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二夜目
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「月照様―――!!」
甲高い声と共に、近付いてくるバタバタという足音に目を覚ました。やれやれ、さっき寝たばかりだというのに。
この屋敷の主は、やたらとよく拾ってくる。
たまに犬や猫の時もあるが、大抵は親に捨てられて行き場を無くした子供達だ。今も、走ってくる子を含めて五人、この屋敷で暮らしている。
それにしても、と思いながら身を起こした。いずれは何処かの屋敷に勤められる様にと、読み書きや礼儀作法を教えているのに、さっぱり身についてないのはどういう事か。
ひと言言わねばと、布団代わりに掛けていた着物を羽織って戸口へ近付くと、それは手を触れる寸前、外からもの凄い勢いで開け放たれた。
「“ジン”、帰ってきたよ!」
それより、危うく顔にぶつかる所だったんだが……と思いながら、入ってきた水干姿の少年を見下ろすと、彼は興奮に顔を上気させながら叫んだ。
「なんか、男の子連れて来てる!!」
「―――はい?」
思わず間の抜けた声を漏らしてしまったのは、仕方の無い事だと思う。
―――その恰好ならちょうど良い。
と言って、ひょいと童のように担ぎ上げられるまま、彼が乗ってきたと覚しき車に乗せられ、屋敷を出た。
「あのっ、どちらに―――?」
「俺の屋敷だ。」
「ええっっ?!」
「露顕の後でないと無理かと思っていたが、早い方が良いだろう。」
そう言われて黙り込んだ。
何をするつもりなのかは分からないけれど、正式に結婚しなくても済むように―――という事ではないかと思い当たったからだ。それを詰る権利など、自分には無い。
お互いに黙ったまま幾つもの辻を通り過ぎてたどり着いたのは、何とも意外な場所だった。
都の中は碁盤の目のように区画整理され、一番北端に宮城があり、その近くから身分の高い上流貴族から順に、宅地を与えられている。
だが、この屋敷は随分と南端に近く、こじんまり……と言えば聞こえがいいけれど、凡そ貴族の屋敷とは思えないような賎家に囲まれていた。
「おう、お帰り。随分早いな。」
東門から入って車宿で車を降りると、着萎えて少し色の褪せた衣を纏った男性に出迎えられた。
「ん、何だ?そいつ。」
大きな体を折り曲げるように顔を覗き込まれ、その迫力に思わず後退ると、再びひょいと抱き上げられる。―――もしかしてホントに子供だと思われてるんじゃないだろうか……。
彼は男の問いには答えず、近くに居た自分の着ている物より粗末な麻の水干を着た少年に声を掛けた。
「“月照”呼んできてくれ。」
「はいっ!」
少年が駆けていく姿を見送ると、側に立ったままの男に向き直った。
「悪いが説明は後だ。部屋には近付かないようにしてくれ。」
「…何かよくわからんが、りょーかい。」
彼はその答えに軽く頷くと、踵を返して歩き出す。抱えられたまま、肩越しに男と目が合った―――と思うと、ニカリ、と男が笑った。
まるで少年のようなそれは、不思議と愛嬌があり、厳つい容貌にもにも拘わらず、粗野な感じではなかったけれど…。
自分を片腕で抱き上げたまま、スタスタと大股で歩いて行く端正な顔を見下ろすと、気付いた彼がちらりと視線だけを寄越した。
「何だ?」
「あ……いえ、あの……」
何とも言えない違和感に口籠もる。この人は本当に、“月冴ゆる君”だろうか。しかも、この屋敷は―――
車宿から壁のない廊下を歩いて向かっている先は、主殿だろうか。黒い大きな影を見るに、父の屋敷と遜色ない程度に大きいように見える。だが、何というか、人の気配が殆ど無いのだ。
さっきも、車宿で出迎えたのがあの男だけだったし、何よりあの男は身形から言って、所謂“貴族”では無いだろう。なのにあの口調で、彼もそれを咎めるどころか、当たり前のように会話していた。
彼女が見知っている男性は、父とこの彼だけだから何とも言えないけれど、彼は少し(?)変わっているかもしれない。……自分に言われたくはないだろうけども。
主殿の扉を開いて中に入ると(そこにもやはり人が居ない)、ガランとした庇の間を歩いて、南面にかけられた御簾を潜って母屋に入る。
帳に仕切られたその空間は彼の居所だろうか、文机の上には沢山の書類が乱雑に置かれ、その向こうにある書棚も、綴られた草紙や巻かれた書簡等で埋められていた。
「ここで待っててくれ。」
そう言って下ろされたのは、薄縁が敷かれた畳の上だった。
座って何となしに彼を見ていると、徐に首上に手を遣り、前を寛げたと思うと腰紐を外してあっという間に着ていた袍を脱ぎ捨てた。勿論、その下に単衣を羽織って袴も履いているから、裸になった訳では無いけれど、ぎょっとして思わず仰け反ってしまう。
だが、彼はこちらの様子を全く気にせず、脱いだ袍を無造作に衝立に引っかけて―――先程肩に触れた時の感触では、かなり良い絹物だったと思うのだが―――文机に近寄ると、その書類を手に取って見始めた。
(え…と、これは如何したら…?)
何とも居心地の悪い思いをしていると、遠くでカタリと扉の開く音がして、パタパタという足音が近付いてきた。先程の少年だろうか?
「連れて来た!」
バサッ、と、鴨居に掛けてある御簾が落ちてしまうんじゃないかと思うような勢いで、さっきの少年が入ってくる。その後ろから、やれやれといった顔で、剃髪姿の青年が入ってきた。
年の頃は彼と同じ位だろうか。
さっきの男とは違い、裾を捌いて歩いてくる所作からも、卑しからぬ身分であろう事が察せられた。
剃髪しているという事は、この人は僧侶なんだろうかと思いながら見ていると、気付いた青年が一瞬目を見開いた後、目を眇めるようにしてこちらを凝視しながら近付いてくる。
車宿の男とはまた違った迫力に思わず胸元を抑えながら戦くと、す―――と影が動いてその間を塞いだ。
「近寄り過ぎだ。」
彼の言葉に、青年僧がおや、と眉を上げた。
「誰なんです?」
「……二条の、姫君だ。」
「ええ?」
そう言うと、青年僧は思案げに顎へ手を遣ると呟いた。
「……姫君、ねぇ。」
甲高い声と共に、近付いてくるバタバタという足音に目を覚ました。やれやれ、さっき寝たばかりだというのに。
この屋敷の主は、やたらとよく拾ってくる。
たまに犬や猫の時もあるが、大抵は親に捨てられて行き場を無くした子供達だ。今も、走ってくる子を含めて五人、この屋敷で暮らしている。
それにしても、と思いながら身を起こした。いずれは何処かの屋敷に勤められる様にと、読み書きや礼儀作法を教えているのに、さっぱり身についてないのはどういう事か。
ひと言言わねばと、布団代わりに掛けていた着物を羽織って戸口へ近付くと、それは手を触れる寸前、外からもの凄い勢いで開け放たれた。
「“ジン”、帰ってきたよ!」
それより、危うく顔にぶつかる所だったんだが……と思いながら、入ってきた水干姿の少年を見下ろすと、彼は興奮に顔を上気させながら叫んだ。
「なんか、男の子連れて来てる!!」
「―――はい?」
思わず間の抜けた声を漏らしてしまったのは、仕方の無い事だと思う。
―――その恰好ならちょうど良い。
と言って、ひょいと童のように担ぎ上げられるまま、彼が乗ってきたと覚しき車に乗せられ、屋敷を出た。
「あのっ、どちらに―――?」
「俺の屋敷だ。」
「ええっっ?!」
「露顕の後でないと無理かと思っていたが、早い方が良いだろう。」
そう言われて黙り込んだ。
何をするつもりなのかは分からないけれど、正式に結婚しなくても済むように―――という事ではないかと思い当たったからだ。それを詰る権利など、自分には無い。
お互いに黙ったまま幾つもの辻を通り過ぎてたどり着いたのは、何とも意外な場所だった。
都の中は碁盤の目のように区画整理され、一番北端に宮城があり、その近くから身分の高い上流貴族から順に、宅地を与えられている。
だが、この屋敷は随分と南端に近く、こじんまり……と言えば聞こえがいいけれど、凡そ貴族の屋敷とは思えないような賎家に囲まれていた。
「おう、お帰り。随分早いな。」
東門から入って車宿で車を降りると、着萎えて少し色の褪せた衣を纏った男性に出迎えられた。
「ん、何だ?そいつ。」
大きな体を折り曲げるように顔を覗き込まれ、その迫力に思わず後退ると、再びひょいと抱き上げられる。―――もしかしてホントに子供だと思われてるんじゃないだろうか……。
彼は男の問いには答えず、近くに居た自分の着ている物より粗末な麻の水干を着た少年に声を掛けた。
「“月照”呼んできてくれ。」
「はいっ!」
少年が駆けていく姿を見送ると、側に立ったままの男に向き直った。
「悪いが説明は後だ。部屋には近付かないようにしてくれ。」
「…何かよくわからんが、りょーかい。」
彼はその答えに軽く頷くと、踵を返して歩き出す。抱えられたまま、肩越しに男と目が合った―――と思うと、ニカリ、と男が笑った。
まるで少年のようなそれは、不思議と愛嬌があり、厳つい容貌にもにも拘わらず、粗野な感じではなかったけれど…。
自分を片腕で抱き上げたまま、スタスタと大股で歩いて行く端正な顔を見下ろすと、気付いた彼がちらりと視線だけを寄越した。
「何だ?」
「あ……いえ、あの……」
何とも言えない違和感に口籠もる。この人は本当に、“月冴ゆる君”だろうか。しかも、この屋敷は―――
車宿から壁のない廊下を歩いて向かっている先は、主殿だろうか。黒い大きな影を見るに、父の屋敷と遜色ない程度に大きいように見える。だが、何というか、人の気配が殆ど無いのだ。
さっきも、車宿で出迎えたのがあの男だけだったし、何よりあの男は身形から言って、所謂“貴族”では無いだろう。なのにあの口調で、彼もそれを咎めるどころか、当たり前のように会話していた。
彼女が見知っている男性は、父とこの彼だけだから何とも言えないけれど、彼は少し(?)変わっているかもしれない。……自分に言われたくはないだろうけども。
主殿の扉を開いて中に入ると(そこにもやはり人が居ない)、ガランとした庇の間を歩いて、南面にかけられた御簾を潜って母屋に入る。
帳に仕切られたその空間は彼の居所だろうか、文机の上には沢山の書類が乱雑に置かれ、その向こうにある書棚も、綴られた草紙や巻かれた書簡等で埋められていた。
「ここで待っててくれ。」
そう言って下ろされたのは、薄縁が敷かれた畳の上だった。
座って何となしに彼を見ていると、徐に首上に手を遣り、前を寛げたと思うと腰紐を外してあっという間に着ていた袍を脱ぎ捨てた。勿論、その下に単衣を羽織って袴も履いているから、裸になった訳では無いけれど、ぎょっとして思わず仰け反ってしまう。
だが、彼はこちらの様子を全く気にせず、脱いだ袍を無造作に衝立に引っかけて―――先程肩に触れた時の感触では、かなり良い絹物だったと思うのだが―――文机に近寄ると、その書類を手に取って見始めた。
(え…と、これは如何したら…?)
何とも居心地の悪い思いをしていると、遠くでカタリと扉の開く音がして、パタパタという足音が近付いてきた。先程の少年だろうか?
「連れて来た!」
バサッ、と、鴨居に掛けてある御簾が落ちてしまうんじゃないかと思うような勢いで、さっきの少年が入ってくる。その後ろから、やれやれといった顔で、剃髪姿の青年が入ってきた。
年の頃は彼と同じ位だろうか。
さっきの男とは違い、裾を捌いて歩いてくる所作からも、卑しからぬ身分であろう事が察せられた。
剃髪しているという事は、この人は僧侶なんだろうかと思いながら見ていると、気付いた青年が一瞬目を見開いた後、目を眇めるようにしてこちらを凝視しながら近付いてくる。
車宿の男とはまた違った迫力に思わず胸元を抑えながら戦くと、す―――と影が動いてその間を塞いだ。
「近寄り過ぎだ。」
彼の言葉に、青年僧がおや、と眉を上げた。
「誰なんです?」
「……二条の、姫君だ。」
「ええ?」
そう言うと、青年僧は思案げに顎へ手を遣ると呟いた。
「……姫君、ねぇ。」
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