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早乙女静香ルート
すべてを賭けて見えたもの1
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※この作品は同人ゲーム「男子校でハーレムが作れる俺マジ勝ち組」からテキストを抜き出したノベル版です。
ゲームテキスト形式なので背景やキャラ名の指定が残っています。
原作ゲームは18禁ですが、今作は18禁シーンを削除し全年齢版として公開します。
PCを持っていない方のために、同じく全年齢版の体験版プレイ動画もございます。
詳しくは「はとごろTIMES」のホームページをご覧下さい。
また、漫画も投稿しています。そちらも是非ご覧下さい。
《早乙女家・リビング》《静香視点》
心
「昨日はごめんなさい……しずかも、触れられたくないことがあるのよね」
四ッ橋家で一日を過ごして戻ってきた時、母さんは一番に僕を抱きしめてそう言った。
昨日も感じた温もり。これを手放すことは、とても怖い。
でも、この人が見ているのは僕ではない。
……見えなくしてしまったのは……僕なのか……?
男だった時から、僕はこの人と仲良くしたくて色々なことを語りかけていた。
しかし言い換えればそれは「機嫌を取っていた」ということ。
昔から本当の僕なんて、一度たりともみせたことはなかった。
見せたところで、汚らわしい男だと殴られるのも分かっていた。
……今は、違う。
身体が震える。この温かさに触れてしまった今、失うことはとても怖い。
心
「昨日は四ッ橋さんの家に泊まったのよね。本当に彼女には頭が上がらないわ」
静香
「そうだね……でも、僕を泊めてくれたのは零時だったよ」
心
「…………」
心
「……あ、あのねしずか、ずっと思っていたことがあるのよ」
静香
「……?」
いつになく真剣な眼差しを向けられる。
何を言われるのだろう。想像もつかない。ただ、もう悲しいことは言われたくない。
心
「あなた、転校する気はない?」
静香
「てん、こう……?」
心
「今の学校、男ばかりじゃない。陽子さんの子なら私もまだ許せるけど、他の人の家とかには行かせたくないわ」
心
「少し遠い所にある女子校に通わせたいってずっと思ってた。ちゃんとあなたの学力に合った学校よ」
心
「あなたが学校に行ってる間、心配で気が気じゃないの……」
それは……母さん以外の全てを手放せということか?
母さんが男嫌いになった理由を考えると、そう心配するのは分かる。
これは全て善意だ。
この人はただ優しくて、娘として僕を好きでいるだけ。
けど……
静香
「いや……です……」
意識するより先に否定が出る。同時に、昨日の零時の言葉が脳裏に蘇った。
これが幸せだからと理由をつけ、押さえ込んでいるもの。
今言おうとしていることは、まさにそれだった。
言ってしまったら、今度こそ母さんとの生活はなくなってしまうかもしれない。
怖い。また氷のような眼差しで睨まれるのは嫌だ。
でも……零時の……皆の側を離れるのも、嫌だ。
こんな気分をずっと抱え続けて生きるのも……いやだ。
静香
「転校はしたくない……このまま、今の母さんと一緒にいるのも……」
心
「しず、か……?」
静香
「僕はしずかなんて名前じゃない!」
その呼ばれ方は大嫌いだった。この人が、僕を見てくれなくなる名前だから。
優しく呼ばれることがたまらなく嫌だった。思いやってくれている行動が嫌だった。
この人のくれるすべて、嫌なことだった。
静香
「僕はずっと、こんな風に母さんと一緒に暮らすのを夢見てた。ずっと出来なかったことだったから」
静香
「あなたと過ごした子供の頃なんてない。本を読んでくれてことも、晩御飯をつくってくれたこともない」
心
「なに……言って……」
静香
「あなたは僕に何の本を読んだのか……本当に覚えているんですか?」
心
「え……あ…………」
母さんは必死に思い出そうと思考をめぐらせる。けれども、思い出せるはずがない。
そんな事実は存在しないから。
それは母さんが思い描いた「愛する娘にしてあげたいこと」。
僕と同じで、この人もずっと求めていたんだ。
自分が嫌わないでいられる子供との、幸せな家庭を。
その妄想が、僕が女になったことで現実の記憶にすり替わっていただけなんだ。
気づいていた。ただ、目をそらしたかった。
僕もそうして、自分の妄想を記憶にして生きたかったから。
でも、それは本当の幸せじゃない。そう教えてくれた人がいる。
静香
「娘がハンバーグが好きだなんていつ知ったんですか? いつ、娘を愛したんですか?」
心
「……そんなの……あ、あぁ……分か、らな…………」
心
「ち、小さい頃よ……あなたが、とても小さいころ……」
静香
「幼稚園児の時? 小学生の時? 普通そのくらい覚えてるでしょう」
心
「どっち……なのか、分からない……どうして……」
静香
「そんなことは無かったからです。あなたは僕を愛したことなんてなかった」
静香
「幼稚園児の頃はずっと無視でしたね。どうして僕のことを遠ざけるのかわからなくて、悲しかった」
静香
「小学生の頃は怒鳴るようになった。大きくなるにつれ、暴力をふるった」
心
「いや、嫌よ……聞きたくないわ、そんなこと……」
静香
「すごく痛かった……殴られたところも、心も、全部が」
静香
「昨日あなたは聞きましたね、背中の痣は誰にやられたのかと」
心
「あ……あぁ、ああああああああああぁぁ!」
妄想は、真実の記憶の前では薄っぺらい膜のようなもの。
こんなにも簡単に破れてしまう。
僕が溺れていた幸せは、こんなにあっさりと消える程度のものだった。
こんなものを必死に守っていたのか、僕は。
本当に、無駄なことしかしない人生。
静香
「母さん……」
頭を抱えたまま動かなくなった母に声をかける。
しかし、返事どころかぴくりとも動かなかった。
恐るおそるその身体に触れる。
――ドサッ
静香
「…………え?」
どうやら、世界はまだ僕を甘やかしてはくれないらしい。
母さんは死んでしまったかのように、その場に倒れて動かなくなってしまった。
《自宅・居間》《零時視点》
零時
「…………」
静香が帰った後、入れ替わるように一人の男が来客した。
全く見たことも無い、身体の大きな四十過ぎくらいのオジサンだ。
その人は俺を見るなり「成長したな」と言った。
零時
「ど、どちら様ですか……?」
男
「覚えていないはずだ。君はまだ赤ん坊だったしな」
男
「早乙女義純という者だ」
早乙女……まさか、静香の父親……?
義純
「陽子さんには家に伺うと連絡したのだが、どうやら君まで伝わっていなかったようだ」
義純
「いや、あえて伝えなかったのか……あの人も見かけによらず頭が回る」
零時
「なんか、俺に会いに来たみたいな言い方ですね……」
義純
「ああ、そうだ。君に会いに来た」
零時
「な、なんで……静香に会ってやったほうがいいはずです」
義純
「父親とは名ばかりだ。私にあの子は救えん」
零時
「どういうことです?」
義純
「君には全てを話すよ。そのために休みを取ってここに来た」
それから、義純さんは静香と心さんについてのことを話し始めた。
心さんが異常なまでに男を嫌うのは、彼女が昔男に拉致監禁され酷い目にあったから。
まだ学生だった心さんは、下校途中に不良グループに目をつけられ連れ去られた。
男が若い女を捕まえてすることなんて決まっている。強姦だ。
拘束され、目と口を塞がれ、嫌だと叫ぶことも許しを請うこともできずに犯される。
男たちの行為は日に日に酷くなる。殴り、蹴り、犯し、皮膚を切り、針を刺し、火で炙り……
警察が発見した時、心さんの身体に無事なところはなかったという。
保護された後も、ひたすら怯えて嫌だやめてと泣き叫ぶ。
義純
「当時彼女を保護した警官が私だ。あの時の心は、見ていられなかった」
なんとか入院させて身体の傷は治すことができたが、心に負った傷までは消すことが出来ない。
それに、傷以外に男たちが身体に残したものもあった。
心さんは妊娠していた。恐ろしいことをした男のうちの誰かの子を。
義純
「心は中絶するべきか悩み……産むことを選んだ。自分が殺されかけたから、子供を殺すという選択ができなかったんだ」
おぞましい男たちの子が我が身に宿っていることに耐え切れず、何度も自殺未遂をした。
その度に病院の人や義純さんに止められ、生き永らえてしまったため子供は中で大きくなっていく。
腹の中に男達と同じものがあるという気持ち悪さと、子供を殺して自分が奴らと同類になる恐怖に板挟みにされる。
自分の心を壊すほどに悩んだ結果、心さんは自分自身を守ることを決めた。
そうして産まれた子供が、早乙女静香だった。
義純
「私は子供を産んで疲労している心を、無理矢理のように嫁に迎えた。哀れな彼女を放っておけなかったんだ」
義純さんが心さんと結婚したのは、言ってしまえば同情心から。
だから心さんを愛してもいないし、静香を子供だとも思っていない。
義純
「静香は感づいていたようで、あの子から距離をおいていたよ。情けないが、有難いとも思っていた」
零時
「だけど、心さんは母親だから打ち解けようとした……」
義純
「子供とは鋭く、そして愚直だ。心が静香をまともに見られるはずがないのに」
心さんからすれば、自分が産んだというだけで、望んでもない子供。
忌々しい男の遺伝子を持った男。嫌わない理由がない。
なんて……救いのない……
静香は産まれる前から残酷な道を生きると決められていたんだ。
義純
「静香がどうして女になっているのか知らないが、そのことで心が静香を愛するならそれもいいのかと思っていた」
義純
「だが、心は静香を愛したことがない。今更ちゃんと愛せるはずもない」
零時
「知って……いるんですか。今の二人のこと」
義純
「いや、私が顔を出すと心が取り乱してしまうからね。想像だ」
義純
「もう静香には君しかいないんだろう……だから君に真実を知ってほしかった」
零時
「そのこと、静香は……」
義純
「あの子が家を出ると決めた時、大まかには説明した。静香のことだから全貌に気づいているだろう」
義純
「それから、実は君の母親である陽子さんもこのことを知っている」
零時
「えっ」
義純
「静香が生まれる時に病院でな」
知らなかった……母さんと心さん、そんな時から交流があったのか。
心さんが静香を愛せないって知ってて、静香をうちに招いていたんだ。
母さんがどうして心さんを嫌わないのか不審に思っていたけど、こういうことか。
義純
「私も陽子さんも、心や静香のことを知っていたから助けようとしていた」
義純
「だが君は違う。君だけは何も知らないままで静香を愛したんだろう?」
義純
「だから静香を救ってやれるのは、君だけなんだよ」
零時
「……はい」
この重すぎる真実をどう扱えばいいのかは分からないが、俺は俺のできることをする。
あいつは俺の彼女だ。最後まで側にいて、支えてやる。
その決心だけは、もう揺るがない。
義純
「静香のことを頼む。あの子に、今できることをさせてやってくれ」
義純
「心も、もう長くないだろうしな」
零時
「…………え?」
義純さんの話を聞いた、数時間後のこと。
静香から、心さんが入院したという連絡を受けた。
《病院》
静香
「………………」
母の状態を聞かされてから、静香は病院の待合室で虚ろな目をして座っていた。
心さんは病気を抱えていた。静香が生まれるよりも前からずっと。
性感染症……何人もの相手に暴行された時、静香と共に残された傷跡だった。
治療する術はなく、長期にわたって心さんを蝕み続けていた。
病状はすでに末期を迎えていて、立つことすらままならない状態だという。
それでも彼女は最後まで入院を拒み、自分が愛しているはずの娘との生活を選んだ。
ボロボロの身体で、それを悟られないよう、優しい姿をいっぱい見せて。
静香
「しらな……かった……そんなこと」
義純さんは、静香への感染を防げたことが、唯一の幸運だったと言っていた。
このことだけは、心さんも義純さんも、ずっと隠し通してきた。
知ってしまったら、静香は何があっても母の元を離れなかっただろう。
静香と心さんは、生まれる前から離別する運命だった。なら、必要以上に近づけるほうが酷だ。
しかし静香はそんなことを知らずとも、心さんに近づこうと無駄な努力を重ねてしまったのだけれど。
母のことを嫌うことが、静香が一番幸せになれる道だった。
そんな悲しい生き方でしか、静香は救われなかった。
静香
「母さん……ずっと無理して……立っていることも辛かった程なのに……」
静香
「僕はそんな母さんに、なんてこと……うぁ、あぁぁっ……」
こうなると知っていれば、俺も静香もあと少しだけ偽りの幸せに身を任せていただろう。
結局、正しいことなんてこの世に存在しない。
何をしようと無駄なものは無駄で、救われないものは救えない。
静香
「これから……だったのに……全部捨てて、はじめようと……したのにっ」
静香
「全部なくして、はじめることすらできなくなって……」
静香
「僕が何かをするたび、全部に意味がなくなる……ぼくに、意味がないから……」
否定したかった。そんなことないと言いたかった。
でも、それが事実だから、傷つけるだけの嘘は言えない。
静香
「もう……なにも、しないから……っく、こんなの、おわりにして……う、うぅぅ」
零時
「……お前が望むなら、俺はお前を殺すよ。約束したから」
零時
「でも、俺に殺される前に、心残りのないようにしてくれ。未練のあるお前は殺せない」
静香
「み、れん……? なにもできないのに、そんなの……」
零時
「心さんの最後くらい、見届けてもいいんじゃないか?」
静香
「見届ける……見るだけなら、もう何も無駄にしない……?」
その問いに答えは返せなかった。そんなの、誰にもわからないから。
静香
「…………家に、帰る……」
零時
「静香……」
静香
「ひとりになりたいんだ……」
ゲームテキスト形式なので背景やキャラ名の指定が残っています。
原作ゲームは18禁ですが、今作は18禁シーンを削除し全年齢版として公開します。
PCを持っていない方のために、同じく全年齢版の体験版プレイ動画もございます。
詳しくは「はとごろTIMES」のホームページをご覧下さい。
また、漫画も投稿しています。そちらも是非ご覧下さい。
《早乙女家・リビング》《静香視点》
心
「昨日はごめんなさい……しずかも、触れられたくないことがあるのよね」
四ッ橋家で一日を過ごして戻ってきた時、母さんは一番に僕を抱きしめてそう言った。
昨日も感じた温もり。これを手放すことは、とても怖い。
でも、この人が見ているのは僕ではない。
……見えなくしてしまったのは……僕なのか……?
男だった時から、僕はこの人と仲良くしたくて色々なことを語りかけていた。
しかし言い換えればそれは「機嫌を取っていた」ということ。
昔から本当の僕なんて、一度たりともみせたことはなかった。
見せたところで、汚らわしい男だと殴られるのも分かっていた。
……今は、違う。
身体が震える。この温かさに触れてしまった今、失うことはとても怖い。
心
「昨日は四ッ橋さんの家に泊まったのよね。本当に彼女には頭が上がらないわ」
静香
「そうだね……でも、僕を泊めてくれたのは零時だったよ」
心
「…………」
心
「……あ、あのねしずか、ずっと思っていたことがあるのよ」
静香
「……?」
いつになく真剣な眼差しを向けられる。
何を言われるのだろう。想像もつかない。ただ、もう悲しいことは言われたくない。
心
「あなた、転校する気はない?」
静香
「てん、こう……?」
心
「今の学校、男ばかりじゃない。陽子さんの子なら私もまだ許せるけど、他の人の家とかには行かせたくないわ」
心
「少し遠い所にある女子校に通わせたいってずっと思ってた。ちゃんとあなたの学力に合った学校よ」
心
「あなたが学校に行ってる間、心配で気が気じゃないの……」
それは……母さん以外の全てを手放せということか?
母さんが男嫌いになった理由を考えると、そう心配するのは分かる。
これは全て善意だ。
この人はただ優しくて、娘として僕を好きでいるだけ。
けど……
静香
「いや……です……」
意識するより先に否定が出る。同時に、昨日の零時の言葉が脳裏に蘇った。
これが幸せだからと理由をつけ、押さえ込んでいるもの。
今言おうとしていることは、まさにそれだった。
言ってしまったら、今度こそ母さんとの生活はなくなってしまうかもしれない。
怖い。また氷のような眼差しで睨まれるのは嫌だ。
でも……零時の……皆の側を離れるのも、嫌だ。
こんな気分をずっと抱え続けて生きるのも……いやだ。
静香
「転校はしたくない……このまま、今の母さんと一緒にいるのも……」
心
「しず、か……?」
静香
「僕はしずかなんて名前じゃない!」
その呼ばれ方は大嫌いだった。この人が、僕を見てくれなくなる名前だから。
優しく呼ばれることがたまらなく嫌だった。思いやってくれている行動が嫌だった。
この人のくれるすべて、嫌なことだった。
静香
「僕はずっと、こんな風に母さんと一緒に暮らすのを夢見てた。ずっと出来なかったことだったから」
静香
「あなたと過ごした子供の頃なんてない。本を読んでくれてことも、晩御飯をつくってくれたこともない」
心
「なに……言って……」
静香
「あなたは僕に何の本を読んだのか……本当に覚えているんですか?」
心
「え……あ…………」
母さんは必死に思い出そうと思考をめぐらせる。けれども、思い出せるはずがない。
そんな事実は存在しないから。
それは母さんが思い描いた「愛する娘にしてあげたいこと」。
僕と同じで、この人もずっと求めていたんだ。
自分が嫌わないでいられる子供との、幸せな家庭を。
その妄想が、僕が女になったことで現実の記憶にすり替わっていただけなんだ。
気づいていた。ただ、目をそらしたかった。
僕もそうして、自分の妄想を記憶にして生きたかったから。
でも、それは本当の幸せじゃない。そう教えてくれた人がいる。
静香
「娘がハンバーグが好きだなんていつ知ったんですか? いつ、娘を愛したんですか?」
心
「……そんなの……あ、あぁ……分か、らな…………」
心
「ち、小さい頃よ……あなたが、とても小さいころ……」
静香
「幼稚園児の時? 小学生の時? 普通そのくらい覚えてるでしょう」
心
「どっち……なのか、分からない……どうして……」
静香
「そんなことは無かったからです。あなたは僕を愛したことなんてなかった」
静香
「幼稚園児の頃はずっと無視でしたね。どうして僕のことを遠ざけるのかわからなくて、悲しかった」
静香
「小学生の頃は怒鳴るようになった。大きくなるにつれ、暴力をふるった」
心
「いや、嫌よ……聞きたくないわ、そんなこと……」
静香
「すごく痛かった……殴られたところも、心も、全部が」
静香
「昨日あなたは聞きましたね、背中の痣は誰にやられたのかと」
心
「あ……あぁ、ああああああああああぁぁ!」
妄想は、真実の記憶の前では薄っぺらい膜のようなもの。
こんなにも簡単に破れてしまう。
僕が溺れていた幸せは、こんなにあっさりと消える程度のものだった。
こんなものを必死に守っていたのか、僕は。
本当に、無駄なことしかしない人生。
静香
「母さん……」
頭を抱えたまま動かなくなった母に声をかける。
しかし、返事どころかぴくりとも動かなかった。
恐るおそるその身体に触れる。
――ドサッ
静香
「…………え?」
どうやら、世界はまだ僕を甘やかしてはくれないらしい。
母さんは死んでしまったかのように、その場に倒れて動かなくなってしまった。
《自宅・居間》《零時視点》
零時
「…………」
静香が帰った後、入れ替わるように一人の男が来客した。
全く見たことも無い、身体の大きな四十過ぎくらいのオジサンだ。
その人は俺を見るなり「成長したな」と言った。
零時
「ど、どちら様ですか……?」
男
「覚えていないはずだ。君はまだ赤ん坊だったしな」
男
「早乙女義純という者だ」
早乙女……まさか、静香の父親……?
義純
「陽子さんには家に伺うと連絡したのだが、どうやら君まで伝わっていなかったようだ」
義純
「いや、あえて伝えなかったのか……あの人も見かけによらず頭が回る」
零時
「なんか、俺に会いに来たみたいな言い方ですね……」
義純
「ああ、そうだ。君に会いに来た」
零時
「な、なんで……静香に会ってやったほうがいいはずです」
義純
「父親とは名ばかりだ。私にあの子は救えん」
零時
「どういうことです?」
義純
「君には全てを話すよ。そのために休みを取ってここに来た」
それから、義純さんは静香と心さんについてのことを話し始めた。
心さんが異常なまでに男を嫌うのは、彼女が昔男に拉致監禁され酷い目にあったから。
まだ学生だった心さんは、下校途中に不良グループに目をつけられ連れ去られた。
男が若い女を捕まえてすることなんて決まっている。強姦だ。
拘束され、目と口を塞がれ、嫌だと叫ぶことも許しを請うこともできずに犯される。
男たちの行為は日に日に酷くなる。殴り、蹴り、犯し、皮膚を切り、針を刺し、火で炙り……
警察が発見した時、心さんの身体に無事なところはなかったという。
保護された後も、ひたすら怯えて嫌だやめてと泣き叫ぶ。
義純
「当時彼女を保護した警官が私だ。あの時の心は、見ていられなかった」
なんとか入院させて身体の傷は治すことができたが、心に負った傷までは消すことが出来ない。
それに、傷以外に男たちが身体に残したものもあった。
心さんは妊娠していた。恐ろしいことをした男のうちの誰かの子を。
義純
「心は中絶するべきか悩み……産むことを選んだ。自分が殺されかけたから、子供を殺すという選択ができなかったんだ」
おぞましい男たちの子が我が身に宿っていることに耐え切れず、何度も自殺未遂をした。
その度に病院の人や義純さんに止められ、生き永らえてしまったため子供は中で大きくなっていく。
腹の中に男達と同じものがあるという気持ち悪さと、子供を殺して自分が奴らと同類になる恐怖に板挟みにされる。
自分の心を壊すほどに悩んだ結果、心さんは自分自身を守ることを決めた。
そうして産まれた子供が、早乙女静香だった。
義純
「私は子供を産んで疲労している心を、無理矢理のように嫁に迎えた。哀れな彼女を放っておけなかったんだ」
義純さんが心さんと結婚したのは、言ってしまえば同情心から。
だから心さんを愛してもいないし、静香を子供だとも思っていない。
義純
「静香は感づいていたようで、あの子から距離をおいていたよ。情けないが、有難いとも思っていた」
零時
「だけど、心さんは母親だから打ち解けようとした……」
義純
「子供とは鋭く、そして愚直だ。心が静香をまともに見られるはずがないのに」
心さんからすれば、自分が産んだというだけで、望んでもない子供。
忌々しい男の遺伝子を持った男。嫌わない理由がない。
なんて……救いのない……
静香は産まれる前から残酷な道を生きると決められていたんだ。
義純
「静香がどうして女になっているのか知らないが、そのことで心が静香を愛するならそれもいいのかと思っていた」
義純
「だが、心は静香を愛したことがない。今更ちゃんと愛せるはずもない」
零時
「知って……いるんですか。今の二人のこと」
義純
「いや、私が顔を出すと心が取り乱してしまうからね。想像だ」
義純
「もう静香には君しかいないんだろう……だから君に真実を知ってほしかった」
零時
「そのこと、静香は……」
義純
「あの子が家を出ると決めた時、大まかには説明した。静香のことだから全貌に気づいているだろう」
義純
「それから、実は君の母親である陽子さんもこのことを知っている」
零時
「えっ」
義純
「静香が生まれる時に病院でな」
知らなかった……母さんと心さん、そんな時から交流があったのか。
心さんが静香を愛せないって知ってて、静香をうちに招いていたんだ。
母さんがどうして心さんを嫌わないのか不審に思っていたけど、こういうことか。
義純
「私も陽子さんも、心や静香のことを知っていたから助けようとしていた」
義純
「だが君は違う。君だけは何も知らないままで静香を愛したんだろう?」
義純
「だから静香を救ってやれるのは、君だけなんだよ」
零時
「……はい」
この重すぎる真実をどう扱えばいいのかは分からないが、俺は俺のできることをする。
あいつは俺の彼女だ。最後まで側にいて、支えてやる。
その決心だけは、もう揺るがない。
義純
「静香のことを頼む。あの子に、今できることをさせてやってくれ」
義純
「心も、もう長くないだろうしな」
零時
「…………え?」
義純さんの話を聞いた、数時間後のこと。
静香から、心さんが入院したという連絡を受けた。
《病院》
静香
「………………」
母の状態を聞かされてから、静香は病院の待合室で虚ろな目をして座っていた。
心さんは病気を抱えていた。静香が生まれるよりも前からずっと。
性感染症……何人もの相手に暴行された時、静香と共に残された傷跡だった。
治療する術はなく、長期にわたって心さんを蝕み続けていた。
病状はすでに末期を迎えていて、立つことすらままならない状態だという。
それでも彼女は最後まで入院を拒み、自分が愛しているはずの娘との生活を選んだ。
ボロボロの身体で、それを悟られないよう、優しい姿をいっぱい見せて。
静香
「しらな……かった……そんなこと」
義純さんは、静香への感染を防げたことが、唯一の幸運だったと言っていた。
このことだけは、心さんも義純さんも、ずっと隠し通してきた。
知ってしまったら、静香は何があっても母の元を離れなかっただろう。
静香と心さんは、生まれる前から離別する運命だった。なら、必要以上に近づけるほうが酷だ。
しかし静香はそんなことを知らずとも、心さんに近づこうと無駄な努力を重ねてしまったのだけれど。
母のことを嫌うことが、静香が一番幸せになれる道だった。
そんな悲しい生き方でしか、静香は救われなかった。
静香
「母さん……ずっと無理して……立っていることも辛かった程なのに……」
静香
「僕はそんな母さんに、なんてこと……うぁ、あぁぁっ……」
こうなると知っていれば、俺も静香もあと少しだけ偽りの幸せに身を任せていただろう。
結局、正しいことなんてこの世に存在しない。
何をしようと無駄なものは無駄で、救われないものは救えない。
静香
「これから……だったのに……全部捨てて、はじめようと……したのにっ」
静香
「全部なくして、はじめることすらできなくなって……」
静香
「僕が何かをするたび、全部に意味がなくなる……ぼくに、意味がないから……」
否定したかった。そんなことないと言いたかった。
でも、それが事実だから、傷つけるだけの嘘は言えない。
静香
「もう……なにも、しないから……っく、こんなの、おわりにして……う、うぅぅ」
零時
「……お前が望むなら、俺はお前を殺すよ。約束したから」
零時
「でも、俺に殺される前に、心残りのないようにしてくれ。未練のあるお前は殺せない」
静香
「み、れん……? なにもできないのに、そんなの……」
零時
「心さんの最後くらい、見届けてもいいんじゃないか?」
静香
「見届ける……見るだけなら、もう何も無駄にしない……?」
その問いに答えは返せなかった。そんなの、誰にもわからないから。
静香
「…………家に、帰る……」
零時
「静香……」
静香
「ひとりになりたいんだ……」
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