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第18章 冬、繫栄する島国で遭遇したのは

第497話 運命の出会い…、ただし、ロマンスではありません

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 そして、指定の半月後。

「いやあ、素晴らしい論文だったそうだよ。
 論文の審査会、私は専門外なので学長として立ち会っていただけであるが。
 論文の審査をした経済学が専門の教授陣はみな大絶賛でな。
 満場一致で、メルクス君を我が大学の教授として招聘することが決まったよ。
 私としても、紹介者の陛下の顔に泥を塗ることにならずに済んでホッとしたところだ。」

 メルクスさんを連れて帝都大学の学長室を訪れると、開口一番学長が上機嫌で迎えてくれました。
 学長にべた褒めされたメルクスさん、柄にもなく照れた表情を見せていました。

「しかし、在野にメルクス君のような優秀な学者が無名のまま放置されているとは思わなかった。
 これは、メルクス君を見出してくださったアルムハイム大公にも感謝せねばなりませんな。
 大公がいらっしゃらなければ、メルクス君の英知が埋もれてしまうところでした。」

 学長さんは、私に向けてもそのように感謝の意を示してくださいました。
 まあ、この方、革命運動なんて無法者みたいなことをしていたのですから。
 まっとうに生きている人々の間で評価なんてされようがないですよね。
 その方面ではけっこうな有名人だったようですが、同志とか、官憲おまわりさんとか。

「いえ、お礼を言うのであれば、ここにいるノノちゃんに言ってください。
 私も全くの門外漢で、メルクスさんの真価は理解出来ておりませんので。
 ノノちゃんが、メルクスさんを見出して私に相談してきたのです。
 とても画期的な理論を唱えられてる方なので、然るべきポストを用意できないかと。
 ちなみに、メルクスさんは癖の強い文章を書かれるそうで。
 読み易いように監修したのもノノちゃんなのですよ。」

 まあ、癖の強いという穏便な言葉で留めておきましょう。
 殊更に、悪意がある言葉を使いたがるなんてマイナス評価につながることを言わなくてもいいでしょう。
 私が隣に立つノノちゃんを紹介すると。

「おや、可愛いお嬢ちゃんなのに、これはまた随分と見識のある娘さんのようだ。
 私は、先日付き添いで来た様子なのでメルクス君の娘さんかと思ってましたよ。
 しかし、見れば、まだ十代も半ばでしょうに、良くあの難解な理論を読み解きましたな。
 あの論文の真価を理解できるなんて大したものだ。
 ノノちゃんは、将来有望な才女ですな。
 将来大学へ進む気があるなら、是非我が校も検討して欲しいものです。」

 学長さんは、ノノちゃんの事もお世辞抜きでべた褒めでした。
 何でも、経済学の教授に論文を投げて大至急精査しろと命じたところ。
 複数の教授が、難しすぎて短期間に読み解くのは無理だと泣き言を言ったそうです。
 学長、徹夜してでも半月以内に評価しろと命じたようですよ。

 でも、大学ですか…。
 ノノちゃんは、あと三年で女学校を卒業です。
 現在は、シューネフルト領の官吏の身分で留学しているので、卒業後は帰って職務に復帰しないといけません。
 ノノちゃんにとって、早くアルム地方へ帰るとこと、更に数年勉学を続けることのどちらが良いのでしょうか。
 これは、リーナも交えて、三人で良く相談する必要がありそうですね。

     **********

 そして、また少々の日時が過ぎて…。
 メルクスさんの教授就任のお披露目と、就任記念講演が行われました。
 私、おじいさまとノノちゃんと三人で、講演会に招かれて来賓席みたいなところに座らされました。
 ハッキリ言って苦痛で、眠い一時間半の講演でした。
 実際、半分ウトウトしていましたし。
 自分で理解できない、小難しい話を聞かされて喜ぶ人間が何処にいますかって。

 私にとっては退屈な時間だったのですが。
 ノノちゃんの言う通り、メルクスさんの理論は画期的なモノだったようです。
 大学側が、事前に周囲の大学にこの講演の案内を出したとのことで。
 学外からも著名な学者さんが多数講演を聞きに来ていたと、学長さんは言っていました。

 大学の講堂を埋め尽くす盛大な拍手で目を覚まし、メルクスさんの講演が終わったことに気付いたのですが。
 その時、私はメルクスさんにとって、運命の出会いを目撃することになりました。
 運命の出会いと言っても、ロマンスじゃありませんよ。相手は男性です。

 講演が終わって、メルクスさんが壇上から降りてくると一人の若者が駆け寄って来て声を掛けました。

「メルクス先生、まっこと、大変素晴らしい講演であり申した。
 拙者、東洋は瑞穂の国から遊学中の寄席布俊平太ヨセフ・シュンペイタと申します。
 先生の理論に心から感服いたし申した。
 願わくば、拙者、メルクス先生の研究室で教えを請えればと存じます。
 何とぞ、『師匠』と呼ばせてくださりませ。」

 この俊平太と名乗る青年は、黒髪に濃茶の瞳をしており、私そっくりの形質を持っていて親しみがわきます。
 俊平太青年は、自ら口にした通り、遥か東にある瑞穂の国から来ているそうです。
 何でも、瑞穂の国というのはもう二百年もの間、諸外国と国交を閉ざしているとのことです。
 鎖国と言うそうですが、そんなことをすると世の中の流れから取り残されるのでは思っていたら。
 出島という隔離施設を作り情報収集を目的に、この大陸にある小国と細々と国交を持ってるのだそうです。
 
「拙者、出島奉行所に出仕する者なのですが。
 御公儀からの命で、西洋の事情を見て参れと命じられ申して。
 大陸を転々としておりましたが。
 ここいらで腰を落ち着けて西洋事情を学んでみようかと思いまして。
 この町に寄ったところ高名な先生の講演があると耳にして拝聴しに来た次第です。
 講演を拝聴し、教えを請うのであれば先生しかないと感服した次第です。
 是非とも、先生の弟子にして欲しいと存じます。」

 俊平太青年、『まっこと、素晴らしい』と『感服いたした』が口癖のようですね。
 話し相手の自尊心をくすぐるのがとても上手なのです。
 まるで、太鼓持ちのようです。

「お、おう、そうか。
 儂の理論に感服するとは中々見所のある若者だ。
 シュンペイタと申すのか。
 よし、おまえを儂の弟子第一号にしようではないか。」

 今まで不遇をかこっており、そのために性格が捻くれてしまったメルクスさん。
 このように、手放しで大絶賛されたのは初めてのようで、照れていました。

     **********

 さて、あまり、自分の興味のない人物に関わっていても仕方がありません。
 メルクスさんについては顛末だけ話して終わりにしましょう。

 太鼓持ちのような俊平太青年との出会いは、メルクスさんの人生を一変させるものになったのです。

 ノノちゃんが、言っていました。

「メルクスさんは、非常に偏屈な方で、自己顕示欲が強く。
 一方で自己承認欲求が強いという難儀な性格をしているんです。」

 そして、こうも。

「あのタイプは、褒めて伸びるタイプです。
 ホメホメして、頭をナデナデしてあれば、素直に頑張ると思いますよ。」

 ノノちゃんは慧眼で本当にその通りだったのです。

 メルクスさんが、何か新しい知見を見出す度に『まっこと、素晴らしい』と『感服いたした』と褒めそやす俊平太青年。
 メルクスさんを全肯定の俊平太青年は、メルクスさんの自己承認欲求を満たしてくれるかけがえのない存在だったのです。

 褒められてヤル気になったメルクスさんは、革命運動からきっぱり足を洗って経済学の研究に没頭しました。
 くだらない政治的信条と偏見を排したメルクスさんの経済論文は、学会の注目を集め、高く評価されることになります。
 それが彼の強い自己顕示欲を満足させ、いっそう研究にまい進するようになったのです。好循環ですね。

 そして、一流の学者としての地位を確固としたものにすると、祖国から永らく分かれて暮していた妻子を呼び寄せました。
 祖国プルーシャ公国から政治犯として追われていたために、妻子と離れ離れになっていたそうです。
 まあ、政治犯から外すのに私が力を貸すことになりましたが、そのくらいは良いでしょう。
 それで、家族そろって幸せに暮らせるのであれば。

 そして、メルクスさんと俊平太青年の師弟関係はメルクスさんが没するまで続き。
 メルクスさんは、俊平太青年に手伝ってもらいながら、『資本』の考察に関する大著を世に送り出します。
 満ち足りた生活を送れたのが良かったのでしょう。
 その頃には過激な思想の呪縛からすっかり解き放たれていました。
 純粋な経済理論の大集成として記されたその著作は、名著と讃えられバイブルのようになったそうです。
 私には、分厚い本十冊以上にわたって書かれている論文の何が良いのかは理解できませんが。
 世間ではとても評価の高い作品のようです。
 この功績でメルクスさんは『近代経済学の父』とまで呼ばれるようになりました。

 そして、私には単なる太鼓持ちに見えた俊平太青年、実はメルクスさん以上の俊英だったようです。
 メルクスさんの理論を更に深化し、磨きをかけたと聞きました。
 その中から、俊平太青年は経済発展の原動力は何かを見出したそうです。
 あっ、これ、ノノちゃんの受け売りなので、私には細かいことはわかりませんが。

 俊平太青年は、その後、『経済発展論』という経済学の一分野を打ち立てたと言います。
 でも、彼、国費で遊学していたのに、ちゃっかり帝都に居着いちゃったんですよね。
 国元では、行方不明ということになっているようです。

 ともあれ、この二人は大経済学者として、のちの世に名を残すことになったのです。 

     **********

 まっ、それはこの時点から何十年も先の話なのですが。

 それで、メルクスさんが帝都大学の教授の座を射止めた日のことです。

 ノノちゃんが呟きました。

「これで、やっと落ち着いて大図書館で本が読めます。
 図書館の閲覧室で、奇声を上げるなんて非常識も良いところです。
 あんな迷惑な人、見たことありませんでした。」

 ノノちゃん、あなたも大概いい性格していますね。
 自分が落ち着いて読書をするために、貴族である私の手を煩わしたのですか…。
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