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3.disguise

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 しばらくすると、養護教諭が戻ってくる。ガラリと扉を開ける音で、真壁がびくりと身体を震わせた。
「あ、良かった。目を覚ましたんだね」
 養護教諭の声掛けに、真壁は数回瞬きをする。それから周りと俺達の顔を見渡して、困ったように眉をひそめた。
「ここは……?」
 今までの会話がリセットされてしまったかのような素振り。園田が落ち着いた声色で「保健室だよ。教室で倒れたの、覚えてない?」と、先ほどと同じやり取りをした。
「倒れ……い、いま何時ですか!?」
「えっと、十七時過ぎだね」
「僕のスマホ、どこですか!? 親に連絡しないと……!」
「ああ、それは大丈夫だよ。佐藤先生が連絡しているし、この後僕からも改めて話をする予定です」
 教師から連絡済みという言葉に、真壁はわかりやすく狼狽した。何も大丈夫ではないと全身で語っている。
 養護教諭は園田と場所を入れ替え、真壁を正面から見据えた。再び体温を測り、平熱まで下がっていることを確認する。
「真壁君。最近の様子は担任の佐藤先生から聞いています。はっきり言って、このまま何もせず君を帰すことはできない」
「どうして、ですか。困ります」
「家庭の事情に介入はできないけど、今回の件を簡単に見過ごすことはできません。これからいくつか質問をするから、正直に答えて」
 そう言った後、養護教諭は俺達にも視線を投げた。
「君たちも、知っていることは教えてください。真壁君、答えたくないことは、答えたくないと言って構いませんからね」
「……かしこまりました」
 優等生の真壁侑李が、目上の人間に逆らうことはありえない。定期連絡を怠ったことに怯えているのだろうが、それを理由にここから逃げることはなかった。
 養護教諭は真壁の表情や仕草を確認しながら、手元に用意した紙に書かれた質問を投げていく。
「まず、どうして倒れてしまったのか、心当たりは?」
「……元々、体調が良くありませんでした。管理不十分です。ご迷惑をおかけし、申し訳ございません」
「怒っているわけじゃないよ、安心して。じゃあ、どうして体調が悪くなったのかな」
「えっと……うまく、眠れていない感覚がありました」
「睡眠時間がどのくらいかは分かる?」
「ハッキリとは分かりません。いつ眠っているのか、覚えていないことが多いです」
「眠る前は何をしている?」
「自主勉強です。夜の八時から深夜二時まで。間に一時間休憩しています」
「テレビやパソコン、スマートフォンなんかは見る?」
「スマートフォンは、調べものがある時だけ見ます。基本触りません。画面使用状況を確認されるので」
「使用状況を……? それは誰に?」
「母です。必要以上に使用していないことを、エビデンスを提示して報告します」
「それはどのくらいの頻度で?」
「夕食前に毎日です」
「なるほど……」
 養護教諭は、手元の紙にスラスラと何かを書き込んでいく。
 真壁の家庭が厳しいことについては、佐藤先生からある程度は聞いているだろう。しかし、何をどう厳しいのかという具体例は、今初めて知るはずだ。俺達ですら、そうなのだから。
 真壁の様子を見る限り、厳しく制限されているという自覚は薄そうだ。深刻そうな顔の養護教諭を、どこか他人事のように見ていた。
「次は食事について。一日三食たべていますか? ここ二週間くらいの平均で考えてくれたらいいよ」
「はい。食事は全て母が用意してくれますので、すべて食べています」
「それ以外の間食は?」
「たべません」
「食欲がない時はある?」
「空腹感は、最近あまり感じません。三食決まった時間に食べるだけです」
「食欲がなくても、無理して食べているということかな」
「残すわけにはいきません。その後吐き戻すことはあっても、完食するようにしています」
「戻しちゃうことがあるんだね。頻度は?」
「最近だと、二日に一度くらいでしょうか……?」
「戻したり、食欲がない原因に心当たりはある?」
「……何を食べているのか、わからないからだと思います」
「料理がわからないとか、そういうこと?」
「いえ……。味が、わからなくて」
「そうなんだね。それはいつ頃から?」
「ええと……二、三週間ほど前……だと思います」
 淡々と答えているが、耳を疑うことばかりだった。
 真壁は教室で、一人で弁当を食べる。ただ黙々と箸を進めている姿を何度か見ているが、味覚に影響が出ているだなんて思いもしなかった。
 それからも、養護教諭は状況を聞き出していく。
 家での過ごし方は、一時間単位でスケジューリングされていること。
 何か計画外のことがあれば、その都度計画を修正するか、挽回策を提示しなければならないこと。
 朝学校に着いた時と、終業後学校を出た時、チャットで報告しなければならないこと。
 消耗品の購入は、今まではレシートを渡して報告していたが、最近は申告して許可を得てからでないと買いに行けないこと。
 娯楽の類は図書室や図書館で借りられる本と、月一の映画鑑賞。映画は洋画か時代物の縛りがあり、半券の提示が必要なこと。最近は電子書籍の購入も許されているが、購入するものは全てチェックされること。
 どれも厳しい会社のような制限で、高校生の日常に適用されるものではない。
 一つでも億劫になるものばかりなのに、数が積み重なって、がんじがらめの牢獄のようだ。
「では、最後に。とくに厳しくなったのは最近だと言っていたね。その原因に心当たりはありますか?」
「直近のテスト結果です。不出来で、順位を落とし続けていますから。一度上がったことで慢心し、努力を怠っているのだと」
 それだけではない。
 本当の原因は、俺達と行った食事と、真壁の二面性にある。
 やはり、今の真壁はその記憶を引き出せないようだ。横で工藤が「やっぱ嘘じゃないんだ」と呟くのを聞き、確信した。
「立川君」
 急に養護教諭に名指しされ、思わずびくりと肩を震わせた。
「きみから佐藤先生に、真壁君の記憶が抜けていると相談したんだよね。それは今の話に出ていたこと?」
「あ……いえ、テスト最終日のことなので、出てません」
 詳しく聞かれたため、四人で食事に行ったことだけを伝えた。本当は真壁の二面性についても話した方がいいのだろうが、どう切り出したらいいのかわからなかった。
 真壁はやはり食事の記憶も、その約束をした記憶も思い出せないようだ。しかし、三人が行ったと語ることで、自信のない素振りを見せ始めた。
 それでも覚えていないものは覚えていないと、頭を抱えてしまう。
「睡眠、味覚に記憶障害……だいぶ深刻ですね。ちなみに、その食事に行った証拠のようなものはある? 写真を撮ったとか、レシートとか」
「レシート……何も気にせずレジ横に捨ててきた気がします。会計0円だし」
「写真もなー。なんか残ってっと真壁が困るかと思って、撮んなかったんですよぉ」
「……もしかして」
 はっとした様子で声を上げたのは、園田だった。
「あるかもしれない、証拠。真壁、ちょっとスマホ貸してくれない?」
「構いませんが……」
 許可が出たので、真壁の鞄からスマホを拝借する。ロックだけ解除してもらい、そのまま園田へと渡した。
 園田はスマホを俺達にも見えるように、側の机に置いて操作する。設定画面からアプリ一覧を開き、上から確認していく。
「あった、録音アプリ。バックグラウンドで起動してる」
「と、盗聴ってこと!?」
 誰よりも驚いたのは養護教諭だった。もちろん俺と工藤も驚いていたが、どちらかというと盗聴云々より、それをあっさりと暴いた園田が怖かった。
「真壁、毎日親がスマホチェックするんだよね?」
「は、はい。画面使用状況を開いて渡しています」
「その時に録音を止めて、データをどこかに転送してるんじゃないかな。容量的に端末には残してなさそう。クラウドのドライブとか……あ、これだ。音声データ、今年に入ってから残ってる」
 のぞき込むと、たしかに始業式の日から一日一ファイルの音声データが表示されていた。
 これで食事に行ったことと、真壁の口調がバレた理由も説明がつく。
 真壁はこのことについて、まったく知らなかったと顔を青ざめさせた。電池消費が増えたことには気づいていたが、画面使用状況には表れていなかったので、バッテリーの劣化だと思っていたようだ。
「食事に行った時の、再生してもらえるかな。真壁くんが聞きたくないなら、席を外して聞くよ」
「いえ、ここで問題ありません」
 真壁は困惑しつつもそう答えた。もう自分の記憶が信用できないのは明白で、確実なものに縋りたいのだろう。
 食事に行った日のデータを開き、夜の時間にあたりをつけて再生する。
 鞄に入った状態で録音しているので音は少し遠く、会話相手の声は聞き取りづらかったが、真壁の声を確認するには十分だった。
 食事中の真壁は今と全く口調が違う。養護教諭は目を白黒させながら聞いている。
 真壁本人は、記憶がないなら取り乱すかと思っていたが、意外と冷静に聞いていた。
「えっと……真壁君、友達と喋る時はこうなのかな?」
「いえ、僕は誰に対しても丁寧語です。クラスメイト相手でも変わりません」
 こちらに確認の矛先が向いたので、頷く。
「真壁は普段から敬語です。けど、録音の喋り方もしてました。多分俺達の前でだけ。うまく使い分けてストレス発散してるって本人から聞きました」
「おれらも偶然知っちゃっただけで、一人の時にだけ使う口調だったらしーよ」
「一人の時、か。真壁君は、自分がこうして喋ってる意識はある?」
「…………難しい、です」
「わからないことは、わからないでいいよ。話せることだけ言ってみて」
「理解は、あります。こうして聞けば、自分だと認識もできます。この日のことは……覚えていないと思っていましたが、少し違うかもしれません。レストランでの光景は思い浮かべることができます。自力で思い出せないだけで、記憶はある、というか」
「今、その時の話し方はできる?」
「わかり、ません。元々できていたのは分かりますが……それが、とても遠くに、います。自分なのに、違う気もして」
「撮った動画を見ているような感じかな」
「そうかもしれません」
 横から口を挟み、目を覚ました時の口調は砕けていたことを伝える。
 真壁はそのことを上手く思い出せないが、覚えている気がすると話す。目を覚まして、何か会話をしたという表面的な記憶はあると。
「解離の症状まで出ていると、難しいな。とりあえず、今日は僕が自宅まで送ります。その時に親御さんと話すつもりですが、明日は病院に行ってほしい。心もだけど、まずは身体だね。吐いてしまっているなら栄養状態を検査したほうがいい」
「欠席はできません。そんな遅れ、どう取り戻せばいいのか……」
「そこはまぁ、頼れそうな人達がいるんじゃないかな」
 そう俺達にふられるので、当然のように頷いた。
「授業のことはノート取っとけばいいよな」
「い、いえ、そんなご迷惑、おかけすることは」
「言うほど迷惑でもねぇよ。あ、工藤、お前やれば? そしたら寝ないんじゃね?」
「そ、そこでおれに来るかぁ。頑張っけど、保険は欲しいなぁーなんて」
「三人いれば大丈夫でしょ。真壁に伝える時、俺らの復習にもなるしね」
 自分たちにも利点があるのだと言えば、真壁は納得せずとも閉口した。
 遅れなんて気にしているが、この状態でまともな勉強ができるわけがない。いくら強制したところで逆効果だろう。今は治療に専念させるべきだ。
 養護教諭の口ぶりにも、真壁に有無を言わせない圧を感じる。これだけ様々な症状が出ている生徒を放置はできないだろう。
「さて、今日はここまでだね。真壁君も身体が大丈夫なら帰ろう」
 俺達も帰るように促される。今後真壁の治療に協力する気があるならば、明日の放課後、また保健室に来るようにとも言われた。あとは任せろと突き放されなかったことに安堵し、帰路についた。
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