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第16章 冬から春へ、時は流れます

第402話 冬の終わりに

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「まま、にいたん、きょう、くゆかな?」

 もうすぐ三月という日曜日の朝のことです。
 朝食を摂っているとエリーちゃんが、ケリー君が遊びに来るかと尋ねてきます。
 一ヶ月前より少しだけ語彙が増え、何とか会話らしきものが出来るようになりました。

 私のことは、シャルロッテ様、もしくはロッテお姉ちゃんと呼ばせたかったのですが。
 依然として『兄ちゃん』と言えないように、音節の多い言葉はまだ上手くしゃべれないのです。
 周囲の人が『優しいママみたい』と言うものですから、『まま』と覚えられてしまいました。

 まだ、正真正銘『清き乙女』の私が、まさか『まま』と呼ばれる日が来るとは思いませんでした。
 結婚はおろか、二十歳にもなっていないのに…。

「そうね、今日は日曜日だから。
 ケリー君、遊びにくるかも知れないね。」

「えっ、にいたん、くゆの?
 わーい!サリー、うれしー!」

 私の言葉を耳にして、サリーちゃんが喜んでいます。
 スプーンを片手にスクランブルエッグと格闘していたサリーちゃん。
 口の周りをタマゴの食べかすだらけにしています。

 ケリー君が、王宮に仕えるようになってから一月半ほど経ちました。
 あの日別れ際に約束した通り、ケリー君は日曜日になると二人のもとへ顔を出します。

「はやく、こないかな、にいたん。」

 エリーちゃんも待ち遠しそうな声を上げました。
 どうすれば良いのでしょうか?
 私はケリー君に会うことを心待ちにしている二人に残酷なことを告げなくてはなりません。
 そう、三月になったら、私達はアルムハイムへ帰らないとならないのです。
 当然、この二人も連れて行くことになります。
 そうなると、しばらくはケリー君と会うことが出来ません。 

 ケリー君を慕っているサリーちゃんとエリーちゃん。
 二人を悲しませないようにうまく説明する自信がありません。
 せめて、月に一度の時計の納品の時には連れて来ようと思っているのですが…。

    ********

「おはよう、エリー、サリー。
 シャルロッテ様の言い付けを守って、ちゃんと良い子にしていたか?」

 エリーちゃん、サリーちゃんの願い通り、顔を出したケリー君。
 この一月半ほどで言葉遣いが大分きれいになって来ました。
 物越しも少し穏やかになっています。

 王宮に仕えてすぐの頃は、

「侍従長ったら酷いんだぜ。
 急いでとって来いというから、走って取って来たのに…。
 王宮内を走ったらダメだと怒りやんの。
 急げと言われたら、港じゃ、走ってかないと拳骨食らったのに。」

 そんな風に愚痴っていました。

 根が真面目なケリー君、急げと言われて王宮の廊下を走ったそうです。
 港で荷役の仕事をしていた時の経験に基づく行動だったようです。
 ですが、侍従長は王宮の廊下は走ったらいけないと叱ったとのことで。
 他にも、音を立てて歩いたらいけないとか色々と言われたと言います。

 そんな注意を受けたケリー君、王宮の廊下を歩く人をよく見たそうで。
 廊下を行き交う人に中に、音も立てずに速足で歩く人に気付いたそうです。
 それらの人達が、急ぎの要件で動いている人だろうと思ったそうです。

 それから、急ぎの要件を命じられた時はそれをマネて歩くことにしたそうです。
 ジョージさんが付けてくれた指導役から、言葉遣いや礼儀作法とかを習っているそうですが。
 言葉遣いの矯正が先行して、立ち居振る舞いまでは至ってないようです。

 なので、ケリー君は、周りの人の振る舞いを観察して、自分の動作を直しているそうです。
 お手本が悪いと失敗することもありそうですが、ケリー君の向上心は大したものです。

 こうして、ケリー君の物越しはスラムに住んでいた時より穏やかなものになりました。
 恐らく、良家の平民の子息に引けを取らないと思います。

 週に一度の休日には、余程のことが無い限り顔を見せてくれるケリー君。
 午前中から夕方まで、二人の遊び相手をつとめてくれます。

 お昼は、館のみんなと一緒にとり、最近会ったことを話してくれます。
 この日は、

「雑役頭の人が凄い怖い人で。
 親父は毎日泣き言を言いながら、働かされているんだ。
 今週はもうすぐ植え付けの季節になるから。
 王宮の裏にある畑を耕す仕事をしたらしくて。
 体が鈍っているから、畑仕事なんかしたら体の節々が痛いって。
 それで、仕事をサボろうとしたんだけど。 
 雑役頭が鬼のような顔でやって来て。
 親父の首根っこ掴んで引きずって行ったんだ。
 あれなら、きっと親父も真っ当になると思うんだ。」

 あの日、スラムに住むケリー君の父親の所に、四、五の役人が押し掛けたそうです。
 そして、まるで罪人を引っ立てるように有無を言わさず、父親を王宮まで連行したそうです。

 いきなりの事に恐怖した様子で、王宮に着いた時、ケリー君の父親は顔面蒼白だったそうです。
 そこで、強面の雑役頭の前に引きずり出され、『今日から雑役夫を命じる』と言われたとのことで。
 びびったケリー君の父親は、首を縦に振るしかなかったそうです。

 それから、一月半、根っからの怠け者のケリー君の父親、何かと理由を付けてはサボろうとするそうですが。
 その都度、雑役頭に無理やり引きずられて行くそうです。
 おかげで、真人間に近づいているとケリー君はとても嬉しそうです。

 何でしょうか、ケリー君の父親の話を聞くたびに、工房の悪ガキ共が頭に浮かぶのは…。

    ********

 その日、ケリー君は帰り際に言いました。

「サリー、エリー、よく聞くんだぞ。
 俺もこれから色々勉強しないといけないことがあって。
 今までみたいに、ちょくちょく顔を出す事は出来なくなりそうなんだ。」

「そうなの?」

「にいたん、こえないの?」

 ケリー君の急な言葉に、二人とも寂しそうに問い返します。
 ケリー君に私の懸念を相談しておいたのです。
 それで、ケリー君の方から話を切り出してくれました。

「ああ、そうだ。
 でも、ずっと会えない訳じゃないぞ。
 月に一度は時間を作って顔を見せるから。
 それまでの間、お前たちはシャルロッテ様の領地に行っているんだ。
 俺が遊びに来れる時は、シャルロッテ様に伝えるから。
 ここに連れて来てもらえば良い。」

「また、あえゆ?」

「うそつかない?」

「ああ、良い子にしてれば、月に一度は必ず顔を見せるから。
 嘘はついていないぞ。  
 だから、シャルロッテ様の言い付けを守って良い子にしてるんだぞ。」

 そう言って不安げな顔の二人の頭を優しく撫でてあげるケリー君は。
 二人は、くすぐったそうにしながら。

「うん、いいこにしてゆ!」

「サリーも!」

 どうやら、それで安心したようです。 
 ケリー君のおかげで、二人をアルムハイムへ連れて行けそうです。

   ********

 そして、月が変わり三月。
 高緯度にあるここもまだ寒いですが、徐々に暖かい陽射しが届くようになります。
 そろそろ、公園で遊ぶ子供たちの姿もちらほらと見られるようになりました。

「おばあちゃん、お久しぶりです。
 冬の間、お元気でしたか?」

 その日、私はロコちゃんと一緒にスラムの近くにある公園に足を運びました。
 ロコちゃんがお世話になったお婆ちゃんにお別れが言いたいとの事でしたので。

「おや、ロコちゃん、久しぶりだね。
 おかげさんで、私はこの通り元気にしていたわよ。
 今日は、いつもよりおめかしをしているようだけど。
 何かあったの?」

 ロコちゃんから挨拶を受けたお婆ちゃんは人懐っこい笑顔を見せて答えます。
 歳は六十歳過ぎくらいでしょうか。見たところ、とてもお元気そうです。

「今日は、お別れの挨拶に来ました。
 私、もうすぐ、アルムハイムと言う国に引っ越すんです。
 こちらにいらっしゃる、シャルロッテ様が私の母を雇ってくださるのです。
 私も母に付いて、シャルロッテ様のもとに行くことになりました。
 今まで、色々なことを教えて頂き有り難うございました。」

 ロコちゃんは、王都を去ることを告げ、お婆ちゃんに深く頭を下げました。

「おや、そうなのかい。
 ロコちゃんがいなくなると寂しくなるね。
 でも、その様子だと、スラムの生活から抜け出せたのね。
 それなら、笑って送り出してあげないとね。」

 ロコちゃんから別れの挨拶を聞かされたお婆ちゃんは、本当に寂しそうな表情を見せました。
 ですが、無理して笑い顔を作り、ロコちゃんの旅立ちを祝福してくれます。

 私は、寂しそうなお婆ちゃんの表情が気になりました。

「失礼ですが、お婆ちゃん、今ご家族は?」

「おや、あなたはどちら様かね。
 ロコちゃんの母親にしては若すぎるし…。
 貴族のようないで立ちをしておられるわね。」

「ごめんなさい。
 自己紹介も無しに、不躾でしたね。
 私はシャルロッテ・フォン・アルムハイム。
 アルムハイム公国の大公をしております。
 ロコちゃんがとても優秀でしたので。
 教えを施してくださったお婆様に私もお目に掛りたいと思いまして。
 お婆様の表情が寂しげに見えたので少々立ち入ったことを聞いてしまいました。」

 私の自己紹介にお婆ちゃんは驚き、目を丸くしました。

「大公様でございましたか。
 これは飛んだご無礼を致しました。
 私は、織物問屋の隠居でカミラと申します。
 私の言葉が足りずにご心配をおかけしたようですね。
 私は先年連れ合いには先立たれましたが。
 優しい息子夫婦や孫に囲まれて幸せな余生を送っていますよ。
 ただね…。」

 カミラさんが営まれていた織物問屋は元々ウール生地の行商から始めたそうですが。
 ちょうど、ブームに乗って商いを大きくし王都に店を構えたそうです。
 その後も、上手く綿織物のブームに乗ることが出来たと言うことで。
 今では大店に数えられるまでになったと言います。

 息子さん夫婦が一人前になったと言うことで代を譲ったそうで。
 それまで帳場を預かったいたカミラさんも、お嫁さんに引き継いだと言います。

「いつまでも、女将の上に大女将がいたら仕事がやり難いでしょう。
 だから、仕事を譲ったのには不満はないの。
 でもね、それから暇を持て余してしまって。
 孫が小さなうちは良かったのよ。
 可愛い孫の世話をしていれば良かったのだから。
 でもね、男の子はダメね。
 十五を過ぎる頃には相手をしてもらえなくなったわ。
 だから、こうしてここで話し相手になってくれる子供を探してたの。
 丁度、そんな時だわロコちゃんに会ったのは。
 ロコちゃん、周りの大人から教えを受けてないみたいでしたから。
 年寄りの知恵が少しでも役立てばって思って話をしていたの。
 まだまだ、お話したいことが沢山あったのに残念だわ。」

 どうやら、カミラさん、時間を持て余し気味の様子です。
 素直で、人懐っこいロコちゃんは格好の話し相手だったようです。

「カミラさん、小さな子供はお好きですか?」

「ええ、大好きよ。
 小さな子の無垢な笑顔を見ているだけで、心が温かくなるわ。」

 そんな言葉と共に微笑むカミラさん、子供好きは本当のようです。

「カミラさん、もしよろしかったら少し力を貸してくださらないかしら。
 実は、ロコちゃんの他にも、スラムの子供を三人保護したのだけど。
 親御さんから、幼児期の教育を受けていないようで、片言の言葉しか話せないの。
 三人に、ロコちゃんに話したような事を教えて頂けないかしら。
 話し方とか生きていく知恵とか。
 もちろん、十分な謝礼はさせて頂きます。
 ただし、ここから遠く離れた私の領邦までお越し頂くことになりますが。」

「あら、大公様はこの老いぼれに働けというのかしら。
 でも、そうね、商会も順調だし、息子夫婦や孫に心配はないわね。
 大公様のお国ってどのようなところなの?」

 カミラさんに問われて、私はアルムハイム公国と周辺のアルム地方について説明しました。
 そして、私が魔法使いで、アルムハイムとの往来は一瞬で出来る事も教えてしまいました。
 その方が、安心してアルムハイムに来ることが出来るでしょうから。

「まあ、魔法使い、素敵。
 六十を過ぎて魔法使いにお目に掛れるとは思わなかったわ。
 それに、余生を送るのには良いところのようね。
 いいわ、その子達のお世話は引き受けましょう。
 お婆ちゃんの知恵を出来る限り教えて見せるわ。」

 ロコちゃんに付き添ったのは正解でした。
 これは、勿怪の幸いです。
 サリーちゃん、エリーちゃん、プリムちゃんの三人に良い導き手が見付かりました。
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