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第1章 アルムの森の魔女

第1話 迷いこんできた少女

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 日課の畑の手入れを終えた私は、庭に設えた粗末なテーブルで自家製のハーブティーを飲みながら一休みしていました。

 今日のお茶はレモンバームティー、爽やかな香りが心地よい。
 汗ばむような初夏の陽気にピッタリです。
 ここは高い山々が峰を連ねるアルム山脈の麓。
 そこそこ標高が高い場所にあるとはいえ六月にもなると暑いのです。

 私は暑いのが苦手なのに、忌々しい雑草たちは夏の日差しが大好き。
 放っておくと私が大切にしている畑に、我が物顔で繁茂してしまいます。

 私一人が住む古びた館の前に広がる小さな野菜畑と一面の草むら。
 実は草むらに見えるのは亡くなった母が残してくれたハーブ畑なのです。
 一面のハーブ畑の中に雑草が繁茂してしまうと取り除くのが大変です、ハーブと雑草の区別がつかなくなります。
 ですから、毎日の草取りが欠かせません。困ったものです。

 人里離れたここで一人暮らしをする私の生活を支えてくれる大切なハーブ園です。
 雑草だらけにしてしまう訳には行きませんもの。

 高緯度地域の夏は朝が早い。
 四時前には明るくなるので涼しいうちに草取りをします。
 朝食を挟んで、今度はハーブの摘み取りの時間です。
 そして、日が高くなる頃にやっと一休みできるのです。

 それがこのひと時。
 裏山で採って来た甘酸っぱいアンズを摘みながら冷たいお茶を飲む。
 これが、疲れた体に至福の時間なのです。

 ホッと一息ついていた私の耳に馬の蹄の音が聞こえてきました。

「珍しい…」

 つい独り言をもらしてしまいました。
 山の中の一人暮らし、尋ねてくる人も殆んどいないので独り言も多くなります。
 これは、いけない癖かもしれません……。

 母が亡くなって以降、この1年間で私を訪ねて来たのは行商人のハンスさんだけ。
 こんな軽快な蹄の音を響かせてくるお客さんには覚えがありません。

「貴族様?」

 森を抜けて我が家の敷地内に姿を現したのは栗毛色の立派な体躯の馬でした。
 その背に跨るのはこれまた上等な乗馬服を身に纏う貴婦人。

 貴婦人は馬を下りると手綱を手近な木に縛り、こちらに歩いてきました。
 よく見ると肩にハヤブサらしき猛禽がチョコンと乗っています、あら可愛い。

 お貴族様の嗜みという鷹狩りでもしていたのかしら?
 
 途中、乗馬帽を取ると帽子に隠されていた見事なブロンドの髪が零れました。
 サラサラの髪です、思わず息を呑んでしまいました。
 いったいどうやって手入れしているのかしら。

 最初は毅然とした様子から年上の方かと思いました。
 しかし、容姿がはっきりと見えるところまで近付くと、私と同じくらいの年齢の少女だとわかります。

 私がそんなことを考えていると、近くで立ち止まった少女が声を掛けてきました。

「ぶしつけで申し訳ない。
 鷹狩りに夢中になっていたら森の奥まで迷い込んでしまった。
 この暑い日に長時間乗馬していたものだから喉が渇いたのだ。
 すまぬが、そなたが今飲んでいるお茶、それを所望できないだろうか?」

 お貴族様らしい言葉遣いですが、それなりに平民にも気を使った話し方をします。
 お貴族様にありがちな横柄な命令口調でないだけでも好感が持てます。

 ええ、そういうことでしたらお茶くらい幾らでもご馳走して差し上げましょう。

「どうぞ、おかけください。今すぐ、ご用意しますので。」

 私は貴婦人に席を勧め、トレイに伏せておいた予備のグラスに冷たいレモンバームティを注ぎます。

「いや、申し訳ないがそなたが今飲んでいたそのお茶が頂きたいのだが。」

 この方、本当に高貴な人のようです、日頃は毒見の人が常にお側にいるのですね。
 普通は他人の飲みかけのお茶なんか飲むのはイヤだと思うのですけど。
 
 私は、今グラスに注いだお茶を、トレイの上にあった銀の匙で一すくいして飲んで見せました。
 そして、少しだけ時間を置いて、「どうぞ」と言って銀の匙と共に少女の前に差し出したのです。

 私がしたことの意味はすぐに通じたようで少女は顔をほころばせました。
 笑うととてもチャーミングです、左目の下にある泣きボクロが愛らしさを引き立てています。

「お気遣い感謝する。」

 相当喉が渇いていたのようでした、そう言うと冷たいお茶を一気に飲み干しました。

「美味しい…、この暑い中でこんなに冷たいお茶をご馳走になれるとは思わなかった。
 すまないが、もう一杯所望できないか。」

 気持ちは分かります……。
 でも暑さで消耗した体にいきなり冷たいモノをたくさん飲んだら体に良くないです。
 お腹を壊します。

 私は少し待ってもらい館の厨房へ向かいました。
 そして、竈の火にかけておいたヤカンのお湯をハーブを入れたポットに注ぐます。
 十分な抽出時間をおいたらのです。
 そして、大きめなマグカップと共に少女のところに戻りました。

 ロゼワインのような透明感のある鮮やかな赤いお茶、バラの実から抽出したそれをカップに注ぐと先程と同じように毒見をしてから差し出しました。

 程よい温度の冷まされたローズヒップティーの爽やかな酸味は、疲れた体に染み渡るはずです。

 嬉々としてお茶を飲み干す姿は、それまでとは違い歳相応の女の子に見えました。

「美味しい!
 さっきと違い冷えている訳ではないけど、ほど良い温度に冷めていて飲み易い…。
 それに、この酸味が乾いた喉に心地よい……。」

 普段はそんな口調で話をしているのですか、今までのはよそ行きの話し方だったのですね。
 その方が歳相応で好感が持てます。

「どうぞ、お代わりもありますよ。
 気兼ねなく寛いでいってくださいね。
 ここは他の人の目もございませんし、話し方ものそのままで問題ないでしょう。」

 私の言葉に少女は赤面しました。そして、

「やっぱり、無理しているのが分っちゃいましたか。
 家人から城の外に出たら貴族らしく振る舞うように、うるさく言われていたもので。
 慣れない話し方をすると肩が凝っちゃいます。」

 自分の頭を軽く小突く仕草でそう話す彼女はとても好感が持てる笑顔でした。
 

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