暁の世界、願いの果て

蒼烏

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第1章 沈む世界

第4話 2人

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 暫し光の玉と戯れた後、軋む体をなんとか起こし立ち上がり、折れた警棒を回収しながら、巨大猪の亡骸を改めて観察する。

「化け物だな……」

 普通ではあり得ない大きさ、そして怪しく翠色に光る目。その時の光景を思い出しながら亡骸を観察していく。

「眉間はしっかり命中しているな」

 1センチメートルにも満たない小さな銃槍をから血が滲み出ている。
 硬そうな皮膚の下には、更に硬い頭蓋骨がある筈だが、綺麗に撃ち抜いている。

「よく跳弾しなかったなこれ」

 銃弾は硬い物に当たると角度次第では跳弾してしまうため、普通頭は狙わない。そもそも警察官は被疑者確保のために拳銃を使用するのであって、最初から殺すつもりで狙っていない。また、的も小さいことから、当てやすい体を狙うのが通常である。
 
「この辺りを狙ったんだけどな……」

 ゴソゴソと巨大猪の首筋から体にかけての部位を観察する星斗。ある筈の傷がない。3発もの銃撃を受けても血の一滴も付いていないのだ。

「この体毛じゃあ探しようがないか……」

 光の玉が興味深そうに星斗の手元を覗き込む様にフワフワと浮いている。

「これはな、銃槍を探してるんだ。あの時、銃弾を弾かれた気がしたからね」

 光の玉に説明しながらゴワゴワと硬い体毛を掻き分ける。
 銃槍の射入痕は思いのほか、小さく目立たない。眉間の部分などの体毛が薄く、肉や皮も薄い部分ならわかりやすい。だが体毛が濃く肉も皮も厚い場所では、例え射入痕があったとしても、抜けた場所に周囲の肉と皮が寄って見にくくなるのだ。ましてなんてものは聞いたこともない。
 鑑識係の野澤係長から教わった知識で、体毛の中の痕跡を探すが、見つけることができず捜索は断念する。
 1階の昇降口まで移動し、3発銃弾を放った場所を確認すると、そこには潰れた弾丸3発が落ちていた。

「あり得ないな……」

 通常、硬いコンクリートや金属にぶつかった弾丸は跳弾し、室内であれば柔らかい壁などに着弾してめり込んでいるか、離れた場所に飛んでいっている場合が多く、捜索に膨大な時間を費やすものだが。
 それはまとまって3発落ちていたのである、まるで柔らかく弾力があり、それでいて拳銃の弾すら通さない皮膚に衝撃を吸収されたが如く。

「普通じゃない状況に、更に化け物みたいな猪まで現れるとか、一体どうなっちまったんだ、この世界は」

(それに、この光の玉。そして巨大猪に喰らわせた翠と深紅の弾丸……)

 あり得ないことだらけの中で、自分自身に起こったあり得ない現象。まるで自身の想いに反応して作られたかのように掌に現れた翠と深紅の弾丸。
 薬莢は消えてなくなり、銃弾をも弾く巨大猪の一番硬い頭蓋骨を易々と貫通し、あの巨体を一撃で倒したもの。
 自身の身に何が起きているのだろうかと、落ちている弾丸を手にあり得ないことだらけの現状を思案するが、何も分からず解決しない。

「取り合えず、一旦駐在所に戻るか」

 落ちていた制帽を拾い上げながら、一度駐在所に戻ってテレビやラジオ、パソコン等で現状を確認することにする。

「――痛って」

 制帽を被り直しながら、額に擦り傷があることに気がつく。

(あれだけ吹っ飛ばされて、擦り傷だけ?)

 そう思い返し、体を確認する。壁に打ち付けられたり、巨大猪に轢かれたりしているのに、出血や怪我らしい怪我は見当たらない。
 あるのは額の擦り傷と右腕の痛み、あと口の中を切ったくらいか。

(どれも猪の鼻で吹き飛ばされた時の怪我だな。それにしては軽い怪我だけど)

 防刃衣を摩りながら、ふと違和感に気がつく、鉄板が曲がってしまっている。防刃衣の鉄板はそれほど分厚い物でもなく、まして銃弾を弾けるほど丈夫でも無い、幾つものプレートを貼り合わせたような形状の、本当に刃物を防ぐだけの物だ。
 それでもあの衝撃でベッコリ凹んでいることから、衝撃の凄まじさが分かる。それに頭をコンクリートに強打しているのに、出血どころか腫脹しゅちょうの1つもない。痛かったが。

「……本当……どうなってるんだか……」
 
 カブまで戻りヘルメットに被り直して駐在所を目指す、大した距離もないのであっという間到着する。
 いつもと変わらない七元駐在所、怪しげな翠の光も見えない。子供達は送り出し誰も居ないから当然と言えば当然だが。
 その日常の風景が、今はとても貴重で心休まる。

「まだ冷蔵庫は冷えてるんだな……まだ電気は生きてるってことか」

 事務室の裏で冷やしていたエナジードリンクを飲みながら、まだ電気が使えることを確認する。
 光の玉は物珍しそうにふわふわと事務室を飛び回っている。
 
「お前も何か飲むか?」

 光の玉に飲み物を勧める星斗。完全に人と接するのと同じになってきている。
 ふるふる横に震えて否定の意思を表解する光の玉。

「俺はちょっと作業してくるから、適当に見ていていいからな」

 上下に揺れ、肯定の意思を表現する光の玉。

「テレビは映るのかな、取り合えずニュースか生放送をやってそうなところ――」

 住居の居間に上がり、テレビを付けてみる。そこには衝撃の光景が広がっていた。

「何を映しているんだ……」

 映し出されたのは「国会中継」であった、そこでは本来国会議事堂で国会審議の生中継が映し出されている筈だったのだが、映っていたのは霊樹に埋まってしまった議場だけであった。声1つ聞こえず、動くものは何もない。まるで静止画の様だった。
 他のチャンネルに回す。午前中のワイドショー番組は司会席に霊樹が生えている画を延々と流し続けていた。録画の番組を流している所はそのままなのだろう、あるいは映像すら映らなくなっているチャンネルもあった。
 この様な非常事態に臨時ニュースが1つもないことは、まさしく異常である。

「……これは、日本中が……」

 ラジオも確認する、映像すら確認できないため、周波数は合っている筈だが雑音しか聞こえてこない。

「そうだ、インターネットはどうだ」

 すぐさま自宅のパソコンを起動、それとスマートフォンも開きリアルタイムで多数の人々が呟き合うアプリを開く。

「ネット自体はまだ繋がるな、ニュースは何にも出てこないけど……」

 幾つかのサイトを確認するも、それらしい記事は見つからない。

「こういう時は"Z"の方が早いんだよな」

 検索をスマホに切り替えてアプリを起動する。
 世界中の人が使用している呟きアプリを開き、更新されるか試してみる。

「一応おすすめは更新されるな……サーバーは生きてる?」

 更に、最新の呟きがあるかも確認してみる。

「――何か検索ワードを……」

 暫く検索をかけてみるも、芳しい結果は得られない。

「――【たすけて】とかどうだ――!――」

 1つの呟きが引っかかる。

『だれかたすけてクラスのみんな気になりなっちゃつただれかいない』

 呟きは30分ほど前のものだ。明らかにこの世界に異変が起きてからの情報発信。
 星斗は普段自ら呟いたり信したりしないのだが、これは接触を測った方がいいと判断。呟きに返信を書き込んでいく。
 DMダイレクトメールという手も考えられるが、複数の人の目に留まってほしいので敢えて返信のする。

『こちら埼玉、私以外生存者居ません。返事ができるようであれば返信をください』

 すぐに返信は無いだろうと、他の書き込みを探す。

「英語なら何とか……」

 検索しようにも英語くらいしか分からない。そもそも世界的にみて"Z"はそこまで利用者がいるわけでは無い、日本では利用者が多いので、星斗もROM専でアカウントを作っている。
 幾つかのワードで検索をかけていくと、何人かの呟きが引っかかる。

「まだ生きてる人はいるんだ……」

 たった数時間、人と会話していないだけ。普段の生活なら大いにあり得ること。
 しかし今こんな状況になってしまうと、急激に人恋しくなってくる。
 
 生きている人がいる。
 
 それが分かっただけで、どれだけ心強いことか。
 星斗はできる限り返信を書き込んでいく。
 いつまで電気が供給されるのか、いつまで通信ができるのか、なんの保証もない中でお互いの希望になればいい。そう思いながら海外の呟きに返信を書き込む。

「――これは」

 そんな中、ふと目に留まったのは、複数の言語で呟かれたもの。その中に日本語も含まれていた。

『私は生きている、しかし絶望していない。もしあなたが生きているなら、立って前を向いて歩いて。あなたにはその力があるから』

 有名な漫画の言葉を引用したその呟きは、翻訳なのか多少日本語が分かるのか英文と併記されている。
 プロフィールを確認すると、どうやらイギリスからのようだ。アニメのアイコンが目を引く。
 遥か遠い国で日本文化が好きで、日本語が分かるかもしれない人へ返信をしていく。

『日本でも生きている人がいます。きっといつか貴方に出会える事を願っています。私は先に行っています、だから貴方も追いついて来てください』

 同じ作品の言葉を使って返信してみる。顔も名前も分からない異国の他人だが、同じ作品を好きなもの同士のオタクっぽいやり取り。
 ふっと全身の力が抜ける。

「――今のうちに伊緒と真理に連絡してみるか」

 ちょっとしたやり取りが星斗の頭の中を一旦リセットさせてくれた。
 職務を優先したが、家族の安否を疎かにする訳にはいか。そう思い至り、子供達に電話をかけてみる。がしかし、呼び出し音は鳴るものの、一向に電話に出る気配がない。
 双子の携帯電話が駄目ならと「耶蘇光やそひかる」へと電話をかける。
 光は星斗の友人であり、双子の通う高校の教員でもある。
 だが、光も同様に電話に出る事は無かった。
 
 (電話に出ることができない状態、或いは手元に無いか……それとも……)

 メールやアプリで複数の伝言を残しつつ、今後の予定を考える。

 (現状被害は世界中で起きている。県警で連絡の付く警察官も居ない。駐在所管内の家を一軒一軒確認する時間もない。市内を確認しつつ、子供達の所へ向かうか……)

 凹んだ防刃衣を曲げて直しながら、新たな目標を決定すら。

「おーい、そろそろ出かけるぞ」

 振り返りながら光の玉に声をかける。
 そこには美夏の写真の前でじっと浮いている光の玉がいた。

「……それが気になるのか?」

 光の玉は星斗の呼びかけに気が付き、ゆっくりと星斗の顔の横に飛んでくる。

「これは俺の妻の写真だよ……3年前、遠くに行ってしまったけどね……」

 そっと写真を手に取り、色褪せることなく微笑む美夏の写真を光の玉に見せる。
 光の玉が頷く様に上下する。そして2つ置かれた位牌の上に飛んでいき、これは何かと言わんばかりにクルクルと回る。

「それは位牌と言って、亡くなった人の名前なんかが書いてある物だよ」

 上下に揺れて頷きながら、興味深そうに位牌の前に漂う光の玉。
 そんな光の玉を見ていると、子供達の小さかった頃を思い出し懐かしくなる。

 (良く「これなーに?」とか「これは?」とか聞かれたな、今は全然聞かれないが……)

「今見ているのが、妻の美夏の位牌だよ」

 光の玉が頷き、隣の位牌の前に移動する。

「それは……産まれて来られなかった次女の、亜依あいの位牌だよ……」

 じっと亜依の位牌を見つめて動かない光の玉。何か思うところがあるのだろうかと、そんな光の玉を見つめる星斗。
 光の玉と出会ってから、長い時間を一緒に過ごした訳ではない。
 しかし、こんな状況になってから、星斗が唯一出逢った意思疎通できるものであり、命懸けで助けた存在である。
 心が折れてしまいそうな星斗を引き留めてくれる大切な仲間。
 最早星斗にとって、光の玉は心の拠り所となっていた。
 それはまるで家族のような存在。

「お前は、俺と一緒に来てくれるのかな?」

 光の玉に向かって、唐突に意思確認をする星斗。勝手に付いてくるものだと思い込み、一緒に行くぞと話しかけていた。
 光の玉に”意思”があるのは明白であり、しっかりと光の玉の意思を確認しておく必要があると考えたのである。
 そんな星斗の問に、素早く星斗の顔の前に飛んできて、頷いて答える光の玉。
 
「……そうか……ありがとう。俺もお前が来てくれると心強いよ」

 ほんの少し、心の内を零す星斗。
 そして、一緒に来てくれると答えてくれた光の玉に、ある提案をする。
 
「お前も名前が無いと呼び辛いよな。お前が男か女か……性別があるのかも分からないけれど、名前を付けてもいいか?」

 そんな星斗の提案を聞いて、嬉しそうにぴょんぴょん跳ね回る光の玉。

「そうか、喜んでくれるか。それじゃあ、俺の大切な人の名前を貰ってくれるか?」

 すっと右手の掌を上に向けて差し出す星斗。その掌にぴょんと飛び乗る光の玉。

 「俺の大切な、大切な人。この世に生まれてくることすらできなかった子の名前。”亜依あい”の名前を貰ってくれないか?」

 掌の上の光の玉に向かって、自身の子供の名前を貰ってくれないかと尋ねる星斗。妻と共に、この世に生まれてくることもなく、旅立ってしまった二女の名前。
 とても大切で、思い出すたびに胸が苦しくなる名前。
 そこには少し寂しげで、それでいて不安そうに微笑みかける、父親の顔があった。

 ――コクリ――

 そんな星斗の提案に少し戸惑いながら。それでもゆっくりと、大きくはっきりと頷いて見せる光の玉。

 「女の子の名前で大丈夫なのか?」

 今更心配になる星斗。そんな星斗の心配をよそに、掌から飛び立ち、部屋中をぐるぐると飛び回る光の玉。

 「ハハッ!喜んでくれたか!!」

 寂しさと不安は吹き飛び、喜んで貰えたことに星斗の心が軽くなる。

 「まさかこんな気持ちで亜依の名前を呼べる日が来るとはな――亜依!おいで!!」

 飛び回っていた光の玉が、ピタッと止まり、一目散に差し出された星斗の右手の掌の上に乗る。

 「今日からお前は”亜依”だ」

 くるくると掌の上で回る光の玉。
 否、亜依。

「亜依!おいで!!」

 新しい家族ができた。旅立ってしまった娘が、返ってきた気がした。
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