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2.Yellow star jasmine
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坂道を途中まで上ったところで、部屋の明かりが点いてない事に気付いて駆けだした。
まだ帰ってないのかも、とは、全く思わなかった。
エレベーターのボタンも押さずに階段室のドアを開け、三段飛ばしで一気に駆け上がる。家に入って、母がいない事に気付いて舌打ちした。何やってるんだ、あいつ。
玄関で靴下を脱ぎ捨て、鞄を投げるように降ろす。大股でリビングを突っ切り、ベランダに出た。隣の掃き出し窓はやっぱり鍵が開いていて、躊躇いなく中に入る。
だが、ぐるりと部屋を見回しても、スミはそこにいなかった。
リビングのドアの向こうも薄暗く、家の中は静かで、人の気配が全く感じられなかったが、スミがいない、とはやっぱり思わなかった。
リビングを出ると、廊下の突き当たりに玄関がある。うちと全く同じ作りだ。玄関の直ぐ隣の部屋のドアを開ける。そこがスミの部屋だと知っていたが、今まで入ったことは無かった。
女の子の部屋だから、と、母に止められていたから。でもその事はすっかり頭から抜けていた。
部屋の中には窓が一つしか無く、カーテンを引いてあるせいで、リビングよりも暗い。
ボンヤリと浮かび上がった部屋の、片側に寄せられたベッドの上で、スミは蹲るように眠っていた。
近寄って、そっと肩に触れる。スミはタンクトップよりも肩紐の細い―――キャミソールとかいうのにショートパンツで、剥き出しの肌は少しひんやりとしていた。
あの日から、雨が降る日は一緒にいるのを当たり前にしていた。どうせ同じ所に帰るのだからと、ホームルームが終わると直ぐにスミの教室に向かっていたのだが、今日は用事があると、あらかじめ言われていた事を思い返す。
正直、おかしいとは思った。
何しろ、学校でスミに声をかけられるのは稀だったのだ。クラスも違うし、特に学校で話さなくても、直ぐ隣に住んでいるから必要がない。
だから、どうしてわざわざそんなことを言いに来たのかと不思議に思いながらも頷いたのだが。
多分、嘘だったのだ。
そう気が付いて、頭の芯が冷えていく様な感覚を覚えながら、目を眇めてベッドに眠るスミに近付いた。
「―――スミ」
覆い被さるように、耳元に口を寄せる。
「スミ」
もう一度呼ぶと、微かに身動ぎをして、起きた気配がする。暗くて顔が分からなかったが、こちらを向いているようだ。
ベッドに腰掛け、仰向けになって目を擦るスミの顔の隣に手をついた。
「…今、何時?」
「7時半。トーコさん、帰ってくるぞ。」
咄嗟に嘘をついた。そう言えば、驚いて飛び起きると思ったのかも知れない。いつものように、ご飯作らなきゃ!―――と。
だが、スミは1つ息をついて言った。
「今日は遅いんだよ。取引先と飲み会あるんだって。」
息を呑んだ。またスミが息をつく。寝ようとしているのだと分かって、込み上げてくる感情をやり過ごそうと、大きな息を吐き出す。
「寝るな」
「…うん、大丈夫…」
「大丈夫じゃないだろ、風邪引くぞ」
だから起きろ!! 揺さぶってやろうとした手は、肩ではなく頬に触れていた。―――柔らかい、と感じた瞬間、スミが起き上がった。
「ナオ、熱い」
声と同時に、ひやりとした指の背が耳朶の後ろに当たり、そのまま首筋を撫でられ、瞬間、背筋に震えが走る。思わずその手を掴んで離した。
整っていたはずの息が上がる。気付かれない様に唾を飲み込んだ。
「汗、かいてる。暑い?」
吞気な声に目まいがした。
こっちの気も知らないで何考えてんだ!叫ぶ代りに大きく息を吐いた。
「…下から階段上がってきたからな」
「わざわざ?ここ、6階だよ?どんだけ筋トレ好きなの?」
ふふっという低い声にすら、体が震える。寝ていたせいで、スミの声が掠れていた。
「誰のせいだよ。電気点いてないの、ここだけだぞ。」
吐き捨てるように言って、片手で髪を掻きむしる。その手でさっき触れられた首筋を掴んだ。その時。
反対の首筋に、吐息を感じて。
ぞくり、と、肌が泡立った。
「汗、くさい。」
そう言って笑いながら、大きく息を吸い込むからたまらない。
「うるせえよ」と呟きながら、息を吐いて、体の力を抜く。そうしないと、スミを突き飛ばしてしまいそうだった。
それなのに。
ふふっ、と微かな笑い声が首筋を掠めて、ゆっくりと、暖かで柔らかな温もりがもたれかかってきた。
息を詰めて体を強ばらせる。
スミは、まるで子猫がするように鼻先をすり寄せ、体の力を抜く。眠るつもりなのだ、ここで。
そう気付いた途端、激しい怒りが込み上げた。
―――怒り、だと思った。
無防備なスミが許せなかった。
あんなヤツに写真撮られるとか、バカじゃねぇの?―――そう思って。
「スミ」と呼び掛ける声が掠れた。
「なんで、服、着ねえの?」
「…着てるよ?」
どこがだよ?
心の中で呟きながら、滑らかな肩に指先を滑らせる。微かに肌が震えたのを感じて、胸が騒いだ。
「下着だろ?」
「違うよ。これで外に出る人もいるし…」
これで?―――不意に、さっきの画像が頭に浮かんだ。
こんな格好で外に出る?
「へぇ…」
力を入れただけで引きちぎれそうなほど、細い肩紐を掬い上げる。
限界だった―――
まだ帰ってないのかも、とは、全く思わなかった。
エレベーターのボタンも押さずに階段室のドアを開け、三段飛ばしで一気に駆け上がる。家に入って、母がいない事に気付いて舌打ちした。何やってるんだ、あいつ。
玄関で靴下を脱ぎ捨て、鞄を投げるように降ろす。大股でリビングを突っ切り、ベランダに出た。隣の掃き出し窓はやっぱり鍵が開いていて、躊躇いなく中に入る。
だが、ぐるりと部屋を見回しても、スミはそこにいなかった。
リビングのドアの向こうも薄暗く、家の中は静かで、人の気配が全く感じられなかったが、スミがいない、とはやっぱり思わなかった。
リビングを出ると、廊下の突き当たりに玄関がある。うちと全く同じ作りだ。玄関の直ぐ隣の部屋のドアを開ける。そこがスミの部屋だと知っていたが、今まで入ったことは無かった。
女の子の部屋だから、と、母に止められていたから。でもその事はすっかり頭から抜けていた。
部屋の中には窓が一つしか無く、カーテンを引いてあるせいで、リビングよりも暗い。
ボンヤリと浮かび上がった部屋の、片側に寄せられたベッドの上で、スミは蹲るように眠っていた。
近寄って、そっと肩に触れる。スミはタンクトップよりも肩紐の細い―――キャミソールとかいうのにショートパンツで、剥き出しの肌は少しひんやりとしていた。
あの日から、雨が降る日は一緒にいるのを当たり前にしていた。どうせ同じ所に帰るのだからと、ホームルームが終わると直ぐにスミの教室に向かっていたのだが、今日は用事があると、あらかじめ言われていた事を思い返す。
正直、おかしいとは思った。
何しろ、学校でスミに声をかけられるのは稀だったのだ。クラスも違うし、特に学校で話さなくても、直ぐ隣に住んでいるから必要がない。
だから、どうしてわざわざそんなことを言いに来たのかと不思議に思いながらも頷いたのだが。
多分、嘘だったのだ。
そう気が付いて、頭の芯が冷えていく様な感覚を覚えながら、目を眇めてベッドに眠るスミに近付いた。
「―――スミ」
覆い被さるように、耳元に口を寄せる。
「スミ」
もう一度呼ぶと、微かに身動ぎをして、起きた気配がする。暗くて顔が分からなかったが、こちらを向いているようだ。
ベッドに腰掛け、仰向けになって目を擦るスミの顔の隣に手をついた。
「…今、何時?」
「7時半。トーコさん、帰ってくるぞ。」
咄嗟に嘘をついた。そう言えば、驚いて飛び起きると思ったのかも知れない。いつものように、ご飯作らなきゃ!―――と。
だが、スミは1つ息をついて言った。
「今日は遅いんだよ。取引先と飲み会あるんだって。」
息を呑んだ。またスミが息をつく。寝ようとしているのだと分かって、込み上げてくる感情をやり過ごそうと、大きな息を吐き出す。
「寝るな」
「…うん、大丈夫…」
「大丈夫じゃないだろ、風邪引くぞ」
だから起きろ!! 揺さぶってやろうとした手は、肩ではなく頬に触れていた。―――柔らかい、と感じた瞬間、スミが起き上がった。
「ナオ、熱い」
声と同時に、ひやりとした指の背が耳朶の後ろに当たり、そのまま首筋を撫でられ、瞬間、背筋に震えが走る。思わずその手を掴んで離した。
整っていたはずの息が上がる。気付かれない様に唾を飲み込んだ。
「汗、かいてる。暑い?」
吞気な声に目まいがした。
こっちの気も知らないで何考えてんだ!叫ぶ代りに大きく息を吐いた。
「…下から階段上がってきたからな」
「わざわざ?ここ、6階だよ?どんだけ筋トレ好きなの?」
ふふっという低い声にすら、体が震える。寝ていたせいで、スミの声が掠れていた。
「誰のせいだよ。電気点いてないの、ここだけだぞ。」
吐き捨てるように言って、片手で髪を掻きむしる。その手でさっき触れられた首筋を掴んだ。その時。
反対の首筋に、吐息を感じて。
ぞくり、と、肌が泡立った。
「汗、くさい。」
そう言って笑いながら、大きく息を吸い込むからたまらない。
「うるせえよ」と呟きながら、息を吐いて、体の力を抜く。そうしないと、スミを突き飛ばしてしまいそうだった。
それなのに。
ふふっ、と微かな笑い声が首筋を掠めて、ゆっくりと、暖かで柔らかな温もりがもたれかかってきた。
息を詰めて体を強ばらせる。
スミは、まるで子猫がするように鼻先をすり寄せ、体の力を抜く。眠るつもりなのだ、ここで。
そう気付いた途端、激しい怒りが込み上げた。
―――怒り、だと思った。
無防備なスミが許せなかった。
あんなヤツに写真撮られるとか、バカじゃねぇの?―――そう思って。
「スミ」と呼び掛ける声が掠れた。
「なんで、服、着ねえの?」
「…着てるよ?」
どこがだよ?
心の中で呟きながら、滑らかな肩に指先を滑らせる。微かに肌が震えたのを感じて、胸が騒いだ。
「下着だろ?」
「違うよ。これで外に出る人もいるし…」
これで?―――不意に、さっきの画像が頭に浮かんだ。
こんな格好で外に出る?
「へぇ…」
力を入れただけで引きちぎれそうなほど、細い肩紐を掬い上げる。
限界だった―――
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