『何色』青葉とコーヨー イケメンでモテモテなノンケの先輩が平凡で地味な僕とつきあうなんてありえない

こやまことり

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第11話 「歯磨いてないんだった」

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「あぁー、疲れた。浅葱にぃがくるとホント疲れんだよなあ」
「でも楽しそうでしたよ、三木さんも青葉先輩も」
「んー、まあなんだかんだ世話になってるし、映研にはいったのも浅葱にぃに誘われたからだし。あー、コーヨーの家久々だなあ」

 二次会へ行かず、僕の部屋にきた先輩は、ソファを背もたれにして床に座り込む。
 「このまま二次会行って浅葱にぃと一緒にいたらそのままうちに押しかけられる」とげんなりした顔の青葉先輩は避難先として僕の部屋を選んだ。まあ、今日はうちに押しかけるようなメンバーは二次会にいるし、僕もあのままだと他の女子から質問攻めにあいそうだったので抜け出すのは賛成だった。
 ちなみに、青葉先輩に三木センパイへの質問や紹介のお願いをすることは映研では暗黙のタブーとなっている。三木センパイがじきじきに「僕のことを聞きたくて青葉に近づくやつとは一切関わらん」と宣言しているからだ。

 床に直接座って、ミネラルウォーターをごくごくと飲む先輩は気だるげで。いつもと違う白のワイシャツにネクタイという恰好もあいまって、ふだんより大人っぽい。
 そんな先輩の右耳には、剥き出しの赤のピアス。さっきの飲み会で、先輩が丁寧に触っていたピアス。
 思い出すとよくない、とかぶりを振る。とりあえず、まだ先輩は飲み足りないかもしれないから、つまみになりそうなものを用意しよう。発泡酒とかはまだ冷蔵庫にあったはずだな、と考えながらテーブルにサラミや誰かが置いていったお菓子を広げていると、その手首がつかまれた。
 つかんできた犯人を見れば、水を飲んで濡れた唇をぬぐう先輩がいて。
 セットしていた前髪がわずかに崩れている。僕の目を見ながら、ネクタイを緩めて、襟もとのボタンを外す仕草は、わかりやすく、かっこよかった。そのうえ、なんだか、色っぽくて。
 僕をしっかりと見つめたまま先輩は笑って、自分のほうへ引き寄せる。

 合わさる、くちびると唇。
 今日の夕方、すでに味わっているはずの感触は、夕方とは違い、ぬるい水っぽさと、ほんのりとした酒気を感じて。
 まだ、唇を重ね合わせた、それだけなのに、なんだか生々しくて。
 ぞくりと震えて、体が跳ねそうになる。
 こんな、二人しかいない部屋で、キスをすることなんて、それこそ最初のときしかなかったから。
 夕方の先輩の言葉を思い出す。『どっちがいいか試そうか』と。
 どうしよう、このまま。口の中まで、もっと、強いキスをされたら。

 僕は拒めるだろうか。

 期待と不安が入り混じった気持ちで固まる僕の予想とは裏腹に、意外にもすぐに唇が離れた。

「……あー。飲み会のあとなのに歯磨いてないんだった」

 心底残念そうに、失敗したと言いたげな顔にあっけにとられる。
 なんとなく、先輩がそういったエチケットを気にしているのはわかっていた。キス、されるときに、たいていミントやメンソールの香りがしていた。元々、そういうミントタブレットを持ち歩いているからそれなのかなと思っていた。
 けど、あらかじめ、僕と会うとわかっている日に、わざわざ気をつけてるのだというのが今の一言で分かって。
 なんだか、先輩が、僕とのキスを、求めているように聞こえて。
 耐え切れなくて、最近ずっと控えていた、左耳のピアスを握りこんだ。

「……僕も飲んでるんで、気にしないですよ」

 先輩の顔が見れなくて、ゆるんだネクタイを見ながらつぶやいた。
 落ち着いた紺色。光沢が抑えられてるけど、よく見ると薄くて細い紫色の斜めのストライプがはいっている。その色合いが似合っていて、そしてやっぱり大人っぽいな、なんて思ったりして。
 ボタンの開いたシャツからかすかに鎖骨が見える。
 鎖骨のなだらかな曲線にそって、なめらかな肌が陰影を作っている。
 しばらくそうして、じっとしていたけど、なんの反応もしない先輩に不安になる。
 たえきれなくなって、そっと顔をあげたら。
 驚いた顔をした先輩がいて。

「…あ」

 今更、気づいた。
 何度かキスはしたけど。それはいつも先輩からで。
 僕からキスをしたい、と、そんなことを言ったことはなくて。
 なんなら、毎回途中でとめているのは僕のほうだ。
 それは先輩のキスが嫌だとかそうじゃない。自分のピアスに触るたび、感触を思い出して体が熱くなるくらいだ。イヤ、なわけがない。
 それでも、そういうことを自分から求めるなんて発想はなくて。
 だから今、思わず言ってしまった言葉は、初めて、僕からキスの続きをねだる言葉で。
 そう気づいた瞬間。
 身体中の血液が沸騰しそうなくらいの恥ずかしさに襲われた。

「あ、や、でも、いや、ですよね、お酒くさいのなんて。あのその気にしないでください、そうだ何か飲みますか、この間うちで宅飲みがあったときに残ったチューハイとかまだ」

 焦って言葉を紡いだ僕を止めたのは、先輩の人差し指一本。それだけだった。
 長い指先で僕のくちびるを、ゆるりと撫でる。

「いいの?」

 細めた目で見てくる先輩の顔は。
 楽しそうで、揶揄を含んでいて、だけど、とても嬉しそうで。
 そして、僕がいともたやすく陥落してしまう、四文字を口にする。

「キスしていい? みつひろ」

 発せられた四文字の音に、魂を抜かれた人形のようになる。コクリ、と頷くと、勢いよく引き寄せられた。
 先輩の手が僕の腰に回って、先輩のあぐらを組んだ脚の上に半身が乗るように引っ張られる。反対の片手が僕の頭を抑える。大きな手のひらと四本の指で僕の頭の左横を包みながら、器用に親指だけで左耳のピアスに触れる。
 頭と腰を抑えられた格好は、まるで、逃さない、といっているようで。
 そうって囲まれて、逃げる隙をなくして、重なったキスは今までとはまるで違うものだった。

 くちびるを全て覆うように重なった先輩の口が、わざと歯を立てて僕の下くちびるを食む。
 かたいその感触に驚いているうちに、何度かくちびるを甘噛みしたあと、そうするのが当然とでもいうように、舌が性急に口の中に入り込んでくる。委縮している僕の舌を見つけると吸いつくように絡んできて。
 強引に引っ張りだされた舌も、感触を楽しむように、確かめるようにやわく噛まれる。痛くはない。だけど、もしかしたら本当にこのまま、くちびるも舌も食べられてしまうんじゃないか。そんなことを思ってしまうほどの勢いで、何度も絡められて、吸われて、噛まれて。

 アルコールとはぜんぜん違う酩酊が、僕を襲う。

 今まで先輩はやさしく、丁寧にしてくれたから、歯のかたさすら感じたことがなかった。やわらかいだけの感触とは違う確かな刺激で頭がどんどんくらくらしてくる。
 あふれてきたのか、それとも与えられたのか、どちらのものかわからない唾液をこくっと必死に飲み込む。そうしたらまた舌を吸われて、もっと、もっとと口の中を溢れさせようとするように、上顎から舌の裏まで舐められる。
 そうしているあいだも、頭をしっかりとつかんでいるのに、親指のはらでピアスの石と周りの耳たぶを円をえがくように繰り返し撫でられる。肌に直に触れられるその刺激にも翻弄されて。

 なんなんだ、これは。
 全てを食らわれそうだと錯覚しそうな、荒々しい、これは。
 こんなの知らない。
 まるで。

 こんな、まるで、先輩が、僕を求めてるんじゃないかと、思わされるようなの、僕は知らない。

 貪欲に、強欲に、僕を逃がさないように腕の中に閉じ込めて。唇で舌で歯で僕の口から、僕の中へと、僕のすべてを侵そうとしてくるようで。
 腹の下から、頭の中すべてが熱くなる。
 簡単に飲み込めなくなった唾液を、二回に分けてなんとか飲もうとすると、ん、と小さく声がでてしまった。
 そこでようやく、嵐のようなキスの奔流が止まった。
 先輩はゆっくりと唇を離す。
 僕は全力疾走したあとのように、必死に酸素を取り入れようと、浅い呼吸を繰り返す。
 頭はまだ混乱していて。先輩の手はまだ僕の頭と腰から離れてなくて。呼吸が落ち着いたらまたあの嵐が再開するんじゃないかと、思ってしまうほどの近さで。
 僕の耳裏を先輩の親指がかすめる。

「――いつものと激しいの、どっちが好きだった?」

 濡れた唇を舌で舐めながら、婀娜っぽく口の端を持ち上げて問いかけてくる。

「なっ…」

 まだ呼吸も整わないうちにそんなことを聞かれて、まともに答えられるはずなんかなくて。
 はくはくと、酸素を吸いたいのにそれもできず口を震わせてると、先輩は少しだけ僕の腰に回した手に力をこめる。

「わかんないなら、もう一回試そうか?」
「い、い、いつもの、いつものが、いいです」

 今もう一回あんなキスをされたら、とんでもない醜態をさらす。絶対そうなるに決まってる。今の比じゃない。きっと、とても、まずい事態になる。だからどっちがいいなんて、まるでわからないけど、とにかくそれだけを避けたくて必死に答える。
 先輩は面白そうに僕の顔をながめながら「ふーん」なんて軽く流してる。顔が赤いのなんて、触らなくてもわかってる。だけどあまりにも近いから、逃げようもない。
 そしてようやく、いまだ先輩の脚の上に半身を乗り上げる形になっていることに気づいて。そっと離れようとするけど先輩の手がそれを拒む。
 まずい。こんな近さで。今だって、身体の中心が熱くなりはじめているのに。
 先輩にそんなの見られたくない、気づかれたくない。なんて言って逃げようかと、回らない頭を回そうとしようとしていたら、回りだそうとした頭は思考停止した。
 先輩がとんでもない爆弾発言を落としたからだ。

「そういえばさ。コーヨーは上と下だったら、どっちがいいの?」
「………へ?」

 からかいも何もない、まるで純真無垢の少年のような瞳でそんなことを言われて、間抜けな返ししかできなかったのは、仕方ないと思う。
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