話くらいの王国語が話せるようになった。
すごい学習能力だね。
それはそうと今は、王家の別荘から港町まで移動している最中なの。
そうか、リリちゃんの生まれ育った町は夏場臭いのか、行くのやめようかな…。
自分で立てた今後の予定に早くも後悔し始めている頃、馬車は目的の港に着いた。
「おう、ミルト、時間通りだな。
どうだ、立派な物だろう、きっちり試験航行も済ませたぞ。
時化の日にあえて沖合いに出て航行してみたりもしたが、抜群の安定性だったよ。
この国の船大工は本当に腕が良いな、初めて造る船をこれだけの物に仕上げるんだものな。」
わたし達を待ち構えていたテーテュスさんが指し示すのは、真っ白に塗装された国産初の大型帆船だ。
三本マストをもつシャープな船体、三本のマストには巨大な横帆が張られている。
「どお?ターニャちゃん、雄雄しい姿でしょう。
この船、『ピオニール号』と名付けたのよ、『先駆者』とか『開拓者』という意味なの。
この船に新しい時代を切り開く魁となって欲しいという願いを込めて付けたのよ。」
ミルトさんのいう通り、白い船体の先端近くに優雅な飾り文字でピオニールと黒く記されていた。
「本当はフローラを始め他の子たちにも見せたかったのだけど、連れて行く訳にはいかないからまた今度ね。
楽しみね、今回が事実上の初航海よ。
今までテーテュスさんがしてくれたような港の沖合いを航行試験するのではなく、往復一週間の本格的な試験航海なのよ。」
本当に良いのですか?試験航海の船にミルトさんが乗って。
だいたい、目的地は帝国の港ですよ、一国の王族が連絡もなしに他国を訪れたらいけないとミルトさんが言っていたじゃないですか。
それじゃあ、トレナール王子のことを言えないですよ。
「ねえ、ミルトさん、本当に付いて来るのですか?
色々と拙いのではないですか?」
わたしが夏休みの計画をミルトさんに話すとミルトさんはいきなり付いて来ると言い出したの。
この船を使おうと言い出したのもミルトさん。
「またその話?
大丈夫よ、この船はテーテュスさんとそのクルーが操船するのだもの。絶対に事故はないわ。
それに、何度も言うようだけど、私は下船はしないわ。
向こうへ着いたらターニャちゃんのお供はリタさんにしてもらうから。」
まあ、確かに水の大精霊のテーテュスさんがいるのだから、滅多なことはないだろうけど。
他にも、フェイさんとスイちゃんという水の上位精霊が二人も付いているしね…。
当たり前だけど海の上は周り中水だ、いざとなったら王宮の精霊の泉まで転移することだって可能だし。
ミルトさんによると帝国との条約で、帝国の領海内にあってもこの船の中には帝国の主権は及ばないそうなの。だから、下船しなければ法の上では入国したことにならないから平気だという。
そういう問題?そもそも、一国の皇太子妃がそんな勝手に動いていたら周りのみんなが困るでしょう。現にミルトさんの後ろに控えるリタさんが迷惑そうな顔をしていますよ。
「ほら、ごちゃごちゃ言ってないで、早く船に乗れ!
もう出航準備は整っているんだぞ!」
テーテュスさんにせっつかれてわたし達はピオニール号に乗り込むのだった。
**********
ピオニール号に乗り込むとわたし達は四つ作られた客室を全て使って良いとテーテュスさんに指示された。
この船は、基本交易船として貨物輸送を念頭に造られているが、この船の高速性を活かして急ぎの客を乗せられるように客室を四つだけ設けたそうだ。
だいたい、船を使って急ぎで遠方へ行きたいという人はお金持ちなので、客室はそれなりに豪華にしたとテーテュスさんは言う。
確かに、スペースの限られた船の中だけあって手狭ではあるが、作りつけられたベッドなどは上等なものだった。
わたし達が船室で寛いでいるとテーテュスさんが出航するから甲板まで上がってくるように誘ってきた。
甲板に上がるとちょうどピオニール号はゆっくりと岸壁を離れるところで音もなく滑らかに動いている。
わたしの横で離れていく港を見ていたリタさんがポツリと言った。
「ポルトまで行くと聞いたときは、西大陸の交易の打ち合わせか、夏のバカンスかと思っていました。
まさか、この船の試験航行に便乗して帝国まで行くとは思っていませんでしたよ。
しかも、わたしに有給を取れと言うのですよ、公務中に帝国に入国するのは拙いからって。
なんか、やばい臭いがプンプンするじゃないですか。
ターニャちゃん、本当に大丈夫なんでしょうね?荒事はイヤですよ。
有給中に怪我をしても、労災は降りないのですからね。」
あれ?たしか、リタさんにも全部説明したとミルトさんは言っていたけど…。
ちゃんと伝わっていないのかな?
リタさん、もう出航しちゃったのだから諦めましょうよ。
さあ、出発だ、目的地はリリちゃんの生まれ故郷、ルーイヒハーフェン。片道約四日の船旅だよ。
こうしてピオニール号はリタさんのため息と共に港を離れていくのでした。
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