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第34話 「証明させて」
しおりを挟む賑やかな宴会の音を避けながら、青葉先輩と一緒にひっそりと管理人室に戻った。
色々と衝撃的なことが続いて、まだすべてを整理しきれてはいないけれど、ほっと一息つく。
ナツメさんからの頼み事は、青葉先輩と僕の二人でガード役を請け負うことにした。本人はかなり固辞していたけれども、青葉先輩だけではなく僕を交えて三人なら、より誤解されないのではないか、という提案をしたら納得してくれた。
年上で、かつあんな美人でできた人に対して、おこがましいかもしれないけれど、親近感に近い感情を持った。だから、できることがあるなら協力したかった。
レズビアン、というのは自分は女性だと自認しているひとが同じ女性を好きになるひとのことだ。
女性か男性かの違いはあっても、おなじ同性愛者だという事実はナツメさんに対して友情というよりも仲間意識に近いものを感じる。それは向こうも同じだったようで、かなり砕けて話をしてくれるようになった。
今度、猫柳さんが好きな映画や小説について教えますね、というと目をキラキラさせて嬉しそうにしていた。
一旦落ち着くために管理人室に戻ってきたけれども、他のメンバーは宴会中だ。そっちに合流したほうがいいだろうか。そうして青葉先輩のほうを見やれば、気の抜けた自分とは違って、先輩は難しい顔でたたずんでいた。
「……先輩?」
眉を寄せて、どこか悩んで苦し気な表情だった。なんでそんな顔をしているのか。理由がわからなくて立ちすくんでいると、おもむろに先輩が口を開いた。
「コーヨー。……ごめんな」
「え?」
「オレ、今までわかってるつもりだったけど、わかってなかったんだろうな」
そして重い溜息を吐き出して、先輩はしっかりと僕の目を見ながら、もう一度「ごめん」と謝る。
「コーヨーが、最初に『つきあっているのを秘密にしてほしい』って言ったとき、正直、なんでだよって、ちょっと不満だった。恋人なら堂々としてもいいだろって。ただ男同士っていうのに偏見を持つやつもいることは知ってはいたし、何よりコーヨーが頼むなら、とりあえずはそれでいいかって思ってたんだ。だけど」
そこで区切って、さらに先輩は顔を苦しそうに――悔いるようにゆがめる。
「ナツメさんとの話聞いてて、オレの認識、甘かったんだなってつくづく思った」
ナツメさんとの話といわれて――ナツメさんの『ノンケを好きになるのって、キツイのよね』という言葉を、はっとして思い出す。
あれほど美人で優しい人なのに。それを隠して、嘘でつくろって生きていくしかないという事実。
好きな人がいても、素直に伝えられない環境。
同じ同性愛者である僕は素直に共感して同意してしまったけれど。
あの時同じ部屋にいた、異性愛者の、ノンケである先輩はどう思ったのか。
「今更だけど、オレがこれまでつきあってきたのは……女の子ばっかで。多分、コーヨーの悩んでることとか、きちんと理解できてなかったのかもなって」
「だから、ごめん」と謝られる。
先輩が、謝ることなんて、ない。だって先輩はいつだって僕に対して向き合ってくれていた。秘密にする約束だって守ってくれていた。
もともとゲイなのは僕だ。ノンケの先輩が、同性愛者の苦労がわからなかったと言って、なんで責められるだろう。
むしろ責められるべきは僕のはずで。こんな風に誠実な先輩に、周りに秘密にするようにお願いをして、しなくていい嘘をつかせて。
そのことに怒ったっていいだろうに。なのに。謝るどころか、先輩は。
あの、青い青い空の太陽のように笑った。
「だけど――だから、かな。それでも、オレの恋人になってくれて、ありがとうな。みつひろ」
本当に嬉しそうにそんなことを、僕の名前を呼びながら、言うから。
「だから、なんで泣くんだよ」
「泣き虫なくせして、泣き方ヘタなんだよなあ」とからかいながら、穏やかなぬくもりと一緒に抱き留められる。
じわじわあふれてくる涙をせき止めようと、せめて声は出さないように嗚咽を我慢しようとすると、さらに体はみっともなく震えて。それをなだめるように大きな手で背中を撫でられる。
優しい手つきはそのままで、わざと茶化すように明るい声で先輩は話す。
「あーでも、本気でショックだったんだからな? オレがナツメさんに心変わりしたって思われてたの」
「あっ、れ、は、だって」
「オレってそんな薄情な男に思われてたのかぁー」
「そ、んな、じゃなく、て」
「まあ、オレもサカイさんにヤキモチ焼いたりして、大人げなかったしな」
「……え?」
ぱちり、と一つ瞬きをする。驚きで涙が止まる。
やきもち。
だれが、誰と誰のことに、ヤキモチ、なんていう、ものを。
その言葉の意味はもちろんわかるけれど。単語を紡げられたら途端に知らない言語になったみたいで、途端に解読不能になる。
本当に理解できなくて、ポカンと口を開けている僕に、先輩はわざとらしくむすっとした顔を作る。
「初日から仲よさそうにしてたしさ。バーベキューの準備の時だって」
ふいに、バーベキューの火おこしをしていた時に、先輩が未開封のビールを持っていたように見えたことを思い出す。
あれはもしかして、勘違いじゃなくて。さらに、本当は、僕に渡そうとしていたのだろうか。でもその時、僕はもうサカイさんからビールを貰ってしまっていた。先輩が差し出すにはタイミングが悪かった。
「風呂の留守番組も一緒だしさ。二日連続」
抱きしめたまま、先輩は不服を表すように僕の肩に頭をぐりぐりと押しつける。
大型犬のようなその仕草に胸が跳ねてしまいそうになる。が、とりあえず、誤解を解かなきゃいけない。
「あの、サカイさんが留守番組、だったのは……多分、その……えーと、女性特有の……理由、かなあ、と……」
デリケートなことだから、簡単に口にするのはためらわれたけど、確かであろう推測を口にする。
おそらく、サカイさんは女性特有の理由――生理だったんだろう。もちろん本人には聞いていないけれど。ただ、もしそうならば大衆浴場には行けないのも当然だ。女子メンバーがあっさりと「そういうことなら」とサカイさんが留守番組なったことも納得だ。
「えっ? あー……。……ああー……」
先輩は思ってもないようなことを言われたように驚いて、でも改めて考えたら納得したようだった。
修学旅行なんかもそうだけど、そもそもこういう風に大所帯で集まったら、女性メンバーの誰かが生理だったりすることはままあることだ。
こういったことは先輩のほうが先に気づきそうなものなのに。完全に失念していた様子に逆に驚いてしまう。
それほど。思いつかないくらい、余裕がなかったのだろうか。
ざわり、心臓の内側で叫びたくなるほどの喜びが顔を出す。だけど心臓の裏側では、釘を刺すように、ヒヤリとしたものが打ち込まれる。
「それに、その……僕は、女性に興味が、ない、ので」
はっきりと青葉先輩の前で明言することは怖かったけれど、ナツメさんとの会話を考えたら今更だ。
なにより、やっぱり異性愛者の先輩にとって、ヤキモチ、を焼く相手は、女性なのかと思うと、先程先輩自身が言っていた異性愛者と同性愛者のへだたりを感じてしまう。
ゲイである僕の恋愛対象も性愛対象は男性でしかなく、女性はなりえない。けれど、先輩にとって、男と女がくっつくのが『普通』だからそういう風に考えたのだろう。
ああ、やっぱりノンケは遠い存在なのだと、湧き上がる歓喜すら曇色に塗りつぶさていく。
「コーヨーがそうだとしても、わからないだろ」
けれど。曇りを晴らすのは、いつだって太陽で。
「だってさ、ここにいるだろ。そういう例外になったヤツが」
「……え」
「これまで恋人は女しかいなかったけど、今は男とつきあってる前例が実際にここにいるだろ?」
堂々と言い放つ先輩は、ふざけているわけでもからかっている様子もなかった。
僕はゲイだから女性とそういう関係になることはない、と主張していても。
青葉先輩が引き合いに出したのは、ノンケだけど、今、男である僕と恋人になっている自分自身。
「コーヨーが簡単に浮気するような性格じゃないってわかってる。でも、もしかしたら向こうはその気があるかもしんないじゃん。だから、女相手だろうとヤキモチ焼くに決まってるだろ」
わかるか? と問いかけてくる先輩に、素直に「わかりません」と返事をすることはできなかった。
だって。あの青葉先輩が。あの先輩が。
僕が誰かと一緒にいたら。
ヤキモチを焼く、と宣言したのだ。
そこにセクシャリティなんて関係ないと、ノンケである先輩自身が言って。
簡単な頭は、浅ましくも嬉しさと喜びに舞い上がりそうになる。だって。ヤキモチを焼くくらいには、僕に少なからずも執着してくれているということで。
不満そうな顔をしている青葉先輩には悪いけれど、心の枷がゆるんだのにつられて、顔の筋肉がゆるみそうになる。
「ホントは、もっとコーヨーのこと独占したいし、周りにオレのだって牽制したいよ。でも押し付けて、束縛するつもりはないから、周りと仲良くするのはいいんだけどさ」
先輩は僕が誰かと遊んだりすることをとがめることはしない。
けれど、自分のキャップやパーカーを渡して『独占欲』をひっそりと表していた。
先輩の部屋で、あらわになった素肌に、あとをつけたいと言われたこともある。
「でも。男にも女にも嫉妬しなくちゃいけないから二倍大変なんだよ。」
そして、多分、最もその主張が強い左耳のピアス――先輩と同じおそろいのピアスを、髪をかき上げられて、触られる。
握りこんで血が出たところがかさぶたになっていたのだろう。痛ましそうな顔をされたけど、詳しくは聞かないでくれた。
「コーヨーはオレのもので、オレはコーヨーのものだって言いたいの、これでもけっこー我慢してるんだからな?」
傷跡をいたわるように、赤い舌先で舐められる。
だめだ。さっきから僕に都合のいいことばかり並べられて、その甘美さは強すぎて溺れてしまいそうだ。今なら何を言われても、何をされても「いいですよ」と言ってしまいそうになる。
だって先輩がそうしたいと望んでくれるなら。
きっと先輩からの束縛ならば、やわらかいリボンで包まれたようにしか感じないに決まっている。今後一切、先輩以外の人と喋るなと言われたら、僕は迷わずイエスと答えるだろう。
心地よい酔いに朦朧とする中で、先輩はサラっとそれを醒ますことを口にする。
「まあ、いくら言ってもコーヨーが信じてくれないなら、これから頑張るけど」
「信じてない、なんてことは」
「――他の男の前で服は脱げても、オレはダメなのに?」
ない、と続けようとして、鋭くとがった声音に止められる。そして酩酊していた頭に氷が投げ込まれる。
ああ、そうだ。あの時。今日の昼間、同期たちと湖で遊んでいて。
その時、僕の裸を、先輩は、見て。
先輩は、確かに、怒っていて。
さっと血の気が引いていくのがわかる。
「オレの前ではダメなのに、他のヤツらに見せんのはいいのかよって。ちょっと頭にきた」
据わった眼差しを向けられて体が硬直する。
あの時、先輩は僕の体を見て幻滅したのだと、そう思っていた。けれどこの話の流れだったら。今、先輩が言ったことが本当なら。
先輩とそういうこと――セックスの下準備をするための行為をするときに「上の裸は見られたくないし、触られたくない」とお願いしたのは、他でもない僕だ。
先輩に拒絶されたら怖かったから。
素直にそのことを伝えられるわけもなくて、理由は言わないままだった。
だけど先輩にはそういっておいて、僕はどうせ友人しかいないからと、上半身だけだといえども他の人間の前で裸になった。
ああ、そうだ。そんな矛盾があることをして、先輩が怒らないわけ、ないじゃないか。
どういうことだと怒られても仕方ない。身構えていると、予想よりわずかに斜めにズレたことを言われる。
「なんでオレより先に見てるヤツがいるんだとか、そんな簡単に他のヤツらに見せてんじゃねえよって……コーヨーが悪いんじゃなくて、たんにオレの心が狭いから嫉妬して、むきになった。それで余裕なくなってナツメさんとのこと誤解されてんだからオレもざまあないよな」
『嫉妬』という予想外のワードにまたもフリーズする。
先輩が怒っていたのは、僕が勝手にお願いしたことを自ら軽んじたことじゃなくて、同期と言えど先輩以外の前で裸になったことで。
しかも、そのあと話をする機会がなかったのは、僕が避けていただけではなくて、先輩のほうも、嫉妬、で、怒っていたから、で。
ふう、と大きな息を吐き出して、先輩は改めて僕と視線を合わせる。
固まった体のまま視線を受け入れる。
ああ、これは、絶対に逃れられないやつだと、直感した。
「――コーヨーさ、……オレがコーヨーの体を見たら、愛想つかすって思ってる?」
はっきりと核心をつく言葉。
どこまでも見抜かれていて、喉が震える。
血の気を失って何も言えない様子を肯定ととらえたのか「やっぱりそうか」と先輩は続ける。
「前からなんとなくそうなんじゃないかって気はしてた。さっきコーヨーがナツメさんとのこと誤解してた時に、男より女がいいのは当たり前だ、って言ったから、確信した」
だって、先輩は異性愛者だから、男の僕より女の人がいいことなんて、当たり前で。
だけど、先輩はさっきからずっと、そんなことは関係ないと繰り返していて。
僕はようやく。今まで自分が築きあげていた『当たり前』の世界が裏返しになって壊れていくのが、わかった。
自分の考えが、もしかして間違っていたのかもしれない、と気づいて混乱する。
ひたり、と先輩は見つめる。
いや、それは、見つめるというよりは。
「でもな。コーヨーがいくらそう思ってても。オレは、絶対にコーヨーの体を見ても、女の体のほうがいいなんて思わない。――それに」
こいねがう、ような。
それでいて、今にも、僕の体も、心も、全部焼き尽くしそうな。
「オレは、コーヨーのことなら、なんでも見たいし――触りたいよ」
固まったかさぶたと一緒に、ピアスを撫でられる。
それから指はゆっくりとつうっと下がっていく。首筋から鎖骨、布越しの心臓の真上まで。
からりとした空気とは打って変わって、ひそやかな、何度か体験した、二人の熱と湿り気を帯びた空気をこめた声で、ささやかれる。
「だから。今。それを証明させてほしい」
くい、とわずかに指に力を入れられて、服がかすかに引っ張られる。
急に変わった雰囲気に。そしてそれが示唆することに気づいて、ごくりと喉が鳴る。
「つまり、その、それ、って」
「コーヨーの裸を見ても、オレがイヤになることなんてないって、わかってほしいから」
だから、と先輩は続ける。
「オレの前で、脱いでみてよ、服」
二人きりの管理人室で、小さなその声はよく聞こえて。
扉の向こうの宴会の喧騒は遠くて。
目の前は青葉先輩一色で、見えないけれど、この管理人室には簡易ベッドがあった。
固まって動けない僕に、先輩は微笑んだ。
昼間の青空とは違う。もっと、もっと深くて、そこにはいったら抜け出ることはできないような、藍色の夜みたく。
「なあ、お願い――みつひろ」
その四文字の言葉に。
僕が抗えるわけなんて、なかった。
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