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第17章 夏、季節外れの嵐が通り過ぎます

第444話 逆侵攻をかけるそうです

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 プルーシャの軍勢がルーネス川を越えようとして自滅してから五日が経ちました。
 未だ、対岸に動きはありません。

 ここエルゼス地方からプルーシャ公国の王都ベアーリンまでは約三百六十マイル、早馬を使ってもまる三日掛かる距離です。
 開戦の第一報がプルーシャ王の耳に入るのは早くても昨日。
 ことによると、まだプルーシャ王の許に届いていないかも知れません。

 当然、リーナが三日間連続で行った夜襲の事など届いているはずも無いのです。

 あの傲慢なプルーシャ王のことです。
 ご自慢の精鋭部隊が、ロクな警備兵もいないエルゼス地方の侵攻に失敗しているとは思っていない事でしょう。
 今頃、エルゼス地方占領の知らせを心待ちにしているかも知れないですね。

 まさか、のっけから侵攻に躓き、無事にエルゼス地方へ侵攻を果たした兵が一人もいないとは思ってもいない事でしょう。
 いわんや、軍勢の中で内紛が発生し、下級兵士の多くが脱走したことや多くの士官が死傷したことなど想定の範囲外でしょうね。

 なので、各駐屯地に兵の補充など送られてきてはいません。
 筏で下流へ流されてしまった兵士達も戻ってきていないようですし、当然脱走した兵士は戻って来る訳もありません。
 なので、エルゼス地方侵攻の拠点となっていた多くの駐屯地は兵員が激減した状態で放置されてます。

 もっとも、一つしかなかった橋は落とされたままですし、…。
 プルーシャ軍が渡河のために集めた小船もその多くを脱走兵が持ち逃げしてしまいました。 
 実際問題、対岸に再び軍勢が集結しても渡河する術も無い状態なのですが。

 しかも、三日間の夜襲により、プルーシャ軍がエルゼス地方侵攻の拠点とした駐屯地の物資も大半が失われていますから。
 兵を補充しただけではいかんともし難い状況ですしね。
 武器弾薬はもちろんですが、備蓄食料を焼き払い、軍資金も没収してしまったので兵を飢えさせるだけです。

「リーナ、どうしますか?
 このままシュトロースに留まっても、プルーシャの軍勢がすぐさま侵攻してくる状況ではありませんよ。
 また、クラルテに巡回をお願いすることにして、一旦シューネフルトに引き上げますか?
 この時期、シューネフルトは訪れる人が多くて、あまり留守にはしていられないでしょう。」

 私は、リーナと共にお茶をしながら、当面の行動について尋ねてみました。

「ロッテの言うことももっともですね。
 このまま、この地に留まっても時間の無駄な気はしますね。
 ですが、戦端は開かれてしまいましたので、やはり、この地を離れるのは心配です。
 ですから、ここは私なりの方法で、プルーシャ公国に侵攻をかけようかと思います。
 攻撃は最大の防御と言いますからね。」

 すると、人と争うことが嫌いなリーナから、そんな不似合いな言葉が返って来ました。

     ********

 その日の昼下がり、私達は逗留しているシュトロースの対岸にあるプルーシャ公国の小さな町キールの上空にいました。
 この町は、五日前までルーネス川にかかる橋で、エルゼス地方と結ばれていました。
 その橋は、リーナが契約する大地の精霊セピアが落としてしまったので今は見る影もありません。

 私に上空に留まるようにように言ったリーナは、町の中心部にある市の立つ広場に降下して行きました。
 昼下がりの広場には、市で夕食の食材を買い求めるご婦人を中心に、それなりの人が集まっていました。

 そこに、突如として有翼の白馬に跨るリーナが降り立ったのですから、広場が騒然としない筈がありません。

「何だい、あの馬、羽根が生えているじゃないか。
 あたしゃ、長い事生きとるけど、初めて見るよ。」

「おやまあ、天馬に乗られている方もキレイな金髪で神々しいね。
 まるで経典に語られる天使様みたいじゃないかい。」
 
 リーナを遠巻きにする町の人々の間にそんな声が漏れ聞こえます。

「突然お邪魔して、申し訳ございません。
 私は、カロリーネ・フォン・アルトブルク。隣国クラーシュバルツ王国の第一王女です。
 現在、我が国の領土であるエルゼス地方に、ここプルーシャ公国の軍勢が侵攻をかけて参りました。
 この町にお住いのみなさんにはご不便をおかけして申し訳ございませんが。
 プルーシャ公国の侵攻を防ぐために、ルーネス川に架かる橋を落とさせて頂きました。」

 リーナは広場の中心付近で名乗りを上げると、簡単に現状の説明を切り出します。

「クラーシュバルツの姫さんが、こんな所に何の用だい。
 あたし達には戦争なんて関係ないけど、一応ここは姫さんには敵国なんだろう。」

 一人のご婦人が、リーナの問い掛けました。

「はい、ですから私は、皆さんに知ってもらおうと思ってこうしてやって参りました。
 まず最初に、私は戦いを望みません、私は人々が傷つけあうのは望みません。
 現在、エルゼス地方から産する鉄や石炭は周辺の全ての国に、全て同じ価格で出来る限り安価に提供しています。
 みなさんの手許にも鍋釜など安い鉄製品が届いている事かと思います。
 ただし、販売するのは、鉄砲や大砲など軍用には使わないとの条件を守ってくださる方だけに限定しています。
 軍備増強を図るプルーシャ王は、それを不服としてエルゼス地方の侵略を企んだのです。
 この町は、対岸にあるシュトロースと長年にわたり友好的な関係を築いて来たと聞いております。
 プルーシャ王は、軍備増強などと言う愚かな事のために、この町とシュトロースの友好に亀裂をもたらそうとしています。
 みなさんは、そんなことを望んでいますか?
 もし、みなさんも争いを望まないのであれば、戦争を早期に集結させるために私に協力して欲しいのです。
 戦争が終結した暁には、早期にルーネス川に架かる橋を再建することをお約束しましょう。」

 リーナがそう答えると、ご婦人方からまた質問が飛んできました。

「姫さん、たしかに、わたしゃ、戦なんて望んじゃいないし。
 シュトロースとの間で、物の売り買いが出来なくなるのは困るよ。
 でもさあ、実際、わたしらに何が出来るって。
 お上に逆らおうもんなら、わたしらの命なんてあっという間に無くなっちまうよ。」

 確かに、このご婦人の心配ももっともです。
 身分制度の厳格なプルーシャ公国では、貴族の命令に逆らっただけでその場で斬り捨てられるなんてことも平気であるようですからね。

「みなさんにお願いしたいのは、正面から戦争に反対して欲しいという事ではありません。
 私は、この数日、プルーシャ側の駐屯地をこの天馬で巡って、空から食料庫などを焼き払いました。
 この近辺の駐屯地は、どこも食料を始めとした物資が不足している状態です。
 みなさんにお願いしたいのは、軍から物資の売り渡し要請されたら、何かと理由を付けて断って欲しいのです。
 それだけで、軍は戦争が続け難くなります。」

「それだけでいいのかい。
 ただね、こっちも商売だからね…。
 しかも、軍に脅されたら売らん訳にもねぇ…。」

 リーナの言葉を聞いて、市でモノを売っていたと見られるご婦人が難色を示しました。

    ********

 すると、そのご婦人には答えず、リーナは唐突に…。

「そちらのご婦人、足はどうかなされました。」

 リーナの側を通り過ぎようとした足の不自由なご婦人に声を掛けたのです。
 三十歳くらいでしょうか、まだ若いその婦人は片足を引き摺りながら杖を突いて歩いていました。

「ああ、これかい。ちょっとしくじっちまってね。
 屋根の雨漏りを直してる時に、足を滑らせちまってね。
 屋根から落ちたらこのザマだよ。
 まあ、打ちどころが悪かったら、お陀仏だったからね。
 命があっただけでも、めっけもんだと思うことにしてるんだよ。」

 どうやら、屋根から落ちた時に、酷く足を骨折したようです。

「少し見せて頂けますか?」

 そう言ったリーナは、足を投げ出した形でご婦人を地面に座らせました。
 そして、ご婦人の足を見て手を添えると、リーナの手から銀色に輝く光の粒が降り注ぎます。
 そうです、リーナはこっそり水の精霊シアンに頼んで、癒しの力を使ってもらったのです。
 しばらく、それを続けた後、リーナはご婦人に尋ねました。

「いかがですか?」

 ご婦人は杖なしで立ち上がると…。

「立てる…、杖なしで立てるよ。
 しかも、全然痛くないよ。さっきまであんなに痛かったのが嘘みたいだ。
 それに、足がキレイに真っ直ぐになってる、折れた場所が元通りだ。
 お嬢さん、誰だか知らないけど、有り難うよ。
 これで、元通りに暮らすことができるよ。」

 とんとんと地面を突いたり、飛び跳ねたりして、足の感触を確かめたご婦人がリーナに頭を下げました。

「他に、体の具合が悪い方がいらしゃれば、見て差し上げますよ。」

 リーナが、周囲の人々に声をかけると何人かの人がリーナの前に列を作りました。
 その方々に、順次癒しを与えていったリーナ。
 それが終わる頃には…。

「この国の王様は、なんてバチ当たりな事をしてるんだい。
 こんな聖女様みたいな方に喧嘩を売るなんて…。」

「そうだね、天馬に乗って現れた時も驚いたけど。
 こんな、奇跡みたいな業を見せられちまったら、姫様に従わない訳には行かないね。」

「ああ、全くだ。商売だなんて言ってる場合じゃないね。
 神様にたてつくような真似をする王様には従えないよ。」

 周囲ではそんな声が上がっていました。
 最初の人、仕込みじゃありませんよ。

 こうして、リーナはシュトロースの対岸の町キールの住民を味方に付けたのです。

   ********

 そして、リーナは、やはり数日かけて近隣の村や町で同じことをして回りました。

 天馬で空から舞い降りて、傷付いた人を癒して回るうら若き姫君。
 この地方の人々の間に、『聖女伝説』が出来るのに然して時間はかかりませんでした。

 民のために癒しを施して回る『聖女』と軍備増強のために隣国に攻め入ろうとする『王様』。
 民の中で、どちらに軍配が上がるかは、火を見るよりも明らかでした。

 エルゼス地方とプルーシャ公国の国境付近で、武力を使わないリーナの侵攻は進んでいったのです。
 プルーシャ王の気付かないうちに…。
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