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九月も半ば。本来なら秋の深まりを感じる時期だが、いまだ気温には夏の名残を感じる。
放課後、運悪く課題の提出係に任命された俺は、クラスメイトから集めたノートを持って職員室へ向かっていた。
数学担当の教師は、日付と出席番号を紐づけて課題提出係を決める。俺が名指しされた時、若干クラスがざわついた気がしたのは、避けられているが故の疑心暗鬼だろうか。
とはいえ最近は園田・工藤効果で、以前に比べてだいぶ過ごしやすくなっている。
このノートも二人の協力があり難なく集めることができた。当たり前な顔をして、全員からてきぱきとノートを回収してくれた。有難さで少し泣きかけた。
二人がいなければと思うとぞっとする。今も俺の肩書は『犯罪者の子供』だ。それにノートを持ってくるのは、勇気がいるに違いない。俺から回収しに行くのも怖がられただろう。
実際、俺に直接ノートを渡してきたのは真壁だけだった。
真壁の場合は、園田と工藤の優秀さを毛嫌いしているから、俺の方がマシと判断されたのかもしれない。
無表情でノートを突き出し「よろしくお願いいたします」と言葉だけはやたら丁寧に言った真壁を思い出す。
視界に入る時はいつも机にかじりついてるから、真正面から顔を見るのって珍しいんだよな。
誰かと話している姿も見ない。俺以上に孤立しているイメージだ。かといって、俺のように避けられてる様子もない。
視線や気配に人一倍敏感な俺から見ても、かなり存在感が薄い。
きっと意図的に気配を消しているのだろう。俺には真似できない。周囲を避けるのにも技術がいるのだとよくわかる。
そんなことを考えているうちに、職員室が見えてくる。
「あれ」
職員室から誰かが出てくるのが見え……それが見知った顔だったため、つい足を止めた。
出てきたのは工藤だった。
室内に向かってぺこりと頭を下げた後、扉を閉め、俺とは逆方向に小走りで去っていく。
「…………?」
その挙動に、わずかながらの違和感を覚えた。
頭の下げ方。どこか焦りを感じる素振り。いつもより胡散臭さを抜いた、上っ面の笑顔。何かを隠すよう、ぐっと握り込んだ右手。
何か盗ったか……?
直感だが、これだけは誰よりも優れていると自覚している。だが、あの工藤が職員室にあるものを欲すると思えない。
追いかけようと思った時には、すでに視界からその姿は消えていた。
入れ替わりで教室に入る。当初の目的である数学のノートを教科担任の机に置き、そのすぐ側にいた女性――特進科一年クラス担任の佐藤里佳子先生に声をかけた。
「さっき見えたんですけど、工藤来てました?」
先生は柔らかく微笑み「ええ、きてたわよ」と返してくれた。
佐藤先生は教師陣の中でもまだ若く、他の教師より生徒との距離が近い。年齢を聞いたことはないが、外見から、二十代半ばくらいだと思う。派手にならない自然な化粧と、飾り気のない眼鏡。切り揃えられた前髪。長い髪を一つにくくっただけの髪型。真面目を絵に描いたような容姿だが、雰囲気と表情が穏やかなため、生徒としてはかなり接しやすい。
人柄も良く、担任なのだから俺の事情も当然知っているだろうに、邪険にされたことは一度もない。
ありがたいのだが、俺が問題行動を起こす可能性が高いのは事実なので、もう少し警戒したほうがいいんじゃなかろうか。俺がそんな心配するのも変な話だが。
「そういえば、立川君は最近工藤君とよく話してるわね。工藤君に、もうちょっと授業起きてるよう言っておいて?」
「言っても寝ますよ、あいつ」
「わかってるけど、見逃せない立場だから」
居眠り程度で成績を落とさない工藤を咎める気はないようで、苦笑しながら「せめて生物だけでもね」なんて言っていた。
生物の担当教師、たしかによく工藤を当ててるな。目をつけられてるのか。
「もしかして工藤、居眠りで呼び出しくらってたんですか?」
「居眠りの罰で課題出してる先生、何人かいるの。それを提出に来てるのよ」
「あぁ……」
納得できる理由だった。
しかし、だとするとあの去り方はなんだ?
「罰って、課題出される以外にもあるんですかね。何か没収されるとか」
「え? そういうのはないと思うけど……」
「ですよね。じゃあ落とし物でも取りに来てたとか」
「そんな感じはなかったけど……あっ」
先生は何かを思い出したように、ぱっと顔を上げた。
その視線の先にあるのは、壁に設置されているキーボックス。
「もしかして、工藤君が何か持ってったの、見た?」
「あ、いや……見てないんですけど……なんとなく」
友人が何か盗んだかもしれないなんて、何の確証もないのに言い出せるわけがない。
佐藤先生の反応から、俺の勘があながち間違いでないとわかってしまう。自分が疑われる時より緊張する。ああ、俺が何か盗った時、園田と工藤はこんな気持ちになるのか。
モゴモゴと口ごもっていると、佐藤先生は俺の返事を待たずに話を続けた。
「ちょうどよかった。他の人に注意される前に、立川君から言ってくれない? 私が言うより角が立たないと思うから」
「えと……何を、ですか?」
「鍵持っていくなら、私に一言ちょうだいって。特進科の子になら、鍵貸すくらいの融通きかせられるのよ」
「鍵……?」
「今回は全然気づかなかったなぁ。持っていったなら、今頃中にいると思うわ。私これから予定があって出られないし、お願い」
「い、いいですけど……どこの鍵持ってったんですか、あいつ」
「家庭科室か理科室か、火が扱えるところだと思うわ」
火、という単語にドキリとする。火遊びなどするようには見えないが、いいイメージはない。
しかし佐藤先生からは、焦りや怒りのようなものは感じない。子供の悪戯を、仕方ないなと見逃す母親のようだ。
この人に危機感がないのか、工藤が信用されているのか……。
とりあえず了承を返し、キーボックスを確認する。
第一家庭科室、第三理科室の鍵がなくなっていた。
この二択なら第三理科室だろうと思ったが、念のため職員室から距離が近い第一家庭科室も確認する。
おそらく部活動中だろう生徒がいるだけで、工藤の姿はなかった。
勝手に鍵を借りるくらいだ。誰かが使っている場所にはいまい。この学校には家政科もあるので、家庭科室は何かしら使用されているだろうと思っていた。予想的中だ。
もう片方の第三理科室は化学室になる。化学部なんて聞いたことがないし、使うとしても同じ化学室であり広さもある第二だろう。どう考えてもここが怪しい。
理科室がある階にたどり着くと、香ばしい、甘い香りがした。
この時点で火と聞いた時の不安は消えた。そのかわり「何やってんだあいつ」という感情がふつふつと沸く。
第三理科室の扉を開けると、想像通り、そこに工藤の姿があった。
「うぉあっ!?」
「中から鍵閉めるとかしてねぇのかよ」
「うぇ、た、たちかわ!? なんでこんなとこにっ」
工藤の前には点火されたガスバーナーと専用スタンド。スタンドには金属網とアルミカップが置かれ、パチパチと音を立てている。そこから漂う甘ったるい香りが、室内に立ち込めていた。
「何ではこっちのセリフだよ。鍵持ってってるの、佐藤先生にバレてんぞ」
「あちゃ~、いつもすぐ返してるから、バレてないと思ってたのになぁ」
言いながら、アルミカップを火から外し、別のカップと置き換えた。
「……なにしてんだ?」
「飴づくり?」
「小学生の理科か!」
思わずツッコミを入れてしまった。工藤は相変わらずへらへら笑っている。
机の上には大中小とサイズの異なるアルミカップの他に、砂糖と水、スポイト、ピンセット、クッキングシート、ハサミなどが置かれていた。
べっこう飴を作ることしか考えてない品揃えに、思わず手で目を覆ってため息をつく。
「お前いつもこんなことしてんの」
「けっこー楽しいよ?」
「はぁ……せめて鍵は佐藤先生に言って借りろってさ。伝言」
「え、わざわざそのために……? なんかごめんなぁ」
「盗ってくのに気づいちまったからな。俺、盗みとかに敏感なんだよ。下手に見つかって俺のせいになるのも嫌だし」
「なんで立川のせいになんの」
「一番俺が怪しいからだよ」
「おれ、バレたらちゃんと自首すんよ?」
「それでも」
ただの悪態だったが、実は裏で俺が絡んでいると邪推されるパターンは、なくはない。
中学の頃、紛失物が出るたびに疑われた身だ。事実がどうであれ、疑わしくは黒と判断する第三者は多い。
高校で流れている噂では、窃盗と俺は結びつかない。こんなのは杞憂だと分かっているが、過去の経験というのはどうしても尾を引く。
降り懸かる火の粉は払わねばならぬ、というやつだ。
そんな俺の心境が工藤に伝わるはずもなく、そこまで気にするのかと困惑しているようだった。
「気にしすぎ……って言いたいけど、なんか、そうじゃない感じ?」
「……気にしすぎてないと、やめられないんだ」
「……?」
「親だけじゃなく、俺もやるんだよ。窃盗。やりたくは、ないんだけど」
園田の姉のことや、俺の親の罪状を見抜いた工藤に、いつまでも隠しておけることじゃない。
話せていなかった『癖』のことも打ち明ける。
工藤はただ黙って聞いてくれた。いちど園田に話した経験があるおかげで、前よりも要領よく伝えられたと思う。
俺が嘘をついていないことを、聞き手の工藤が証明できる。無駄に疑われないってのは、こんなにも気が楽なのかと感心した。
話し終え、一拍。静寂の中、パチパチと砂糖の焼ける音だけが響いた。
漂う甘い香りが、不快感のあるものへ変わっていく。
「……って、火! 焦げてる!」
「え、あっ!? おわっ!」
真面目な空気をぶち壊すように叫ぶと、工藤も慌てて火にかけていたアルミカップをピンセットではたき落とした。砂糖は黒く変色し、うっすら煙まであがっていた。
「あ、あぶねぇ……」
「はー、びっくらこいた。火ぃ使ってるとこでマジな話するもんじゃないねぇ」
「そもそも飴を作るなって」
「だってぇ、コレが一番しっくりくる作り方だし」
勿体ない勿体ない、と言いながら、次のアルミカップを火にかけた。
「でもそっか、クセかぁ。そりゃ怖い。本屋嫌がったのも納得。無意識には嘘がないから、おれには気づいてあげらんない」
「園田と行く時は、店出る前にボディチェックしてくれる」
「なるほど。じゃーおれもやったげる。おらおら、どこに隠してんだぁ~ってね」
「何キャラだよ」
「立川がおれの話信じてくれたのも、なっとく。おんなじだったんだねぇ。毛皮をかぶって羊のフリしてる」
「狼ってか?」
「んー、山羊じゃない?」
真っ先に、スケープゴートという単語が頭をよぎる。
贖罪の山羊。責任転嫁の身代わり。なるほど、言い得て妙だ。
「園田は木のフリして森に隠れるって言ってたな」
「あはは、木のフリのが可愛いなぁ。幼稚園のお遊戯会思い出さん?」
「そんなベタな思い出ねぇわ」
会話をしている間に、真っ白だった砂糖が飴色に変わっていく。今度は焦がす前に火から下ろし、また次のカップへ。
「手作りするほど好きなんだな、飴。甘党か」
「甘いものってゆーか、砂糖が好き」
「同じじゃねーの?」
「デザートとかはさ、脂質もついてくるじゃん。アレいらねーの。クリームとか」
「ああ、なるほど」
「氷砂糖とかも食うけど、やっぱコレが一番美味いねぇ。気に入ってた商品が終売しちって、似た味再現中」
「それで手作りね。ま、ちゃんと鍵借りればいいと思うぜ」
「次からはそーする。さとちゃん先生にも悪いことしたし、多めに作ってお詫びに渡そ」
教え子の男子高校生から手作りの飴を渡されるのはシュールだが、あの先生なら普通に受け取ってくれそうだ。
「立川もあげる」
「ん」
差し出されたカップを受け取る。まだ少しだけ熱を持っていた。
工藤はにやーっと笑って「ちゃんと冷まさないと上手く剥がれないかんね」と言った。
放課後、運悪く課題の提出係に任命された俺は、クラスメイトから集めたノートを持って職員室へ向かっていた。
数学担当の教師は、日付と出席番号を紐づけて課題提出係を決める。俺が名指しされた時、若干クラスがざわついた気がしたのは、避けられているが故の疑心暗鬼だろうか。
とはいえ最近は園田・工藤効果で、以前に比べてだいぶ過ごしやすくなっている。
このノートも二人の協力があり難なく集めることができた。当たり前な顔をして、全員からてきぱきとノートを回収してくれた。有難さで少し泣きかけた。
二人がいなければと思うとぞっとする。今も俺の肩書は『犯罪者の子供』だ。それにノートを持ってくるのは、勇気がいるに違いない。俺から回収しに行くのも怖がられただろう。
実際、俺に直接ノートを渡してきたのは真壁だけだった。
真壁の場合は、園田と工藤の優秀さを毛嫌いしているから、俺の方がマシと判断されたのかもしれない。
無表情でノートを突き出し「よろしくお願いいたします」と言葉だけはやたら丁寧に言った真壁を思い出す。
視界に入る時はいつも机にかじりついてるから、真正面から顔を見るのって珍しいんだよな。
誰かと話している姿も見ない。俺以上に孤立しているイメージだ。かといって、俺のように避けられてる様子もない。
視線や気配に人一倍敏感な俺から見ても、かなり存在感が薄い。
きっと意図的に気配を消しているのだろう。俺には真似できない。周囲を避けるのにも技術がいるのだとよくわかる。
そんなことを考えているうちに、職員室が見えてくる。
「あれ」
職員室から誰かが出てくるのが見え……それが見知った顔だったため、つい足を止めた。
出てきたのは工藤だった。
室内に向かってぺこりと頭を下げた後、扉を閉め、俺とは逆方向に小走りで去っていく。
「…………?」
その挙動に、わずかながらの違和感を覚えた。
頭の下げ方。どこか焦りを感じる素振り。いつもより胡散臭さを抜いた、上っ面の笑顔。何かを隠すよう、ぐっと握り込んだ右手。
何か盗ったか……?
直感だが、これだけは誰よりも優れていると自覚している。だが、あの工藤が職員室にあるものを欲すると思えない。
追いかけようと思った時には、すでに視界からその姿は消えていた。
入れ替わりで教室に入る。当初の目的である数学のノートを教科担任の机に置き、そのすぐ側にいた女性――特進科一年クラス担任の佐藤里佳子先生に声をかけた。
「さっき見えたんですけど、工藤来てました?」
先生は柔らかく微笑み「ええ、きてたわよ」と返してくれた。
佐藤先生は教師陣の中でもまだ若く、他の教師より生徒との距離が近い。年齢を聞いたことはないが、外見から、二十代半ばくらいだと思う。派手にならない自然な化粧と、飾り気のない眼鏡。切り揃えられた前髪。長い髪を一つにくくっただけの髪型。真面目を絵に描いたような容姿だが、雰囲気と表情が穏やかなため、生徒としてはかなり接しやすい。
人柄も良く、担任なのだから俺の事情も当然知っているだろうに、邪険にされたことは一度もない。
ありがたいのだが、俺が問題行動を起こす可能性が高いのは事実なので、もう少し警戒したほうがいいんじゃなかろうか。俺がそんな心配するのも変な話だが。
「そういえば、立川君は最近工藤君とよく話してるわね。工藤君に、もうちょっと授業起きてるよう言っておいて?」
「言っても寝ますよ、あいつ」
「わかってるけど、見逃せない立場だから」
居眠り程度で成績を落とさない工藤を咎める気はないようで、苦笑しながら「せめて生物だけでもね」なんて言っていた。
生物の担当教師、たしかによく工藤を当ててるな。目をつけられてるのか。
「もしかして工藤、居眠りで呼び出しくらってたんですか?」
「居眠りの罰で課題出してる先生、何人かいるの。それを提出に来てるのよ」
「あぁ……」
納得できる理由だった。
しかし、だとするとあの去り方はなんだ?
「罰って、課題出される以外にもあるんですかね。何か没収されるとか」
「え? そういうのはないと思うけど……」
「ですよね。じゃあ落とし物でも取りに来てたとか」
「そんな感じはなかったけど……あっ」
先生は何かを思い出したように、ぱっと顔を上げた。
その視線の先にあるのは、壁に設置されているキーボックス。
「もしかして、工藤君が何か持ってったの、見た?」
「あ、いや……見てないんですけど……なんとなく」
友人が何か盗んだかもしれないなんて、何の確証もないのに言い出せるわけがない。
佐藤先生の反応から、俺の勘があながち間違いでないとわかってしまう。自分が疑われる時より緊張する。ああ、俺が何か盗った時、園田と工藤はこんな気持ちになるのか。
モゴモゴと口ごもっていると、佐藤先生は俺の返事を待たずに話を続けた。
「ちょうどよかった。他の人に注意される前に、立川君から言ってくれない? 私が言うより角が立たないと思うから」
「えと……何を、ですか?」
「鍵持っていくなら、私に一言ちょうだいって。特進科の子になら、鍵貸すくらいの融通きかせられるのよ」
「鍵……?」
「今回は全然気づかなかったなぁ。持っていったなら、今頃中にいると思うわ。私これから予定があって出られないし、お願い」
「い、いいですけど……どこの鍵持ってったんですか、あいつ」
「家庭科室か理科室か、火が扱えるところだと思うわ」
火、という単語にドキリとする。火遊びなどするようには見えないが、いいイメージはない。
しかし佐藤先生からは、焦りや怒りのようなものは感じない。子供の悪戯を、仕方ないなと見逃す母親のようだ。
この人に危機感がないのか、工藤が信用されているのか……。
とりあえず了承を返し、キーボックスを確認する。
第一家庭科室、第三理科室の鍵がなくなっていた。
この二択なら第三理科室だろうと思ったが、念のため職員室から距離が近い第一家庭科室も確認する。
おそらく部活動中だろう生徒がいるだけで、工藤の姿はなかった。
勝手に鍵を借りるくらいだ。誰かが使っている場所にはいまい。この学校には家政科もあるので、家庭科室は何かしら使用されているだろうと思っていた。予想的中だ。
もう片方の第三理科室は化学室になる。化学部なんて聞いたことがないし、使うとしても同じ化学室であり広さもある第二だろう。どう考えてもここが怪しい。
理科室がある階にたどり着くと、香ばしい、甘い香りがした。
この時点で火と聞いた時の不安は消えた。そのかわり「何やってんだあいつ」という感情がふつふつと沸く。
第三理科室の扉を開けると、想像通り、そこに工藤の姿があった。
「うぉあっ!?」
「中から鍵閉めるとかしてねぇのかよ」
「うぇ、た、たちかわ!? なんでこんなとこにっ」
工藤の前には点火されたガスバーナーと専用スタンド。スタンドには金属網とアルミカップが置かれ、パチパチと音を立てている。そこから漂う甘ったるい香りが、室内に立ち込めていた。
「何ではこっちのセリフだよ。鍵持ってってるの、佐藤先生にバレてんぞ」
「あちゃ~、いつもすぐ返してるから、バレてないと思ってたのになぁ」
言いながら、アルミカップを火から外し、別のカップと置き換えた。
「……なにしてんだ?」
「飴づくり?」
「小学生の理科か!」
思わずツッコミを入れてしまった。工藤は相変わらずへらへら笑っている。
机の上には大中小とサイズの異なるアルミカップの他に、砂糖と水、スポイト、ピンセット、クッキングシート、ハサミなどが置かれていた。
べっこう飴を作ることしか考えてない品揃えに、思わず手で目を覆ってため息をつく。
「お前いつもこんなことしてんの」
「けっこー楽しいよ?」
「はぁ……せめて鍵は佐藤先生に言って借りろってさ。伝言」
「え、わざわざそのために……? なんかごめんなぁ」
「盗ってくのに気づいちまったからな。俺、盗みとかに敏感なんだよ。下手に見つかって俺のせいになるのも嫌だし」
「なんで立川のせいになんの」
「一番俺が怪しいからだよ」
「おれ、バレたらちゃんと自首すんよ?」
「それでも」
ただの悪態だったが、実は裏で俺が絡んでいると邪推されるパターンは、なくはない。
中学の頃、紛失物が出るたびに疑われた身だ。事実がどうであれ、疑わしくは黒と判断する第三者は多い。
高校で流れている噂では、窃盗と俺は結びつかない。こんなのは杞憂だと分かっているが、過去の経験というのはどうしても尾を引く。
降り懸かる火の粉は払わねばならぬ、というやつだ。
そんな俺の心境が工藤に伝わるはずもなく、そこまで気にするのかと困惑しているようだった。
「気にしすぎ……って言いたいけど、なんか、そうじゃない感じ?」
「……気にしすぎてないと、やめられないんだ」
「……?」
「親だけじゃなく、俺もやるんだよ。窃盗。やりたくは、ないんだけど」
園田の姉のことや、俺の親の罪状を見抜いた工藤に、いつまでも隠しておけることじゃない。
話せていなかった『癖』のことも打ち明ける。
工藤はただ黙って聞いてくれた。いちど園田に話した経験があるおかげで、前よりも要領よく伝えられたと思う。
俺が嘘をついていないことを、聞き手の工藤が証明できる。無駄に疑われないってのは、こんなにも気が楽なのかと感心した。
話し終え、一拍。静寂の中、パチパチと砂糖の焼ける音だけが響いた。
漂う甘い香りが、不快感のあるものへ変わっていく。
「……って、火! 焦げてる!」
「え、あっ!? おわっ!」
真面目な空気をぶち壊すように叫ぶと、工藤も慌てて火にかけていたアルミカップをピンセットではたき落とした。砂糖は黒く変色し、うっすら煙まであがっていた。
「あ、あぶねぇ……」
「はー、びっくらこいた。火ぃ使ってるとこでマジな話するもんじゃないねぇ」
「そもそも飴を作るなって」
「だってぇ、コレが一番しっくりくる作り方だし」
勿体ない勿体ない、と言いながら、次のアルミカップを火にかけた。
「でもそっか、クセかぁ。そりゃ怖い。本屋嫌がったのも納得。無意識には嘘がないから、おれには気づいてあげらんない」
「園田と行く時は、店出る前にボディチェックしてくれる」
「なるほど。じゃーおれもやったげる。おらおら、どこに隠してんだぁ~ってね」
「何キャラだよ」
「立川がおれの話信じてくれたのも、なっとく。おんなじだったんだねぇ。毛皮をかぶって羊のフリしてる」
「狼ってか?」
「んー、山羊じゃない?」
真っ先に、スケープゴートという単語が頭をよぎる。
贖罪の山羊。責任転嫁の身代わり。なるほど、言い得て妙だ。
「園田は木のフリして森に隠れるって言ってたな」
「あはは、木のフリのが可愛いなぁ。幼稚園のお遊戯会思い出さん?」
「そんなベタな思い出ねぇわ」
会話をしている間に、真っ白だった砂糖が飴色に変わっていく。今度は焦がす前に火から下ろし、また次のカップへ。
「手作りするほど好きなんだな、飴。甘党か」
「甘いものってゆーか、砂糖が好き」
「同じじゃねーの?」
「デザートとかはさ、脂質もついてくるじゃん。アレいらねーの。クリームとか」
「ああ、なるほど」
「氷砂糖とかも食うけど、やっぱコレが一番美味いねぇ。気に入ってた商品が終売しちって、似た味再現中」
「それで手作りね。ま、ちゃんと鍵借りればいいと思うぜ」
「次からはそーする。さとちゃん先生にも悪いことしたし、多めに作ってお詫びに渡そ」
教え子の男子高校生から手作りの飴を渡されるのはシュールだが、あの先生なら普通に受け取ってくれそうだ。
「立川もあげる」
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差し出されたカップを受け取る。まだ少しだけ熱を持っていた。
工藤はにやーっと笑って「ちゃんと冷まさないと上手く剥がれないかんね」と言った。
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