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一定のリズムで鳴り続く、時計の針の音が心地いい。
今日も静かな病室の中。
わたしはベッドに足を伸ばして座ったまま、壁にかかった丸い時計を眺めていた。窓からさんさんと射し込む光で、部屋の真っ白な壁がさらに明るく輝いている。
時計の針は、もうすぐ3本そろって12の向きを指そうとしていた。
――わたし、いつ退院できるのかな?
チクタクと響く音を聞きながら、何度か考えたことがまた頭に浮かぶ。ここにいるのが嫌という訳ではないけど、病院の外のことに興味はある。
お医者さんが言うには、わたしは記憶喪失らしい。確かにわたしは、ここに入院するまでのことを何も覚えていなかった。気づけば当たり前のようにここにいて、こうして入院生活を送っている。今日が何日目かも覚えていない。だけど、無理にそれを思い出したいとも思わなかった。
「――よかった、ミナちゃんだ! 遊びに来たよ!」
考え事を断ち切るように、病室の入口から声が響いた。
琴里ちゃんだ。黒髪を左右に短くおさげにした子。両手にうさぎのぬいぐるみを抱え、腕に大きめの手提げを通している。わたしに持ってきてくれたのかな。
「ふふ、来てくれてありがと、琴里ちゃん。わたしの病室、いつになったら覚えるのかな?」
「い、入口に名前がないから、どうしても緊張しちゃうの!」
琴里ちゃんが焦ったように目を逸らす。いつも恐る恐る病室に入ってくるけど、わたしはとても嬉しい。こうして病院の外から会いに来てくれるのは、琴里ちゃんだけだから。病院にないものを触ったり、覚えたりするのはとても楽しい。
「今日はね、ボードゲームを持ってきてみたの。さいころを振って、止まったマスの指示に従って、最後にお金を一番持ってた人が一位、って感じのやつ」
「わ、ありがとう。ルールくらいは分かると思うよ!」
マス目のかかれたシートを床に広げて、琴里ちゃんと早速ゲームを始めた。交互にさいころを振り、お互いのコマをスタート地点から進めていく。
止まった場所に書かれている指示は様々だ。3マス戻る、1700ドル払う、1回休み、38000ドルもらう、9600ドル渡す、3か6が出たら、隣の人から44000……。
う……。数字が多くて、ちょっと酔いそうになってきた。
ちょっとわたし、このゲームは苦手かもしれない。そういえば以前から、わたしは数字の類があまり得意じゃなかった気がする。お母さんに、いっぱい怒られてたような……。
――まったく! 奈々はどうしてこうも出来が悪いの!?
――算数の宿題が終わるまで、お部屋から出ちゃ駄目よ! さぼったら、晩ご飯は抜きだから!
あれ、なんだっけ、何か、思い出せそうな。
「あっ! そろそろ帰る時間かも! あはは、こてんぱんに負けちゃった……」
琴里ちゃんの声にはっとする。
時計の短い針が、5の位置を少し通り過ぎていた。
わたしの手元には、ゲームのお金がたくさん。わたしのコマはゴールにあって、琴里ちゃんのコマはゴールの手前だ。……あれ? いつのまに、勝っちゃった?
「これで5戦5敗だね。……うーん、悔しいな。今日はもう片づけて帰るけど、次はきっと負けないからね!」
琴里ちゃんは手際よくお札をまとめて、シートを畳んで片付けていく。わたしは首を少し傾けながら、その様子を眺めていた。
「じゃあ、今日はこの辺で。また来るね! 久しぶりに、ニナちゃんとも遊べて楽しかった!」
「……ふふ。えっと、わたし、ニナじゃないよ?」
元気に手を振る琴里ちゃんに、ついつい訂正を入れてしまった。うっかり名前を間違うくらい、誰でもやることなのに。ちょっと気を悪くさせちゃったかもしれない。
「えっ? ……じゃあ、セナちゃん?」
琴里ちゃんの手がぴたりと止まって、また違った名前を言う。もしかして、ほんとに覚えていないのだろうか。
顔色もどんどん悪くなり、病室を訪ねてきたときみたいに怯えた表情になっている。
「こ、琴里ちゃん、別に怒ってないから大丈夫だよ。わたし、ミナだよ」
「そっか、ミナちゃんだったね。ごめんね」
「ううん、全然。今日はありがとね! またいつでも、遊びに来てね」
「うん!」
琴里ちゃんはほっとしたように、わたしに背を向けて帰っていった。
静かになった病室で、わたしはまた時計を眺める。
なんだか疲れた。たくさんの数字……。そう、わたしは数字が苦手だったらしい。
あの日も奈々じゃ駄目だったから、ニナが代わりに宿題をやったんだ。
だけど、部屋にずうっと閉じ込められるのは、ニナでも駄目で……。
だめだ、眠い。
頭がぼんやりする中で、さいころを手に握ったまま返し忘れたことに気が付いた。
力を抜くと、さいころは右手から落ち、病室の床に転がっていく。そのまま、わたしもベッドへうつ伏せに転がった。意識がどんどん遠ざかる。
時計の針の音が心地いい。
明日、さいころは、何の目が出ているのかな。
今日も静かな病室の中。
わたしはベッドに足を伸ばして座ったまま、壁にかかった丸い時計を眺めていた。窓からさんさんと射し込む光で、部屋の真っ白な壁がさらに明るく輝いている。
時計の針は、もうすぐ3本そろって12の向きを指そうとしていた。
――わたし、いつ退院できるのかな?
チクタクと響く音を聞きながら、何度か考えたことがまた頭に浮かぶ。ここにいるのが嫌という訳ではないけど、病院の外のことに興味はある。
お医者さんが言うには、わたしは記憶喪失らしい。確かにわたしは、ここに入院するまでのことを何も覚えていなかった。気づけば当たり前のようにここにいて、こうして入院生活を送っている。今日が何日目かも覚えていない。だけど、無理にそれを思い出したいとも思わなかった。
「――よかった、ミナちゃんだ! 遊びに来たよ!」
考え事を断ち切るように、病室の入口から声が響いた。
琴里ちゃんだ。黒髪を左右に短くおさげにした子。両手にうさぎのぬいぐるみを抱え、腕に大きめの手提げを通している。わたしに持ってきてくれたのかな。
「ふふ、来てくれてありがと、琴里ちゃん。わたしの病室、いつになったら覚えるのかな?」
「い、入口に名前がないから、どうしても緊張しちゃうの!」
琴里ちゃんが焦ったように目を逸らす。いつも恐る恐る病室に入ってくるけど、わたしはとても嬉しい。こうして病院の外から会いに来てくれるのは、琴里ちゃんだけだから。病院にないものを触ったり、覚えたりするのはとても楽しい。
「今日はね、ボードゲームを持ってきてみたの。さいころを振って、止まったマスの指示に従って、最後にお金を一番持ってた人が一位、って感じのやつ」
「わ、ありがとう。ルールくらいは分かると思うよ!」
マス目のかかれたシートを床に広げて、琴里ちゃんと早速ゲームを始めた。交互にさいころを振り、お互いのコマをスタート地点から進めていく。
止まった場所に書かれている指示は様々だ。3マス戻る、1700ドル払う、1回休み、38000ドルもらう、9600ドル渡す、3か6が出たら、隣の人から44000……。
う……。数字が多くて、ちょっと酔いそうになってきた。
ちょっとわたし、このゲームは苦手かもしれない。そういえば以前から、わたしは数字の類があまり得意じゃなかった気がする。お母さんに、いっぱい怒られてたような……。
――まったく! 奈々はどうしてこうも出来が悪いの!?
――算数の宿題が終わるまで、お部屋から出ちゃ駄目よ! さぼったら、晩ご飯は抜きだから!
あれ、なんだっけ、何か、思い出せそうな。
「あっ! そろそろ帰る時間かも! あはは、こてんぱんに負けちゃった……」
琴里ちゃんの声にはっとする。
時計の短い針が、5の位置を少し通り過ぎていた。
わたしの手元には、ゲームのお金がたくさん。わたしのコマはゴールにあって、琴里ちゃんのコマはゴールの手前だ。……あれ? いつのまに、勝っちゃった?
「これで5戦5敗だね。……うーん、悔しいな。今日はもう片づけて帰るけど、次はきっと負けないからね!」
琴里ちゃんは手際よくお札をまとめて、シートを畳んで片付けていく。わたしは首を少し傾けながら、その様子を眺めていた。
「じゃあ、今日はこの辺で。また来るね! 久しぶりに、ニナちゃんとも遊べて楽しかった!」
「……ふふ。えっと、わたし、ニナじゃないよ?」
元気に手を振る琴里ちゃんに、ついつい訂正を入れてしまった。うっかり名前を間違うくらい、誰でもやることなのに。ちょっと気を悪くさせちゃったかもしれない。
「えっ? ……じゃあ、セナちゃん?」
琴里ちゃんの手がぴたりと止まって、また違った名前を言う。もしかして、ほんとに覚えていないのだろうか。
顔色もどんどん悪くなり、病室を訪ねてきたときみたいに怯えた表情になっている。
「こ、琴里ちゃん、別に怒ってないから大丈夫だよ。わたし、ミナだよ」
「そっか、ミナちゃんだったね。ごめんね」
「ううん、全然。今日はありがとね! またいつでも、遊びに来てね」
「うん!」
琴里ちゃんはほっとしたように、わたしに背を向けて帰っていった。
静かになった病室で、わたしはまた時計を眺める。
なんだか疲れた。たくさんの数字……。そう、わたしは数字が苦手だったらしい。
あの日も奈々じゃ駄目だったから、ニナが代わりに宿題をやったんだ。
だけど、部屋にずうっと閉じ込められるのは、ニナでも駄目で……。
だめだ、眠い。
頭がぼんやりする中で、さいころを手に握ったまま返し忘れたことに気が付いた。
力を抜くと、さいころは右手から落ち、病室の床に転がっていく。そのまま、わたしもベッドへうつ伏せに転がった。意識がどんどん遠ざかる。
時計の針の音が心地いい。
明日、さいころは、何の目が出ているのかな。
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