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第32話 「話がある」

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「――コーヨーさん、コーヨーさん、私たちも呼ばれてますよ」
「え? あ、ああごめんサカイさん」

 サカイさんに肩をたたかれて、ようやく自分の名前が呼ばれていたことに気づく。ペアの相手はサカイさんだったらしい。他の人たちもみんなもうペアを組んでいる。
 僕はサカイさんのほうに注意を向けることで、前を見ないように気をつけた。視界の端に、見慣れた青いスニーカーがちらつく。
 すでに第一陣は出発していて、少し間隔をあけて次の組がスタートする。

「よし、そろそろいいかな。次、ナツメさんと青葉の二人、スタートな」
「ん、じゃあ行こうか」

 青葉先輩の声が聞こえた後、二人分の足音がだんだん遠くなる。視界も耳でも、二人の様子はすぐにわからなくなる。
 夜の林も、肝試しよりも、怖い気持ちが、足音が離れるほどに大きくなる。
 サカイさんとの会話も、適当に相槌をうつだけで、何の会話をしているかもよくわからない。

「あ、私たちの番らしいですよ」
「ああ……懐中電灯は持つね」

 手のひらサイズの、100円ショップで買うような懐中電灯の心もとない光で足元を照らしながら、道の先へ進む。
 使われなくなったといっても、道は車が通れるほどの広さがある。整備もされているから歩くのには困らない。横の林の奥へ目をやれば、さすがに暗くて何があるかわからないけれど、ただ道を歩く分にはそこまで恐怖を覚えない。
 いや、今の僕なら、真っ暗闇の林に置かれても、今抱えているほどの恐怖を上回ることはないだろう。
 サカイさんも特段怖がる様子はなく、ただ散歩をしているようだ。

「そういえば、他の人に聞いたんですけど、何年か前のお化け役の人はズタ袋をかぶって、本物のチェインソーを持って追いかけたりしたらしいですよ」
「へえ、ずいぶん手の込んだことしてたんだね」
「チェインソーは危ないって怒られて、やめになったらしいんですけど。去年はガチ班のメイクを借りて、ボロボロの白いワンピースを着た幽霊姿で出てきたりとか。今年もなにかあるんですかね?」
「今のところ、チェインソーも悲鳴も聞こえないけど」

 林の中の道は静かで、鳥や虫の音がするくらい。森林浴と言われても納得する。
 だけど。それでも夜で、薄暗がりで。そんな中、二人きりで歩いて、あの二人はどんな話をしたんだろう。ナツメさんが怖がったら、先輩は優しくなだめるのかな、なんてことばかり浮かんで。
 先に進んだ二人のあとを追うように歩きながら、知らないところで仲良く話す二人の想像がずっと頭の中で再生される。
 そうやって上の空で進んでいたら、いつの間にか目的地についていた。

「わっ……近くで見ると、けっこー怖いですね」

 売り物件の看板が掲げられた、無人の別荘。雨ざらしになって外観が古ぼけていて、窓も暗闇をうつすばかりで、確かに不気味な雰囲気を宿している。
 もしも中を探索する、というような内容であれば、さぞや肝試しにピッタリだったろう。
 しかし不法侵入になるようなことはさすがに提案しなかったらしい。大きな玄関の前に、これ見よがしに折りたたみテーブルがあって、そこにはここまできた証拠となる紙と、それを抑えるように手のひらサイズの石が置かれていた。

「あの紙とってくればいいんですよね? これまで何にもなかったですけど、帰り道のほうになにかあるのかな……」
「どうだろう。まあ、さっさと取っちゃおう」

 帰り道は今きた道とは別の一本道がコテージのほうに向かっている。U字の道の行き止まりにこの別荘がある形だ。
 一応、手元の懐中電灯で周りやテーブルの近くを照らしてみたけど、脅かし役の誰かが隠れている気配はない。
 それならさっさと終わらせたい、という気持ちが強く、まっすぐテーブルの上の紙をとろうとして、石を持ち上げた。

 その瞬間、「ギャアアァ」というノイズ混じりの悲鳴が鳴り響いた。
 後ろのサカイさんが「きゃあっ」と驚いた声をあげる。とっさにサカイさんをかばうように構える。その直後、パッと真っ白い閃光が視界を焼く。
 眩しさに目をとられ、何が起こったかわからないでいると、前方の別荘の法の暗がりから声がした。

「ドッキリだいせいこー!」
「いやー、二人ともいい反応ありがとうなー」

 出てきた二人は、映研の四年生だった。楽しそうにハイタッチまでしている。
 今の音と光が仕掛けられたトラップだったと気づいて、肩の力を抜く。

「今のなんだったんですか?」
「紙の下に仕掛けしといて、石の重さがなくなったら、こっちが作った幽霊の悲鳴を再生できる仕組みになってるんだよ。よくできてたろ? それともう一個が……お、これこれ、よく撮れてる」

 玄関のほうにかがんで何かいじっていた脅し係が、僕たちのほうにそこから取り出したものをみせる。

「デジカメ……ですか」
「そうそう、さっきのはフラッシュ。悲鳴にびっくりしたところを写真でとれるようにセットしてたんだよ」

 ほら、といってデジカメの画面を見せられれば、そこには驚いて体をこわばらせているサカイさんと、その前に立つ僕がうつっている。

「いやあ、お化けの格好して脅かすのも、慣れてきちゃった奴らが多いからさあ。ここは一点集中で驚かして、その様子を撮影することにしたわけ。結構みんな面白い反応してくれたよ」

 腰抜かしそうになったやつもいたよな、と四年生の二人組は上機嫌だ。多分、よほど面白い怖がり方をしたペアはこの後の宴会でネタとして扱われるんだろう。
 静かな夜道だったからこそ、前触れもなく不気味な悲鳴――加工していたのだろうけど、女性の断末魔のようなものが間近で聞こえたら驚くのは仕方ない。

「あーもービックリしましたよー……」
「サカイちゃん、素直な驚きかたで嬉しかったわ。コーヨーはあんま驚いてくんなかったけど、サカイちゃんをかばうみたいに立ってかっこよかったぞ」
「はあ、そうですか」
「かっこよかったと言えば青葉もよかったよな」
「そうそう、ナツメさんが驚きすぎてよろけちゃったんだけど、青葉がぱっと支えてな」

 いきなり、青葉先輩の名前を出されて、さっきの人工の悲鳴を聞いた時よりも驚きすぎて、悲鳴も上げられずに固まった。

「しかもそのあとさ、よろけた時にナツメさんが足ひねったかもしんなくて、帰りは青葉が抱えていくことになってなー」
「青葉はあいうのしても似合うよなあ、しかも相手がナツメさんだし」
「えー!? ナツメさんがケガって、大丈夫なんですか?」
「あ、ひねったって言ってもそんな大げさな感じじゃないよ、念のためって感じで」
「もう、それで主演女優がケガでもしたらどうするんですか!」

 反省の色が見えない四年生にサカイさんが食ってかかっている。「いやいやホントそこまでじゃないんだって」と四年生が言いながらカメラを触って、トラップにかかったときの二人の写真をうつしだす。
 フラッシュで白飛びしているけど、バランスを崩したナツメさんが、青葉先輩の腕に寄りかかって、それを反射のように抱き留めようとする先輩がはっきりと見える。

「心配だから早く戻りましょう、コーヨーさん」
「あ、うん、そうだね」

 魂が抜けたように、ぼんやりとしながら帰り道をたどっていく。
 ガンガンと、うるさい音が頭の中で響いている。
 さっきの寄りかかる二人の写真と、ナツメさんを抱えている青葉先輩の想像が頭の中を占めて、割れそうなくらい頭が痛かった。





 コテージに戻ると、肝試しを終えた人がほとんどで、みんな飲み始めていた。
 だけどそこには青葉先輩とナツメさんはいなくて。サカイさんに連れられて、廊下の奥のナツメさんの部屋に向かう。
 ぴったりと扉が閉じられた部屋。
 中を見たくないようで、確かめたいような。ガンガンと警鐘が鳴り響く僕のことなんて気づくわけなく、サカイさんは迷いなくノックする。

「すみません、一年のサカイです」
「ん? サカイさん?」

 部屋の中から聞こえたのは、今、一番聞きたくない人の声で。
 ナツメさんの部屋を、内側から、青葉先輩が扉を開ける。
 サカイさんと、その後ろに立つ僕をみて、すこし目を見張って驚いた様子をしている。

「あのぉ……ナツメさんがケガしたって、仕掛け役の四年生から聞いて……」
「ああ、なるほど」

 青葉先輩はチラリと部屋の主のほうを振り返って、頷くと扉を大きく開けた。自然と中の様子が見える。
 ベッド脇に座って、裸足の右足をさらしているナツメさん。他には誰もいない。その足には、テーピングがされている。

「わざわざきてくれたの? 大丈夫、ちょっとひねっただけで捻挫でもなんでもないから。心配してくれてありがとう。でも、恥ずかしいから周りには内緒にしてね」

 こてん、と首を横に傾けて、秘密話をするように唇の前に一本指を立てている仕草は、どこか芝居がかっているのにとても似合っていた。

「青葉くんもつきあってくれてありがとうね。テーピングまで」
「本格的にひねったわけじゃないから、悪化するといけないように念のためだけど」
「テーピング上手なのね」
「ま、運動部やってたから」

 素足を包む半透明のテープ。
 それをしたのは青葉先輩。
 彼女の、裸足に、触れたのか、と。

「はあ、体が資本の役者なのに情けないわ。猫柳さんにも申し訳ないし……」
「木花さんは何も悪くないって。後でオレと四年生でちゃんと謝りにいくから。木花さんは今日は大人しくしてて」
「そうですよ! もー。悪ふざけがすぎるんですよ」

 会話が耳を通り過ぎていく。いつの間にか部屋を出ていて。
 青葉先輩は「ガチ班にはオレから説明しとく」といって向かいのガチ班の部屋へはいっていた。
 サカイさんと一緒に、宴会場になっているリビングにたどり着く。
 誰かと話す気分になるわけもなく、お酒を探すフリをして、キッチンの冷蔵庫をぼおっと眺めていた。
 ポケットの中のスマートフォンが震える。
 怖い予感がしながら、それを見る。

『話があるから、管理人室にきてほしい』

 短い青葉先輩の言葉は、死刑宣告のようだった。





 簡素な扉を前にして、ノックをするのにためらった。
 逃げられるなら、逃げてしまいたい。何の話があるのか。
 そんなのわかりきっている。
 不義理をしないで、きちんと僕に話をしようとする青葉先輩は、本当に誠実で、優しい。だけど、いっそ捨て置かれてほしかった。青葉先輩の口から、はっきりと言われてしまうことが、こわい。
 心臓が冷たい杭で打ち抜かれたみたいに、動けない。
 だけどポケットの中のスマートフォンが着信を鳴らす。

「――コーヨー? 大丈夫?」
「あ、は、い。今もう、部屋の前に、いるので」

 電話越しに返事をしたら、処刑場みたいな扉が内側からあっさりと開かれる。
 開けた本人の青葉先輩は、周りの廊下をちらっと見回してから「入りなよ」と言って室内に招き入れられる。
 かちこちの足のまま、中にはいる。
 パタン、と閉まる扉の音。
 狭い部屋に二人きり。
 先輩の顔を直視できず、うつむきがちになる。
 青い靴の先端が、対面に見える。
 大きく息を吐き出した後、ゆっくり吸う音が聞こえた。
 その呼吸につられて思わず顔を上げる。

 真正面に、真剣な青葉先輩の顔がある。

「――ごめん、コーヨー」

 そのまま頭を下げられる。
 視界が真っ黒になって、心臓に打たれた杭が全身を突き刺した。


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