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第17章 夏、季節外れの嵐が通り過ぎます

第451話 その男は後悔し始めていた

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 八月下旬、儂は頭がおかしくなりそうだった。
 七月に戦端を開いたクラーシュバルツ王国との戦争は、何の成果も上げられずにいる始末である。
 開戦から早一ヶ月が経とうというのにだ。
 この一ヶ月、クラーシュバルツの姫、たった一人に翻弄されて、我が軍は全く攻めあぐねているのだ。
 
 クラーシュバルツの姫は、『アルムハイムの魔女』の薫陶を受けて魔法を使うようであるが。
 それ以上に民衆に取り入るのに長けているようで、ルーネス川沿いの町や村の民衆を味方につけおった。
 そのせいで、クラーシュバルツの姫に感化された愚民どもが暴動を起こす始末だ。

 軍の幹部たちは皆貴族であるため、民衆が暴動を起こしたと知ると徹底的に鎮圧するとを主張しおった。
 民衆がお上に逆らって暴動を起こすことなど、貴族階級にとっては絶対に赦すまじきことであるからな。

 暴徒を皆殺しにしてでも、徹底的に鎮圧すると言う軍上層部の意気込みは凄かった。
 暴徒鎮圧部隊は異例ともいえる貴族階級のみの編成になったのだ。
 軍上層部の連中、騎馬隊をもって疾風の如く暴徒のもとへ赴き、鎧袖一触で鎮圧して見せると意気込んでいた。
 それが、七月の末のこと。

 だが、それから十日ほど過ぎても暴動鎮圧のために送った騎兵隊が一人も戻ってこないのだ。

「おい、まだ、暴徒鎮圧隊は戻ってこないのか。
 臨時編成で、士官ばかりで隊を組んだため、他の作戦行動に支障が出るではないか。
 鎧袖一触で鎮圧して戻って来るのではなかったのか。」

 儂が軍上層部の者を呼び付けて詰問すると。

「いえ、それが、こちらも暴徒鎮圧部隊の消息を掴むため、早馬を出して捜索しているのですが。
 何処を探しても全く見当たらないのです。
 捜索隊からの報告によれば、暴徒は全く見つからず、ルーネス川周辺は至って平穏だとのこと。
 おそらく、鎮圧部隊は任務に成功したと思うのですが…。」

 軍としても五千人もの士官が突然消えてしまえば、今後の作戦行動に支障が出るため必死に探しているそうだ。
 いかな『魔女』と言えども、五千人もの人間を消し去ってしまうことは無理であろう。
 第一、もしクラーシュバルツの姫が暴徒鎮圧部隊を撃退したのなら、暴徒がいなくなるのも解せないしな。

 軍の上層部を前に首をひねっているとちょうどそこに伝令の者がやって来て言ったのだ。

「市中に忍ばせてあった密偵からの知らせが届きました。
 今を去ること七日前、暴動鎮圧部隊は暴徒共と接触、暴徒共に発砲をしたところ。
 その場に駆け付けたカロリーネ王女の怒りをかい、制圧されたとのこと。
 その後、暴徒共はカロリーネ王女から暴動を止めるようにとの指示を受け解散したとあります。
 なお、暴徒鎮圧部隊の者は全員、捕虜として連れ去られた模様です。」

 クラーシュバルツの姫は、暴動に加わった民衆が発砲されるのを目撃して、民衆に語り掛けたそうだ。
 民衆が傷付くのは見たくない、民衆が血を流すのは望まないから、暴動を解散するようにと。

 何のことはない、暴動が沈静化したのはクラーシュバルツの姫の説得に民衆が従ったからではないか。
 暴徒鎮圧部隊の者ども、あれだけ息巻いていたくせに、あえなく失敗して囚われの身になってしまうとは情けない。

 結局、クラーシュバルツの姫はお株を上げ、民衆に発砲した暴徒鎮圧部隊は一方的に悪者になっただけであった。
 しかも、五千人もの士官を失うことになって、軍の上層部は頭を痛めることになってしまった。

     ********

 更に、計算外のことは続き。
 開戦の三日後に受けた緒戦の報告で、クラーシュバルツの姫が『魔女』だと知った儂は一計を案じたのだ。
 クラーシュバルツの姫は『アルムの魔女』と懇意にしており、あやつの薫陶を受けたに違いないと儂は踏んだ。
 『アルムの魔女』と言えは、教皇庁から『魔女』認定を受けている要注意人物である。

 クラーシュバルツの姫を『魔女』であると告発すれば、教皇庁が黙っているはずがない。
 『アルムの魔女』に関しては、対セルベチアの密約があるので見逃されているが、クラーシュバルツの姫にはそんな事情は無いからな。
 『魔女』は教皇庁にとって許されざる神敵だから、きっと『破門』のうえ『魔女認定』がなされるはずだ。
 聖教圏の王侯貴族にとって『破門』は死刑判決に等しいからな、クラーシュバルツの姫も儚いことになるであろうよ。

 そう思って、早馬で密使を送り出したのだ。
 その密使、早々と教皇庁の返事を持って帰ってきおった。
 早くて三ヶ月、場合によっては半年は返事を待たされると思ったのに。
 僅か十日で帰ってきおった。
 密使によると五日かけて聖都に着くとその場で待たされたという。
 数時間待たされると、返事を渡されたそうだ。教皇聖下の印章で封緘がなされた書簡を。
 そして、密使は再び五日かけて戻って来たと言う。

 実質、早馬での往復の日時しか要していないではないか…。

 儂は、「これからよく検討するから時間をくれ」と言う内容だとばかり思って書簡を開いたのだが。
 そこに記されていたのは…。

 曰く、『アルムの魔女』の魔女認定は既に二年前に取り消しの上、教皇庁の誤認定であったと謝罪している。
 曰く、『アルムの魔女』には、魔法の弟子が二人いることは報告を受けており、その二人も『魔女』の嫌疑は晴れている。
 曰く、クラーシュバルツのカロリーネ姫がその一人だと承知しており、敬虔な聖教徒であることも確認済みである。
 曰く、プルーシャ王からのカロリーネ姫に対する『魔女』の告発については、この書面をもって却下する。

 既に用意されていたかの文章がキッチリと記され、儂の訴えがけんもほろろに却下されていたのだ。
 儂の告発が検討する間もなく即座に却下されるとは、全くの予想外だったぞ。
 
 しかし、『アルムの魔女』の認定が解かれ、教皇庁が謝罪? 二年も前に?
 そんなことは聞いておらんぞ、うちの密偵共は何を探っておるのだ。
 
 そう言えば…。
 二年前と言えば、セルベチア王に誰を推すかで、儂が出し抜かれた時、あの時『アルムの魔女』は何をした。
 用意周到にセルベチア王家に伝わる王の証を用意し、そう、聖教の枢機卿を呼んでおった。

 つい一ヶ月ほど前、神聖帝国が崩壊した時、なんで都合よく教皇の代理人が帝都におったのだ。
 いくら、事前に情報を掴んでいたとはいえ、儂が皇帝の座の簒奪計画を固めたのはあの三ヶ月ほど前だ。
 儂が計画を固めてからすぐに情報を掴んだとしても、あの場に間に合う訳が無いであろう。
 枢機卿が早馬で昼夜を問わずに駆けて来る筈が無いのであるから…。

 そして、やっと儂は気が付いたのだ、教皇庁と『アルムの魔女』はもう二年も前からグルだったと。

 『魔女認定』という搦め手を使って、クラーシュバルツのカロリーネ姫を排除するという手は全く無意味だったのだ、。
 儂としては、かなりこの手に期待をかけておったのだが…。

   ********

 そして、儂はカロリーネ王女と正面から組み合うのは避けることを決めたのだ。
 魔女などと言う常識の埒外の者に真っ向から挑んでも、さらりと躱されてこちらが無駄に消耗するだけであるからな。

 儂は、エルゼス地方とは全くかけ離れたクラーシュバルツ王国最大の都市、ズーリックを先に落とすことに決めたのだ。
 ズーリックを落としてしまえば、幾らでも選択肢が広がるから。

 例えば、ズーリックとエルゼス地方の交換を迫るという手段もあるだろう。
 何と言っても、ズーリックはクラーシュバルツ経済を支えている町であるからな。
 奪われてしまえば、クラーシュバルツという国が成り立たなくなる。

 例えば、ズーリックを足掛かりに、カロリーネ王女の領地シューネフルトを攻略するという手もある。
 王女も自分の領地が戦禍に見舞われるとなれば放っては置けんだろうからな。
 その隙に、残った兵力でエルゼス地方を占領してしまえば良い。

 まだ他にも、戦略的に色々と使い道がある都市なのだ、ズーリックと言う町は。

 と言うことで、儂は攻めあぐねている状況を打破すべく、十万と言う大軍を編成してズーリック方面への侵攻を実行に移したのだ。

 これがまた、とんだ裏目に出てな…。

 大軍を送り出してから二週間ほど経ち、そろそろクラーシュバルツ王国深くまで軍の侵攻が進んでいるはずだと思っていると。

 一名の兵士が軍の上層部の者に付き添われ、報告にやって来たのだ。
 そいつは、軍服がズタボロに擦り切れ、ヒゲがぼうぼうで、いったいどこの原始人かという格好をしておった。
 仮にも国王に報告するのだから、身だしなみを整えてから来いと言ってやりたかったが。
 どうやら、その時間すら惜しいような重大な報告らしい。

「今より七日前、ノルドライヒ連邦とアスターライヒ王国の国境で、アルムハイム公国の大公を名乗る女性に遭遇。
 アスターライヒ王国からの退去を要求されましたが、それを無視して進軍しようとしたところ。
 アルムハイム大公の妨害により、我が軍十万の軍勢は壊滅いたしました。
 銃砲、弾薬、補給物資、軍資金は全て奪われ、総司令官以下上級士官百名はアルムハイム大公に捕縛された模様です。」

 確かに、急を要する報告だったわい…。
 なんか、儂、何かに祟られてないか。
 わずか一マイル、ほんの少しアスターライヒ王国をかすめる事は事前に聞いてはおったのだ。
 ただ、そこは民家のない山中だというし、人通りの殆どない朝方に通り過ぎるから大丈夫だと軍の者は言っておった。
 何故、そこに都合良く『アルムの魔女』が出て来るのだ。

「総司令官以下上級士官百名が捕縛された『模様です』というのはどういうことだ。
 なぜ、そこが憶測なのだ。」

 儂の隣で報告を聞いておった宰相のベスミルクが尋ねると。

「小官は総司令官他の士官の方が連れ去られるのは見ていないからです。
 アルムハイム大公が何か言うと、心地良い歌が聞こえてきていつの間にか眠っていたのです。
 気付くと小官は蔦に巻き付かれ崖に宙吊りになっておりました。
 何とか、蔦をよじ登って崖の上に出てみると、士官の皆様も、物資も消えていたのです。」

 もう、魔女の相手は勘弁して欲しいぞ。まともな用兵が全く通用しないではないか。
 この兵が言うには、連れ去られたと思しき士官百名以外はことごとく崖に宙ぶらりんになっていたらしい。
 誰しもが眠っていて気付いたら宙吊りになっていたそうで、士官が連れ去られるのを見た者はいないという。

 十万の兵士は、崖に宙ぶらりんになっている間にかすり傷が出来た程度で大怪我をしたものはいないという。
 ただ、食糧が全て無くなり、所持金も全て奪われてしまったため、ここまで帰り着くのに難儀したそうだ。
 民衆から奪う訳にもいかず、山でドングリを拾ったり、ウサギや鹿、時には蛇まで狩って食べ繋いで戻ったという。

 道理で原始人みたいな格好をしている訳だ。本当に原始人みたいな生活をしながらここまで戻ったのだな。

     ********

 理不尽な事ばかりで、儂は戦争を始めたことに後悔し始めていたのだが…。
 
 そんなある日、儂は思わぬ人物の来訪を受けることになるのであった。
 
 
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