上 下
249 / 580
第10章 動き出す時間

第247話 その夜、部屋にやって来たのは

しおりを挟む
 宮殿の中に用意された部屋はとても贅を凝らした空間でした。
 今私が手にしている花瓶にしても、この半島にある港町で作られた、とても高価なカットガラスの製品です。
 
 水晶のように輝く花瓶を手に、『宗教って儲かるんだ…。』と埒もない事を考えている時の事です。
 不意に扉がノックされる音が響きました。

 夜もだいぶ遅い時間です。
 こんな時間に誰かしらと、怪訝に思いつつ扉を開くと。

 扉の前に立っていたのは、おじいさまと同じ年代に見える老紳士でした。

「夜分遅くに申し訳ない。
 淑女の部屋を訪ねる時間ではないが、白昼堂々とあなたにお目に掛かれる立場ではないので赦してくだされ。
 なあに、ご覧の通り枯れた爺ゆえ、身の危険はあるまい。
 一つ、部屋に入れてもらえんだろうか、少し話がしたくての。」

 そう言った老紳士は、金糸の刺繡がなされた白い聖職者の服を身にまとっています。
 どうやら、高位の聖職者の方のようです。
 ここは聖教の総本山、高位の聖職者が沢山いますので、どの位の立場の方かはうかがい知れませんが。

「ええ、立ち話も何ですので、お入りになってください。
 お茶でも入れさせていただきます。」

 私が部屋に迎え入れると、老紳士は足を引きずるようにして入ってきました。
 足か、腰を痛めているのでしょうか、とても不自由な思いをしているようです。

「足はどうされたのですか?」

「いやなに、元々は歳のせいなのだがな。
 何年か前に、セルベチアの都まで呼ばれてな。
 渋々、老体に鞭打って行ってきたのだ。
 まあ、普通に往復するくらいなら、こんな事にはならなかっただろうが。
 よりにもよって、セルベチアの若造が儂を監禁したのだよ。
 監視の目をかいくぐって、逃げ出したのだがな。
 それから、ここまでの無茶な逃避行が体に響いてな。
 酷く腰を痛めてしまって、このありさまだよ。」

 席に案内しながら尋ねると返ってきた言葉がこれでした。
 何年か前にセルベチアに呼ばれ、監禁…。
 私は老紳士の言葉に思い当たるふしがありました。もしや、この方は…。

     ********

「どうぞ、これは私が育てたカモミールで作ったお茶ですの。
 安眠を誘う効果があると同時に、体を温める作用があるそうです。
 定かではありませんが、腰痛などにも効くと言われています。」

 私が老紳士の前に、カモミールティーのカップを置くと。

「おお、これは有り難い。
 最近は夜もよく寝付け無くてな、こう言うのは助かるわい。」

 さっそくお茶を口にした老紳士が、一服した後に口を開きます。

「まだ名乗ってもいなかったのう。
 儂の名はジョルジュと言う、一般には他の名で呼ばれておるが、これが本名でな。
 今宵は、あなたにお礼が言いたくて、こうして訪ねてきたのだ。
 本来であれば、白昼堂々と儂の部屋にお招きして正式に感謝の意を伝えたいのだが。
 儂もこの聖教を束ねる身、異教徒、しかも魔女を名乗るあなたに頭を下げる訳にはいかんもんでな。
 立場というのは堅苦しいものよの。」

 やはり、この方が教皇聖下でしたか。

「お初にお目にかかります、聖下。
 お目にかかれて光栄です。
 私が当代のアルムハイム伯、シャルロッテ・フォン・アルムハイムでございます。」

「まあ、そんなに畏まらないでおくれ。
 それと、この場は聖下はやめておくれ、そう呼ばれると立場の問題が出て来てしまう。
 ここは、ジョルジュ爺とでも呼んでもらおうか。
 あなたの爺さんと同じ歳であるし、そう呼ぶにも抵抗なかろう。」

「ジョルジュお爺様は私の祖父が誰かご存じなのですか?」

「ああ、儂らの世代では有名な話であるぞ、先々代のアルムハイム伯の話は。
 若き女伯が褒賞に皇帝の種を望んだと、宮廷雀の口に乗って大陸中で噂されたものだ。」

 おばあさまったら、一族の恥を大陸中に晒すような真似をして…。 

「話が逸れてしまったな。
 昨年は藁にも縋る気持ちで神に祈りを捧げていた信者たちを救ってくれて有り難う。
 流行り病に苦しむアルビオンの民を救ってくれて有り難う。
 聖教を代表してと言えないのが心苦しいが、儂個人として心から感謝を申し上げる。」

 そう言って、教皇聖下、いえ、ジョルジュお爺さんは深々と頭を下げたのです。

「ジョルジュお爺様、頭を上げてください。
 私にも、聖教のご機嫌を取っておこうと言う打算があったのですから。」

「いや、たとえ、そうだとしてもだ。
 聞けば、あなたの祖先は我が教団に迫害されてアルムハイムの地に隠れ住んだと言うではないか。
 恨まれることこそすれ、助けてもらえるスジではない。
 にも拘らず、信徒たちを救ってくれたアルムハイム伯の寛大な心には頭が下がる思いだ。
 しかも、その前には古き盟約に従いセルベチアの軍が国境を超えるのを防いでくれたのであろう。
 弐百年も前の盟約、忘れていても誰も文句を言わんものを。
 あなたの働きに頭を下げずして、誰に頭を下げろというか。」

 教皇聖下自ら、こうして訪ねてくださったのです。
 ここは素直に感謝されておくことにします。

「そうですか、感謝の気持ちは確かに受け取りました。
 ジョルジュお爺様にそう言って頂いて、私も嬉しいです。」

 ゴマをする訳ではありませんが、私はこの心根の優しい老人に一つの申し出をすることにしました。

「ジョルジュお爺様、そのお体では何かと不自由でしょう。
 今ここで、癒して差し上げましょう。
 アクアちゃん、お願いできるかな?」

「ええ、話はうかがっておりました。大分、無理がたたったようですわね。
 その様子ではお辛いでしょう、すぐに癒して差し上げますわ。」

 私の呼びかけに応じて、傍らに現れた水の精霊アクアちゃん。
 その姿を目にしてジョルジュお爺さんが目を丸くします。

「アルムハイム伯、その可愛いお嬢さんはどなたかな?」

「この子は私が契約している水の精霊、アクアちゃん。
 アクアちゃんは弱った体を癒す力を持っているのですよ。
 昨年、大聖堂で怪我や病に苦しむ人々を癒してくれたのもこの子です。」

「大聖堂と言うと、あの目撃された天使様と言うのはそちらの精霊ですか?」

 私が紹介している間にもアクアちゃんは力を振るい始めました。
 すると、天から青白い光の欠片がキラキラと降り注ぎます。

 しばらくすると、その光の慈雨も消え去って…。

「痛くない…、腰が、足が、痛みが消えている…。
 奇跡だ…。」

 どうやら、無事に癒しの効果が発現したようです。
 しばらく、放心していたジョルジュお爺さんでしたが。

「アルムハイム伯、それとそちらの精霊様、有り難うございます。
 もう二度と自分の足で自由に歩き回ることなど出来ないと諦めていました。
 もう歳だから仕方が無いと自分に言い聞かせていたのです。
 これならまた宮殿の裏の庭園を散歩できる、もう叶わない事だと思っていたのに。」

 我に返ってそう言った時はとても晴れやかな顔をしていました。

 何でも、ジョルジュお爺さんにとって、宮殿の裏に広がる庭園を散歩する事が唯一の息抜きだったそうです。
 教皇という立場上自由に外を出歩くことが出来ないですものね。
 セルベチアから戻って以降、足腰の痛みでそれが難しくなり、気分も塞ぎがちになったと言います。

「当代のアルムハイム伯も奇跡のような力をお持ちなのですね。
 私が若いころ目にした先々代のアルムハイム伯を彷彿とさせられました。
 あの皇帝に『種』を望んだ時のことです。
 その年は酷い旱魃に見舞われ、このままでは大飢饉が避けられないと思われていたのです。
 そんな時です。先々代のアルムハイム伯が皇帝の許に現れ協力を申し出てくれました。
 アルムハイム伯は帝国中を巡って、まさに慈雨をもたらしたのです。
 若き日の私が赴いていた管区でも、アルムハイム伯が雨を降らしてくれました。
 その時、農民たちはアルムハイム伯を『聖女様』と呼び跪いていました。
 ええ、若き日の先々代は、それは美しく、神々しかった…。
 私には女神が降臨したかのように映りましたよ。」

 ジョルジュお爺さんが遠い目をして話をしてくれました。
 そんな話だったのですね、『種』の事ばかり話題になって元がどんな話だか知りませんでした。

 その時おばあさまは言ったそうです。

「よしとくれ、『聖女様』なんて言われたら、背中がムズムズするよ。
 それに『聖女様』と崇められるようなタダ働きをした訳じゃないからね。
 皇帝からはたんまりと礼をもらうから気にせんでおいてくれ。」

 その礼というのが、『種』というオチなのですね…。
  
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

【完結】番である私の旦那様

桜もふ
恋愛
異世界であるミーストの世界最強なのが黒竜族! 黒竜族の第一皇子、オパール・ブラック・オニキス(愛称:オール)の番をミースト神が異世界転移させた、それが『私』だ。 バールナ公爵の元へ養女として出向く事になるのだが、1人娘であった義妹が最後まで『自分』が黒竜族の番だと思い込み、魅了の力を使って男性を味方に付け、なにかと嫌味や嫌がらせをして来る。 オールは政務が忙しい身ではあるが、溺愛している私の送り迎えだけは必須事項みたい。 気が抜けるほど甘々なのに、義妹に邪魔されっぱなし。 でも神様からは特別なチートを貰い、世界最強の黒竜族の番に相応しい子になろうと頑張るのだが、なぜかディロ-ルの侯爵子息に学園主催の舞踏会で「お前との婚約を破棄する!」なんて訳の分からない事を言われるし、義妹は最後の最後まで頭お花畑状態で、オールを手に入れようと男の元を転々としながら、絡んで来ます!(鬱陶しいくらい来ます!) 大好きな乙女ゲームや異世界の漫画に出てくる「私がヒロインよ!」な頭の変な……じゃなかった、変わった義妹もいるし、何と言っても、この世界の料理はマズイ、不味すぎるのです! 神様から貰った、特別なスキルを使って異世界の皆と地球へ行き来したり、地球での家族と異世界へ行き来しながら、日本で得た知識や得意な家事(食事)などを、この世界でオールと一緒に自由にのんびりと生きて行こうと思います。 前半は転移する前の私生活から始まります。

私はお母様の奴隷じゃありません。「出てけ」とおっしゃるなら、望み通り出ていきます【完結】

小平ニコ
ファンタジー
主人公レベッカは、幼いころから母親に冷たく当たられ、家庭内の雑務を全て押し付けられてきた。 他の姉妹たちとは明らかに違う、奴隷のような扱いを受けても、いつか母親が自分を愛してくれると信じ、出来得る限りの努力を続けてきたレベッカだったが、16歳の誕生日に突然、公爵の館に奉公に行けと命じられる。 それは『家を出て行け』と言われているのと同じであり、レベッカはショックを受ける。しかし、奉公先の人々は皆優しく、主であるハーヴィン公爵はとても美しい人で、レベッカは彼にとても気に入られる。 友達もでき、忙しいながらも幸せな毎日を送るレベッカ。そんなある日のこと、妹のキャリーがいきなり公爵の館を訪れた。……キャリーは、レベッカに支払われた給料を回収しに来たのだ。 レベッカは、金銭に対する執着などなかったが、あまりにも身勝手で悪辣なキャリーに怒り、彼女を追い返す。それをきっかけに、公爵家の人々も巻き込む形で、レベッカと実家の姉妹たちは争うことになる。 そして、姉妹たちがそれぞれ悪行の報いを受けた後。 レベッカはとうとう、母親と直接対峙するのだった……

異世界でのんびり暮らしてみることにしました

松石 愛弓
ファンタジー
アラサーの社畜OL 湊 瑠香(みなと るか)は、過労で倒れている時に、露店で買った怪しげな花に導かれ異世界に。忙しく辛かった過去を忘れ、異世界でのんびり楽しく暮らしてみることに。優しい人々や可愛い生物との出会い、不思議な植物、コメディ風に突っ込んだり突っ込まれたり。徐々にコメディ路線になっていく予定です。お話の展開など納得のいかないところがあるかもしれませんが、書くことが未熟者の作者ゆえ見逃していただけると助かります。他サイトにも投稿しています。

夫に用無しと捨てられたので薬師になって幸せになります。

光子
恋愛
この世界には、魔力病という、まだ治療法の見つかっていない未知の病が存在する。私の両親も、義理の母親も、その病によって亡くなった。 最後まで私の幸せを祈って死んで行った家族のために、私は絶対、幸せになってみせる。 たとえ、離婚した元夫であるクレオパス子爵が、市民に落ち、幸せに暮らしている私を連れ戻そうとしていても、私は、あんな地獄になんか戻らない。 地獄に連れ戻されそうになった私を救ってくれた、同じ薬師であるフォルク様と一緒に、私はいつか必ず、魔力病を治す薬を作ってみせる。 天国から見守っているお義母様達に、いつか立派な薬師になった姿を見てもらうの。そうしたら、きっと、私のことを褒めてくれるよね。自慢の娘だって、思ってくれるよね―――― 不定期更新。 この世界は私の考えた世界の話です。設定ゆるゆるです。よろしくお願いします。

「婚約を破棄したい」と私に何度も言うのなら、皆にも知ってもらいましょう

天宮有
恋愛
「お前との婚約を破棄したい」それが伯爵令嬢ルナの婚約者モグルド王子の口癖だ。 侯爵令嬢ヒリスが好きなモグルドは、ルナを蔑み暴言を吐いていた。 その暴言によって、モグルドはルナとの婚約を破棄することとなる。 ヒリスを新しい婚約者にした後にモグルドはルナの力を知るも、全てが遅かった。

【完結】言いたいことがあるなら言ってみろ、と言われたので遠慮なく言ってみた

杜野秋人
ファンタジー
社交シーズン最後の大晩餐会と舞踏会。そのさなか、第三王子が突然、婚約者である伯爵家令嬢に婚約破棄を突き付けた。 なんでも、伯爵家令嬢が婚約者の地位を笠に着て、第三王子の寵愛する子爵家令嬢を虐めていたというのだ。 婚約者は否定するも、他にも次々と証言や証人が出てきて黙り込み俯いてしまう。 勝ち誇った王子は、最後にこう宣言した。 「そなたにも言い分はあろう。私は寛大だから弁明の機会をくれてやる。言いたいことがあるなら言ってみろ」 その一言が、自らの破滅を呼ぶことになるなど、この時彼はまだ気付いていなかった⸺! ◆例によって設定ナシの即興作品です。なので主人公の伯爵家令嬢以外に固有名詞はありません。頭カラッポにしてゆるっとお楽しみ下さい。 婚約破棄ものですが恋愛はありません。もちろん元サヤもナシです。 ◆全6話、約15000字程度でサラッと読めます。1日1話ずつ更新。 ◆この物語はアルファポリスのほか、小説家になろうでも公開します。 ◆9/29、HOTランキング入り!お読み頂きありがとうございます! 10/1、HOTランキング最高6位、人気ランキング11位、ファンタジーランキング1位!24h.pt瞬間最大11万4000pt!いずれも自己ベスト!ありがとうございます!

狼の子 ~教えてもらった常識はかなり古い!?~

一片
ファンタジー
バイト帰りに何かに引っ張られた俺は、次の瞬間突然山の中に放り出された。 しかも体をピクリとも動かせない様な瀕死の状態でだ。 流石に諦めかけていたのだけど、そんな俺を白い狼が救ってくれた。 その狼は天狼という神獣で、今俺がいるのは今までいた世界とは異なる世界だという。 右も左も分からないどころか、右も左も向けなかった俺は天狼さんに魔法で癒され、ついでに色々な知識を教えてもらう。 この世界の事、生き延び方、戦う術、そして魔法。 数年後、俺は天狼さんの庇護下から離れ新しい世界へと飛び出した。 元の世界に戻ることは無理かもしれない……でも両親に連絡くらいはしておきたい。 根拠は特にないけど、魔法がある世界なんだし……連絡くらいは出来るよね? そんな些細な目標と、天狼さん以外の神獣様へとお使いを頼まれた俺はこの世界を東奔西走することになる。 色々な仲間に出会い、ダンジョンや遺跡を探索したり、何故か謎の組織の陰謀を防いだり……。 ……これは、現代では失われた強大な魔法を使い、小さな目標とお使いの為に大陸をまたにかける小市民の冒険譚!

三歳で婚約破棄された貧乏伯爵家の三男坊そのショックで現世の記憶が蘇る

マメシバ
ファンタジー
貧乏伯爵家の三男坊のアラン令息 三歳で婚約破棄され そのショックで前世の記憶が蘇る 前世でも貧乏だったのなんの問題なし なによりも魔法の世界 ワクワクが止まらない三歳児の 波瀾万丈

処理中です...