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二夜目
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ふと、懐かしい薫りに立ち止まった。
帝の文使いで後宮を訪れた戻り道。
各殿舎を繋ぐ細殿―――両側に蔀を張って塞いだ廊下は片方に小部屋を作ってあり、その1つから、微かな含み笑いが漏れて、思わず半眼になった。
この女人がこうする時は、辺りに誰もいないという事を知った上で、遣戸を引いて中に滑り込む。
「あらあら、許しも待たずに入ってくるなんて。」
扇で口許を隠したまま、くすり、と彼女が微笑むのに、小さくため息をついた。今さら何を言ってるのやら。
「…何の用です?」
「あら、ご挨拶ね。すっかりお見限りなんて、酷い人。」
「何を言ってるんですか…」
思わずげんなりとした顔を見て、彼女がクスクスと愉しげに笑った。
相変わらずだ―――と思う。
この女人は、初めて会った時から少しも変わらない。
しっとりと落ち着いた雰囲気を纏いながらも、まるで少女の様に微笑む。
ふと、屋敷に置いてきた少女の、何処か陰りを帯びた笑みを思い出した。彼女もこんな風に笑う時があるのだろうか?
そう思った次の瞬間、つ―――と、頰に指先が当てられて、我に返った。
いつの間にか直ぐ近くに来ていた顔を見下ろすと、彼女は微かな笑みを浮かべながら小首を傾げた。その瞳はこちらを見つめているけれど、でも、見ているのは自分では無い―――と。
気付いて、この女人の元を離れたのはもう随分前の事だ。
「姫君の事を思い出していたの?」
予想外の言葉に眉を顰める。妬けるわね…と続いた言葉に呆れた。
「勧めたのは貴女でしょう?」
「…そうね、その通りよ。だって、内の大臣の後見は、これから先の貴方に必要なものだわ。そしてそれは、私には決して与えてあげられないもの…。」
そう言って手を下ろし、自嘲めいた笑みを浮かべながら離れると、扇をぱらりと開いて再び口許を隠した。
「新しい衣装を用意させたわ。明日にでも届けておくから。」
そこまで言って、ふ、とまた小さく笑いを零す。
「でも、もう、必要ないわね。―――衣裳を整えるのは、妻の仕事だもの」
彼女が呟くように言うと同時に、さらさらと衣擦れの音が近付いてきた。
尚侍の君様―――と、遣戸の向こうから声がかかる。
「主上がお呼びでいらっしゃいます。」
「わかったわ、すぐ参りますと伝えて。」
応える声は、今までとはうって変わって硬かった。
するり―――と。
甘い薫りが鼻先を掠めて。
小柄な体が遣戸の向こうに消えていくのを、ボンヤリと見送った。
帝の文使いで後宮を訪れた戻り道。
各殿舎を繋ぐ細殿―――両側に蔀を張って塞いだ廊下は片方に小部屋を作ってあり、その1つから、微かな含み笑いが漏れて、思わず半眼になった。
この女人がこうする時は、辺りに誰もいないという事を知った上で、遣戸を引いて中に滑り込む。
「あらあら、許しも待たずに入ってくるなんて。」
扇で口許を隠したまま、くすり、と彼女が微笑むのに、小さくため息をついた。今さら何を言ってるのやら。
「…何の用です?」
「あら、ご挨拶ね。すっかりお見限りなんて、酷い人。」
「何を言ってるんですか…」
思わずげんなりとした顔を見て、彼女がクスクスと愉しげに笑った。
相変わらずだ―――と思う。
この女人は、初めて会った時から少しも変わらない。
しっとりと落ち着いた雰囲気を纏いながらも、まるで少女の様に微笑む。
ふと、屋敷に置いてきた少女の、何処か陰りを帯びた笑みを思い出した。彼女もこんな風に笑う時があるのだろうか?
そう思った次の瞬間、つ―――と、頰に指先が当てられて、我に返った。
いつの間にか直ぐ近くに来ていた顔を見下ろすと、彼女は微かな笑みを浮かべながら小首を傾げた。その瞳はこちらを見つめているけれど、でも、見ているのは自分では無い―――と。
気付いて、この女人の元を離れたのはもう随分前の事だ。
「姫君の事を思い出していたの?」
予想外の言葉に眉を顰める。妬けるわね…と続いた言葉に呆れた。
「勧めたのは貴女でしょう?」
「…そうね、その通りよ。だって、内の大臣の後見は、これから先の貴方に必要なものだわ。そしてそれは、私には決して与えてあげられないもの…。」
そう言って手を下ろし、自嘲めいた笑みを浮かべながら離れると、扇をぱらりと開いて再び口許を隠した。
「新しい衣装を用意させたわ。明日にでも届けておくから。」
そこまで言って、ふ、とまた小さく笑いを零す。
「でも、もう、必要ないわね。―――衣裳を整えるのは、妻の仕事だもの」
彼女が呟くように言うと同時に、さらさらと衣擦れの音が近付いてきた。
尚侍の君様―――と、遣戸の向こうから声がかかる。
「主上がお呼びでいらっしゃいます。」
「わかったわ、すぐ参りますと伝えて。」
応える声は、今までとはうって変わって硬かった。
するり―――と。
甘い薫りが鼻先を掠めて。
小柄な体が遣戸の向こうに消えていくのを、ボンヤリと見送った。
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