花の名前

はなの*ゆき

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時の訪れ

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「…天にまします、我らの父よ…」

 礼拝の前に渡された小冊子の1文(主の祈りとかいうらしい)を読み上げながら、隣のすまし顔を横目で盗み見る。
 なんで、こんな事になっているのやら…



「―――デート?」

 背後からの声に振り向くと、まさに目と鼻の先にカズの顔があり、驚いて後ずさった。狭い玄関だから、それだけで背中が玄関扉に当たってしまう。
 カズの腕が伸びて、トン、と顔の隣に手を突かれ、思わず息を呑んだ。

「いつもと雰囲気違うね?」

 いやいや、それはあんたのほうでしょう?!―――面白く無さそうな顔をしているカズに、心の中で突っ込む。

「スカートなんて初めて見た…」

 呟くように言いながら、見つめる視線が酷く物憂げで戸惑ってしまう。今日着ているのは、ゆったりとしたオフネックのニットワンピースだ。仕事はいつもパンツスーツだし、確かにあまりスカートは履かないが、下にスキニージーンズを履いているから、スカートのつもりがあまり無かったんだけど…。



 同居を始めて1ヶ月―――2月になっていた。

 年明け早々から仕事に追われ、一応休みのハズの土曜、祝日も現場に行ったりなんだりして、日曜は化粧もロクにせずに、掃除以外殆ど何もしなかった。
 確かにこういう服を着て出掛けるのは初めてだけど、それだけでデートとか、早計じゃないだろうか―――ていうか、なんでこんなに機嫌が悪いの?

「カズこそどうしたの? まだ早い…」
「トーコさんがコソコソ出て行こうとしてるからだろ?」
「コソコソって…一応気を遣ったつもりなんだけど?」

 まだ8時前だ。さっきまで寝ていたのか、Vネックのシャツにスエットのパンツ姿で、だらしないハズなのにやけに色気があって目のやり場に困ってしまう。
 弟とは違うんだという事を実感しながら、視線を逸らしているのが気に入らないのか、覗き込むように顔を近付けてくる。
 だから、近いって―――!

「ゴメンね?音立てないようにしたつもりなんだけど、うるさかった?」

 早口で捲し立てると、カズが軽く眉を上げる。

「気付かれないうちに出て行くつもりだったんだ?」
「いやだって、昨日も遅かったでしょ?」

 カズはまだ居酒屋のバイトを続けていたから、昨日…ていうか今日の深夜に帰って来ている。だから起こさないように…と思っていたのに。

「バレないように出なきゃいけないとか…」
「だから違うって!」

 なんか段々腹が立ってきた。なんでこんな尋問されるような真似?!―――そう思って、ぎろりと睨み付けた。

「あたしがどこ行こうと勝手でしょ? まだ早いんだし、寝てれば―――」

 言いかけて、咄嗟に口を噤んだ。
 顔が、近い!!!
 間一髪で、カズの顔を手の平で押さえた。鼻を押し潰すような形になったけど仕方ない。

「ちょっと、寝ぼけてないで…」
「寝てない。」
「いや、寝ぼけてるでしょ、ちょっと、離れて!」
「イヤだって言ったら?」

 顔を押さえていた手をカズが掴んで退ける。更に近付いてくる顔に、反射的に頭突きをかました。



 ―――ゴンッ



 かなり、いい音がしたと思う。
 カズが言葉もなく蹲る―――うん、あたし悪くないよね?
 勝ち誇った気分でカズを見下ろしながら、鼻息荒く(?)行ってきます!と言って踵を返し、玄関扉のノブに手をかけた所で、

「行かないで」

 と、やけに弱々しい声で呼び止められ、思わず立ち竦む。
 首だけ捻って見下ろすと、カズが蹲ったまま、顔を上げてこっちを見ていた。

「行かないでよ、トーコさん…」

 そう言ったカズの顔は、そう、まるで捨てられた子犬の様で、さっきとは比べものにならないほど動揺してしまった。

「えっ、えっ、いや…」

 何?!なんでそんなカオ…思わずオロオロしてしまう。
 その間に立ち上がったカズに、ノブを掴んだ手を後ろから押さえられる。

「行かないで。」

 後ろから覆い被さるようにして耳元で囁かれ、ゾクリと震えた背筋に更に動揺する。

「いやっ、だって、もう、時間っ無いしっ」
「待ち合わせ?」
「じゃないけどっ、9時からだからっ」
「9時からって、何が?」
「礼拝がっっ」
「―――れいはい・・・・?」

 結局、動揺したまま洗いざらい吐かされ(?)、バスに乗り遅れたせいで、バイクで送ってもらうことになり、更に面白そうだからというカズまで一緒に礼拝に参加することになった。




 ホント、何だったの、アレ?
 小冊子に視線を戻し、心の中でため息をつきながら、続きを唱える。


 我らを試みに会わせず 悪より救い出したまえ―――


 とりあえず、寝起きのカズには、二度と近寄るまい―――!!
 と、心に強く誓った。
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