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第12章 冬来たりなば

第282話【閑話】早朝から丸洗いされました

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 ノノちゃんの真意はともかく、私はノノちゃんのお誘いを有り難く受けることにしました。
 もうダメかと思っていた中で、金貨二枚も頂ける仕事をもらえた事で注意散漫になっていたのでしょう。

 私は大事なことを見落としていました。
 展示即売会が催されるのは首相官邸、来られるお客様は上級貴族のご婦人方だとノノちゃんは言っていました。
 私には、そんな場所に着ていける服がありません。

 流石に女学校の制服という訳にはいかないでしょう。
 そうすると、外出用の私服になりますが、当日おもてなしするのは上級貴族のご婦人方です。
 やはり、ドレスコードに沿った服を身に付けないといけません。

 もちろん、私もパーティードレスや外出着など、ドレスコードに沿った服装は一式持ってきました。
 ですが、どれもこれも、母が若い頃のおさがりです。

 例えば、今回必要なのは、貴族のお宅を訪問する時に着用する冬物の外出着です。
 私が持っているのは、厚手の上等なウールのワンピースなのですが、ところどころ擦り減って薄くなっています。
 前身ごろにあしらわれたフリルは撚れており、それ用に用意された白いレースの付け襟や付け袖は黄ばんでいるのです。
 何よりも、母の若い頃、二十年以上前の服なのでデザインがとても古臭いのです。

 私は恥を忍んで他の寮生に借りる事にしたのですが…。
 今は冬休みの最中、寮に残っている生徒は十人ほどしかいません。
 そして、運が悪いことに私と体形の近い方が一人もいなかったのです。
 
 私は、やむなく母のおさがりの外出着で出かける事にしました。
 この服で行ったらアルムハイム伯の不興を買うかもしれないと、私はとても心配でした。
 官邸に招かれたお客様からすれば、接客係が臨時で雇われた者か、アルムハイム伯の臣下かは分かりません。
 アルムハイム伯は臣下にみすぼらしい格好をさせているのかと、伯に恥をかかせることになりかねないからです。
 アルムハイム伯が私の服装を見たら、接客係の仕事が貰えなくなるかも知れません。
 この服のために、せっかくの金貨二枚の仕事をフイにするかも知れないと不安だったのです。

 この時、服の事ばかりに気を取られていて、私はもっと大事なことを失念していました。

      ********

 それから三日後の早朝、私はノノちゃんの案内でアルムハイム伯のお屋敷を訪れます。

 アルムハイム伯のお屋敷は学校の寮からほど近く、歩いても然して時間はかかりませんでした。

 まだ日の出前の薄暗い中、お屋敷の正門前に着くと、不思議な事に門番もいないのに門扉が開きました。
 私は突然の事に驚き言葉を失いましたが、ノノちゃんは平然と敷地に入って行きます。
 ツカツカと先に行ってしまうノノちゃんを慌てて追った私には、不思議な門扉について問う間もありませんでした。

 そして、私達が屋敷の玄関に近づくと見計らったように扉が開きます。ええ、ドアボーイもいないのに…。
 ここでも、ノノちゃん、平然と扉を潜り館の中に歩を進めました。

 今度こそ、この不思議な現象についてノノちゃんに尋ねようと思ったのですが…。
 
「おはよう、ノノちゃん、時間通りね。
 悪いわね、こんな早くから来てもらって。まだ眠いでしょう。」

 館の玄関ホールに入るやいなや、待ち構えたように声が掛かりました。
 そこにいたのは黒ずくめドレスに身を包んだ私と同年代の少女です。

 出迎えを受けたノノちゃんはいつもの人懐っこい笑顔で挨拶をしました。

「おはようございます、シャルロッテ様。
 ご紹介します。私の隣にいるのが寮でお世話になっているナンシー先輩です。」

 ノノちゃんが留学してきた日に、付き添いとして来ていたこの少女がアルムハイム伯のようです。
 ノノちゃんから紹介を受けた私は、気を引き締め直してアルムハイム伯へ挨拶をしました。
 みすぼらしい服装で来てしまったのです、せめて振る舞いだけでも出来る限り礼儀正しくしませんと。

 すると少しでも私の印象を良くしようとの意図でしょうか、ノノちゃんが私の成績や人柄を称賛してくれました。
 ノノちゃんに言葉に笑顔で頷いたアルムハイム伯は、その笑顔のまま私に挨拶の言葉をくださいました。

 ですが、挨拶の言葉に続けてこう言ったのです。

「早速で申し訳ございませんが、着替えを用意させますので着替えて頂けますか。
 その前に、お風呂にも入っていただこうかしら。
 すぐに用意させますから、時間が無いので急いでくださいね。」

 そこで初めて、私は自分の失敗に気が付きました。
 道端で酌婦の勧誘をする男から体臭がすると言われて、恥ずかしい思いをしたことを失念していました。
 私は服装の事に気を取られる余り、もっと大切な身ぎれいにするという事を忘れていたのです。
 ノノちゃんから石鹸を借りて体をきれいに洗っておくべきでした。
 昨日は、気がそぞろになっていて、つい惰性で体をお湯に浸した布で拭くだけに留めてしまったのです。

 穴があったら入りたい気分でした。
 私とアルムハイム伯の間は、ゆうに二歩分離れてるにもかかわらず、臭うと言うのです。

 恥ずかしさの余り俯いていると、私の手を引く人がいます。

「さあ、さあ、お時間が押してますよ。
 まずは浴室にご案内いたしますので、体をきれいにしましょうね。
 では、姫様、こちらのお嬢様は私が全力で磨き上げて参ります。」

 この方が、アルムハイム伯の指示を受けていたベルタさんという方でした。

     ********

 ベルタさんに手を引かれて連れて行かれた浴室、そこには大き目なバスタブが一つ置かれていました。
 
 不思議な事にバスタブにはきれいなお湯が張られ、湯気を立ています。
 いったいいつの間にお湯を張ったのでしょうか、私が使うことが予め分かっていた訳でもないのに。

「さあ、さあ、時間がありませんよ。
 ボッとしていないで、早く体を洗ってしまいましょう。」

 私がお湯が張られていたバスタブを見て呆けていると、ベルタさんが私を脱がせにかかりました。

「いえ、服ぐらい自分で脱げますから。」

 私は服を脱がそうとするベルタさんに抵抗したのですが、

「とんでもございません。時間が押しているのです。
 貴族のお嬢様がゆっくり服を脱ぐのを待っていたら日が暮れてしまいます。」

 そう言ってベルタさんは私の願いを聞いてくれませんでした。
 いえ、本当に拙いのです。
 湯浴みは一人で出来るからベルタさんには浴室から出て行って欲しいです。
 だって、私は、…。

 私は抵抗むなしく服を取り払われてしまいました。
 そんな私に、ベルタさんが尋ねて来ます。

「おや、お嬢様、ドロワーズは何処に落としてまいりました?」

 …下着を着けていない事がバレてしまいました。

「いえ、実は下着を買うお金もないものですから…。」

 私は、恥ずかしさの余り、蚊の鳴くような声になってしまいました。
 私の返答を聞いたベルタさんは微妙な顔つきになり、申し訳なさそうに言いました。

「これは無神経な事を伺って申し訳ございませんでした。
 では、ドロワーズも用意いたします。あっ、シュミーズも必要ですね。
 クローゼットの中に新品の物があったと思いますので。」

 結局、下着まで用意して頂くことになってしまいました。
 何から何までご面倒をおかけして申し訳ないです。

 その後バスタブの中で、石鹸を使って体の隅々まで念入りに洗われたのは言うまでもありません。

     ********

 入浴の後、私は客間の一つに通されました。
 そして、わずかな時間待たされると、ベルタさんが何着かの服を抱えて戻って来ます。

「姫さまったら、普段黒のお召し物しか着ないものですから。
 適当な服を探すのに手間取ってしまいました。
 お嬢様は背格好が姫様と同じくらいなので、服を探すのは簡単だと油断していました。
 しかも、適当な服があったと思ったら、陛下からの贈り物ばかり。
 陛下も陛下です。
 孫娘が可愛いのは分かりますが、帝家の紋章入りの服なんて着れる訳ないのに。
 姫様が帝家の方ではない事をお忘れなのかしら。」

 そんな愚痴を漏らすベルタさん、服を探すのに大分手間取ったようです。
 でも、『陛下』とか、『帝家』とか、聞こえたのは私の空耳でしょうか。アルムハイム伯って、いったい…。

 その後、今まで身に着けたこともない上等な外出着を着付けして頂き、化粧や髪のセットまで施していただきました。
 髪の毛をキチンとセットしたなんて、いったい何年振りでしょうか。

 何よりも、久しぶりに下着を着けることが出来たのがとても嬉しかったのです。
 下着、着けていないと心細いことに加え、冬場はスースーして冷えるのですよね。
 しかも、このドロワーズとシュミーズ、とても有り難いことに返さなくても良いと言われました。

 着付けが終り、姿見に映った自分の姿を見た私は、つい、『誰?』というボケをかましそうになります。
 鏡に映る私の姿は、正真正銘の貴族の令嬢です。我ながら、磨けばこんなにきれいになるのだと感心してしまいました。
 それに、体から香る石鹸の匂いがとても心地良いです。

 着付けが終ってアルムハイム伯のもとに戻ると、私は諸々お手数をおかけしたことを謝罪しました。

 すると、アルムハイム伯は満足そうに微笑みを湛えて言います。

「別に謝って頂くほどの事ではないわ。
 ナンシーさんの様子から察するに。
 自分の服装が今日の仕事に相応しくないことは、認識出来ていたのでしょう。
 それが分かる人なら合格よ。
 相応しい服装が出来なかったのは、事情があるのでしょうから仕方が無いわ。
 仕事の場に相応しい装いを準備するのも雇い主の役目だから気にしないで。」

 アルムハイム伯がとても寛大な方で助かりました。
 「そんな格好で来て、私に恥をかかせる気か」と、勘気に触れて門前払いされることも覚悟していましたから。

 こうして私は、身支度を整えていただいた上で、仕事を頂戴できることになったのです。
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