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第12章 冬来たりなば
第268話 シャルちゃんのお願い
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「そうだわ、シャル、あなた、ここへ来てからとても困っていることがあるのでしょう。
せっかく、ロッテお姉さまが見えられているのですから相談してみたらいかがですか。」
傍にいたフランシーヌさんがシャルちゃんに促しました。
何か、私に力を貸して欲しいことがあるようです。
「困っていることですか?」
「実は、わたし、ここへ来てから一度もお風呂に入っていないのです。
毎日、お世話係の侍女が体を拭いてはくれるのですが…。
アルムハイムでは毎日温泉に入って体を清めていたので、体の汚れが気持ち悪いのです。
それでも、私やフランシーヌお姉さまは、毎日体を拭いているからまだましなのです。
この宮殿に出仕する者の大半は、週に一、二度しか体を拭いていないそうです。
当然臭う訳で、体臭を香水で誤魔化そうとするものですから、みんな凄い臭いで…。」
ここセルベチアでは、入浴すると疫病に罹ると信じられていて、入浴が忌避されているそうです。
同じ大陸にある国でも、帝国では各地で温泉が湧き出ることもあって古くから入浴の習慣があります。
シャルちゃんたちは生粋のセルベチア生まれのセルベチア育ちですが。
シャルちゃんのお祖母様は、政略結婚で帝国から嫁いできた方でした。おじいさまの姉に当たる方ですね。
そのお祖母様、マリアさんは大のきれい好きでお風呂に入れないのが我慢できなかったそうです。
周囲の反対を押し切って、一人用のバスタブを部屋に置いて入浴していたそうです。
マリアさん、それだけのことで大変周囲のヒンシュクを買っていたようです。
セルベチアの人々にとって入浴というのは禁忌に近いことみたいです。
で、その娘のシャルちゃん姉弟のお母さんですが、マリアさんの薫陶を受けてとてもきれい好きだったそうです。
おかげで、入浴の習慣はシャルちゃんの家に持ち込まれ、ずっとお風呂を使って育ってきたのです。
もちろん、部屋置きの一人用バスタブですが。
さて、シャルちゃんですが、この宮殿に来た初日にお風呂に入りたいと言ったそうです。
すると、お側付きの侍女がシャルちゃんを奇異な目で見て、上の者に相談すると言ったそうです。
大分待たされた挙句、侍従長と名乗るこの宮殿の内向きの仕事で一番偉い人が出て来て…。
「お風呂に入りたいなど、とんでもございません。
陛下の御身にもしものことがあれば、この国は再び混乱に陥ってしまいます。
どうか、お体を害するような事をなさりたいとは申されませんようにお願いいたします。」
深々と頭を下げながらそう言ったとのことです。
気の弱いシャルちゃんのこと、そんな侍従長を見てアリアさんの様に我を通す事は出来なかったそうです。
「それで、ロッテお姉さん、無理なお願いかも知れませんが…。
この宮殿に、アルムハイムの館のような温泉を作ってもらえませんか。
自分が温泉に浸かりたいのはもちろんですが、みんなに温泉の素晴らしさを知って欲しいのです。
温泉があんなに心地良いものだと知れば、みんな、入浴を拒絶することも無くなると思うのです。」
今、この宮殿に集っている国の要職にある人達が入浴に対する意識を変えれば、それが国中に広まるのではないか。
シャルちゃんはそう考えている様子です。
確かに、何かにつけて影響力のある方々がこの宮殿にいるようですからね。
********
「分かったわ。
シャルちゃんが国王に即位したお祝いもしていなかったし、即位祝いにプレゼントしちゃうわ。
アクアちゃん、お願いしても良いでしょう。」
私の呼びかけに応じるように水の精霊アクアちゃんが姿を現します。
「勿論ですわ。
入浴すると健康を害するなんて迷信も良いところです。
そんなことを言って、体を適当に拭くだけでは、皮膚病の温床になりましてよ。
任せてください、とても健康に良い最高の泉質の温泉をプレゼントして差し上げますわ。」
シャルちゃんとフランシーヌさんだけではなく、宮殿にいる皆さんが入浴するのですか。
それですと男女を分けないといけませんね。
それに、王族二人と他の人が一緒に入浴するのも憚られるでしょう。
もちろん、露天の温泉は論外です。
工房の悪ガキのように女風呂を覗こうとする輩がいるかも知れませんから。
「シャルちゃん、この宮殿の一階に空いている部屋がないかしら。
出来る限り大きな部屋が三つほど欲しいのだけど。
男女別々の浴室と王族用の浴室を作りたいから。王族用はあまり大きな部屋じゃなくても良いわ。」
幸いな事にこの宮殿は堅固な石造りです。
もし、大浴場を作れるような広い部屋がなければ、ノミーちゃんに頼んで数部屋を一つにまとめても良いです。
「では、王族用の浴室はわたしたちの居住区画に作って頂けますか。
それと、男女の大浴場ですが、ちょうど閉鎖を命じたパーティールームが幾つかあります。
その中の二つを使って下さい。」
この宮殿、呆れた事に大きなパーティールームが優に十を超えるほどあるそうです。
旧王政時代は、夜毎幾つものパーティがこの宮殿で催されていたと言います。
シャルちゃんは、公式行事に使うパーティールームを大中小それぞれ一つずつ残し、他全ての閉鎖を命じたそうです。
閉鎖を命じたパーティールームは復活させないように、他の用途に転用を検討している最中だったそうです。
因みにシャルちゃん、国賓があった場合と幾つかの祝賀行事を除いて、公費を用いたパーティーを禁止したそうです。
それだけで、大分予算が浮いたとのことでした。シャルちゃんも、その金額を聞いて呆れたそうです。
いったいどれだけの予算を無駄遣いしていたのでしょうか。
********
さて、そうと決まれば早速という事で。
「先日閉鎖を命じたパーティールームを二つとわたし達の居住区画にある小さなパーティールームを一つ。
わたしが使いたいのですが支障ありませんか。
こちらの、アルムハイム伯がわたしの国王即位のお祝いをくださるそうなので、それを設えたいのですが。」
シャルちゃんが侍従長を呼び付け、可否を問いました。
この宮殿は王家の所有でシャルちゃんの物ですから、本来許可はいらないのですが。
内向きの事は侍従長に任せてあるので、あまり勝手をする訳にもいかないそうです。
「ひっ、アルムハイム伯…。
も、勿論でございます。
『アルムの魔女』、いえ、アルムハイム伯が好意でくださると言うモノを否とは申せません。
そんな、命知らずのマネは致しませんので、ご自由にお使いくださいませ。」
私の名前を聞いた途端、侍従長は顔を引きつらせ、露骨に怯えた表情で言いました。
最後のフレーズはこっそり聞こえないように呟いたようでしたが、しっかり聞こえていますよ。
そこまでされると、私も傷付くのですが。これでも、十七の乙女なのですよ…。
侍従長の快い(?)承諾も貰えたので、私達は大浴場となるパーティールームの一つにやって来ました。
宮廷が華やかりし時、大きなパーティーが催された部屋だけあって十分な広さがありました。
私の傍らには、水の精霊アクアちゃんと大地の精霊ノミーちゃんがプカプカと宙に浮いています。
「この広さがあれば、大きな浴槽が出来るわね。
部屋の半分くらいを使って、人の大人が二十人くらい入れる浴槽を作ってもらおうかしら。
残りの部分が洗い場ね。
ノミーさん、アルムハイムの館に作った温泉のイメージで作って頂けるかしら。」
「ああ、岩風呂を作るんだね。
この部屋の奥の方、半分くらいを使って。
合点承知だよ!
仕組みはアルムハイムのと同じで良いんだよね、任せておいて。」
アクアちゃんのリクエストに応えて、ノミーちゃんが力を振るいます。
床に使われた石材が捲り上がると、そのままごつごつした岩の形に変わっていきます。
その岩によって湯船が形作られると、湯船の中は平らに均されそのまま堅い岩盤になりました。
湯船の周りは溝が切られ、その溝はいつの間にか開けられた壁の穴を通って屋外へと繋がっています。
また、湯船の縁、一ヶ所には一段高くなったスペースが設けられ、その上はすり鉢状になっていました。
「はい、いっちょう上がり!
こんな感じで良いんだよね。」
「ええ、良く出来ていますわ。
排水用の側溝も作ってありますね。
後は、屋外に排水用の水路と沈殿槽をお願いします。」
「うん、わかった。
他にも、これと同じようなのを二つ作るんでしょう。
排水用の水路とかは三つ分を集めるように、最後に作ろうか。」
ちゃんと排水施設まで作ってもらえるようです。至れり尽くせりですね。
そして、
「それでは、地下から温泉を引いてまいります。」
アクアちゃんはそう言うと小さな青い光の玉を生み出ししました。
その光の玉は、先程湯船の縁に作られたすり鉢の状の底に吸い込まれるように消えていきました。
すり鉢の底をよく見るとどうやら穴が開いているみたいです。
あの光、どうやって石を穿ったのでしょう?まっ、精霊のする事ですから、深く考えたら負けです。
しばらくするとポコポコと水音が聞こえて来て、すり鉢の底から湯気と共にお湯が湧きだしてきました。
お湯はすり鉢を満たすと、湯船に向かって切られた溝を伝わり滔々とお湯を注ぎ始めます。
「これだけ広い湯船なので、いっぱいになるのに時間が掛かりますわ。
今のうちに、あと二ヶ所も作ってしまいましょう。」
アクアちゃんの提案に従い、その後続けてもう一つの大浴場と王族用の浴室を作ることになりました。
********
そして、二時間後。
「いやあ、温泉というのは良いものだね。
アルムハイムの温泉の事は、ヴィクトリアに以前から聞かされていてね。
私も一度入ってみたいと思っていたんだ。
体の芯からポカポカと温まるし、溜まった疲れも取れたようだよ。」
火照った顔のジョージさんが満足げに言いました。
完成した温泉、さっそく三ヶ所に分かれて浸かってみました。
もちろん、王族用の浴室を使ったのはシャルちゃんとフランシーヌさんです。
トリアさんがシャルちゃんと一緒に入ろうとしていましたが、ジョージさんに止められました。
流石に、結婚前の自分の娘が男性と一緒にお風呂に入るのを、ジョージさんは良しとしませんでした。
たとえ、見た目女の子で、娘の婚約者であろうと。
トリアさんは私と一緒に温泉に浸かったのですが、終始ブツブツとジョージさんに対する不満を漏らしていました。
さて、この宮殿に仕える人の反応ですが。
侍従長が大浴場を目にして、驚くと共にやられたという表情を見せました。
セルベチア人が忌避するお風呂、しかも、こんな巨大なものを作られるとは思いもしなかったのでしょう。
そして、珍しくシャルちゃんが侍従長とお世話係の侍女に命じました。温泉に浸かってみろと。
二人共拒否しようとしたようですが、シャルちゃんの後ろでニコニコとほほ笑む私の顔をみて抵抗を断念したようです。
私に逆らう気概はないようで、渋々と大浴場へ向かって歩いて行きました。
やがて、小一時間の時が流れて…。
「陛下、あの温泉というのは素晴らしいものですね。
なにか、一皮むけたと申しましょうか。とても清々しいです。
それに、温かいお湯にゆったりと浸かっていると、とてもリラックスできます。
心身ともに疲れが取れた感じがします。
私は今まで何の疑問も無かったのですが、なんで我が国では入浴は禁忌なのでしょうね。」
侍従長がとても晴れやかな顔で言いました。
一皮むけたの事実だと思います。それに清々しいのも。
汚い話ですが、長いこと入浴しなかったので垢が溜まっていたのかと。
それをきれいに洗い流せば、さぞかし清々しいでしょうとも。
これで、セルベチアの人にも入浴の習慣が出来れば良いのですが。
********
「私、『入浴すると疫病に罹る』と言う迷信の由来を存じていますわよ。
実は、あれ、あながち迷信とは言えないのです。
ここ、セルベチアの王都に限定すれば一定の事実も含んでいます。」
侍従長の言葉を聞いたアクアちゃんがポツリと言いました。
「えっ、どう言う事。」
「この国の王都はもう二百年も前からこの大陸一の大都市です。
二百年前から既に今と同じくらいの人が住んでいたのです。
その当時から完全に都市機能がマヒしていて、不潔極まりない町でした。
そのため、王都に住む人が使う水はとても汚れていました。
しばしば、疫病をもたらす質の悪い虫が繁殖するくらいに。
要は、その水に浸かることで、疫病をもたらす質の悪い虫を体内に入れてしまったのです。」
さすが、悠久の時を生きる精霊、物知りです。
アクアちゃんの言う質の悪い虫とは、アルビオンでは細菌と呼ばれている存在です。
良く煮沸するとそれは死滅するそうですが、そんな熱湯に人が浸かれる訳がありません。
人が入浴して心地よいと思う温度は、細菌にとっても繁殖しやすい温度なのだそうです。
当然、入浴すれば、その水が口に入ることもある訳で。
そこから、『入浴すると疫病に罹る』という迷信が流布したそうです。
酷いオチです。
結局、王都の不潔さが原因ではないですか。なんだかなぁ…。
せっかく、ロッテお姉さまが見えられているのですから相談してみたらいかがですか。」
傍にいたフランシーヌさんがシャルちゃんに促しました。
何か、私に力を貸して欲しいことがあるようです。
「困っていることですか?」
「実は、わたし、ここへ来てから一度もお風呂に入っていないのです。
毎日、お世話係の侍女が体を拭いてはくれるのですが…。
アルムハイムでは毎日温泉に入って体を清めていたので、体の汚れが気持ち悪いのです。
それでも、私やフランシーヌお姉さまは、毎日体を拭いているからまだましなのです。
この宮殿に出仕する者の大半は、週に一、二度しか体を拭いていないそうです。
当然臭う訳で、体臭を香水で誤魔化そうとするものですから、みんな凄い臭いで…。」
ここセルベチアでは、入浴すると疫病に罹ると信じられていて、入浴が忌避されているそうです。
同じ大陸にある国でも、帝国では各地で温泉が湧き出ることもあって古くから入浴の習慣があります。
シャルちゃんたちは生粋のセルベチア生まれのセルベチア育ちですが。
シャルちゃんのお祖母様は、政略結婚で帝国から嫁いできた方でした。おじいさまの姉に当たる方ですね。
そのお祖母様、マリアさんは大のきれい好きでお風呂に入れないのが我慢できなかったそうです。
周囲の反対を押し切って、一人用のバスタブを部屋に置いて入浴していたそうです。
マリアさん、それだけのことで大変周囲のヒンシュクを買っていたようです。
セルベチアの人々にとって入浴というのは禁忌に近いことみたいです。
で、その娘のシャルちゃん姉弟のお母さんですが、マリアさんの薫陶を受けてとてもきれい好きだったそうです。
おかげで、入浴の習慣はシャルちゃんの家に持ち込まれ、ずっとお風呂を使って育ってきたのです。
もちろん、部屋置きの一人用バスタブですが。
さて、シャルちゃんですが、この宮殿に来た初日にお風呂に入りたいと言ったそうです。
すると、お側付きの侍女がシャルちゃんを奇異な目で見て、上の者に相談すると言ったそうです。
大分待たされた挙句、侍従長と名乗るこの宮殿の内向きの仕事で一番偉い人が出て来て…。
「お風呂に入りたいなど、とんでもございません。
陛下の御身にもしものことがあれば、この国は再び混乱に陥ってしまいます。
どうか、お体を害するような事をなさりたいとは申されませんようにお願いいたします。」
深々と頭を下げながらそう言ったとのことです。
気の弱いシャルちゃんのこと、そんな侍従長を見てアリアさんの様に我を通す事は出来なかったそうです。
「それで、ロッテお姉さん、無理なお願いかも知れませんが…。
この宮殿に、アルムハイムの館のような温泉を作ってもらえませんか。
自分が温泉に浸かりたいのはもちろんですが、みんなに温泉の素晴らしさを知って欲しいのです。
温泉があんなに心地良いものだと知れば、みんな、入浴を拒絶することも無くなると思うのです。」
今、この宮殿に集っている国の要職にある人達が入浴に対する意識を変えれば、それが国中に広まるのではないか。
シャルちゃんはそう考えている様子です。
確かに、何かにつけて影響力のある方々がこの宮殿にいるようですからね。
********
「分かったわ。
シャルちゃんが国王に即位したお祝いもしていなかったし、即位祝いにプレゼントしちゃうわ。
アクアちゃん、お願いしても良いでしょう。」
私の呼びかけに応じるように水の精霊アクアちゃんが姿を現します。
「勿論ですわ。
入浴すると健康を害するなんて迷信も良いところです。
そんなことを言って、体を適当に拭くだけでは、皮膚病の温床になりましてよ。
任せてください、とても健康に良い最高の泉質の温泉をプレゼントして差し上げますわ。」
シャルちゃんとフランシーヌさんだけではなく、宮殿にいる皆さんが入浴するのですか。
それですと男女を分けないといけませんね。
それに、王族二人と他の人が一緒に入浴するのも憚られるでしょう。
もちろん、露天の温泉は論外です。
工房の悪ガキのように女風呂を覗こうとする輩がいるかも知れませんから。
「シャルちゃん、この宮殿の一階に空いている部屋がないかしら。
出来る限り大きな部屋が三つほど欲しいのだけど。
男女別々の浴室と王族用の浴室を作りたいから。王族用はあまり大きな部屋じゃなくても良いわ。」
幸いな事にこの宮殿は堅固な石造りです。
もし、大浴場を作れるような広い部屋がなければ、ノミーちゃんに頼んで数部屋を一つにまとめても良いです。
「では、王族用の浴室はわたしたちの居住区画に作って頂けますか。
それと、男女の大浴場ですが、ちょうど閉鎖を命じたパーティールームが幾つかあります。
その中の二つを使って下さい。」
この宮殿、呆れた事に大きなパーティールームが優に十を超えるほどあるそうです。
旧王政時代は、夜毎幾つものパーティがこの宮殿で催されていたと言います。
シャルちゃんは、公式行事に使うパーティールームを大中小それぞれ一つずつ残し、他全ての閉鎖を命じたそうです。
閉鎖を命じたパーティールームは復活させないように、他の用途に転用を検討している最中だったそうです。
因みにシャルちゃん、国賓があった場合と幾つかの祝賀行事を除いて、公費を用いたパーティーを禁止したそうです。
それだけで、大分予算が浮いたとのことでした。シャルちゃんも、その金額を聞いて呆れたそうです。
いったいどれだけの予算を無駄遣いしていたのでしょうか。
********
さて、そうと決まれば早速という事で。
「先日閉鎖を命じたパーティールームを二つとわたし達の居住区画にある小さなパーティールームを一つ。
わたしが使いたいのですが支障ありませんか。
こちらの、アルムハイム伯がわたしの国王即位のお祝いをくださるそうなので、それを設えたいのですが。」
シャルちゃんが侍従長を呼び付け、可否を問いました。
この宮殿は王家の所有でシャルちゃんの物ですから、本来許可はいらないのですが。
内向きの事は侍従長に任せてあるので、あまり勝手をする訳にもいかないそうです。
「ひっ、アルムハイム伯…。
も、勿論でございます。
『アルムの魔女』、いえ、アルムハイム伯が好意でくださると言うモノを否とは申せません。
そんな、命知らずのマネは致しませんので、ご自由にお使いくださいませ。」
私の名前を聞いた途端、侍従長は顔を引きつらせ、露骨に怯えた表情で言いました。
最後のフレーズはこっそり聞こえないように呟いたようでしたが、しっかり聞こえていますよ。
そこまでされると、私も傷付くのですが。これでも、十七の乙女なのですよ…。
侍従長の快い(?)承諾も貰えたので、私達は大浴場となるパーティールームの一つにやって来ました。
宮廷が華やかりし時、大きなパーティーが催された部屋だけあって十分な広さがありました。
私の傍らには、水の精霊アクアちゃんと大地の精霊ノミーちゃんがプカプカと宙に浮いています。
「この広さがあれば、大きな浴槽が出来るわね。
部屋の半分くらいを使って、人の大人が二十人くらい入れる浴槽を作ってもらおうかしら。
残りの部分が洗い場ね。
ノミーさん、アルムハイムの館に作った温泉のイメージで作って頂けるかしら。」
「ああ、岩風呂を作るんだね。
この部屋の奥の方、半分くらいを使って。
合点承知だよ!
仕組みはアルムハイムのと同じで良いんだよね、任せておいて。」
アクアちゃんのリクエストに応えて、ノミーちゃんが力を振るいます。
床に使われた石材が捲り上がると、そのままごつごつした岩の形に変わっていきます。
その岩によって湯船が形作られると、湯船の中は平らに均されそのまま堅い岩盤になりました。
湯船の周りは溝が切られ、その溝はいつの間にか開けられた壁の穴を通って屋外へと繋がっています。
また、湯船の縁、一ヶ所には一段高くなったスペースが設けられ、その上はすり鉢状になっていました。
「はい、いっちょう上がり!
こんな感じで良いんだよね。」
「ええ、良く出来ていますわ。
排水用の側溝も作ってありますね。
後は、屋外に排水用の水路と沈殿槽をお願いします。」
「うん、わかった。
他にも、これと同じようなのを二つ作るんでしょう。
排水用の水路とかは三つ分を集めるように、最後に作ろうか。」
ちゃんと排水施設まで作ってもらえるようです。至れり尽くせりですね。
そして、
「それでは、地下から温泉を引いてまいります。」
アクアちゃんはそう言うと小さな青い光の玉を生み出ししました。
その光の玉は、先程湯船の縁に作られたすり鉢の状の底に吸い込まれるように消えていきました。
すり鉢の底をよく見るとどうやら穴が開いているみたいです。
あの光、どうやって石を穿ったのでしょう?まっ、精霊のする事ですから、深く考えたら負けです。
しばらくするとポコポコと水音が聞こえて来て、すり鉢の底から湯気と共にお湯が湧きだしてきました。
お湯はすり鉢を満たすと、湯船に向かって切られた溝を伝わり滔々とお湯を注ぎ始めます。
「これだけ広い湯船なので、いっぱいになるのに時間が掛かりますわ。
今のうちに、あと二ヶ所も作ってしまいましょう。」
アクアちゃんの提案に従い、その後続けてもう一つの大浴場と王族用の浴室を作ることになりました。
********
そして、二時間後。
「いやあ、温泉というのは良いものだね。
アルムハイムの温泉の事は、ヴィクトリアに以前から聞かされていてね。
私も一度入ってみたいと思っていたんだ。
体の芯からポカポカと温まるし、溜まった疲れも取れたようだよ。」
火照った顔のジョージさんが満足げに言いました。
完成した温泉、さっそく三ヶ所に分かれて浸かってみました。
もちろん、王族用の浴室を使ったのはシャルちゃんとフランシーヌさんです。
トリアさんがシャルちゃんと一緒に入ろうとしていましたが、ジョージさんに止められました。
流石に、結婚前の自分の娘が男性と一緒にお風呂に入るのを、ジョージさんは良しとしませんでした。
たとえ、見た目女の子で、娘の婚約者であろうと。
トリアさんは私と一緒に温泉に浸かったのですが、終始ブツブツとジョージさんに対する不満を漏らしていました。
さて、この宮殿に仕える人の反応ですが。
侍従長が大浴場を目にして、驚くと共にやられたという表情を見せました。
セルベチア人が忌避するお風呂、しかも、こんな巨大なものを作られるとは思いもしなかったのでしょう。
そして、珍しくシャルちゃんが侍従長とお世話係の侍女に命じました。温泉に浸かってみろと。
二人共拒否しようとしたようですが、シャルちゃんの後ろでニコニコとほほ笑む私の顔をみて抵抗を断念したようです。
私に逆らう気概はないようで、渋々と大浴場へ向かって歩いて行きました。
やがて、小一時間の時が流れて…。
「陛下、あの温泉というのは素晴らしいものですね。
なにか、一皮むけたと申しましょうか。とても清々しいです。
それに、温かいお湯にゆったりと浸かっていると、とてもリラックスできます。
心身ともに疲れが取れた感じがします。
私は今まで何の疑問も無かったのですが、なんで我が国では入浴は禁忌なのでしょうね。」
侍従長がとても晴れやかな顔で言いました。
一皮むけたの事実だと思います。それに清々しいのも。
汚い話ですが、長いこと入浴しなかったので垢が溜まっていたのかと。
それをきれいに洗い流せば、さぞかし清々しいでしょうとも。
これで、セルベチアの人にも入浴の習慣が出来れば良いのですが。
********
「私、『入浴すると疫病に罹る』と言う迷信の由来を存じていますわよ。
実は、あれ、あながち迷信とは言えないのです。
ここ、セルベチアの王都に限定すれば一定の事実も含んでいます。」
侍従長の言葉を聞いたアクアちゃんがポツリと言いました。
「えっ、どう言う事。」
「この国の王都はもう二百年も前からこの大陸一の大都市です。
二百年前から既に今と同じくらいの人が住んでいたのです。
その当時から完全に都市機能がマヒしていて、不潔極まりない町でした。
そのため、王都に住む人が使う水はとても汚れていました。
しばしば、疫病をもたらす質の悪い虫が繁殖するくらいに。
要は、その水に浸かることで、疫病をもたらす質の悪い虫を体内に入れてしまったのです。」
さすが、悠久の時を生きる精霊、物知りです。
アクアちゃんの言う質の悪い虫とは、アルビオンでは細菌と呼ばれている存在です。
良く煮沸するとそれは死滅するそうですが、そんな熱湯に人が浸かれる訳がありません。
人が入浴して心地よいと思う温度は、細菌にとっても繁殖しやすい温度なのだそうです。
当然、入浴すれば、その水が口に入ることもある訳で。
そこから、『入浴すると疫病に罹る』という迷信が流布したそうです。
酷いオチです。
結局、王都の不潔さが原因ではないですか。なんだかなぁ…。
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