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第17章 夏、季節外れの嵐が通り過ぎます

第466話【閑話】初めて口にした言葉は…

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 さて、アンネリーゼが生まれてからというもの、私は仕事の合間を見つけてはアーデルハイトの部屋に入り浸ることになる。
 我が娘、アンネリーゼが可愛いのは勿論のことであるが。

 アンネリーゼをその胸に抱くアーデルハイトの穏やかな顔が殊の外美しいものでな。
 私には向けてくれたことのないその優しい微笑みを見るためにそそくさと通ったのだ。

 特に、アンネリーゼへの授乳のタイミングに当たるとしめたもので。
 アーデルハイトの慎ましくも美しいその胸から懸命に乳を吸うアンネリーゼの可愛い姿と。
 それを愛おし気に見詰めるアーデルハイトの穏やかな微笑み。
 更に、アンネリーゼを懐妊して以来、ついぞ目にすることが叶わなかったアーデルハイトの美しい肢体を目に出来るのだから。

 その日も、幸運なことに丁度、アンネリーゼに乳を与えているところであった。
 はだけた胸元から覗く白い肌、それが非常にそそるものがあってな、ついポロっと言ってしまったのだ。

「なあ、アーデルハイトや。
 そなた、もう一人くらい、娘はいらんか。
 そなたにその気があれば、私は幾らでも協力するぞ。」

 まあ、私もまだまだ現役であったから、下心が口から零れてしまったのだがな。

「何をバカなことを言ってるんだい。
 私は、この子がいればそれで十分だよ。
 だいたい、もう一人こしらえていたら、また帰るのが遅れちまう。
 何時までも、アルムハイムを留守には出来ないよ。
 そういうのは、お后様と励んでくれ。
 いっぱい子供をこしらえて一族の繁栄がモットーなんだろう。」

 アーデルハイトの方は全くその気が無いようで、取り合ってもくれなんだ。
 アーデルハイトに言われるまでもなく、実際、彼女の美しい肢体を目にした日は抑えが利かなくて…。

「ハイジが来てからと言うもの、陛下は少し若返られたようですね。
 お元気過ぎて…。
 これでは、私の腹が休む暇がございませんわ。」

 后がそんな言葉を零していた通り、アーデルハイトが皇宮に留まっておった数年、后は毎年身籠っていたのだ。
 私も若かったのだよ。
 そう言った意味でも、アーデルハイトは我が一族の繁栄に協力してくれたと言って良いのだろうか…。

     ********

 若かりし頃の私が抱いた下心のことは置いておくとしてもだ。

「なあ、陛下。
 あんた、私の所に顔を出す暇があるんだったら、王子の様子を見に行ったらどうなんだい。
 生まれたばかりの一族の宝なんだからさ。」

 私が余りにもアンネリーゼの様子を見に来るものだから、アーデルハイトは多少呆れているようであった。
 
「いやな、帝国では王国貴族の男が子育てに手を出すことを良く思わない者が多いのだ。
 私が、王子をあやそうとすると、皇帝陛下のなさることではありませんと侍女が言いおるの。
 これまでの、王子が皆そうであったし、中々顔を出す気になれんのだ。
 その点、この部屋には煩いことを言う侍女もおらんからな。
 それに、アンネリーゼは、今のところたった一人の娘であるから可愛くもあるわ。
 だから、そう邪険にせんでも良いであろう。」

 そう、アーデルハイトの希望に沿って、この部屋の侍女を入れ替えたのだ。
 最初は、賓客をもてなすという意味で、高位の侍女を付けたのであるが…。
 いきなり寝所での作法を聞かされてうんざりしたアーデルハイト。
 私が用意した侍女達では気が休まらないと主張したのだ。
 それから、しきたりなどを煩く言わない若い者に総入れ替えをすることになった。
 おかげで、アンネリーゼをかまっていても誰も何も言わないから助かる。

 私の言葉を聞いたアーデルハイトは、露骨に私を気の毒そうな目で見て。

「王侯貴族ってのはまた面倒なしきたりがあるんだね。
 赤子なんてのは、父親にもかまってもらった方が喜ぶに決まってるじゃないか。
 まあ、いいさ、かまうだけなら、気のすむまでかまっていけばいいよ。
 でも、この子は私のだからね。絶対にあんたにはあげないよ。」

 そう言いながら、アーデルハイトはアンネリーゼを差し出してくれたのだ。
 生まれて三ヶ月ほどが経ち、首が座ってくるとこうしてアンネリーゼを抱かせてもらえるようになる。
 これまで、后との間に何人もの王子を儲けているが、こうして赤子を抱かせてもらったのは初めての事で。
 最初に差し出された時は、どうやって抱けば良いのかとおたおたしてしまったよ。

 その頃になると、目もハッキリと見えるようで、私があやすとアンネリーゼはキャッキャッと喜んだものだ。
 今まで、ろくに赤子などかまったことのなかった私は、すっかりアンネリーゼの虜になってしまったよ。

 アンネリーゼを抱かせてもらえるようになってからは、ますます足繫くアーデルハイトの部屋を訪ねることになった。
 最初は、私が必要以上にアンネリーゼに構うことに警戒していたアーデルハイトであったが。
 それが、単なる親バカだとわかると、警戒を解いたようで余り邪険にされることはなくなったのだ。

 そのうち、

「あんたが、そうやってアンネリーゼをかまってくれると助かるよ。
 赤ん坊の世話をするのは大変なことなんだな。
 私は、もう、くたくただよ。
 お袋は、ばあちゃんと二人で私を育てたって言うけど…。
 私とお袋だけじゃ、絶対に手に負えなかったよ。」

 そう言って、私にアンネリーゼを託すと自分は昼寝を始めてしまうようになった。
 何でも、アーデルハイトが育児に疲れて、少しの間侍女に預けて休もうとすると。
 アンネリーゼは大泣きするのだという。
 そのため、四六時中、アンネリーゼにつきっきりとなっているそうなのだ。

 だが、アンネリーゼは私を父親とちゃんと認識しているか。
 不思議なことに、私がかまうとキャッキャッと喜び、けっして泣いてぐずることがないのだ。
 特にアンネリーゼの夜泣きで睡眠不足に悩まされていた頃のアーデルハイトは、私が顔を出すと喜んでくれたよ。

    ********

 そして、生後一年ほど経った時のことであった。
 その頃のアンネリーゼは、伝わり歩きをするまでに成長し。
 壁やベッドの側面に手をやって、危なっかしく歩きまわるようになっていた。

 その日も、部屋に顔を出すと、アンネリーゼは喜んで壁伝いに私の方へ歩いて来たのであるが。
 途中で伝わり歩きをするモノが無くなり、壁に手を置いて立ち止まったのだ。

 私が迎えに行こうとすると、アンネリーゼは意を決したように壁から手を放し。
 トコトコと、今にも転びそうな足取りで歩き出し、案の定、前のめりに倒れ込みそうになったのだ。

 床には絨毯が引いてあり、転んでもケガをする事は無いかとは思うものの…。
 そこは、親バカの心配性というモノで、私はアンネリーゼに駆け寄り、なんとか転ぶ前に抱き留めたのだ。

 初めて掴まる物がない場所を歩いて、思い切り転びそうになったのが怖かったのだと思う。
 アンネリーゼは、抱き留めた私にしがみ付いて泣き出したのだ。

 その時…。

「パピィ、パピィ…。」

 ハッキリとそう聞こえたのだ。
 聞き間違いかと思い、まだ泣いているアンネリーゼの声に耳を澄ますと。

 やはり、

「パピィ、パピィ…。」

 確かに、そう言っておった。

 私はジーンときたぞ、最愛の娘からパピィ(パパ)と呼んでもらえたのだから。
 しかも、

「ああ、あんた、なんで、私より先にパピィなんて呼ばれてるんだい。
 その子が最初にしゃべる言葉は、マミィーにしようと思って。
 ずっと、私はマミィーだよって、刷り込んで来たのに…。」

 そう言って、アーデルハイトが拗ねおった。

 アンネリーゼが最初に口にした意味ある言葉は、私に縋りついて呼んだパピィだったのだ。
 この時のことも、絶対に忘れらない思い出の一つである。

 アーデルハイトはそれがよほどくやしかったのであろう。
 それから、ひとしきり。

「私はマミィーだよ。ほら、呼んでみて、マミィーって。」

 アーデルハイトは、アンネリーゼを膝に乗せて何とか自分をマミィーと呼ばせようとしておったわ。

 私は、そんな二人を微笑ましく見つめながら、こんな日がいつまでも続けば良いと思っていたのだ。
 それが無理なことだと知りつつも。
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