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第9章 雪解け

第208話 なぜリーナが領主になったのか

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 私と話をしている最中、リーナはハタと思い出したように後ろに控えるヘレーネさんに指示しました。

「夕刻になったら、お父様、お母様と一緒に入浴します。
 準備を整えておいてください。」

 至極当然のように指示するリーナ。
 その素振りに驚いた私は思わず確認せずにはおれませんでした。

「リーナ、あなた、離宮に住んでいた頃はずっとご両親と一緒にお風呂に入っていたの?
 お父様も一緒に?」

「ええ、そうよ。
 この離宮ではずっとそうしていましたけど。
 何か変かしら?
 家族は一緒にお風呂に入るものだと、お父様もお母様も言ってますが?」

 私の問い掛けに、ごく当たり前のように返答したリーナは、それがおかしいとは微塵も思っていない様子です。
 完全に刷り込みがされているようですね。もはや洗脳と言っても良い次元です。
 私は、もしやと思い、リーナの後ろに控えるヘレーネさんの表情を窺いました。

 どうやら、ヘレーネさんも刷り込みの共犯のようです。
 彼女は、リーナの言葉を耳にして、『良く言った。』と言わんばかり満足気にほほ笑んでいました。
 握りこぶしの親指を立てながら…。
 この人、百合モノだけでなく、そっちの方面の艶本も好物でしたか…。
 でも、物語の世界ならともかく、リアルは色々と拙いと思います。
 生物学的にとか、倫理的にとか、宗教的にとかも…。

「ねえ、リーナ、お父様も殿方なのですよ。
 普通、成長期に入って大人の体になってきたら恥ずかしいと思うのでなくて?」

「どうしてですか、幼少の頃からずっとそうしてきたのに?
 ロッテの方こそ殿方を意識し過ぎでは、血の繋がったお父様ですよ。
 それに、お父様はとっても優しくしてくださります。
 ご自分の手に石鹸を泡立てて、体の隅々まで洗ってくださるのです。
 お父様に洗って頂くと、とっても心地良くて、天にも昇る気分になります。
 私は、お父様、お母様と一緒にお風呂に入るのが大好きです。」

 私の問い掛けに答えたリーナは、とても無邪気な笑みを湛えていました。
 その屈託のない笑顔を見ていると、私の感覚の方が狂っているのかと錯覚しそうになります。

 私は父親というモノを知りません。
 ですから、普通の父親と娘の関係がどんなものなのか、正直分からないのです。
 ですが、私の直感が告げているのです、これは違うと。

 すると、リーナがポツリと言いました。

「ですが、ロッテのように考える人も多いのかも知れませんね。
 実は、私がシューネフルトの領主になった理由もそこにあります。
 周囲の者、特に宰相が、私とお父様の仲の良さに懸念を抱いたからなのです。
 私は現時点において、王族で唯一の独身女性です。
 それ故に、私を妻にと望む諸外国の王族や国内の大貴族が多いのです。
 そんな私に、国の要職にある者、ことに宰相が、政略結婚の道具として大変期待をしています。
 だからこそ、妾腹の身でありながら大切に育てられた訳なのですが。
 で、一昨年、私が十五の春に、何処からか宰相の耳に入ったのです。
 私がお父様と一緒にお風呂に入っていることや同じベッドで寝ているということが。
 それで、何か間違いがあったらいけないと宰相が騒ぎ立てたのです。
 その時、王宮内で私とお父様を引き離すべきだという意見が大勢になりました。
 お父様は、私を手放すことに大変抵抗したのですが…。
 結局多数派に抗し切ることはかなわず、私は王都を出ることになったのです。
 そして、嫁ぐまでの領地としてシューネフルト領が与えられたのです。」

 良かった、私の感覚に間違いはないようです。
 宰相を始め、この国の要職にある方の多数は、リーナとハインツ王の関係を異常だと感じたようです。

 すると、リーナの後ろから小さな呟きが聞こえました。

「全く、宰相は無粋な事をしてくれたものです。
 これからがクライマックスというところで水を差すのですから。」

 もちろん、ヘレーネさんから漏れたものです。
 まったくこの人は…、リアルでそれをやったらシャレにならないでしょうに…。

     **********

「でも、宰相の心配性にも困ったものですね。
 お父様が時折冗談で言っている言葉を真に受けているのかしら?
 『リーナは何処へも嫁にはやらない、ここで私の子を産んでもらうんだ。』とか。
 そんなことになったら、王位継承順位に大幅な変動が生じて国が混乱しますからね。
 お父様がそんな非常識な事をする訳がないのに。」

 リーナは、ハインツ王にとても信頼を寄せているようですが…。
 私の直感が告げています。
 ハインツ王のその言葉は冗談などではない、『大マジ』だと。

 そんな会話を交わすうちに、ハインツ王の遣いの侍女がリーナを迎えに来ました。
 入浴の準備が整ったようです。

 いそいそと嬉しそうに部屋を出て行くリーナ。
 リーナの私室には、私とヘレーネさんだけが取り残されました。

「ヘレーネさん、あなた、ハインツ王の手駒ですね。
 リーナに対してハインツ王を妄信するように洗脳したでしょう。」

 私は率直に自分の考えをヘレーネさんにぶつけてみました。

「それは誤解ですわ、シャルロッテ様。
 私は陛下から如何なる指示も受けていません。
 また、カロリーネお嬢様に対して洗脳などしたこともございません。
 ただ、陛下の想いが叶うように陰ながら応援しているだけでございます。
 その方が、私の趣味嗜好を満たしてくださるので。」

 この人、本当にとんでもないな…。

「ハインツさんの想いって、リーナに自分の子供を産ませることですよね。」

「勿論です、そのために陛下は数年間我慢をしたのですから。
 陛下のご趣味から言うとカロリーネ様はいささか育ち過ぎなのです。
 ですが、リリ様の時のことがあるので、配慮されたのです。
 まあ、国政の事を考えれば、宰相のされたことは正解だったと言えます。」

 ハインツ王はリリさんに男の子を産んでもらい国を継がせたいと考えていたようです。
 ですが、リーナを出産した後は、ほぼ毎日の営みにもかかわらず懐妊の兆しがないとのことです。
 どうやら、リーナを出産した時のリリさんはかなりの難産だったようで、それが影響しているそうなのです。
 典医によると、未成熟な体でリーナを出産したことにより、母体に何らかの不具合が生じたのではないかとのことです。
 リリさんの発育が停まってしまったのもそのせいではないかと典医は言っているそうです。

「陛下は、リリ様そっくりなカロリーネお嬢様を溺愛しています。
 国を割ってでも、カロリーネお嬢様に産ませた子供に王位を譲りたいほどに。
 そのため、リリ様の時の様に母体に負担のかかる出産はさせたくないとお考えです。
 それで、ご自分の一番好みの年齢のカロリーネお嬢様を指を咥えて見過ごしになられたのです。
 やっと十分に大人の体つきになり、これから収穫しようという時に宰相から無粋な横槍が入ったのです。」
 
 無粋な横槍って…、私は宰相の方が至って正常だと思いますよ。
 因みにハインツ王のそんな思惑は、父王を妄信していいるリーナには気付かれていないようです。
 もっとも、ハインツ王を慕っているリーナは拒まないのではないかとヘレーネさんは言います。

 さて、これは単に色恋に留まる話ではありません。

 リーナは妾腹で女児ですから、王位継承権は現状最下位で問題にもなりませんでした。
 ところが、リーナがハインツ王の子、特に男の子を産んだ場合、話がややこしくなります。

 この国では、王との血縁関係が濃い順に王位継承順位が付けられるそうです。
 王の子であるリーナが、父親である王との間に子をなすと、一番血が濃くなります。
 そう、その子の王位継承順位はいったい何位になるのかという問題が起こるのです。
 事と次第によっては、今まで妾宅に入り浸りでも文句を言わなかった王妃様もその実家も黙ってはいないでしょう。
 帝国人とセルベチア人の融和を促進するという、ハインツ王と王妃様の政略結婚の意味もなくなってしまいます。

 また、宰相を始め国の上層部は、政略結婚の道具としてリーナを国内外の有力な家に嫁がせることを考えています。
 ハインツ王のやろうとしていることは、国の上層部の思惑に反するのです。

 宰相が、リーナをシューネフルトへ移したのはまさに慧眼だったと言えるでしょう。
 リーナが二年前の春、わずか十五歳でシューネフルト領の領主としてやって来た理由がハッキリしました。

 何はともあれ、この滞在期間中に間違いが起こらないように祈りましょう。 
 
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