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1.crime

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 そんな孤立願望は、一ヵ月ほどで打ち砕かれた。
 放課後。下手なことをしないよう机に顔を突っ伏していたら、いつの間にか眠ってしまっていた。
 目が覚めた時には、教室は夕焼けで赤く染まっていて。
 目の前の席には、じっとこちらを見る園田がいた。
 教室には他に誰もいない。外から聞こえてくる部活動の声も、沈む夕日と共に薄れていく。
「……何?」
 思わず声をかけると、園田は笑った。
「あまりにもよく寝てたから、起こしづらくて。施錠時間前には起こした方がいいかなって思って見てた」
「いや、なんでいるのかって……」
「今日はバイトもなくて暇だから、俺も残って勉強してただけ。気が付いたら立川くんと俺だけになってた」
「バイト? 特進で?」
 思わず聞き返してしまい、はっとする。会話を続ける気などなかったのに。
 だが、そのくらい意外だった。うちの特進科はかなり厳しい。成績維持ができなければ普通科に移されるし、課題も多い。
 部活に入る生徒すら半数もいないのに、バイトなんてしている奴がいるとは思わなかった。
 しかも園田は俺と同じ学費免除組だ。説明会にいたから覚えている。学費が足りない、というわけでもないだろう。
 意外に思われることは園田も理解しているようで、少し困ったように笑っていた。
「一人でいるより、わりといい息抜きになるよ。高校生は深夜働けないから残業ないし」
「そういうもんか……?」
 理解できない考え方だ。俺は他人といる方が恐ろしいし、バイトなんてしたら店や客の何を盗るかわからない。
 ああ、こいつは俺と違って普通の人間なんだな。
 そう思うと、なんだか無性に苦しくなった。
「もう施錠近いし、帰ろう」
 そう言って、園田が鞄を抱えて立ち上がる。
 一緒に帰るつもりはなかったが、下手に断っては、詮索されるだろうか。
 入学からたった一ヵ月だが、俺の親が服役中であることは、すでにちらほらと噂されている。
 幸い特進科にそれを面白がって突いてくる暇人はいないが、避けられているのは感じていた。俺としても好都合なので、口を出すことなく放置している。
 こうして話しかけてくるということは、園田はまだ噂を知らないんだろう。知れば離れていく。今日だけ、適当な会話で受け流しておけばいい。
 俺も鞄を持ち、園田と一緒に教室を出た。


 園田は初日の遠慮などなかったかのように、色々と中身のない話題をふってきた。
「立川くん、何通学?」
「地下鉄」
「じゃ、一緒かも。どっち周り?」
「右」
「あー、反対だった。バイト先ならそっち方面なんだけど」
 家とバイト先が反対方面って。不便じゃないんだろうか。
 そんな疑問が顔に出てしまったのか、俺を見上げていた園田が苦笑する。
「バイト先、兄ちゃんが働いてるとこなんだ。兄ちゃんの大学の近く」
「兄弟いんだ」
「んー、厳密には違うんだけど……似たようなものかな」
 妙に含みのある言い方をされ、思わず園田に視線を向ける。
 外見は今まで通り子供っぽいのに、表情はどこか憂いでいるような、おかしな雰囲気だった。
 しかしそれは一瞬で、パッとした笑顔に変わる。
「隣の家に住んでた人でね。小さい頃から良くしてくれて、本当の兄みたいに思ってる」
「なるほど」
「こっちの大学に通ってて、一人暮らししてるところに俺が転がり込んだ……みたいな?」
 ということは、今はその人と一緒に住んでるのか。
 昔からの馴染みとはいえ、赤の他人だろうに。落ち着けるんだろうか。俺には理解できないな。
「兄ちゃん、色々助けてくれるし感謝してるんだけど、ちょっと過保護でさ。違う店でバイトは多分許してくれないなー」
「へぇ」
 まぁ、幼く見える弟が心配になるのは、わかる気がする。
 善人らしさがにじみ出ていて、狙いやすい。所持品が紛失しても黙っているタイプだろう。たいしたものを持ち歩いていない気もするが。
 ここで仲良くなっておけば、おそらく俺は疑われない。

 ……何考えてるんだろう、俺は。
 だから、俺は友達なんて作るべきじゃないんだ。

「園田さ」
「ん?」
 ああ、やっぱりだめだ。
 会話なんて適当に流すだけのつもりだったのに、普通に続けてしまっている。
 他人とは関わりたくない。けれどそれは、嫌だからじゃない。
 こうして接していれば、絆されるし、楽しくもなる。もしかしたら上手くやれるかもしれない、なんて思いはじめる。
 同時に、何が盗れるかを探り始めている。目ぼしいものを見つけてしまったら、きっと俺は罪を犯す。
 こんな善人相手に「落ちていた」「間違えて持っていった」なんて苦しい言い訳を繰り返す自分を想像して、吐き気がした。
 まだ何も盗っていない今、距離を置かなければいけない。
「誰とでも仲良くできるのはいいけど、相手は選べよ」
「どういう意味?」
「犯罪者の子供とお友達なんて、過保護な兄が許さないんじゃね?」
「……あの噂、本当なの?」
 言われて驚く。知っていたのか。
 なお話しかけてきたということは、噂なんて不確定なものを信じないほど善人ってことだ。
 まぶしくて、嫌になる。
「本当だよ。地元じゃ誰だって知ってる。尾ひれがついて、強盗だの殺人だのになってるけどな」
「じゃあ、強盗と殺人はガセなんだ」
「どうかな」
「何だったとしても、家族の罪なんて関係ないと思うけど」
 その発言に、思わず歯ぎしりした。
 どうしてそんなに綺麗でいられるのか。
 どうしてこんなにも、差を見せつけられなければならないのか。
「あるよ、親の影響受けねぇ子供がいるか。俺だって、いつか人殺しとかするかもよ」
「立川くんは優しいね」
「……は?」
 優しい……?
 その言葉が理解できず、間の抜けた声が出た。
 今の流れで、どう考えたら俺が優しいのか。
 ちゃんと見ていなかった園田の顔に視線を向ける。
 目の前にいた、幼い子供のような男は、いつの間にか変わっていた。
 いや、違う。人が急に変貌することはない。こいつは最初から園田で、顔も喋りも、何も変わっていない。
 それなのに、さっきまで話していた園田が、いなくなったように感じた。
 もうそこに笑顔はない。
 ただまっすぐ、俺を見ていた。
「立川くんに話しかけたのは、最初は席が近かったからだけど、今日は違う。噂のこともあって、仲良くなりたかった」
「あんな噂で……?」
「噂が嘘でも本当でも、それを気にして他人と距離を取ろうとしてる人が、そこまで悪人とは思えなかったから」
「んなの……あんな状況、俺が気分悪いってだけで」
「気分が悪いって思える時点で、十分なんだ」
 何を言っているのか、いまいち理解できない。
 ただ、その言葉に冗談めいたものは一切感じない。
「本当に危険な人は、わざわざ危険ですなんて教えてくれない。無害そうな顔で、その本性を誰にも気づかれないよう狡猾に隠してる」
「園、田……?」
 その瞳は俺を捉えていた。けれど、俺を見てはいなかった。
 どこか遠く、ここにはいない何かを見ているようだった。
 その眼差しからは、憎悪、嫌悪、怨嗟、そういうものが入り混じったような、どす黒いものを滲ませていた。
「だから、自分から危険ですよって教えてくれた立川くんは、今のところ一番安心できるかな」
 すっと。
 見せていた負の感情を一瞬で鎮め、柔らかく笑った。
 その切り替わりに、上手くついていけない。
 言っている事にも共感できない。
 見るからに怪しいやつより、奇妙な噂があるやつより、何もない普通の人間の方がいいに決まっている。
 事実、俺は窃盗犯だ。盗れるものがあれは、友人の物だろうと盗るような悪人だ。
 安心材料なんてありはしない。
 しかし、これが同情の類でないことも、わかってしまう。
 そんな生易しい感情は、一ミリも伝わってこなかったから。
「園田って、けっこうおかしい奴だったんだな」
「そう……かも。俺も身内に頭おかしいの、いたから」
「それは多分、影響されてんだろうな」
 だから俺、というわけか。
 こいつを綺麗だと思っていた時のような居心地の悪さは、どこかへ消えてしまっていた。
 類は友を呼ぶ、というやつなんだろう。
「俺は、誰とも仲良くする気はないけど」
 もしかしたら。
 もしかしたら、上手くやれるかもしれない……なんて。
「学校で話すくらいなら、別にいい」
 そんな幻想を、捨てられなかった。
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