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第10章 動き出す時間

第227話 お騒がせなお客さんがやって来ました

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 その日、私はジョンさんの工房を訪れていました。
 以前、ハンスさんに助言されたご婦人方向けの懐中時計の試作品を見るためです。
 従来のジョンさんの時計はシンプル過ぎて、ご婦人向けにはそぐわないと指摘されました。
 ご婦人向けに、もっと華美な装飾を施した時計を作った方が良いと助言されていたのです。

 そのことは、すぐにジョンさんに相談しました。
 ジョンさんは時計の性能面の向上にはとても意欲的に取り組みます。
 ですが、装飾方面は苦手なようで、少し検討させて欲しいと言われていたのです。

「とても素敵なものが出来ましたね。
 これは、表蓋を磁器にしたのですか?」

 私の目の前に置かれた十個の懐中時計、どれも磁器のような透き通るような白さが目につきます。
 その白地の中に、それぞれ見事な絵付けが施されていました。
 女神の生誕を描いたものや色とりどりの花が散りばめられたもの、どれも甲乙つけ難い出来の良さです。

「いえ、磁器ですと少しぶつけただけで破損する恐れがあります。
 それは、従来と同じ真鍮の地に特殊な絵付けをしたものです。
 七宝焼きと言うそうです。
 私は機能性重視なので、装飾方面はとんとダメなのですが。
 職人頭のヤンさんが以前経営していた工房では、装飾を施した時計を手掛けていたそうです。
 その際にヤンさんが時計の装飾を発注していた七宝焼きの職人さんを、紹介してもらったのです。」

「そう、どれも素敵な絵付けね。
 これは手描きなのかしら、月産百個くらいは作りたいのだけど対応できるの?」

「手描きですと、時間とコストがかかり過ぎます。
 ここに用意したモノは全てプリントの技法で絵付けをしたものです。
 これであれば、月産百個はおろかその数倍でも生産できると思います。
 ただ…、これでも一つ当たり金貨一枚ほどのコストがかかってしまいますが…。」

 貴族のご婦人方は、自分だけの一品モノを好まれるので手描きの絵付けが良いのでしょうが…。
 そんなことをしたらジョンさんの指摘通り、量産が利かないですものね。
 プリントで量産できるのであれば、その方がこの工房には向いています。

「では、この七宝焼きの装飾を施した時計は一つ当たり金貨三十五枚で販売することにしましょう。」

 私は見本の時計の一つを手にしてジョンさんに告げました。

「えっ、金貨一枚のコスト増に対して、売価を金貨五枚も上げてしまうのですか?」

「イヤですわ、そんなあこぎな商売をする訳ありませんわ。
 私、見本品の中で、この青バラの絵付けがとても気に入りました。
 ですが、この意匠は勝手に使う事が出来ないものなのですよ。
 ご存じありませんでしたか?
 この透き通るような白磁に描かれた、透明感のある一輪の青いバラ。
 これは、おじいさまが経営する帝国磁器工房の一番由緒ある柄なのですわ。
 帝国磁器工房の創設者、おじいさまのお母様が、とても愛された青いバラの意匠。
 この意匠を勝手に使って、大量に商品をばら撒いたら首が飛んでしまいますわ。
 文字通りに…。」

「この青いバラの装飾は、帝国磁器工房の模倣でしたか…。
 では、販売するのは拙いと言うので。」

「いいえ、この意匠の使用権を正式に帝国磁器工房から買い取りたいと思います。
 そのためのコストを上乗せして、金貨三十五枚の売価になるのです。
 幸い、帝国磁器工房の現在のオーナーはおじいさまです。
 適正な対価さえ支払えば、嫌とは言わないはずです。
 第一、この話は双方にとってメリットがありますしね。
 帝国磁器工房にとっても、世界一高性能な時計に自分の工房の意匠が使われるのですから。
 こちらにとっても、他では使えない意匠を堂々と使えるのでメリットが大きいです。」

 まあ、ご婦人方の好みは千差万別なので、ここに用意された物の中から何種類か販売することになると思います。
 それらには意匠使用料は関係ないのですが、これも一律金貨三十五枚にするつもりです。
 意匠使用料を早期に回収するためです、買い手には分からない事ですからね。

 それを言ったらジョンさんはジト目で私を見ていましたが、それはスルーしました。

 後日、おじいさまの許を見本の時計を持参して、意匠の使用許可を求めました。
 それは、思わぬ誤算を引き起こしました、もちろん良い意味で。
 おじいさまが紹介してくださった帝国磁器工房の総支配人がとても乗り気だったのです。
 結果は単なる意匠の使用に留まらず、タイアップ商品となりました。

 どうなったかと言うと…。
 第一に、青バラの意匠を施した時計の裏蓋に帝国磁器工房の紋章を入れることを許されました。
 さらに、帝都の高級商店街の一角に建つ帝国磁器工房の直営店に、青バラの意匠を施した時計が並ぶことになったのです。
 これにより、ジョンさんの手掛ける時計が名実共に世界のトップに躍り出ることになります。

 まっ、それは後の話として…。
 私がジョンさんと打ち合わせをしている時、毎度お騒がせな子が飛び込んできたのです。

     **********

「ロッテ~!聞いて!聞いて!こ~て~がまた来たよ~!」

 ジョンさんとの打ち合わせの席に現れた風の精霊ブリーゼちゃんがまくし立てるように言いました。
 相変わらず、この子は忙しないですね。

「えっ、おじいさま?どうやって?」

 おじいさまは、先日温泉を堪能してお帰りになりました。
 現在、皇宮に設置した転移魔法の敷物は私しか使えません。
 こんな短期間では、馬車で帝都からは絶対に来れないのですが…。

「ちが~う!
 ショコラーデをくれるおじいちゃんじゃなくて~。
 あのちっちゃいこ~て~!」

 思わず吹き出しそうになりました。
 皇帝というのはセルベチアの暴れん坊ですか。

「ブリーゼちゃん、どこでセルベチア皇帝を見かけたの?
 まさか、うちに遊びに来た訳ではないわよね。」

「うん~と、山の向こう。
 まえ、いっぱい燃やした辺りかな~?
 また燃やしちゃうの~、わたしもおしおきやりた~い!」

 この子、やる気満々ですね。
 前回のおしおきがそんなに楽しかったのでしょうか。

 しかし、思ったより早く行動を起こしましたね。
 セルベチアはあちこちで武器庫、火薬庫に放火が起こっていて、軍事行動など取れないと思ってましたが。
 しかも、皇帝自らお出ましとは、いったいどこに侵攻するつもりでしょうか。

 もう、七月も間近、今から進軍するとなるとロマリア半島への侵攻は難しいでしょうか。
 アルム山脈越えの最中に冬が到来しそうです。
 その頃には、途中にある高さ三千ヤードの峠は雪に閉ざされているでしょう。

 だとしたら、狙いは帝都ですか。
 ですが、帝都へ侵攻するとなると、中立国であるクラーシュバルツ王国を横切らないとなりません。
 加えて、帝都に侵攻するとなると、十万を超える軍勢が必要となるはずです。
 さすがに、中立国の中を大軍で長距離進軍するのは難しいでしょう、先日問題を起こしたばかりですものね。
 それこそ、大陸中の国々から非難されます、現在敵対していない国も敵に回しかねません。
 
 セルベチア皇帝の目的を計りかねていると、ジョンさんが言いました。

「打ち合わせも大方済みましたので、そのセルベチアの軍隊の様子をご覧に行かれたらよろしいのでは?」

 それもそうですね。
 ジョンさんの勧めもあって、私はブリーゼちゃんの案内でセルベチア軍の野営地上空に来てみました。

 上空から見る感じでは集結した兵の数は千人ほど、皇帝の親征には少なすぎるようです。
 どうやら、放火騒ぎで軍勢の集結に手間取っているのだと思われます。
 配下の兵士達が終結する前に皇帝たちが到着してしまったのでしょう。

 私は、集結した軍勢の少なさを見て、侵攻開始にはしばらく間があるものと一安心しました。

「ブリーゼちゃん、皇帝の様子を見てきてもらえる。
 会話を拾ってくれたら嬉しいな。」

「お安い御用よ!任せておいて~!」

 例によって安請け合いのように聞こえる返事を残して、ブリーゼちゃんが飛び去って行きました。
 
 しばらくして…。

「ロッテ~!こ~て~、テントの中で寝てた~!
 テントの中はこ~て~しかいなかった。」

 どうやら、セルベチア皇帝はお疲れで、眠っているようです。
 軍勢の集結状況から見て、今日明日の進攻という事は無いでしょう。
 
 私はブリーゼちゃんに時折様子を見て欲しいとお願いして、館に戻ったのです。

     **********

 翌朝、ハーブ畑を侵略しようと狙う雑草共との戦いを終えて、木陰でお茶を楽しんでいると。

「ロッテ!おはよ~!
 聞いて!こ~て~たち、進み始めたよ~!」

 おや、随分と早い侵攻開始ですね、あれから軍勢が終結したのでしょうか?
 私がぼんやりと考えていると、ブリーゼちゃんが飛び切りの爆弾発言をしたのです。

「それでね~、目的地が分かったよ~!」

「あら、何処に攻め込むつもりなのかしら?」

「う~んとね~!進軍目標はここだって~!」

 ブッッ、あぶない、あぶない、危うく口に含んだお茶を吹き出すところでした。

「今なんて言ったの?
 私にはここに向かって攻め込んでくるように聞こえたのだけど?」

「そうだよ~!
 『アルムのまじょ』をねだやしにするんだって~。
 それでね~、峠からじゃなくて、沢づたいにこっちに向かってる~。
 あの森に入ったよ~!」

 ぶっっっっ!

 今度こそ、吹き出してしまいました。
 あの森に入ったですって、こうしてはおられません。

 急がないと大変なことになります。
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