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罅
しおりを挟む窓の向こうで、秋の終わりの冷たい雨が降っている。
足先がじんわり冷えてきたけれど、ここから動く気にはまだなれない。今はただ、喧嘩して雨の中へと出て行った旦那のことを心配していた。
どうしていつも、こうなってしまうのだろう。
テーブルの上には、まだ仄かに湯気の残った夜ご飯。椅子の一つが倒れ、床にはお菓子が散乱している。ぺたんと座った体の近くに、棚に飾っていたフォトフレームが一つ落ちていた。ガラスの向こうの私たちは、幸せいっぱいの笑顔で並んでいる。
……どうして、こうなってしまったのだろう。
暗い色になった窓にうっすらと、無様な化粧をした私が映っている。右手には、罅の入ったガラスのコップ。付き合ってから何度目かの私の誕生日に、旦那が選んでくれたペアグラスだ。お洒落なかわいいデザインで、ガラスなのに落としても割れにくいらしい。
当時は不器用で、私は食器を割りがちだった。
――これを選んだのって、私への当てつけかな?
――これはね、気遣いと呼ぶんだよ。
そんな風に二人で笑い合っていたのを思い出す。
あの頃は、旦那のことだったら何でも許せていたのに。
今日の喧嘩の原因はなんだっけ――そうだ、旦那が私との記念日より、上司とビール飲むのを優先したんだ。それに対して私が怒ると、長い長い言い合いが始まって……。
「――誰のおかげで飯が食えてると思ってるんだ!」
「家事に料理にあんたの身の回りの世話してやってる私のおかげでしょう!?」
「ああそう! じゃあもう飯はいらない。外で適当に食ってくる!」
「好きにすれば!? ほんっとに自分勝手ばっかりなのね!!」
バタンと閉まったリビングのドアに向かって、八つ当たりで新聞紙を投げつけた。思うように飛ばなくて、テーブルの上のコップに当たり、そのまま落ちた。窓際まで転がったコップに慌てて駆け寄ったけど、拾い上げたコップの半面には大きく網の模様が入ってしまっていた。
あーあ、と後悔してももう遅い。
二度と消えない罅を見て、私はなんだか気力を失くし、そのまま座り込んでしまった。
「すまない、俺が悪かった」
「私も、ごめん」
旦那は外で頭を冷やしたらしく、帰宅するとすぐに謝ってくれた。
本当は分かってる。ずっと世話になってる上司から、滅多にない食事の誘いだったこと。それをビール一杯で手早く済ませ、急いで家に帰ってきてくれたこと。
私は右手のコップをテーブルに乗せ、浅めにもう一度頭を下げた。
「それと……もう一つ、ごめんなさい。私、コップを落としてしまったの」
「いつ買ったやつだっけ。いいよ別に、そんなの。捨てちゃおう」
突然ずしりと窓を叩くように、強く雨が吹きつける音がした。
少しだけ外に気を取られてから、私は小さく首を振る。
「ううん。もう少しだけ、取っておきたいの」
「危なくないか? まぁ、ケガしないようにしてくれたら、どっちでもいいよ」
「うん」
私は罅の入ったガラスのコップを食器棚の奥へと仕舞う。ほかの食器をそっと動かし、割れ目で指を切らないように気を付けながら、奥へ奥へと。
もしあと一度でも落としてしまえば、きっと粉々に割れちゃうんだろうな。
朝になっても、天気は相変わらずの雨。
雨模様を映すガラスの内側に、結露で冷たい水が垂れているのにふと気が付いた。
……もう、そんな季節になったのか。私はうんざしりた気持ちで窓を見つめて、窓ふき用の雑巾へと手を伸ばした。
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