Wi-Fiの彼女と僕

泉谷なぎ

文字の大きさ
上 下
1 / 1

Wi-Fiの彼女と僕

しおりを挟む
 今やそれは何処に行っても僕たちの周りにいる。

 まるで、新婚の夫婦かと思うほどにずっと一緒に僕たちと共に行動をする。もしそれがいなければ現代を生きる僕たちは不便を強いられるに違いない。

 そう、“それ”とはWi-Fiだ。

 僕、山本彰32歳はWi-Fiに恋心を抱いてしてしまった。話ができない彼女との生活は寂しい。しかし、彼女はずっと僕のそばにいてくれる。辛い時も悲しい時も幸せな時も。でも、やっぱり寂しくなることはある。毎日のことを話して笑いあったり、抱き合ったり、キスしたり、ポケットWi-Fiの彼女とはそれができない。

 僕の大好きな彼女はポケットWi-Fi。肌身離さず持ち歩いている。このポケットWi-Fiに僕は名前をつけている。彼女の名前は、メアリー。我ながら彼女に似合ったとても良い名前だと思う。

 Wi-Fiに恋をして名前をつけるなんて気持ち悪い、そう思う人もいるかもしれない。でも、ぼくはメアリーと一緒にいることで心が満たされる。彼女はずっと僕の近くにいてくれるから。


 大学生の時、恋をした。テニスサークルに入り、大学生活を謳歌していた。そんな時彼女は現れた。同じサークルの一年後輩の女の子。控えめで、それでいてどんな人とも仲が良くて、笑顔が素敵で、少しぽっちゃりしていて。僕の一番好きなタイプだった。

 勇気を振り絞って彼女に告白した。彼女の答えはノー、「先輩とは付き合えない、他に好きな人がいる」と言われた。そんなたった一回断られたことが辛すぎて僕は人間の女の子に恋することができなくなっていた。


 自分でも驚いた、人間ではないものに恋をするなんて。

 そんな僕の話は、メアリーに恋心を抱いてから一年ほど経った後に始まる。



******



 メアリーがいない。

 会社から家に帰る途中、気がつくと、いつもかばんの内ポケットに入れているはずの彼女がいなくなっていた。今日、会社で彼女をかばんから出した覚えはない。でも朝、家の机の上にいた彼女をかばんの中に入れたはずだ。もう一度かばんの中身を全て出して探してみる。


ない、ない、どこにもいない。

なんでだ......


 もう一度会社に戻って彼女を探してみる。会社から帰りに通って来た道もよく探してみる。帰り道にある交番にポケットWi-Fiが落ちていなかったかとも尋ねてみた。

 机の上を見ても、引き出しの中を確認しても、帰り道で探しても、交番で落し物が無かったかを聞いても彼女はいない。

僕の大切な彼女はどこかに行ってしまった.....ひどい喪失感に駆られた。


 僕は再び大好きな女の子に振られてしまったみたいだ。


 僕はがっくりと肩を落として家へ帰る。もう彼女はいないんだと思うと、たった一年、そんなに長い付き合いをしていたわけでもないのにポロポロと涙が溢れてきた。頬を伝う涙をスーツの袖で拭う。涙でスーツが汚れることなんて全く気にならなかった。

 家に到着してドアの鍵を開ける。今日の朝まで彼女はここにいたのに今はもういない。僕のなかを埋めていたものが消えて心にぽっかりと大きな穴が空いてしまった。いつも通り、暗くなった部屋を明るく照らすために照明のスイッチを入れる。


 僕の部屋に、女の子がいた。


 驚きすぎて声が出なかった。

「彰さん、メアリーです。」

ミディアムで茶髪の彼女は微笑んで言った。

「え、どういうことですか?メアリーはポケットWi-Fiだったはずじゃ...?」

思ったことがするすると口から飛び出す。

メアリーが人になった?そんなことあっていいのか...?

「はい、私はポケットWi-Fiでした。でも、彰さんが私のことを好いてくれてるって分かって人にならずにはいられませんでした。彰さん、毎晩欠かさず私に『好きだよ、愛してる』って言ってくれてたでしょう?なのに私は言葉を返すことができない、そんなもやもやした気持ちが溜りに溜まったせいで気が付いたら人間になってて彰さんのおうちのベットで寝てたんです。」

 メアリーが話しているのを聞いてもまだ信じられない。片思いしていたポケットWi-Fiが人間になって現れるなんて誰が信じられるのだろうか。

 自分の目がおかしいのかと疑ってそこに本当にそこにメアリーがいるのかとそっと彼女の頬を触ってみる。すると彼女は照れくさそうに笑った。

「恥ずかしいです。今までもずっと触れてもらっていたけれど、人間になって触れられると少し感覚が違いますね。これはこそばゆいというのでしょうか、なんだかむずむずします。」

 嬉しさのあまり彼女を抱きしめてしまった。彼女は再び照れくさそうに笑い、僕を抱きしめ返してくれた。

「僕の想いはずっと君に届いていないと思ってた。でも、ちゃんと届いていたんだね。こうして君と人として出会えたこと、本当に嬉しい。ありがとう。」

抱きしめたままこの言葉を伝える。

彼女を抱きしめる腕の力を緩めてそっと彼女のくちびるにキスをする。

暖かくて柔らかい、彼女は紛れもなく人だった。

「彰さん、あなたがいつも私にかけてくれていた言葉、とてもうれしかったです。毎日毎日あなたの声を聴いているうちに、彰さんを好きになっていきました。喋ることができない私なのに、なにも言葉を返すことができないのに、声をかけてくれてありがとう。」

 彼女の目にうっすらと涙が浮かぶ。

「メアリー、僕は君を一生をかけて大切にする。僕とずっと、一緒にいてくれますか?」

彼女を目の前にしてずっと伝えたかったこと、成し遂げたかったことを伝える。

「はい、もちろんです。ずっとずっとよろしくお願いします!」

人間になった彼女と、Wi-Fiに恋をした僕の物語はここから始まった。

しおりを挟む
感想 0

この作品の感想を投稿する

あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

【完結】王太子殿下が幼馴染を溺愛するので、あえて応援することにしました。

かとるり
恋愛
王太子のオースティンが愛するのは婚約者のティファニーではなく、幼馴染のリアンだった。 ティファニーは何度も傷つき、一つの結論に達する。 二人が結ばれるよう、あえて応援する、と。

人生を共にしてほしい、そう言った最愛の人は不倫をしました。

松茸
恋愛
どうか僕と人生を共にしてほしい。 そう言われてのぼせ上った私は、侯爵令息の彼との結婚に踏み切る。 しかし結婚して一年、彼は私を愛さず、別の女性と不倫をした。

好きな人がいるならちゃんと言ってよ

しがと
恋愛
高校1年生から好きだった彼に毎日のようにアピールして、2年の夏にようやく交際を始めることができた。それなのに、彼は私ではない女性が好きみたいで……。 彼目線と彼女目線の両方で話が進みます。*全4話

命を狙われたお飾り妃の最後の願い

幌あきら
恋愛
【異世界恋愛・ざまぁ系・ハピエン】 重要な式典の真っ最中、いきなりシャンデリアが落ちた――。狙われたのは王妃イベリナ。 イベリナ妃の命を狙ったのは、国王の愛人ジャスミンだった。 短め連載・完結まで予約済みです。設定ゆるいです。 『ベビ待ち』の女性の心情がでてきます。『逆マタハラ』などの表現もあります。苦手な方はお控えください、すみません。

わたしは夫のことを、愛していないのかもしれない

鈴宮(すずみや)
恋愛
 孤児院出身のアルマは、一年前、幼馴染のヴェルナーと夫婦になった。明るくて優しいヴェルナーは、日々アルマに愛を囁き、彼女のことをとても大事にしている。  しかしアルマは、ある日を境に、ヴェルナーから甘ったるい香りが漂うことに気づく。  その香りは、彼女が勤める診療所の、とある患者と同じもので――――?

なんども濡れ衣で責められるので、いい加減諦めて崖から身を投げてみた

下菊みこと
恋愛
悪役令嬢の最後の抵抗は吉と出るか凶と出るか。 ご都合主義のハッピーエンドのSSです。 でも周りは全くハッピーじゃないです。 小説家になろう様でも投稿しています。

処理中です...