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第17章 夏、季節外れの嵐が通り過ぎます

第445話 口は禍の元と言いますが…

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 さて、その後もリーナによる静かな侵攻は続きました。
 最初にキールの町を訪れてから一週間もする頃には、リーナはエルゼス地方の対岸にある町や村の人々の人気者になっていました。

 そして、今日も今日とて、リーナは情報収集を兼ねてシュトロースの対岸の町キールを訪れています。
 戦闘中でなければ同行しても良いだろうと、私もご一緒させてもらいました。
 折角見知らぬ町を歩けるチャンスですからね。
 戦時中に、敵国の町を気軽に散歩しているお姫様って、何かの喜劇を見ているようです。

「おや、姫様、いらっしゃい。今日は友達と一緒かい。
 この間診てもらった腰、あれからすこぶる調子が良いよ。
 まるで、二十歳くらい若返ったようだよ。
 これなら、まだ旦那と子作りでも出来そうだよ!」

 町の広場を歩いていると、年配の夫人から、そんな下ネタを振られるくらいに気さくな存在になっていました。

「この話はもう聞いたかい。
 軍の奴ら、金が無いようでツケで食いモンを買って行こうとするんだよ。
 きちんと店を構えている商人ならともかく。
 市で露店を出してるモンからツケで買おうなんて非常識な要求をするんだ。
 もちろん、みんな、金持って来なければ売らないって、追い返しているよ。」

 どうやら、軍資金が持ち去られたうえ、厨房に備蓄してあった食料も底を突いたようです。
 食料備蓄倉庫が焼き払われてしまったので、現地調達を試みたようですが。
 駐屯地にあるお金は、軍資金だけでなく兵士のポケットマネーに至るまで巻き上げてしまいました。
 そこで、ツケでの調達を試みたようですが、この町は既にリーナの意向が浸透しています。
 ツケという事が良い口実となって、誰一人として食べ物を売り渡した人はいないようです。

 仕入れに来た人は、軍人ではなく厨房に雇われている人らしく、強くは出られず渋々引き上げていったとのことでした。
 その後、古道具屋に軍の備品を持ち込んだ軍人がいたそうですが、横流し品を買ったら首が飛ぶと言って主人は買取を断ったそうです。
 持って来た軍人は、横流し品ではないと憤慨したそうですが。
 古道具屋の主人は、「横流しする奴はみんなそう言うんですよ。」と言って取りあわなかったそうです。
 なかなか、グッドな対応ですね。

    ********

 年配のご婦人からそんな話を聞いていると。

「キャーーーーァ!」

 広場の何処かから、甲高い婦人の悲鳴が聞こえてきました。

「つべこべ、文句を言うからこんな目に遭うのだ!
 王国軍人に逆らうとどうなるか思い知ったか!
 おまえら平民共は、四の五の言わずに軍人の命令する事に従っていれば良いのだ。
 さっさと食い物を寄こさんか!」

 悲鳴に続いて、横柄な男の声が響いてきました。
 慌てて声がした方向に駆け寄ると、そこには軍人が三人。
 一番偉そうな人の手には剥き身のサーベルがぶら下がっており、血が滴り落ちていました。

 そして、その足元には露天を開いていたと思しき婦人が、一人血溜まりの中に倒れていました。

「母ちゃん、しっかりして!」

 その横では、アリィシャちゃんくらいの歳の女の子が倒れた婦人を揺すっています。

「酷い…。」

 リーナがそんな呟きを漏らし、婦人の治療に出て行こうとした時です。

「てめえ、なんて酷いことをするんだ。
 金を払いもしねえで、あげく女子供に斬り付けるなんて。
 こんな人間の屑、許しちゃおけねえぜ!」

 近くで店を出していた男性がそんな声を上げると、周囲にいた男衆が同調しました。

「そうだ、そうだ、こんな奴ら、やっちまえ!」

 売り物を運んできた天秤棒でしょうか? 傍に置いたあった棒を手に露店の主が立ち上がります。
 そして、何十人もの男衆が、それぞれに棒きれのような獲物を持って三人の軍人を取り囲みました。

「けっ!
 愚民どもの分際で、貴族である儂に歯向かうとはいい度胸だ。
 まとめて、剣の錆にしてくれるわ。」

 そう啖呵をきった年嵩の軍人ですが、気合いが入っているのは一人だけ。
 同じく貴族の士官らしき若い二人、殺気立った町の男衆に怯えて、明らかに腰が引けていました。

「司令官殿、これはいささか拙いのではございませんか?」

 なんて、言ってますしね。

「何をたわけたことを言っておる。
 貴様、それでも貴族か!
 そんな弱腰だから、愚民どもがつけ上がるんだ。
 逆らう愚民どもがいたら、こうやって何人でも斬り捨てれば良いのだ。
 十人も斬り殺せば、愚民どもなど恐怖で大人しくなるわ。
 儂等、貴族はそうやって何百年も恐怖で愚民どもを従えてきたんだ。
 それを最近の若い貴族は、愚民どものご機嫌を取るような甘っちょろいことばかっり言いおって。」

 司令官と呼ばれた男は、そんな時代錯誤なことを言って若手士官を叱り付けます。
 いや、あなたがどう思うと勝手ですが、…。
 そう言うことは、あなたが言う所の『愚民』を前にして言うことではないと思いますよ。
 多勢に無勢という言葉を知っていますか。

「何を年寄りが威張りくさりやがって!
 貴族が何だって言うんだ、そんな得物振り回したって、たった三人で何が出来るんだ。」

 そう言った露店商は力任せに重そうな天秤棒を振り回しました。

「ふん、農民風情がそんな棒切れを振り回したところで怖くもなんともないわ。」

 さすがに偉そうな口を利くだけあって、剣技は確かなようです。
 司令官は落ち着いてその天秤棒をいなしますが…。

 ポキッ!

「はぁっ?」

 天秤棒をいなしたサーベルが根元からポッキリ折れました。
 司令官さん、剣と剣の戦いは得意かも知れませんが、天秤棒を相手したことはなかったようです。
 大質量の天秤棒です、司令官は上手く受け流したつもりでしょうが、それでも細いサーベルは耐えきれなかったようです。

「ちょっと、まった、多勢に無勢とは卑怯だぞ!
 おい、ちょっと、待つんだ!」

 いきなり、そんな泣き言を吐く司令官ですが、あれだけバカにされた男衆が待つ訳がありません。
 それからは、一方的な蹂躙でした。
 町の男達の気が済んだ時には、かつて軍人であったモノがズタボロになって三つ転がっていました。
 腕が変な方向に曲がっている人とかいるようですけど、取り敢えず息はしているようですので放っておくことにします。

    ********

 それより、心配なのは血溜まりの中で倒れ伏しているご婦人です。
 リーナが駆け寄り、ドレスが血で汚れるのも厭わず抱き起すと何とか息はあるようでした。
 ご婦人は肩口から袈裟懸けに切りつけられたようで、大きな傷口が開いています。

「気をしっかり持ってください。
 今、治療して差し上げますからね。
 絶対諦めてはなりませんよ、娘さんをおいて逝くのは赦しません。」

 リーナは半死半生の婦人を叱咤しながら、水の精霊シアンに癒しを指示しています。
 すると、リーナが抱きかかえる婦人に天から白銀の光が降り注ぎました。

 衆人環視の中で、降り注ぐ光を浴びた婦人の大きな傷は塞がっていき、…。
 やがて傷など最初からなかったように、痕も残さずに消え去りました。
 そして、青ざめていた婦人の顔に仄かな赤みがさしてきます。

「あれ、私しゃ、さっき軍人に切り付けられたような気がしたんだが…。
 気のせいだったかい。」

 目を覚ました婦人が不思議そうに呟きます。

「かあちゃん、生きててよかった!」
 
 娘さんが涙を流して抱き付いたことで、婦人はやっと自分が斬られたのは夢ではないと確信したようです。
 そして、自分がドレスを血塗れとしたリーナに抱きかかえられている事にも気付いたようです。

「これは、姫様が治してくださったのですか。
 危ないところを救って頂き、有り難うございます。
 本当に姫様は女神様のようです」

 そう感謝の言葉を告げたご婦人の声に続くように。

「奇跡だ、姫様が奇跡を起こしてくださったぞ。
 やはり、神意はクラーシュバルツの姫様にあるんだ。
 神に逆らう、軍のバチ当たり者どもなど、町から追い出すんだ!」

 さっきの天秤棒を担いだ露店商が集まった人々を扇動するような大声で叫びました。
 それに続いて、多くの男達が様々な得物をもって走り出しました。

「あっ、ちょっと…。」

 リーナが止める間もなく、走り去ってしまう男衆の集団。
 もう止められるような状況ではありませんでした。

 リーナは、暴動などは望んでいなかったのですが…。。
 これは、無抵抗な婦人に斬り付けたうえ、民衆に対して暴言を吐いた軍人の自業自得ですね。

 この日、キールの住民によって、キール郊外の駐屯地は全て焼き払われ、見事に更地になりました。
 残っていた士官たちは…、まあ、良いでしょう。自業自得ですからね。

 因みに、最初にズタボロにされた三人ですが。
 死なない程度に治療した後、例の茨の原野に放置しました。
 一人ずつ三ヤード四方の空間を作ってバラバラに、戦争終結までそこで暮らしてもらいましょう。
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