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 事態が動いたのは、部活停止期間に入って三日目のことだった。
「えっ!?」
 リアルタイム側の映像を確認していた園田が、声を荒げて画面に近づく。
 つられて後ろから覗き込むと、野球部の部室前に一人の生徒が立っていた。
 肩くらいまである髪と、学校指定のものではない大きめのカーディガン。目を覆い隠すサイズの黒淵眼鏡。
 ぱっと見女子かと思ったが、ズボンを履いているので男子生徒だろう。体格は細めで、野球部らしくはない。
 園田は食い入るように画面を見ている。
「そいつがどうかしたか?」
「これ……工藤、じゃない……?」
「は!?」
 言われて、再度画面に目を向ける。
 教室にいた工藤は、いつも通りブレザーと指定ベストを着ていたはず。眼鏡姿も見たことがない。
 しかし、髪の色と体格は確かに工藤と同じだ。普段後ろで結っている髪も、解いたらこのくらいだろう。佇まいも、よく似ている。
 気づいてしまえば、それは工藤にしか見えなかった。
 だが、理解できない。あいつは最近すぐ帰宅している。今日も終業後、さっさと出ていく姿を見た。
 わざわざ着替えて――変装して、ここに来た?
 脳が答えを出すより先に、感情が警告を上げる。ぞわぞわと、嫌な予感が込み上げる。
 画面の中の工藤は、何をするわけでもなく、野球部部室の扉にもたれかかってボーっと立っていた。
 用もないのに、変装してこんな所に来るわけがない。
 これは何かを待っている。
 この時期、この場所に人は来ない。待ち伏せではない。待ち合わせだ。誰かをここに呼び出したんだ。
 工藤は嘘が分かる。最初から、こんなやり方はまどろっこしい、直接聞けばいいと言っていた。要注意人物は分かっているのだから、そのうちの誰かにあたりをつけ、記録が残る場所に呼び出したのだろうか。
 そんなことを考えていると、画面端から、工藤の方へ向かう人影が写り込んだ。
 その姿を確認すると同時に、園田がスマホを手に取った。
「佐藤先生に連絡するっ」
「ああ」
 返事をしながらも、俺は画面から目が離せなかった。
 映り込んだ人影は男子生徒で、野球部員の一人だった。体格と髪型には見覚えがある。警察の要注意対象にはいなかったが、ロッカーを見た時に気になるところがあった人物だ。
 あの時はほんの少し違和感を持った程度だったが、工藤が同じ人物に目をつけたなら、的外れでもなかったのだろう。
 男に気づいた工藤が、手を振って呼び寄せた。何か話しているようだが、この距離では全く分からない。
 あれだけ危険だと言ったのにこの行動。こみ上げる怒りでどうにかなりそうだ。
 だが同時に、ここで何かを掴めたらという期待も感じてしまう。
 カメラに写る場所を選んでくれたのは有難い。監視して、少しでも不審な動きがあれば――そう思った時だった。
 男が部室の扉を開け、工藤と共に中に入ってしまった。
「あ、おいっ!」
 届くわけもないのに、画面に向かって声を上げてしまう。
 連れ込まれたというより、ついていったような動きだった。何故、どうしてという疑問詞が頭を占領する。工藤の行動がまったく理解できず、眩暈すら感じた。
 何の証拠をつかんだわけでもないのに、あの男がクロだとしか思えなくなる。仮に薬物と何の関係がなくとも、人の来ない密室で行われることが、まともだと思えない。
 脳が危険信号をガンガンと鳴らす。全く働かなくなっている思考など、もう手放してしまうべきだ。
「園田、先生は!?」
「すぐ来るって。警察にも連絡頼んでる」
「俺、行くだけ行ってくる! 園田はここ頼む!」
「通話、繋ぎっぱなしにしといて! 何かあったら言うから!」
「わかった!」
 すぐに園田から着信がきた。通話状態にしてポケットに押し込み、そのまま視聴覚室を飛び出した。

 視聴覚室がある本館棟と部室棟は敷地が異なり、それなりに距離がある。行き来するにはいちど一般道に出なければならない。
 駆け出したはいいものの、途中の信号に捕まり、焦りながら息を整える。その間、園田からの情報を拾えるようにスマホを耳に当てておく。
『た、立川っ! 部室、また誰か来てるっ』
「は!? 別の野球部員とかか!?」
『ちが……お、大人のひとが、二人……。だれ、これ』
 また混乱する情報が入ってくる。
 大人ということは、教師だろうか。佐藤先生側から誰か動かしたのかもしれない。
 いや、もし本当にあの男がクロなら、仲間の可能性もある。部室棟であればコーチやOBも出入りする。部外者でも入りやすいはずだ。
 とにかく行けばわかる。信号が変わると同時に、ふたたび駆け出した。
 普段体育でしか運動をしないので、全力疾走などそうは持たない。息を切らし、速度を落としながら、なんとか部室棟のある敷地に辿り着いた。
「って、これ……」
 敷地の入り口には車が停められていた。こんな場所に教師は停車しない。地味な色と車種でピンときて、少し中をのぞく。
 無線機とサイレンアンプが確認できた。助手席側の足元にはランプの収納バッグ。覆面パトカーだ。
「ってことは、さっきの大人って……警察?」
 条件反射で鼓動が早まる。緊張で重たくなる足を無理に動かし、部室棟まで走った。
 野球部の部室の扉は開かれていた。
 扉の側に、先ほどの野球部員の姿もある。四十代くらいのスーツの男性に、後ろから拘束されて歩いていた。
 状況にはついていけないが、今はそれよりも工藤だ。その横を通り抜け、部室内に入る。拘束している方の男に止められたような気がしたが、無視した。
 工藤は部室内で、腹部を庇うような体勢で床に倒れていた。
 隣には三十代くらいの男がいて、大丈夫かと声をかけている。
「工藤っ!!」
 咄嗟に駆け寄り、声をかけている男の反対側にしゃがみ込む。
 工藤は苦痛を堪えるようにぎゅっと目を閉じ、脂汗を浮かせている。押さえている腹部が痛むのか、口から零れるのは苦し気な呼吸音ばかりだ。意識はあるが、返事をするのは難しいのだろう。
 動画で見た眼鏡はかかっておらず、顔にはいくつかの擦り傷ができている。幸い、流血はないようだ。
 周囲を確認すると、離れた場所に落ちている眼鏡を見つけた。強い衝撃を受けて飛んだのだろう。良く見るとシャツの首元のボタンもなくなっており、争ったあとのようだった。
「工藤、大丈夫か!? なにしてんだ、お前っ」
「ぅ…………っ、ぐ……たち、か……? げほっ」
 微かだが、返事がある。こんな苦しげなのに、声を聞けたことで馬鹿みたいに安堵した。
 その後、養護教諭も駆けつけて、工藤は一旦部室棟の休憩室に運ばれた。部活中の怪我の応急処置などで使っている場所らしい。付き添いたかったが、俺は部室にいた男性――もう一人の警察官に、視聴覚室へ戻るようにと指示された。
 警察相手に反抗できるはずもない。事情聴取をすると言われ、大人しく従った。
 視聴覚室に戻ると、園田だけでなく、他に二人の女性の姿があった。一人は佐藤先生。もう一人は見覚えがない。
 大学生くらいだろうか。艶のある綺麗な長い黒髪と、どこか挑戦的な笑みが目を引く。立ち振る舞いが凛としていて、高嶺の花という言葉が似合いそうな美人だった。
 誰なのか気になったが、声をかける隙もなく、俺と入れ替わりで去って行ってしまった。仕方がないので園田に聞く。
「園田、今の……」
「工藤のお姉さん、だって」
「え!?」
 全く予想していなかった答えに、間の抜けた声を上げてしまった。言われてみれば、ふてぶてしさのある笑い方が似ていたかもしれない。
 何故ここにいたのかと聞けば、それには警察側から回答がきた。
「工藤さんから、最近弟さんに不審な動きがあると相談を受け、張っていたんです。そうしたら、狙ったかのように佐藤先生から連絡を受けたので駆け付けたところ、あの状況でした」
「工藤……あ、弟の方が相談したんじゃなくてですか?」
「ええ、弟さんからは何も。お姉さんの方も、弟さんから何か相談されたわけではないそうです」
 工藤姉は弟が変装道具を持って登校していることから、薬物事件を探っていることに気づき、警察に相談していたらしい。
 最近の工藤は、早く帰るように見せかけてどこかで着替え、怪しい人物に探りを入れに行っていたようだ。俺達に危険だと止められたから、隠れてやっていたのだろう。
 警察が動くに至ったのは、工藤姉が元々コネクションを持っていたことに加え、弟の不審行動と、同時期に学校からの相談があったことなど、様々な要因が重なった結果だという。
 工藤が呼んだか、手を回しているのだと思っていたが、その想像は外れていた。
 元々周囲を張っていた警察は、佐藤先生からの通報を受けて部室に向かった。駆け付けた時には工藤弟が床に転がされ、暴行を受けていたため、野球部員を取り押さえたという。
 工藤の姉は部室棟側の荒事を警察に任せ、弟の安否確認のためここに来た。弟が相談していないのに、どうして監視カメラのことを知っているのかと少し疑問に思ったが、弟以上の洞察力と頭脳があるのなら、その程度は見抜いてしまうのかもしれない。
 ひとまず事の経緯がつかめてきたので、俺は事情聴取に応じる。自分の事情については言えないので、所々誤魔化しながら。
「この件を調べ始めて、なにか気になったことは?」
「工藤が何であの男に目を付けたかはわかんないですけど、俺も少し疑ってる奴でした」
「というと?」
「一昨日、野球部員のロッカーを調べたんですけど、チョコレートの空箱が入ってたのが気になって」
 正確に言うと、目を付けたのはロッカーの配置だ。どこを使うかは部員たちが自由に決めていたと顧問に確認が取れていた。何かを隠したいなら、入り口や窓から死角になる場所を選びたくなるのが人の心理。そういうのを察知するのは得意だ。アタリをつけてロッカーを確認したら、あの野球部員のロッカーにだけ「持ち運びに違和感のない空箱」があった。
 箱を開けてみたが、チョコレートの匂いはしなかった。何かに使う為に、空のまましばらく放置しているのではと疑いを持った。
 もちろん、ただの捨て忘れの可能性の方が高い。だからこれは「疑惑」程度だった。
 警察にここまで明け透けに話すのは怖かったので「隠語に使われるから……ってだけなんですけど」と誤魔化した。
「工藤君もそのことを知って?」
「あ、いえ。知らないと思います。別の方法で何か気づいたんだと……隠し事とか、目ざといんで」
 その発言に、警察官はあっさり納得した。工藤姉と関りがあるからだろう。
 他にも知っていることは、気づいたことはと、聴取は続く。
 途中、警察官に電話がかかってきた。
 逮捕者を連行した警察官からの連絡だった。電話を受けた警察官は驚いた様子で、何度も相槌と確認を重ねていく。
 十分ほどで電話が終わると、警察官は信じられないといった表情を俺達に向け、言った。
 連行した男子生徒のポケットから、錠剤が見つかったと。
「「現物出てきたんですか!?」」
 園田とふたり、揃って声を荒げてしまった。
「はい。成分分析はこれからですが、本人から違法性のものだという供述がとれたそうです」
「ということは……解決?」
 間の抜けた声でそう言ったのは佐藤先生だった。警察官が「そうなりますかね」と返すと、へなへなと近場の椅子にへたり込んだ。
「よ、よかったぁ~~! 立川くん、園田くん、これで安泰ね!」
 まるで自分のことかのように喜ばれ、少し恥ずかしくなってしまう。それだけ心配をかけていたのかと、申し訳なさや感謝の入り混じった、むず痒い感情が押し寄せた。
 とはいえ、課題はまだ残っている。工藤の容態も気になる。ひとまず安心だが、一件落着はあと少し先だろう。
 捕まった野球部員は薬について、買いたいと言われたから持ってきてた、とまで話したらしい。
 工藤への暴行の理由は、やはりいらないと逃げられそうになったから。
 警察官は大きなため息をつき、重たそうな頭を抱えながら、改めて俺達に確認を取る。
「部室前は監視カメラで撮影していたんですよね?」
「はい、映像も残っています」
「そのことは、工藤君も知っていた。間違いありませんか?」
「はい。伝えてました」
「なるほど、自分を囮にしたんですか。現物が確認できたから断って逃げようとした、といったところでしょう。なんて無茶を……。あの姉にしてあの弟ありですね。というか工藤さんの指示から考えると、ここまで計算されていた気が……いや、事件が進展したのだから何も言えませんけど」
 後半、完全に愚痴が零れていた。
 なんというか、工藤姉に普段から振り回されているのではないか、という雰囲気が漂っていた。
 当初目的であった薬物が見つかったことにより、事情聴取はそこで打ち切りとなった。
 警察官は部室前の監視映像を回収し、頭を下げて去っていく。
 その姿が見えなくなるのと同時に、どっと疲れが押し寄せた。目の前の机に突っ伏し、ぐでっと両腕を延ばす。
 窓の外を見ると、夕焼けの赤が少しずつ闇にとけていた。もう教室は施錠されている時間だ。
 テスト期間なので、こんな時間まで残っている生徒はほぼいないだろう。気づいたとたんに静まり返った空気が、少し冷たい。
「それで、工藤は……?」
 静寂を破ったのは園田だった。園田はあれから工藤の姿を見ていない。不安になるのも当然だった。
 佐藤先生が養護教諭に連絡すると、まだ部室棟の休憩室にいることが分かった。工藤は少し怪我を負ったが、日常生活に支障が出る程ではない。受け答えも問題なくできたため、向こうも今まで事情聴取を受けていたようだ。
 ひとまず安心していると、養護教諭の方から「様子を見に来ないか」と提案された。今回の件でこれから職員会議があるので、工藤についていられる人がいなくなってしまうらしい。
 行かない理由は何もない。園田と二人で部室棟に向かうことにした。
「ねぇ、立川」
「ん?」
「……いや、後でいいや。工藤に聞かないとだから」
 園田は不安や心配の中に、別の感情が混じっているような顔をしていた。
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