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彼と私を繋ぐもの
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ただ一つだけ、私が毎日楽しみにしていることがある。
”空”だ。空だけは毎日違う。特に毎日表情を変える夕方の空が好きだ。
夕日の赤色と夜の始まりを告げる群青色が混じり合って美しいグラデーションを描いた空。
燃えているのかと思うほどの赤橙色の空。
夕日の陽が雲に反射して赤くなった雲が浮かぶ空。
再び空が同じ景色を見せることは二度とない。季節ごとに、時間ごとに空は違った様子を見せてくれる。特に夕方が好きな私は昼から夜に移り変わる少しの間だけ見られるその空を、毎日眺める。
私は”彼”への想いを忘れないために空を眺める。
私は両親を交通事故で亡くした。大切な人を失った。それは私が中学3年、15歳のときだった。突然のことに頭が真っ白になった。両親がいなくなったことへの悲しみが、不安が、言葉にすることのできない感情が全て涙と共に溢れ出す。溢れ続けて止まらない。彼は私に声をかけて、後ろからそっと私の肩に手を回し、抱き寄せるように寄り添ってくれた。それから長い時間が経ったのだろうか、泣き疲れた私は気がつくと彼のあたたかい胸の中で眠っていた。彼は私が眠っている間もずっと傍にいてくれた。目を覚ますと彼は私に微笑みかける。
「大丈夫?大丈夫じゃないよな...まだゆっくり寝ててもいい。今はゆっくりと休んだほうがいい。」
優しい声で、優しい笑顔で、言葉をくれた。まどろみの中から意識を取り戻した私は再び悲しみがこみ上げ、涙を流し続けた。止めようと思っても涙は止まらない。彼はずっとずっと寄り添ってくれた。彼の温もりを体で感じる。心がじんわりと温かくなってほっとする。彼の存在が私に安らぎを与えた。
だけど、彼はいま、私の傍にいない。
彼は空が大好きな人だった。「今日はよく晴れた空だよね」とか、「夕日のおかげで雲まで赤く染まってるね」とか、私が気にも留めないようなことをあの優しい笑顔で、幸せそうに言っていた。
そんな彼を忘れないために毎日空を眺めている。
空は毎日表情を変えた。毎日眺めていたおかげで今まで気がつかなかった空の美しさを知った。春のうららかな空、夏のもくもくとした入道雲の浮かぶ空、秋のよく晴れた澄み渡った空、冬の凍てつくような寒さを注ぐ空。空はどの季節も心が惹かれる風景を見せてくれた。
でも、夕方の空は少しだけ違う。季節単位ではなく、毎日表情を変える。私は毎日、夕方の空がよく見える小高い丘で、夕日が海に沈んで見えなくなるまで見届ける。
この丘は彼と散歩をするとき、よく来ていた丘だ。学生だった私たちは学校が終わった後の夕方に散歩することが多く、夕日がよく見える丘で散歩をしていた。
夕日を見届けてから少し経つと、とても美しい夕方の空が見えてくる。夕日が沈んだ後の空は本当に美しい色をしている。その日の空を目に焼き付けてから帰路に就く。夕日の見える丘に寄り道をすると家に帰るには少し遠回りにはなるが、そんなことは気にならない。それくらいには私は夕方の空が好きだ。
彼は私の5歳年上の近所のお兄さんだった。家が隣同士で小さい頃からよく遊んでもらっていたためもあってか、彼が大学生、私が中学生になっても二人の時間が合えば一緒に散歩に行くことがよくあった。今思えば、学校に馴染めていない私を心配して誘ってくれていたのかもしれない。彼と一緒に過ごす時間が私にとっては堪らなく幸せだった。悩んでいる時、暗い表情を見せまいと無理やり笑顔を作っていた私に気づいたのだろう。
「僕の前では無理しなくても良いんだよ。僕の前だけでは君に自然体でいてもらえたら嬉しいな。」
彼はそう言った。押し付けがましくなくて、それでいて、この人を頼ってもいいと思えるような言葉だった。
彼はとても人の感情を読み取るのが上手い人だ。いつも、どんな時でも私の感情を読み取ってくれていた。
彼は元気にしているだろうか。今の私には解らない。彼に抱いていた感情を忘れてしまわないように毎日彼の好きだった空を眺める。
私が16歳、彼が21歳の時、彼は「難民キャンプに一ヶ月間ボランティアに行ってくる」と言って海外に行った。彼が出国する前に日本時間で毎週水曜日に電話をしようと約束をした。その後、生き生きとした笑顔で手を振る彼を空港で見送った。
彼がボランティアを始めてしばらくは一週間に一度、電話でお互いの近況報告をしていた。しかし、ある日を境に、彼と電話の約束をしていた水曜日に電話をかけても彼が電話に出ることは無くなった。心配ではあったけれど電話が壊れたのかな、とか、忙しいのかなと思って帰国予定日まで彼を待った。
帰国予定日になった。その日は一日中、空港で彼の帰りを待った。
でも、彼が帰ってくることはなかった。
「いつかまた会えるよね。どこかで元気にしてるよね。」
そう信じて私は毎日祈るように空を見つめている。会いたい、そんな思いばかりが募る。彼の大好きだった空を見るたびにそんな思いを自覚する。私はきっと彼に恋をしていたのだろうと思う。彼と離れて約2年が経った。私は18歳になった。たった2年という短い時間だというのに、今となってはそれが恋という感情だったのかも解らないほどに不明瞭なものになってきている。
私は会えなければ、会話をしていなければ、自分が“想い人に抱いていた感情”を忘れてしまう。
いわゆる、“恋とか愛とか好きという感情”をだ。なぜかは私にもわからない。
両親を亡くした、つまり家族への愛を無くした時に初めて気がついた。私はこういう感情を忘れてしまうのだ、と。今までも仲良くなった人と離れるとその人との思い出は残っても、友達としての“好き”という感情を忘れてしまっていたことがあったから。
次に会うまでその人のことは思い出せない。私の記憶の“そういう感情”の引き出しは徐々に鍵がかかって開くことができなくなってゆく。
確かに暖かい人々だった両親への愛をどんどん忘れてゆくのは本当に辛かった。愛されていた、それだけは分かるのに愛していたかは分からない。
朝起きると寝る前は覚えていたであろう記憶がなくなっている。そんなことが毎日繰り返される。寝るという行為が怖かった、忘れまいとしても忘れてしまうのだから。
私は途方に暮れ、記憶が失われてゆく恐怖にただただ怯えるしかなかった。
そんな時に彼はずっと寄り添ってくれた。彼は私が両親を失った直後の時のように、ずっと私の傍にいてくれた。彼が居てくれる夜には心を落ち着けて眠ることができ、ぐっすりと眠れた。それはきっと彼の大きな優しさが、心を暖かいものに包まれているような感覚にさせるからだと思う。
”空”だ。空だけは毎日違う。特に毎日表情を変える夕方の空が好きだ。
夕日の赤色と夜の始まりを告げる群青色が混じり合って美しいグラデーションを描いた空。
燃えているのかと思うほどの赤橙色の空。
夕日の陽が雲に反射して赤くなった雲が浮かぶ空。
再び空が同じ景色を見せることは二度とない。季節ごとに、時間ごとに空は違った様子を見せてくれる。特に夕方が好きな私は昼から夜に移り変わる少しの間だけ見られるその空を、毎日眺める。
私は”彼”への想いを忘れないために空を眺める。
私は両親を交通事故で亡くした。大切な人を失った。それは私が中学3年、15歳のときだった。突然のことに頭が真っ白になった。両親がいなくなったことへの悲しみが、不安が、言葉にすることのできない感情が全て涙と共に溢れ出す。溢れ続けて止まらない。彼は私に声をかけて、後ろからそっと私の肩に手を回し、抱き寄せるように寄り添ってくれた。それから長い時間が経ったのだろうか、泣き疲れた私は気がつくと彼のあたたかい胸の中で眠っていた。彼は私が眠っている間もずっと傍にいてくれた。目を覚ますと彼は私に微笑みかける。
「大丈夫?大丈夫じゃないよな...まだゆっくり寝ててもいい。今はゆっくりと休んだほうがいい。」
優しい声で、優しい笑顔で、言葉をくれた。まどろみの中から意識を取り戻した私は再び悲しみがこみ上げ、涙を流し続けた。止めようと思っても涙は止まらない。彼はずっとずっと寄り添ってくれた。彼の温もりを体で感じる。心がじんわりと温かくなってほっとする。彼の存在が私に安らぎを与えた。
だけど、彼はいま、私の傍にいない。
彼は空が大好きな人だった。「今日はよく晴れた空だよね」とか、「夕日のおかげで雲まで赤く染まってるね」とか、私が気にも留めないようなことをあの優しい笑顔で、幸せそうに言っていた。
そんな彼を忘れないために毎日空を眺めている。
空は毎日表情を変えた。毎日眺めていたおかげで今まで気がつかなかった空の美しさを知った。春のうららかな空、夏のもくもくとした入道雲の浮かぶ空、秋のよく晴れた澄み渡った空、冬の凍てつくような寒さを注ぐ空。空はどの季節も心が惹かれる風景を見せてくれた。
でも、夕方の空は少しだけ違う。季節単位ではなく、毎日表情を変える。私は毎日、夕方の空がよく見える小高い丘で、夕日が海に沈んで見えなくなるまで見届ける。
この丘は彼と散歩をするとき、よく来ていた丘だ。学生だった私たちは学校が終わった後の夕方に散歩することが多く、夕日がよく見える丘で散歩をしていた。
夕日を見届けてから少し経つと、とても美しい夕方の空が見えてくる。夕日が沈んだ後の空は本当に美しい色をしている。その日の空を目に焼き付けてから帰路に就く。夕日の見える丘に寄り道をすると家に帰るには少し遠回りにはなるが、そんなことは気にならない。それくらいには私は夕方の空が好きだ。
彼は私の5歳年上の近所のお兄さんだった。家が隣同士で小さい頃からよく遊んでもらっていたためもあってか、彼が大学生、私が中学生になっても二人の時間が合えば一緒に散歩に行くことがよくあった。今思えば、学校に馴染めていない私を心配して誘ってくれていたのかもしれない。彼と一緒に過ごす時間が私にとっては堪らなく幸せだった。悩んでいる時、暗い表情を見せまいと無理やり笑顔を作っていた私に気づいたのだろう。
「僕の前では無理しなくても良いんだよ。僕の前だけでは君に自然体でいてもらえたら嬉しいな。」
彼はそう言った。押し付けがましくなくて、それでいて、この人を頼ってもいいと思えるような言葉だった。
彼はとても人の感情を読み取るのが上手い人だ。いつも、どんな時でも私の感情を読み取ってくれていた。
彼は元気にしているだろうか。今の私には解らない。彼に抱いていた感情を忘れてしまわないように毎日彼の好きだった空を眺める。
私が16歳、彼が21歳の時、彼は「難民キャンプに一ヶ月間ボランティアに行ってくる」と言って海外に行った。彼が出国する前に日本時間で毎週水曜日に電話をしようと約束をした。その後、生き生きとした笑顔で手を振る彼を空港で見送った。
彼がボランティアを始めてしばらくは一週間に一度、電話でお互いの近況報告をしていた。しかし、ある日を境に、彼と電話の約束をしていた水曜日に電話をかけても彼が電話に出ることは無くなった。心配ではあったけれど電話が壊れたのかな、とか、忙しいのかなと思って帰国予定日まで彼を待った。
帰国予定日になった。その日は一日中、空港で彼の帰りを待った。
でも、彼が帰ってくることはなかった。
「いつかまた会えるよね。どこかで元気にしてるよね。」
そう信じて私は毎日祈るように空を見つめている。会いたい、そんな思いばかりが募る。彼の大好きだった空を見るたびにそんな思いを自覚する。私はきっと彼に恋をしていたのだろうと思う。彼と離れて約2年が経った。私は18歳になった。たった2年という短い時間だというのに、今となってはそれが恋という感情だったのかも解らないほどに不明瞭なものになってきている。
私は会えなければ、会話をしていなければ、自分が“想い人に抱いていた感情”を忘れてしまう。
いわゆる、“恋とか愛とか好きという感情”をだ。なぜかは私にもわからない。
両親を亡くした、つまり家族への愛を無くした時に初めて気がついた。私はこういう感情を忘れてしまうのだ、と。今までも仲良くなった人と離れるとその人との思い出は残っても、友達としての“好き”という感情を忘れてしまっていたことがあったから。
次に会うまでその人のことは思い出せない。私の記憶の“そういう感情”の引き出しは徐々に鍵がかかって開くことができなくなってゆく。
確かに暖かい人々だった両親への愛をどんどん忘れてゆくのは本当に辛かった。愛されていた、それだけは分かるのに愛していたかは分からない。
朝起きると寝る前は覚えていたであろう記憶がなくなっている。そんなことが毎日繰り返される。寝るという行為が怖かった、忘れまいとしても忘れてしまうのだから。
私は途方に暮れ、記憶が失われてゆく恐怖にただただ怯えるしかなかった。
そんな時に彼はずっと寄り添ってくれた。彼は私が両親を失った直後の時のように、ずっと私の傍にいてくれた。彼が居てくれる夜には心を落ち着けて眠ることができ、ぐっすりと眠れた。それはきっと彼の大きな優しさが、心を暖かいものに包まれているような感覚にさせるからだと思う。
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