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第2章 日常讃歌・相思憎愛
第9話 生存確認
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途中に転がる車と一体化した霊樹を脇に見ながら、仁代星斗と亜依を乗せたカブは高校への田舎道をひた走っていた。
「亜依そろそろ学校に着くぞ」
「うん」
程なくして畑の中に大きな建物と大きな欅の木が見えてくる。
星斗が亜依に声をかける。
すぐに正門前に着き、星斗は亜依を乗せたままカブのセンタースタンドを下ろす。
ガタンと亜依ごと持ち上がり、亜依にそのまま待つ様に伝えた星斗は閉じられた正門を開けに歩き出す。
「いよっと!」
普段の癖で思いっきり重い鉄の門扉を横に引くが、星斗が思うよりもずっと軽く鉄の門扉が動き出す。
「うおっ、軽いな!」
余りにすんなり動いた事に驚きながら、時折ガタンガタンと音をたてて鉄製の門扉が開いていく。
建付けも悪く重いはずのなのだが、星斗は大した力を込めたつもりがない。
「んんん……やっぱり身体おかしいな……この辺は後で検証だな……とりあえず行くか」
門扉を開け、カブに戻った星斗はカブに跨って走り出す。
正門から見える先には校舎と校庭があり、ちょっとした林の小道を抜けていく。
「誰もいないのか……」
校舎からは霊樹の枝葉が青々と伸びているが、見える範囲に人は居ない。
星斗は不安になる心を押し留め、バイクの速度をあげる。
こんもりとした林を抜け、校舎と校庭が目に入る、校庭には大きな欅の木が1本生えており、外周には桜の木が植えられている。
まずに目に留まるのは大きな欅の木、入学式の時に見たこの学校のシンボルと言える大樹だ。
入学式の時の新緑よりも青々と葉っぱが茂っているのが見えるが。
「何か……光っている……?」
欅の木はその枝葉や幹を翠色に光らせていた。
まるで霊樹が霊子を生み出しているかのように、その巨体から翠色の霊子が溢れ出ている。
「……あれも霊樹なのか?」
星斗はそんな疑問を抱きながら校舎の正面にバイクを駐め、センタースタンドを下げて亜依を抱いて降ろす。
「お父さん、あの大きな木、光っているね」
「ああ、普通の欅の木のはずなんだが……何でか知らないが光ってるな……」
星斗の記憶では普通の欅の木が生えてたはずである。
ここに来るまで、霊樹は沢山見てきた。
「霊樹は元人間だったものだよな……その霊樹から出ている翠色の光が霊子……」
立ち止まって星斗が何やら考察している。
「犬や鳥は霊樹になっていなかった……今までどおりの姿だ……猪と熊が巨大化してたけど……眼が翠色に光ってたな……何か関係があるのか?例外なのか?」
亜依が心配そうに星斗を見上げている。
「植物はどうか、霊樹以外の草花はいつもどおりだった……今のところそんな化け物には出会ってはいない……でも……」
それでも目の前の景色に、星斗の中の何かが警告を発する。
――植物だけ例外が無いと言えるのだろうか?――
あの大樹が暴れ回ると思うと、どうしようもない未来しか見えない。
「とりあえず、今は大丈夫かな?」
今はそんな兆しは無いらしい。
欅の木を見つめながら星斗は亜依に声をかける。
「あの欅が何もないうちに、みんなの所に行こう」
「うん。あれ……お父さん!あそこ!人が倒れてるよ!!」
「……人?」
嫌な予感がした。
この世界が変貌し、終末世界になってから出会った生きている人間は、亜衣とその母親のみ。
亜依は魂の状態で出会っていることから別に考えるとして、まともの形をした人には2人以外見ていない。
なのに亜依は、人が倒れていると言ったのだ。
(生きてるならいいんだが……霊樹に変わらないで倒れてる……嫌な予感がする……)
ゆっくりと欅の木から校庭へと目を向ける。
そこには確かに人が倒れていた。
(大人の……男性か?)
スーツを着た、男性と思しき人が確かに倒れている。
そして、動く気配はない。
周囲には誰もおらず、よく見ると校庭は何かが暴れたかのように荒れている。
更に周囲を確認すると、千切れ跳んだ霊樹の幹が散らばり、校庭に隅には車が転がっている。
ここで何かが起こったのだ。
(何が起きた……嫌な予感しかしないぞ……)
様々な現場を経験してきた星斗の”感”がそう訴える。
そして傍の亜依に目をやり、逡巡する。
「亜依、お父さんがちょっと様子を見てくるから、ここで待てるか?」
亜依には見せない方がいいかもしれない。
星斗はそう直感しここで待てるかと聞いてみる。
「えっ……でも……ちょっと怖い……かも……」
亜依も異様な雰囲気を感じたのか、星斗を見上げ制服の裾を掴んで離さない。
(この状況で置いていく方が酷か……)
亜依の目を見てすぐに考えを改める星斗。
「分かった、一緒に行こう。怖くなったらお父さんの後ろに居なさい」
「うん……」
小さく頷いて返事をする亜依。
2人はゆっくりと校庭に歩き出し、倒れている人の元に向かう。
要救助者だとしたらすぐにでも駆けつけなければならない状況だが、今は自分達の安全が第一優先である。
荒らされた校庭をゆっくりと進む。
(今のところ何もないか……)
怪しく光る欅の木や、校舎を警戒しながら歩みを進める。
やがて倒れている人がよく見える位置まで近付いた。
「ぁっ……」
亜依の小さな呟きが漏れる。
「――っ!亜依、お父さんの後ろに居なさい」
星斗もすぐに状況を把握し、亜依を背中の後ろに下げる。
そこには白いYシャツに真っ赤な染みを作り、四肢をだりと伸ばし、苦痛の表情のまま目を見開き倒れている5、60代の男性の姿が見えた。
一見して動きは見られない。星斗は亜依を庇いながらゆっくりと倒れた男性に近付いていく。
「亜依、辛かったらここで待っていなさい。お父さんはあの人を確認してくる」
「……大丈夫……お父さんの側に居る……」
「……分かった、辛かったらすぐに離れていいからな」
星斗は亜依を後ろに庇いながら、倒れた男の前まで辿り着く。
星斗は周囲を確認する。
やはり誰も居ない。
欅の木も相変わらず翠色の光を発しているが、特に変化の兆しはないようだ。
「ちょっと調べてみるから、亜依は周りを見ていて貰えるか?誰か人が居たら教えてほしい」
「……うん」
◇◇◇
亜依は倒れた男から目を離し、怪しく翠色の光を放つ欅の木を見上げる。見上げた先には若葉を茂らせた太い枝が幾本も枝分かれし、隙間から5月の青い空がのぞく。
微かな風に葉が揺れ、翠色の霊子の光をはらはらと降らしている。その霊子の粒も風に乗って揺れながら流され、やがて溶ける様に消えていく。
「うわぁ……」
非日常的な美しい光景。
亜依は今の今までビクビクしながら星斗の背中に隠れていたことを忘れて、見惚れてしまう。
「――ぁ、れ……」
亜依の目から涙が零れる。
何故自分が泣いているのか分からず、混乱する亜依。
手で涙を拭っている間も、欅の木から目が離せない。
美しいと思える光。でも何処か悲しいと思える光景。心の奥底に引っかかる何かが想起されようとするも、上手くいかない。
もどかしい気持ちを抱きながら、亜依は揺れる欅の木を見続ける。
「――あっ」
謎の感傷も静まり、父親に言われた周囲の確認をしようとした時、欅の木のある変化に気が付く。
「光が強くなったり……弱くなったりしてる……?生きてるの……?」
それはひどくゆっくりとした脈動の様であった。
霊子の光がゆっくりと明滅している事に気が付いたのだ。
「光を……吸収してる?」
更に、枝はから放出されているとばかり思っていた霊子の光は、脈動に合わせて欅の木に吸収されているようだった。
空中を漂う霊子の光を吸い寄せ、枝葉から取り込む。その際に零れた霊子の光が、あたかも霊子を吐き出しているかの様に見えていたのである。
「お父さん――」
亜依が星斗に声を掛けようと振り返ったが、その続きを紡ぐことはできなかった。
◇◇◇
亜依が倒れた男から目を離し、後ろを向いてくれた。
星斗も亜依が自分から離れたくない気持ちは分かったが、流石にこの状態を見せるのは憚られる。
「さて、失礼します」
倒れた男の横にしゃがみ、まずは生死の確認を始める。
恐らく、すでに事切れているだろうと予想できていても、決めつけるわけにはいかない。
「大丈夫ですか!返事できますか!」
救急法の要領で肩を叩きながら繰り返し声をかえる。
「意識なし」
案の定返答は無く、ただ身体が揺れるだけである。通常であれば周囲に助けを求め、119番通報やAEDを取りに行ってもらう。だがそんな人は周りに居ないことは分かっているし、119番通報も無駄だろう。
星斗はそのまま倒れた男の顔に耳を近付け、目線は胸部と腹部の動きを注視する。予想どおり息遣いもなく胸部も腹部も動いていない。
「呼吸無し、脈も無し。眼は……少し乾燥し始めてるな……」
ここで星斗は気道確保や胸部圧迫等の心肺蘇生法をすることを諦め、脈を取るため持っていた手首を離す。
「死亡状態と確認」
この段階で星斗は検視に移ることを決める。
検視の主な目的は、事件性の有無を確かめること、そして死因や身元を明らかにすることである。
(この人の死因は恐らく胸の傷だろうが……自殺もあり得ないか?いや、凶器がない……やはり他殺?何時、誰が、何のために……)
分からないことだらけだが、まずは基本の死体所見を確認することにする。
「っと、その前に……」
星斗はそう呟くと、その場を動かずじっくりと男の周りを観察し始める。
「引きずられた跡は無し……足を伸ばした跡だけか……」
周りに血痕も無く、移動された形跡も無い。
「足跡は……運動靴っぽいのと、革靴?校庭の真ん中に?」
星斗が見つけた足跡はブロック状の運動靴等に見られる紋様と、踵が別れた革靴の様な形状の足跡。
「この人は、運動靴か。よっと」
星斗は男の履いている靴底を確認し、ブロック状の紋様であることを確認する。
「この足跡はこの人のか……じゃあこっちは誰だ?」
そう言って足元の真っ直ぐ歩いて来ている革靴の足跡を見つめる。
「革靴を履く人物……教員か……学生?」
星斗はそう思い至り、2人の子供たちが高校へ履いていく靴を思い出す。
「ローファーの可能性も有るのか……最悪だな」
星斗は口元を押さえながら軽く天を仰ぐ。
生徒が教師を殺害してしまった可能性が出てきたことに、やるせない気持ちが沸き上がる。そ
れでもまだ可能性の段階であり、この男の検視を続けることにする。
「もうちょっと詳しく見たいけどな……でもなぁ……道具も無いし、素手で血に触る訳にいかないしな……」
どのような感染症が潜んでいるか分からない。
他人の血液に触れるということは、それだけで危険だ。
特に、死後間もない死体はその事を強く意識しなければならない。
腐敗が進行した死体であれば腐敗細菌の影響が強く、他の細菌等は活動を阻害される。またウイルスは自己増殖をすることができないため、生命活動が停止された腐乱死体では死滅するのみである。
「仕方ない……取り合えず硬直でも見てみるか」
星斗はまず男の左腕を持ち上げ肩関節を動かす、更に肘関節、手首、指関節と動かしていく。
「硬直は肩はまだないか……首と顎はどうだ……あぁ……少しきてるな……」
星斗が行っているのは死後硬直の確認である。
死後硬直とは、死後筋肉が一時弛緩した後、時間の経過とともに次第に収縮を始め、諸関節に硬直が起こり屈折が出来なくなる死体現象である。
基本的大人であれば死後2~3時間で現れ、顎や首から発現し、上肢、下肢へと降りていく。死後12時間程で指関節、その後に趾関節となり、24時間程度で解け始め、2日程で緩解する。
死者の年齢や体格、病状、死因、体勢、生前の筋肉量や運動量、或いは季節、外気温等の様々な要因よにより一概に言えるものではないが、死亡推定を考える上で参考となる。
「他の関節は……まだ出てないか。硬直的には死後3~4時間てところか。さて、顔面は……蒼白、顔面の負傷は無し、眼瞼は開、眼瞼結膜の血盈と溢血点はちょっと見れないけどまあいいか。角膜は透明……眼球は乳白色、瞳孔は正円、眼球結膜の血盈は軽かな、溢血点は無しっと」
星斗は素早く男の顔面所見を調べていく、本来であれば専用のピンセット等を使用して眼瞼の裏側(瞼の裏側)に発現する、血盈や溢血点を調べるのだが、道具もないので見える範囲の所見を調べる。
血盈とは、所謂充血或いは血管が破れて結膜下に出血した状態であり、「結膜下出血」呼ぶ。
溢血点とは、過度なうっ血によって毛細血管が破綻・出血し、それが肉眼的に認められたものであり、針尖大から大豆大まで様々な大きさがあり、それ以上を溢血班と呼んでいる。
溢血点は眼瞼結膜や眼球結膜、口唇粘膜等の皮膚が薄く、血管が浮かびやすい所によく発現するが、腕や脚等にも表れることがある。
特に、眼瞼結膜や、眼球結膜、口唇粘膜い発現する血盈や溢血点は急死或いは窒息死の所見として確認すべきところであり、首周りを見る限り絞殺や扼殺の所見は見られないことから、死因は胸の出血だろうと当たりをつける。
「やっぱり死因は胸の傷か……流石に触れないな……」
ワイシャツに広がる赤い滲みをじっくりと観察しながら、ある事に気が付く。
「以外に出血してないな、傷口も1箇所だけか……ワイシャツの刺入口の大きさは……3、4センチ位か。包丁より細い刃物かな?ん、そう言えば……」
ふと何かに気が付いた星斗は男の手を取り、掌や腕を繁々と観察していく。
「……防御創がない、抵抗してない?できなかった?」
防御創とは、刃物等で攻撃を受けた時、その身を守ろうとして手や腕で攻撃を受け止めた際にできる創傷である。
掌や指、前腕にあることが多いのだが、この男にはそれが無い。
「傷口は正中よりやや外側より、正面からの刺突であれば右利きか。それも躊躇いなく一撃で……それと……この傷跡の周りの変色は何だ……赤黒くなってる……ただの皮膚変色じゃないな、どちらかというと……腐敗?いや……」
腐敗とも取れる赤黒く変色した皮膚。
打撲等で皮膚が内出血をして皮膚変色することはあるが、目の前にあるのは傷口とその周囲の組織が赤黒く変色している。
触れば崩れてしましそうな程脆くなっているように見えた。
まるで見たことの無い所見だが、今はそこにばかり構っている暇はない。
1番の問題は、犯人がかなりの危険人物のようであることだろう。
「犯行があの声の前なのか、後なのか……時間的に微妙なところだけど……」
星斗が顔を上げて考え込む。
「――――――――」
何処からか人の声が聞こえてくる。
何を言っているのかは分からないが、それなりの大声で話しているように聞こえる。
「……何処からだ」
星斗は耳を澄ませ、声の聞こえた方角を確かめようとする。
「お父さん――」
背中越しから亜依に呼ばれ、星斗は亜依の方へと振り返る。
「ん、どうした?」
「ぁ……」
何かを言いかけて亜依が止まり、小さな呟きと共に星斗の後ろを見上げる。
星斗も釣られて振り返り、亜依の指差した方を見やる。
「――――――――――!!」
「――――!!」
先程より大きな喧噪が聞こえる。
星斗は目を凝らし、喧噪の聞こえる方角を見てみると、校舎の屋上で動く人影が見えた。
「お父さん、人が居る!」
亜依も気が付き、同じ人影が見えたようだ。
「――そうだな!行ってみよう!」
「うん」
2人が校舎に向かおうとしたその時、屋上の手摺を飛び越えて1つの影が飛び出す。
「はっ?!」
「――!!」
驚きの衝撃で声が漏れる星斗、余りの光景に声も出ない亜依。
飛び出した影は、人であった。
小柄で華奢な体格、肩まで伸びた髪が空に揺れる。
地面に背を向け、天を仰ぎ、スカートがたなびく。
制服を着たその後ろ姿は何処か見覚えがあった。
今朝、送り出した後ろ姿。
2人の子供たちの友人。
――躬羽玲――
「どうなってんだよ!!」
星斗が叫び声と共に走り出す。
まるでスローモーションのように空を舞う少女。
校舎までかなり距離がある、とても間に合うような距離ではない。それでも星斗は走る。目の前で人の命が散ろうとしているのだ、助けない理由はない。
爆発的な脚力で校庭の土を蹴り、玲の落下地点まで走り抜けようとする。だがやはり遠い。
「くっそ!!」
悪態をつく星斗。玲が空の滑空をやめ、重力に従い落下し始めようとしたその時、もう1つ影が空へと躍り出る。
その影は玲とは違い、自らの意思で手摺を蹴る。
加速した影は一気に玲までの距離を詰め、玲の手を取る。
「伊緒?!」
「亜依そろそろ学校に着くぞ」
「うん」
程なくして畑の中に大きな建物と大きな欅の木が見えてくる。
星斗が亜依に声をかける。
すぐに正門前に着き、星斗は亜依を乗せたままカブのセンタースタンドを下ろす。
ガタンと亜依ごと持ち上がり、亜依にそのまま待つ様に伝えた星斗は閉じられた正門を開けに歩き出す。
「いよっと!」
普段の癖で思いっきり重い鉄の門扉を横に引くが、星斗が思うよりもずっと軽く鉄の門扉が動き出す。
「うおっ、軽いな!」
余りにすんなり動いた事に驚きながら、時折ガタンガタンと音をたてて鉄製の門扉が開いていく。
建付けも悪く重いはずのなのだが、星斗は大した力を込めたつもりがない。
「んんん……やっぱり身体おかしいな……この辺は後で検証だな……とりあえず行くか」
門扉を開け、カブに戻った星斗はカブに跨って走り出す。
正門から見える先には校舎と校庭があり、ちょっとした林の小道を抜けていく。
「誰もいないのか……」
校舎からは霊樹の枝葉が青々と伸びているが、見える範囲に人は居ない。
星斗は不安になる心を押し留め、バイクの速度をあげる。
こんもりとした林を抜け、校舎と校庭が目に入る、校庭には大きな欅の木が1本生えており、外周には桜の木が植えられている。
まずに目に留まるのは大きな欅の木、入学式の時に見たこの学校のシンボルと言える大樹だ。
入学式の時の新緑よりも青々と葉っぱが茂っているのが見えるが。
「何か……光っている……?」
欅の木はその枝葉や幹を翠色に光らせていた。
まるで霊樹が霊子を生み出しているかのように、その巨体から翠色の霊子が溢れ出ている。
「……あれも霊樹なのか?」
星斗はそんな疑問を抱きながら校舎の正面にバイクを駐め、センタースタンドを下げて亜依を抱いて降ろす。
「お父さん、あの大きな木、光っているね」
「ああ、普通の欅の木のはずなんだが……何でか知らないが光ってるな……」
星斗の記憶では普通の欅の木が生えてたはずである。
ここに来るまで、霊樹は沢山見てきた。
「霊樹は元人間だったものだよな……その霊樹から出ている翠色の光が霊子……」
立ち止まって星斗が何やら考察している。
「犬や鳥は霊樹になっていなかった……今までどおりの姿だ……猪と熊が巨大化してたけど……眼が翠色に光ってたな……何か関係があるのか?例外なのか?」
亜依が心配そうに星斗を見上げている。
「植物はどうか、霊樹以外の草花はいつもどおりだった……今のところそんな化け物には出会ってはいない……でも……」
それでも目の前の景色に、星斗の中の何かが警告を発する。
――植物だけ例外が無いと言えるのだろうか?――
あの大樹が暴れ回ると思うと、どうしようもない未来しか見えない。
「とりあえず、今は大丈夫かな?」
今はそんな兆しは無いらしい。
欅の木を見つめながら星斗は亜依に声をかける。
「あの欅が何もないうちに、みんなの所に行こう」
「うん。あれ……お父さん!あそこ!人が倒れてるよ!!」
「……人?」
嫌な予感がした。
この世界が変貌し、終末世界になってから出会った生きている人間は、亜衣とその母親のみ。
亜依は魂の状態で出会っていることから別に考えるとして、まともの形をした人には2人以外見ていない。
なのに亜依は、人が倒れていると言ったのだ。
(生きてるならいいんだが……霊樹に変わらないで倒れてる……嫌な予感がする……)
ゆっくりと欅の木から校庭へと目を向ける。
そこには確かに人が倒れていた。
(大人の……男性か?)
スーツを着た、男性と思しき人が確かに倒れている。
そして、動く気配はない。
周囲には誰もおらず、よく見ると校庭は何かが暴れたかのように荒れている。
更に周囲を確認すると、千切れ跳んだ霊樹の幹が散らばり、校庭に隅には車が転がっている。
ここで何かが起こったのだ。
(何が起きた……嫌な予感しかしないぞ……)
様々な現場を経験してきた星斗の”感”がそう訴える。
そして傍の亜依に目をやり、逡巡する。
「亜依、お父さんがちょっと様子を見てくるから、ここで待てるか?」
亜依には見せない方がいいかもしれない。
星斗はそう直感しここで待てるかと聞いてみる。
「えっ……でも……ちょっと怖い……かも……」
亜依も異様な雰囲気を感じたのか、星斗を見上げ制服の裾を掴んで離さない。
(この状況で置いていく方が酷か……)
亜依の目を見てすぐに考えを改める星斗。
「分かった、一緒に行こう。怖くなったらお父さんの後ろに居なさい」
「うん……」
小さく頷いて返事をする亜依。
2人はゆっくりと校庭に歩き出し、倒れている人の元に向かう。
要救助者だとしたらすぐにでも駆けつけなければならない状況だが、今は自分達の安全が第一優先である。
荒らされた校庭をゆっくりと進む。
(今のところ何もないか……)
怪しく光る欅の木や、校舎を警戒しながら歩みを進める。
やがて倒れている人がよく見える位置まで近付いた。
「ぁっ……」
亜依の小さな呟きが漏れる。
「――っ!亜依、お父さんの後ろに居なさい」
星斗もすぐに状況を把握し、亜依を背中の後ろに下げる。
そこには白いYシャツに真っ赤な染みを作り、四肢をだりと伸ばし、苦痛の表情のまま目を見開き倒れている5、60代の男性の姿が見えた。
一見して動きは見られない。星斗は亜依を庇いながらゆっくりと倒れた男性に近付いていく。
「亜依、辛かったらここで待っていなさい。お父さんはあの人を確認してくる」
「……大丈夫……お父さんの側に居る……」
「……分かった、辛かったらすぐに離れていいからな」
星斗は亜依を後ろに庇いながら、倒れた男の前まで辿り着く。
星斗は周囲を確認する。
やはり誰も居ない。
欅の木も相変わらず翠色の光を発しているが、特に変化の兆しはないようだ。
「ちょっと調べてみるから、亜依は周りを見ていて貰えるか?誰か人が居たら教えてほしい」
「……うん」
◇◇◇
亜依は倒れた男から目を離し、怪しく翠色の光を放つ欅の木を見上げる。見上げた先には若葉を茂らせた太い枝が幾本も枝分かれし、隙間から5月の青い空がのぞく。
微かな風に葉が揺れ、翠色の霊子の光をはらはらと降らしている。その霊子の粒も風に乗って揺れながら流され、やがて溶ける様に消えていく。
「うわぁ……」
非日常的な美しい光景。
亜依は今の今までビクビクしながら星斗の背中に隠れていたことを忘れて、見惚れてしまう。
「――ぁ、れ……」
亜依の目から涙が零れる。
何故自分が泣いているのか分からず、混乱する亜依。
手で涙を拭っている間も、欅の木から目が離せない。
美しいと思える光。でも何処か悲しいと思える光景。心の奥底に引っかかる何かが想起されようとするも、上手くいかない。
もどかしい気持ちを抱きながら、亜依は揺れる欅の木を見続ける。
「――あっ」
謎の感傷も静まり、父親に言われた周囲の確認をしようとした時、欅の木のある変化に気が付く。
「光が強くなったり……弱くなったりしてる……?生きてるの……?」
それはひどくゆっくりとした脈動の様であった。
霊子の光がゆっくりと明滅している事に気が付いたのだ。
「光を……吸収してる?」
更に、枝はから放出されているとばかり思っていた霊子の光は、脈動に合わせて欅の木に吸収されているようだった。
空中を漂う霊子の光を吸い寄せ、枝葉から取り込む。その際に零れた霊子の光が、あたかも霊子を吐き出しているかの様に見えていたのである。
「お父さん――」
亜依が星斗に声を掛けようと振り返ったが、その続きを紡ぐことはできなかった。
◇◇◇
亜依が倒れた男から目を離し、後ろを向いてくれた。
星斗も亜依が自分から離れたくない気持ちは分かったが、流石にこの状態を見せるのは憚られる。
「さて、失礼します」
倒れた男の横にしゃがみ、まずは生死の確認を始める。
恐らく、すでに事切れているだろうと予想できていても、決めつけるわけにはいかない。
「大丈夫ですか!返事できますか!」
救急法の要領で肩を叩きながら繰り返し声をかえる。
「意識なし」
案の定返答は無く、ただ身体が揺れるだけである。通常であれば周囲に助けを求め、119番通報やAEDを取りに行ってもらう。だがそんな人は周りに居ないことは分かっているし、119番通報も無駄だろう。
星斗はそのまま倒れた男の顔に耳を近付け、目線は胸部と腹部の動きを注視する。予想どおり息遣いもなく胸部も腹部も動いていない。
「呼吸無し、脈も無し。眼は……少し乾燥し始めてるな……」
ここで星斗は気道確保や胸部圧迫等の心肺蘇生法をすることを諦め、脈を取るため持っていた手首を離す。
「死亡状態と確認」
この段階で星斗は検視に移ることを決める。
検視の主な目的は、事件性の有無を確かめること、そして死因や身元を明らかにすることである。
(この人の死因は恐らく胸の傷だろうが……自殺もあり得ないか?いや、凶器がない……やはり他殺?何時、誰が、何のために……)
分からないことだらけだが、まずは基本の死体所見を確認することにする。
「っと、その前に……」
星斗はそう呟くと、その場を動かずじっくりと男の周りを観察し始める。
「引きずられた跡は無し……足を伸ばした跡だけか……」
周りに血痕も無く、移動された形跡も無い。
「足跡は……運動靴っぽいのと、革靴?校庭の真ん中に?」
星斗が見つけた足跡はブロック状の運動靴等に見られる紋様と、踵が別れた革靴の様な形状の足跡。
「この人は、運動靴か。よっと」
星斗は男の履いている靴底を確認し、ブロック状の紋様であることを確認する。
「この足跡はこの人のか……じゃあこっちは誰だ?」
そう言って足元の真っ直ぐ歩いて来ている革靴の足跡を見つめる。
「革靴を履く人物……教員か……学生?」
星斗はそう思い至り、2人の子供たちが高校へ履いていく靴を思い出す。
「ローファーの可能性も有るのか……最悪だな」
星斗は口元を押さえながら軽く天を仰ぐ。
生徒が教師を殺害してしまった可能性が出てきたことに、やるせない気持ちが沸き上がる。そ
れでもまだ可能性の段階であり、この男の検視を続けることにする。
「もうちょっと詳しく見たいけどな……でもなぁ……道具も無いし、素手で血に触る訳にいかないしな……」
どのような感染症が潜んでいるか分からない。
他人の血液に触れるということは、それだけで危険だ。
特に、死後間もない死体はその事を強く意識しなければならない。
腐敗が進行した死体であれば腐敗細菌の影響が強く、他の細菌等は活動を阻害される。またウイルスは自己増殖をすることができないため、生命活動が停止された腐乱死体では死滅するのみである。
「仕方ない……取り合えず硬直でも見てみるか」
星斗はまず男の左腕を持ち上げ肩関節を動かす、更に肘関節、手首、指関節と動かしていく。
「硬直は肩はまだないか……首と顎はどうだ……あぁ……少しきてるな……」
星斗が行っているのは死後硬直の確認である。
死後硬直とは、死後筋肉が一時弛緩した後、時間の経過とともに次第に収縮を始め、諸関節に硬直が起こり屈折が出来なくなる死体現象である。
基本的大人であれば死後2~3時間で現れ、顎や首から発現し、上肢、下肢へと降りていく。死後12時間程で指関節、その後に趾関節となり、24時間程度で解け始め、2日程で緩解する。
死者の年齢や体格、病状、死因、体勢、生前の筋肉量や運動量、或いは季節、外気温等の様々な要因よにより一概に言えるものではないが、死亡推定を考える上で参考となる。
「他の関節は……まだ出てないか。硬直的には死後3~4時間てところか。さて、顔面は……蒼白、顔面の負傷は無し、眼瞼は開、眼瞼結膜の血盈と溢血点はちょっと見れないけどまあいいか。角膜は透明……眼球は乳白色、瞳孔は正円、眼球結膜の血盈は軽かな、溢血点は無しっと」
星斗は素早く男の顔面所見を調べていく、本来であれば専用のピンセット等を使用して眼瞼の裏側(瞼の裏側)に発現する、血盈や溢血点を調べるのだが、道具もないので見える範囲の所見を調べる。
血盈とは、所謂充血或いは血管が破れて結膜下に出血した状態であり、「結膜下出血」呼ぶ。
溢血点とは、過度なうっ血によって毛細血管が破綻・出血し、それが肉眼的に認められたものであり、針尖大から大豆大まで様々な大きさがあり、それ以上を溢血班と呼んでいる。
溢血点は眼瞼結膜や眼球結膜、口唇粘膜等の皮膚が薄く、血管が浮かびやすい所によく発現するが、腕や脚等にも表れることがある。
特に、眼瞼結膜や、眼球結膜、口唇粘膜い発現する血盈や溢血点は急死或いは窒息死の所見として確認すべきところであり、首周りを見る限り絞殺や扼殺の所見は見られないことから、死因は胸の出血だろうと当たりをつける。
「やっぱり死因は胸の傷か……流石に触れないな……」
ワイシャツに広がる赤い滲みをじっくりと観察しながら、ある事に気が付く。
「以外に出血してないな、傷口も1箇所だけか……ワイシャツの刺入口の大きさは……3、4センチ位か。包丁より細い刃物かな?ん、そう言えば……」
ふと何かに気が付いた星斗は男の手を取り、掌や腕を繁々と観察していく。
「……防御創がない、抵抗してない?できなかった?」
防御創とは、刃物等で攻撃を受けた時、その身を守ろうとして手や腕で攻撃を受け止めた際にできる創傷である。
掌や指、前腕にあることが多いのだが、この男にはそれが無い。
「傷口は正中よりやや外側より、正面からの刺突であれば右利きか。それも躊躇いなく一撃で……それと……この傷跡の周りの変色は何だ……赤黒くなってる……ただの皮膚変色じゃないな、どちらかというと……腐敗?いや……」
腐敗とも取れる赤黒く変色した皮膚。
打撲等で皮膚が内出血をして皮膚変色することはあるが、目の前にあるのは傷口とその周囲の組織が赤黒く変色している。
触れば崩れてしましそうな程脆くなっているように見えた。
まるで見たことの無い所見だが、今はそこにばかり構っている暇はない。
1番の問題は、犯人がかなりの危険人物のようであることだろう。
「犯行があの声の前なのか、後なのか……時間的に微妙なところだけど……」
星斗が顔を上げて考え込む。
「――――――――」
何処からか人の声が聞こえてくる。
何を言っているのかは分からないが、それなりの大声で話しているように聞こえる。
「……何処からだ」
星斗は耳を澄ませ、声の聞こえた方角を確かめようとする。
「お父さん――」
背中越しから亜依に呼ばれ、星斗は亜依の方へと振り返る。
「ん、どうした?」
「ぁ……」
何かを言いかけて亜依が止まり、小さな呟きと共に星斗の後ろを見上げる。
星斗も釣られて振り返り、亜依の指差した方を見やる。
「――――――――――!!」
「――――!!」
先程より大きな喧噪が聞こえる。
星斗は目を凝らし、喧噪の聞こえる方角を見てみると、校舎の屋上で動く人影が見えた。
「お父さん、人が居る!」
亜依も気が付き、同じ人影が見えたようだ。
「――そうだな!行ってみよう!」
「うん」
2人が校舎に向かおうとしたその時、屋上の手摺を飛び越えて1つの影が飛び出す。
「はっ?!」
「――!!」
驚きの衝撃で声が漏れる星斗、余りの光景に声も出ない亜依。
飛び出した影は、人であった。
小柄で華奢な体格、肩まで伸びた髪が空に揺れる。
地面に背を向け、天を仰ぎ、スカートがたなびく。
制服を着たその後ろ姿は何処か見覚えがあった。
今朝、送り出した後ろ姿。
2人の子供たちの友人。
――躬羽玲――
「どうなってんだよ!!」
星斗が叫び声と共に走り出す。
まるでスローモーションのように空を舞う少女。
校舎までかなり距離がある、とても間に合うような距離ではない。それでも星斗は走る。目の前で人の命が散ろうとしているのだ、助けない理由はない。
爆発的な脚力で校庭の土を蹴り、玲の落下地点まで走り抜けようとする。だがやはり遠い。
「くっそ!!」
悪態をつく星斗。玲が空の滑空をやめ、重力に従い落下し始めようとしたその時、もう1つ影が空へと躍り出る。
その影は玲とは違い、自らの意思で手摺を蹴る。
加速した影は一気に玲までの距離を詰め、玲の手を取る。
「伊緒?!」
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