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三学期末テストの返却日。
自分の手元に渡された順位票には、慣れ親しんだ四位の文字が記されていた。
「園田は?」
「今回は勝った」
ビシッとブイサインを返される。今回は一位に返り咲いたようだ。毎日のように放課後に残って教え合っていた成果だろう。
工藤は三位だろうか。そう思い、その席に目を向ける。
珍しいことに、工藤は自席で、女子に話しかけられていた。
誰とでも気軽に話す工藤だが、女子とはあまり接点がない。異性の嘘に苦手意識があるらしい。今も少し気まずそうな顔をしている。
相手はいつも園田とトップ争いをしている水原だ。笑っているとも怒っているともとれるボーっとした表情で、席に座る工藤を見下ろしている。
「えっと……水原チャン? おれ、なんかした?」
「くどーくん、二位?」
「んぇ? うわ、ホントだ!」
水原に聞かれてから自分の順位を確認したらしい。本人もどうせ三位だと思っていたんだろう。むーっと膨れっ面を向ける水原の前で、素で驚いていた。
「ってことは、水原チャン三位?」
「うん。一年最後なのに、くやしぃなーって思ったから聞きにきたの」
「そ、そぉなんだ……? 今回数学とかムズかったもんねぇ」
「やっぱり記憶力だけだと、限界があるなぁ。くどーくん、最近授業起きてたもんね」
そう、工藤はここ最近、寝ない授業が増えていた。
工藤は天才型の感覚派なので、自分が理解できていることを他人に伝えるのが苦手だ。答えは教えられるが、解き方が教えられない。勉強会の時にそれを実感したようで、教えるという観点を理解するために授業を聞くことが増えていた。
だから今回工藤が点数を上げているのは当然の結果とも言える。
「水原チャン、よく見てんね……?」
「目立つもん」
「そぉすか」
女子相手にたじろいでいる工藤が面白くて、つい笑ってしまう。それを工藤に聞かれ、気まずそうに睨まれた。ちなみに園田も笑ったので同罪だ。
しかし、これで一位から四位までが確定した。真壁はどうだっただろう。
順位票を受け取った真壁は、自席に戻ることなくこちらへ歩いてくる。
いつもの無表情。焦りや恐れは一切感じない。
どうでしたかと聞かれたので、それぞれ結果を伝える。
「一緒に勉強していれば当然ですが、越えられないものですね」
「何言ってんだ、本調子じゃないお前に抜かれたら、俺ら遊んでたのかって話だ」
「ホントだよ。まだ病人って自覚持ちなね。けど、真壁も悪い結果じゃなさそうだね」
「はい」
順位票をそのまま見せられる。俺と僅差の五位だった。
点数配分を見ると、酷いと話していた社会科と語学系の向上が見て取れる。病状の回復効果が如実に表れていた。
「良かったね! これ、お母さん納得しそう?」
「順位的には微妙ですが、点数的には前回三位の時と同等なので、大丈夫だと思います」
「そっか。これでルール撤廃の効果、証明できたね! 今日は俺も家行っていい?」
「はい。むしろ助かります」
「しっかし、数学高けぇな。今回難しかったのに」
「数学は元からこのくらいでした。ここ最近は少し落ち気味でしたが」
「物理と化学も高いし、文系志望なの勿体ないな」
「そういえば、文系選んだのって真壁の意思? 強制?」
「両方です。親からは法学部に行けと言われていますが、自分の希望も文系学部なので」
その言い方だと、希望学部は親と相違があるようだ。ここから先、それも闘っていかなければならないのだろう。
真壁の症状は、まだほとんど良くなっていない。味覚は日ごとにばらつきがあり、睡眠も途中覚醒が残っている。記憶についてはケーキの日以降だいぶ改善しているようだが、まだ自力でコントロールできない日もある。精神科にも定期的に通い、治療を続けている。
今回の結果は、一歩目を踏み出したに過ぎない。
それでも、先の道から霧が晴れつつある。艱難汝を玉にす。進み続けるのが人生なのだろう。
というか、この状態でテスト結果僅差なのだから、次には追い抜かれてしまいそうだ。いや、二年からは科目も変わるから、まだなんとも言えないか。
そんなことを考えていると、横から真壁に頬をつつかれた。
振り返ると、柔らかく、それでいて少し挑発的に笑っていた。
「同じ文系同士、来年もよろしくお願いいたします。本調子に戻れば、すぐ追い抜いちまうかもよ?」
「!?」
「お覚悟を♪」
一瞬剥がれた仮面に虚を突かれる。
「おまっ、こんな教室のど真ん中で!」
「はて、何の事やら分かりかねます」
「こいつ……っ」
やり込められたようで悔しい。横で見ていた園田が、真壁と顔を合わせて笑った。教室で楽し気に振舞えるのは良いことだが、悔しさが邪魔して素直に喜べない。
いつのまにか水原から逃げてきた工藤が横にいて、「これまたマイルドな苦味」と妙に感心した顔で言った。嘘や誤魔化しにも色々ある。うまく使っていけるなら、それがいい。
春休みには、初めて幾度かの会う約束を織り交ぜた。
うちを使えば窃盗を心配する必要がないと気づいたのが大きい。息抜きがどれだけ重要かも学んだ。集まって課題を進め、合間にだらだらとお喋りしたり、持ち寄ったゲームで遊んだ。工藤と園田が持ってくるアナログゲームが主だった。
一応この家にもゲーム機はあるが、それはあまり使われなかった。不慣れな真壁に不利すぎる上、下手に手を出して時間を溶かしては、学生の本分を疎かにしてしまう。短時間でキリがつき、それなりに頭を働かせるようなボードゲームは全員に都合が良かった。
嘘を必要とするゲームが工藤に有利過ぎるのが難点だったが、あれは魔法でなく洞察なので、工夫次第で対抗できる。最近はそれも含めて楽しむようになっていた。
真壁が毎月の楽しみにしている映画にも四人で行った。工藤が洋画アニメを推すと、真壁は目を輝かせて賛同した。アニメ自体禁止されていたので、いつも予告を見て気になっていたと、興奮気味に食いついていた。男子高校生四人で、可愛らしい動物キャラクターが冒険する映画を見ることになった。
園田はここぞとばかりにコラボ柄のポップコーンとドリンクを購入し、嬉々として俺に持たせた。「両手塞がなきゃだもんね」なんて言って。どう考えても似合わない。それが面白いらしく、写真まで撮られた。楽しそうで何よりだが、遊ばれるのはムカつくので軽く蹴った。
短い春休みはあっという間に過ぎ、新学期が訪れる。
特進科にクラス替えはない。変化といえば、普通科への移動で数人減ったことと、文理で出席番号が分かれたことくらいだ。園田と工藤が理系なので、今年は席が離れてしまった。寂しくはあるが、支障という程ではない。
昼休みに使っていた空き教室は今年も無人だった。有難く使わせてもらうことにする。
園田の弁当がない日、俺は真壁を購買に誘った。
いつもの窃盗対策だと思ったのだろう。真壁は「構いません」と嫌な顔ひとつせず承諾してくれた。
しかし、その日の目的はそれだけではない。
「真壁の分も買うよ」
「僕、弁当ありますけど」
知っている。母親が用意した、バランスの考えられたお手本のような弁当だ。
未だ療養中の真壁は、生活習慣には人一倍気を配っている。元々の真面目さもあり、少し制限が緩和されたからといって、好き勝手したりしない。男子高校生にとっては少し物足りないだろうに、間食は必要最低限にとどめている。
けれど、これは特別だ。最低限の中に含めて欲しい。
「約束したろ? パン買うって」
「…………あっ」
すっかり忘れていたようで、目を丸くして声を漏らした。
冬期講習最終日、買い物につき合わせた時にした約束。あれをようやく果たす時が来た。
あの日からずっと、俺のスマホにはこの約束が残されていたんだ。
「あんな約束、覚えていてくださったんですか」
「すっげぇ楽しみな顔してたからさ」
「そうですね、年末くらいまでは楽しみにしていました。けど、その後ケーキ屋の広告を見て、上書きされてしまって。ビュッフェもありましたし」
「パン一つでそれらには勝てねーよな」
「まさか今返ってくるとは」
「お礼なんだから、味覚戻ってからにしようと思ってさ。今はもうルールもないし、一緒に買いに行って渡してもいいよな?」
真壁の味覚は完全ではないが、もうほとんど戻っている。まだ肉の塊には若干の違和感が残るようだが、それ以外は元通りだと言っていた。
「こちらから所望したものですから、有難く受け取らせて頂きます。僕が持っていて違和感ないですか?」
「高校生が購買のパン持ってて何の違和感があんだよ」
「ふふ、確かに」
ある程度の自由を手にしたとはいえ、真壁の生活は大きく変わらない。
外では礼儀正しく、丁寧に、恥じない姿を心がける。雰囲気はだいぶ和らいだが、その姿勢を崩すことはなかった。この仮面は、あって損するものではない。ずっとこうしてきたのだから、今更変えるつもりはないようだ。
元々そこまで家庭に不満を感じていたわけではなく、折り合いをつけて上手くやっていた。行き過ぎてしまった部分に外部から手を入れて正していけば、納得のいく形に戻すことができるだろう。
砕けた口調も失くしてはいないので、四人の時にはその姿を見せる。秘密は秘密のままに、同類だけが知っていればそれでいいと、いたずらを仕掛ける子供のように話していた。
「菓子パンですら今まで許されなかったのに、あんな見るからにベタベタで甘そうなパン、背徳的です。そのうえチョコチップまで散らすなんて、まさに悪の所業。興奮してしまいますね」
「パン一つでそこまで喜ぶか。いや、お礼なんだからいいけどさ」
「喜びは安い方が人生得をするというものです」
スキップでもしそうな勢いで前へ出る。俺の窃盗防止なんてもう頭になさそうだ。水を差したくないので、自分で気をつけることにする。
「情けは人の為ならず、ですね。あんな約束律儀に守って下さって。ほんと、持つべきものは友達だな」
機嫌良くそんなことを言われては叶わない。あの日、頼ったのは俺だと言うのに。
困った時はお互い様。そう損得なしに考えられる関係を、この先も守っていけたらいい。
その先駆けとして、期待に胸を躍らせるこの友人へ、恩を返しに行こう。
自分の手元に渡された順位票には、慣れ親しんだ四位の文字が記されていた。
「園田は?」
「今回は勝った」
ビシッとブイサインを返される。今回は一位に返り咲いたようだ。毎日のように放課後に残って教え合っていた成果だろう。
工藤は三位だろうか。そう思い、その席に目を向ける。
珍しいことに、工藤は自席で、女子に話しかけられていた。
誰とでも気軽に話す工藤だが、女子とはあまり接点がない。異性の嘘に苦手意識があるらしい。今も少し気まずそうな顔をしている。
相手はいつも園田とトップ争いをしている水原だ。笑っているとも怒っているともとれるボーっとした表情で、席に座る工藤を見下ろしている。
「えっと……水原チャン? おれ、なんかした?」
「くどーくん、二位?」
「んぇ? うわ、ホントだ!」
水原に聞かれてから自分の順位を確認したらしい。本人もどうせ三位だと思っていたんだろう。むーっと膨れっ面を向ける水原の前で、素で驚いていた。
「ってことは、水原チャン三位?」
「うん。一年最後なのに、くやしぃなーって思ったから聞きにきたの」
「そ、そぉなんだ……? 今回数学とかムズかったもんねぇ」
「やっぱり記憶力だけだと、限界があるなぁ。くどーくん、最近授業起きてたもんね」
そう、工藤はここ最近、寝ない授業が増えていた。
工藤は天才型の感覚派なので、自分が理解できていることを他人に伝えるのが苦手だ。答えは教えられるが、解き方が教えられない。勉強会の時にそれを実感したようで、教えるという観点を理解するために授業を聞くことが増えていた。
だから今回工藤が点数を上げているのは当然の結果とも言える。
「水原チャン、よく見てんね……?」
「目立つもん」
「そぉすか」
女子相手にたじろいでいる工藤が面白くて、つい笑ってしまう。それを工藤に聞かれ、気まずそうに睨まれた。ちなみに園田も笑ったので同罪だ。
しかし、これで一位から四位までが確定した。真壁はどうだっただろう。
順位票を受け取った真壁は、自席に戻ることなくこちらへ歩いてくる。
いつもの無表情。焦りや恐れは一切感じない。
どうでしたかと聞かれたので、それぞれ結果を伝える。
「一緒に勉強していれば当然ですが、越えられないものですね」
「何言ってんだ、本調子じゃないお前に抜かれたら、俺ら遊んでたのかって話だ」
「ホントだよ。まだ病人って自覚持ちなね。けど、真壁も悪い結果じゃなさそうだね」
「はい」
順位票をそのまま見せられる。俺と僅差の五位だった。
点数配分を見ると、酷いと話していた社会科と語学系の向上が見て取れる。病状の回復効果が如実に表れていた。
「良かったね! これ、お母さん納得しそう?」
「順位的には微妙ですが、点数的には前回三位の時と同等なので、大丈夫だと思います」
「そっか。これでルール撤廃の効果、証明できたね! 今日は俺も家行っていい?」
「はい。むしろ助かります」
「しっかし、数学高けぇな。今回難しかったのに」
「数学は元からこのくらいでした。ここ最近は少し落ち気味でしたが」
「物理と化学も高いし、文系志望なの勿体ないな」
「そういえば、文系選んだのって真壁の意思? 強制?」
「両方です。親からは法学部に行けと言われていますが、自分の希望も文系学部なので」
その言い方だと、希望学部は親と相違があるようだ。ここから先、それも闘っていかなければならないのだろう。
真壁の症状は、まだほとんど良くなっていない。味覚は日ごとにばらつきがあり、睡眠も途中覚醒が残っている。記憶についてはケーキの日以降だいぶ改善しているようだが、まだ自力でコントロールできない日もある。精神科にも定期的に通い、治療を続けている。
今回の結果は、一歩目を踏み出したに過ぎない。
それでも、先の道から霧が晴れつつある。艱難汝を玉にす。進み続けるのが人生なのだろう。
というか、この状態でテスト結果僅差なのだから、次には追い抜かれてしまいそうだ。いや、二年からは科目も変わるから、まだなんとも言えないか。
そんなことを考えていると、横から真壁に頬をつつかれた。
振り返ると、柔らかく、それでいて少し挑発的に笑っていた。
「同じ文系同士、来年もよろしくお願いいたします。本調子に戻れば、すぐ追い抜いちまうかもよ?」
「!?」
「お覚悟を♪」
一瞬剥がれた仮面に虚を突かれる。
「おまっ、こんな教室のど真ん中で!」
「はて、何の事やら分かりかねます」
「こいつ……っ」
やり込められたようで悔しい。横で見ていた園田が、真壁と顔を合わせて笑った。教室で楽し気に振舞えるのは良いことだが、悔しさが邪魔して素直に喜べない。
いつのまにか水原から逃げてきた工藤が横にいて、「これまたマイルドな苦味」と妙に感心した顔で言った。嘘や誤魔化しにも色々ある。うまく使っていけるなら、それがいい。
春休みには、初めて幾度かの会う約束を織り交ぜた。
うちを使えば窃盗を心配する必要がないと気づいたのが大きい。息抜きがどれだけ重要かも学んだ。集まって課題を進め、合間にだらだらとお喋りしたり、持ち寄ったゲームで遊んだ。工藤と園田が持ってくるアナログゲームが主だった。
一応この家にもゲーム機はあるが、それはあまり使われなかった。不慣れな真壁に不利すぎる上、下手に手を出して時間を溶かしては、学生の本分を疎かにしてしまう。短時間でキリがつき、それなりに頭を働かせるようなボードゲームは全員に都合が良かった。
嘘を必要とするゲームが工藤に有利過ぎるのが難点だったが、あれは魔法でなく洞察なので、工夫次第で対抗できる。最近はそれも含めて楽しむようになっていた。
真壁が毎月の楽しみにしている映画にも四人で行った。工藤が洋画アニメを推すと、真壁は目を輝かせて賛同した。アニメ自体禁止されていたので、いつも予告を見て気になっていたと、興奮気味に食いついていた。男子高校生四人で、可愛らしい動物キャラクターが冒険する映画を見ることになった。
園田はここぞとばかりにコラボ柄のポップコーンとドリンクを購入し、嬉々として俺に持たせた。「両手塞がなきゃだもんね」なんて言って。どう考えても似合わない。それが面白いらしく、写真まで撮られた。楽しそうで何よりだが、遊ばれるのはムカつくので軽く蹴った。
短い春休みはあっという間に過ぎ、新学期が訪れる。
特進科にクラス替えはない。変化といえば、普通科への移動で数人減ったことと、文理で出席番号が分かれたことくらいだ。園田と工藤が理系なので、今年は席が離れてしまった。寂しくはあるが、支障という程ではない。
昼休みに使っていた空き教室は今年も無人だった。有難く使わせてもらうことにする。
園田の弁当がない日、俺は真壁を購買に誘った。
いつもの窃盗対策だと思ったのだろう。真壁は「構いません」と嫌な顔ひとつせず承諾してくれた。
しかし、その日の目的はそれだけではない。
「真壁の分も買うよ」
「僕、弁当ありますけど」
知っている。母親が用意した、バランスの考えられたお手本のような弁当だ。
未だ療養中の真壁は、生活習慣には人一倍気を配っている。元々の真面目さもあり、少し制限が緩和されたからといって、好き勝手したりしない。男子高校生にとっては少し物足りないだろうに、間食は必要最低限にとどめている。
けれど、これは特別だ。最低限の中に含めて欲しい。
「約束したろ? パン買うって」
「…………あっ」
すっかり忘れていたようで、目を丸くして声を漏らした。
冬期講習最終日、買い物につき合わせた時にした約束。あれをようやく果たす時が来た。
あの日からずっと、俺のスマホにはこの約束が残されていたんだ。
「あんな約束、覚えていてくださったんですか」
「すっげぇ楽しみな顔してたからさ」
「そうですね、年末くらいまでは楽しみにしていました。けど、その後ケーキ屋の広告を見て、上書きされてしまって。ビュッフェもありましたし」
「パン一つでそれらには勝てねーよな」
「まさか今返ってくるとは」
「お礼なんだから、味覚戻ってからにしようと思ってさ。今はもうルールもないし、一緒に買いに行って渡してもいいよな?」
真壁の味覚は完全ではないが、もうほとんど戻っている。まだ肉の塊には若干の違和感が残るようだが、それ以外は元通りだと言っていた。
「こちらから所望したものですから、有難く受け取らせて頂きます。僕が持っていて違和感ないですか?」
「高校生が購買のパン持ってて何の違和感があんだよ」
「ふふ、確かに」
ある程度の自由を手にしたとはいえ、真壁の生活は大きく変わらない。
外では礼儀正しく、丁寧に、恥じない姿を心がける。雰囲気はだいぶ和らいだが、その姿勢を崩すことはなかった。この仮面は、あって損するものではない。ずっとこうしてきたのだから、今更変えるつもりはないようだ。
元々そこまで家庭に不満を感じていたわけではなく、折り合いをつけて上手くやっていた。行き過ぎてしまった部分に外部から手を入れて正していけば、納得のいく形に戻すことができるだろう。
砕けた口調も失くしてはいないので、四人の時にはその姿を見せる。秘密は秘密のままに、同類だけが知っていればそれでいいと、いたずらを仕掛ける子供のように話していた。
「菓子パンですら今まで許されなかったのに、あんな見るからにベタベタで甘そうなパン、背徳的です。そのうえチョコチップまで散らすなんて、まさに悪の所業。興奮してしまいますね」
「パン一つでそこまで喜ぶか。いや、お礼なんだからいいけどさ」
「喜びは安い方が人生得をするというものです」
スキップでもしそうな勢いで前へ出る。俺の窃盗防止なんてもう頭になさそうだ。水を差したくないので、自分で気をつけることにする。
「情けは人の為ならず、ですね。あんな約束律儀に守って下さって。ほんと、持つべきものは友達だな」
機嫌良くそんなことを言われては叶わない。あの日、頼ったのは俺だと言うのに。
困った時はお互い様。そう損得なしに考えられる関係を、この先も守っていけたらいい。
その先駆けとして、期待に胸を躍らせるこの友人へ、恩を返しに行こう。
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