暁の世界、願いの果て

蒼烏

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第1章 沈む世界

第11話 再会

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「色々聞きたいことはあるんだけども……まずは」

 星斗へゆっくりと立ち上がり、母親の元へ向かう。
 脈と呼吸を確認し、両手を合わせる。

「娘さんの身体、お借りします。2人の魂、いつか……必ず取り返します」

 母親の身体を横たえ、両手を胸の前で組む。

「亜依、もう1人の亜衣の家、分かるか?」
「……うん、分かる……この子の記憶もあるよ」

 亜依肉体の依代となった亜衣の記憶は脳内に残っているようだ。
 それは両親と一緒に過ごした記憶、幼稚園で友達と楽しく遊ぶ記憶、母親を心配し助けようとする記憶、亜依と遊んでみたかった、友達になりたかったという記憶。
 自分の記憶のはずなのに、何処か遠い記憶。まるでモニター越しに映像を見ている様だ。それでも、その時の感情が呼び起こされる。亜衣が生きた記憶。
 
「……そうか……せめて家に返してやりたいな……家は近いか?」
「すぐそこだよ」

 亜依が林の外を指差す。
 
「分かった、案内して貰えるか?」
「うん、着いてきて」

 母親を一旦その場に置いていき、亜依の案内で林を抜けていく2人。
 林の入り口に置かれたカブの所まで戻り、歩道に出て亜依が指を差す。

「あそこに見えるお家がそうだよ」

 そこは畑の中に建つ昔ながらの農家の家と、その敷地内に建つ今風の新しい住宅であった。
 ここからの距離は2、300メートルといったところだろうか。

「亜依、これからあの子のお母さんを家まで運ぶから、ちょっと手伝ってくれないか?」
「うん、わかった」

 亜衣の声色が一瞬上がるもすぐに固くなった。その表情は父親からお願いされた喜びと、自身のもう1人の母親の遺体を運ぶという、亜衣の記憶に引っ張られる辛さとが入り混じった複雑な表情になっていた。
 星斗もそんな亜依の様子に気が付き”しまった”という表情となる。警察官として普段から遺体と接する機会があり「人の死」に鈍感になってしまっている。自分の家族とは違い、云わば他人の「死」は日常なのである。
 その事を失念し、あろうことか自分の娘に、しかも亜依の中に居る亜衣の母親の遺体を運ぶ手伝いをさせようとしたのである。

「……ごめんね、辛いことを頼んじゃったね……場所は分かったから後は……」
「大丈夫!お手伝いできるから!お母さん、お家に帰してあげたいから……」
「……あぁ……そうしよう」

 星斗は防刃衣と上着を脱ぎ、カブの荷箱に仕舞う。中に着ていたTシャツ1枚の格好になり、母親の所まで戻る。
 母親に再度、手を合わせてから上半身を起こし、亜依に手伝って貰いながら背負っていく。
 大量の出血に亜依は目を逸らしてしまう、それも仕方のない事だろう、その様な場面に遭遇する事などそうそう無いのだ。まして、子供が母親の遺体を運ぶなどと言う場面など皆無だろう。

「亜依、辛かったら先に家に行って待ってていいぞ、無理するな」
「……うん、でも頑張る」
「……そうか、じゃあ立ち上がるから倒れないように押さえてくれ」

 ぬるりとした血液の感触、まだ温かく先程まで生きていた証を感じる。意識のない人間は普段より重く感じる。それでも母親の体格が小柄な事もあり重くは感じない。

(いや、それでも妙に軽く感じる……これは俺の身体が変化しているのか……)

 林の中を落ち葉を踏みしめながらゆっくりと歩き出す。
 亜依が心配そうに後ろから支えて着いてくる。
 林を抜け報道を進む、途中何度か背負い直しながら歩みを進める。
 道中に会話は無い。
 何か話そうと思うも、何を話せばいいか分からなくなる。
 突然、生まれてくる前に亡くなったはずの次女が目の前に現れたのである、それも目の前で助けられなかった少女の身体で。

(色々聞きたいことはあるんだけど……何て聞いたらいいのやら……まずはこの人を家に帰してあげなとか……)

 亜依もまた父親と話をしたい衝動と、母親を亡くした衝撃に感情の整理がつかない状態となっていた。
 混じり合う記憶、そこには亜衣の感情も入り混じる。他人の記憶だが、それは確固たる自分の記憶として脳が認識する。

(お父さんに会えた……でもお母さんが……でもお母さんは……)
 
 巡る思考はぐるぐると周回し結論を出せずにいる。
 無言の2人の間を5月の風が吹き抜ける、初夏を思わせる暑い陽射しが照りつけ、軽く汗ばむ肌を撫でる。
 それでも、そんな不快を感じずにいるのは使命を帯びているからなのか。

「お家着いたよ、こっちの新しいお家がそうだよ」

 お互いの思考が巡っている間に無事運び切れたようだ。
 亜依が新しい戸建てを指差して家を案内する。

「分かった、玄関開けて貰えるか?」
「うん、あ、鍵開いてる」

 余程慌てていたのだろう、玄関の鍵はかかっておらず扉が開く。都市部ならいざ知らず、ここいら農村部のお宅は玄関に鍵をかけないで出かけてしまう人がまま居る。

(今回は助かったな……)

 玄関に入り靴を脱ぐ、亜依が母親の靴も脱がせてくれる。

「ありがとう、リビングはどっちだ?」

 作りは最近の戸建てであり、亜依が玄関を入ってすぐの扉を開け案内する。

「こっちだよ」
「お邪魔します」

 入った部屋はLDKとなっており、陽の当たる部屋にはソファやテレビ、そしてダイニングテーブルが置かれている。今時の綺麗で暖かい家庭の一室。

「……お父さん……」
「……これは……」

 そこには亜衣の霊樹が一本生えていた。
 ソファの前のテーブルにはカップが2つ、ソファに座りコーヒーを飲みながらテレビでも見ていたのだろうか。たまの休日、妻と一緒のひと時を過ごしていた跡が見てとれる。

「……亜依、大丈夫か?外にいてもいいんだぞ」
「……お父さん」

 亜依の目から涙が溢れる。
 それでも亜依は首横に振り、外には行かないと意思表示する。

「……じゃあタオルと洗面器用意できるか?」
「うん……」

 星斗は母親をフローリングの上に横たえる。

「――ふぅ、何とか着いたな」
「お父さん、これでいい?」

 亜依がタオルと洗面器をお風呂場から持ってきてくれた。

「ありがとう、そしたら亜依はお母さんの服持ってこれるか?このままじゃ……可哀想だからな」
「分かった、何でもいい?」
「そうだな……お母さんの好きだった服、分かるか?」
「多分、大丈夫」
「じゃあ、それを持ってきてく」

 亜依が服を探しに行く。

「奥さんと娘さんを助ける事ができず、申し訳ありませんでした。加えて娘さんの身体を家の娘がお借りしています」
 
 星斗は母親と父親の霊樹に深々と頭を下げ、謝罪を口にする。
 聞く人は誰も居ないのは分かっているが、己のケジメのために頭を下げる。

「これから奥さんの身体を清めますので少々お待ちください」

 星斗は亜依から預かった洗面器を手に取り、台所で水をくみ、タオルを硬く絞る。
 母親の所まで運び、改めて頭を下げる。

「失礼します」

 タオルで汚れた顔を拭っていく。丁寧に泥や血液を拭き取り、生前の姿に近付けていく。
 服を脱がせて身体の汚れも同様に拭き取る。そして否が応でも目につく、腹部に空いた穴。巨大な熊の爪で貫かれた傷は深く、大きく内臓を抉っていた。

「……辛かったでしょう」

 そう声をかけ、傷口を拭う。林の中で血液は殆ど出てしまったのだろうか、この場で大きく出血はしないが、拭いても拭いてもまた滲んでしまう。
 そこに
 亜依が服を持って降りてくる。

「――お父さん、これでいいかな……お父さん、何を……」
「あぁ、ありがとう。そこに置いておいてくれ。今お母さんの身体を綺麗にしてるところだ。亜依もう何枚かタオル貰えるか?バスタオルも頼む」
「う、うん。分かった」

 亜依が用意したタオルを傷口に詰めて塞ぐ、更にバスタオルで巻き、亜依から受け取った服を着せていく。
 検視の仕事でもやる作業。ご遺体を検視し、事件性を見極め、問題がなければ綺麗にしてお返しする。
 自宅で亡くなると警察が呼ばれ、事件性の判断をする。病院に運ばれても医師が明らかな病死として死亡診断書を書く場合を除き、死因が不明な場合や不審な場合は医師法21条の規定により警察に通報される。
 その際、死亡場所や関係先として自宅を確認したりするが、ご遺体が自宅にある場合、そのまま遺族に引き渡されたりする。
 星斗は遺族にご遺体を渡す際、なるべく綺麗に整え、汚れた服は着替えがあるならば着替えさてから引き渡すように習ってきた。それがご遺体とご遺族に対する精一杯の誠意だと。

「よし、綺麗になった。本職の人のエンバーミングには遠く及ばないけど、今はこれで勘弁してください」

 綺麗になった服、青白い肌、生気を感じられない口元、開かない瞼。
 それでもなお、最後まで我が子を守った母の姿は美しく見えた。

「お父さん、ありがとう」
「どういたしまして」

 亜依の謝意に心から答える星斗。

「さて、辛いがご遺体をこのままって訳には行かないよな……」

 火葬はできそうもないため、穴を掘って土葬するしかないかと思案していると、辺りを漂っていた翠色の霊子がふわりふわりと母親の周りに集まってくる。

「お父さん……あの子のお父さんが……」
「……霊子を注いでいる?」

 霊樹になってしまった父親が発している霊子が母親の身体を包み込み、身体の内へ流れ込んでいく。
 もう、いくら霊子を注ぎ込んでも生き返る事はないだろう。それでも霊子はゆっくりと注ぎ込まれ続ける。

「お父さんがお母さんを護ってるみたい」
「貴方は意思があるのですか?私の言葉が分かりますか?」

 星斗の問いかけに霊樹は何も反応しない、霊子は乱れる事も澱むこともなく流れる。
 一縷いちるの希望も答える人は誰も居らず、その問いは只虚しく響くのみであった。
 母親の肌が僅かに生気を帯びる。ご遺体は普通、血流がなくなり、体液は地面に向かって降下する。その為、ご遺体の上面は体液が無くなり血色が悪くなるのだが、母親の中に霊子が流れ込ま、細胞1つ1つに霊子が行き渡り細胞を維持しているかの様だ。

「離れたくないんですね……」
「お父さんとお母さん、とっても仲良かったよ」

 亜依の言葉に、星斗は妻の美夏の事を思い出す。

「お母さんはお父さんの隣に座らせてあげようか」
「うん!そうだね!いつもそこに座ってたよ!」

 嬉しそうに答える亜依。その笑顔は心からそう思っているのだろう、屈託のない笑みに自然と星斗の表情も緩む。

「亜依、手伝ってくれ」
「うん!」

 綺麗になった母親を抱え、ソファへと移動させる。
 そっとソファへと降ろし、霊樹と化した父親へ寄り添わせるように座らせる。
 霊樹から発せられる霊子は母親を追うように舞い散る。
 父親にもたれ掛かる母親、その母親を包み込む様に霊子が覆う。その姿は妻を優しく掻き抱く夫の姿であった。

「このままでもお父さんがお母さんを護ってくれるな」
「うん」

 寄り添う2人を見ながら、2人は頷き合う。

「あ、所で、洗面所借りていいかな?Tシャツ洗いたいな……」
「いいよ、こっち来て」

 亜依に案内され洗面所でTシャツを洗う星斗。

(今日の日差しならすぐに乾きそうだな)
「亜依も必要な物があれば、持っていけるように用意しておいてくれないか?これからお前のお兄ちゃんとお姉ちゃんの所に行かなきゃいけないから」
「分かった、カバンとか持っていっていい?」
「ああ、いいぞ」

 バシャバシャとTシャツを洗い、キツく絞る。
 水に色が付かなくなった事を確認して着込む。元々紺色鑑識シャツを着ていた為、血液の色は目立たない。

「鑑識シャツ買っといて正解だな、速乾で助かる」
(そう言えば……亜依は伊緒いお真理まりの所に行くって言っても特に何も言わなかったな……知ってるのか?)

 落ち着いた所でふと思い浮かぶ疑問。

(亜依は初めから俺の事が分かっていたみたいだし、言葉も達者だ、そもそも本当に俺の娘の亜依なのか?)

 湧き上がる疑問、当然の帰結。亜依は星斗の次女として子供である。
 つまり出会った事は無いのである。お互いの事を知る由もない筈なのに、亜依は星斗の事を
 一体何処で知ったのか、
 疑問の連鎖から抜け出せなくなり、思考に沈む星斗。
 そこへ準備を終えた亜依が2階から降りてくる。
 その背中には小さなカバンが背負われており、首にはその幼さと似つかわしくない、細かな意匠の施された2つの指輪が通ったネックレスを付けていた。

「必要な物は準備できたかな、可愛らしいカバンと、また随分と大人っぽいネックレスだな」
「このカバンはね、お気に入りのやつなの。身体が大きくなったから小さく見えるけどね」

 確かに亜依の体は急激に成長しており、幼稚園児の差背負う物を小学校中学年位の子供が背負えば、ミニバッグを背負っている様に見える。

「良いんじゃないか、おしゃれで可愛いよ」
「えへへ。このネックレスはね、あの子がお父さんとお母さんにおねだりして貰ったものなの。昔、お父さんとお母さんが使ってた指輪なんだって」

 照れながら答える亜依。
 亜依は大事そうに首から下げた指輪を触りながら、父親と母親を見つめる。
 
「亜依、2人に挨拶していくか?」

 星斗は両親への挨拶を促すが、亜依は首を横に振る。

「お父さんとお母さん、いつもああやってラブラブなんだよね~、邪魔できないかな」

 悪戯っぽい笑みを浮かべ、星斗に答える亜依。

「だから、ここからでいいかな」

 スッと表情を引き締めて両親に向き直る亜依。
 
「お父さん、お母さん行ってきます」

 そっと手を振り、背を向けて外へ駆け出す。
 星斗も両親に向き直り、頭を下げる。

「娘さんの身体、お預かりします」

 星斗も亜依を追いかけて玄関の外に出る。そこには顔をくしゃくしゃにしながら涙を流す亜依の姿があった。

「よく、我慢したな」

 亜依の頭をポンと掌を置き、両親に笑顔だけを向けた心がけを褒める。

「あ゛たし、には、おどうさんが、い゛るから、でも゛、あ゛のごには、もう、い゛ない゛から、あ゛たしが、あ゛のごの、ぶんまで、がんばらないどい゛げない、から……」

 星斗にしがみつき、泣きじゃくる亜依。亜衣の人生の記憶を持つ亜依にとって、父親と母親は2人ずついる事になる。
 亜衣の言えなかったこと、できなかったことを亜依は必死に再現しようとしている。

(それじゃあ……亜依は"亜衣"を演じるだけの存在になってしまう……その為に帰ってきた訳じゃないだろう……)

 星斗の心の何処かで、亜依を疑う想いと、亜依を信じたい想いが交錯する。
 星斗は泣きじゃくる亜依を見下ろし、抱きしめられずにいる。
 
(俺は……この子に何を求めているんだ……本当の娘じゃ無かったら、どうするって言うんだ)

 先刻、自分の中に浮かんだ感情を恥じる星斗。
 
(……会ったこともない父親の所に来て、言葉も喋ることもできず、自分の身も顧みず、自分の全てを投げ打って、俺や亜衣達を助けようとしたこの子の想いを、信じられないのか!)

 星斗の両腕がいつの間にか、儚げで、いつの間にか幻の様に消えてしまいそうな、亜依という存在を大事そうに抱きしめていた。

(この子が誰であろうと、俺が”亜依”と名付けた俺の娘だ!)
 
 そこで1つの覚悟を決める星斗。
 亜依が自身の次女なのか、否か。そんなことは些細な事でしかない。唯一、今、大切な事は、目の前で泣いている娘を抱きしめること。

 幾許いくばくかの時間、星斗は自分の娘を抱きしめ、只泣き止むのを待つ。
 やがて星斗の腕の中で落ち着いたのか、亜依が泣き止んで星斗に顔を埋める。

 「……気が済んだかな?お嬢さん」
 「――むぅ、こっちのお父さんはいじわる」
 「泣く子をあやすのが、親の役目だからな」
 
 膨れっ面に涙目で抗議する娘に星斗は父親の余裕で答える。

 「……いいもん、もう泣かないもん」
 「いつでも泣きたい時に泣きなさい、亜依が1人で悩む事はない。お前のお父さんは、ここにいるんだから」
 「……お父さんのバカ!もうお母さんが言ってたとおりだよ!――でも、ありがとう。あたしはあの子と一緒に生きるの!」
 「……亜依……今、何て……お母さん……?」
 
 星斗の声が上擦うわずる。あの日の美夏の顔が蘇る。

 「そうだよ!お父さんの話はね、沢山聞いてたの!お母さんはねお父さんの話をしていると、とっても嬉しそうなんだよ!」

 との想い出を満面の笑みで、嬉しそうに星斗に話す亜依。
 それを信じられないものを見るかの様に見つめ返す星斗。
 星斗は恐る恐る亜依に問いかける。

 「……亜依……お母さんは、何処にいるんだ?」

 星斗の問にハタと気が付き、空を指さし答える亜依。

 「そっか、何で忘れてたんだろう……お母さんは向こう側にいるよ。それで、お父さん!お母さん達を助けてあげて!」
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