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第18話 変化
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夢を見た。
最近見ていなかった、フィリアの記憶の中の一コマだ。
場所はおそらく最初に見た庭園と同じ。
違うのは季節と、時だ。
フィリアの目の前に立つディエスは、今よりは幼いが背は随分伸びていた。
「ディエス殿下……?」
控え目に、彼女が声をかける。
彼が振り向き、恐ろしいものでも見たように顔をこわばらせた。
フィリアもディエスの変化に気づき、戸惑う。
「どうなさいましたの、殿下? お顔の色が良くないわ」
フィリアが一歩近づき、ディエスが一歩後退する。
「何でもないよ、フィリア。何でも……」
彼の顔にはもう何の感情も浮かんでいなかった。
「私、殿下のことは殿下より詳しいのですわ! 先の遠征でお怪我をなさったのでは?」
なおもフィリアが食い下がろうとした時、
「ディエス」
城の回廊から声が聞こえた。
ああ、ここは王城だったんだ。
「叔父上———いえ、モーレス陛下」
声の主をディエスはそう呼んだ。フィリアはお慌てて礼をする。
その人物——モーレス王は、ディエスよりノクスに似ていた。
まあ兄弟だから当然か。
しかしノクスの凶相とは違って、モーレスは優しそうで線の細い男性だった。
———それなのに、王とディエスは似ていた。
正しくは姿形ではなく、その目だ。
虚無を映し、何の感情も見出せない目は、過去ではない現在のディエスと良く似ていた。
「王都の南の森に魔物が出たとの報告だ。すぐに支度をして騎士団と向かいなさい」
「はい、陛下」
ディエスは自分を——フィリアを振り返ることなく去って行く。
ぎゅうっと胸が締め付けられるように痛くなった。これはフィリアの痛みだ。
俺は彼女の中にいながら、どうすることも出来ずにただ見ていた———
「……ん」
ああ、また違う夢が始まった。
「……くん」
髪の長い美少女が俺にまたがって、身体をまさぐってくる。
淫夢というヤツか。
こういう夢を見るの、死んで以来だな。
抵抗せず好きなようにさせていると、彼女が俺の耳に唇を寄せてきた。
「起きないと、勝手に脱がせちゃうぞ、B君❤︎」
俺の意識はハッキリと覚醒した。
「ササPさん!!」
俺の上にいる美少女は淫夢などではなく、残念ヒロイン『クレア』——ササPだった。
俺が寝惚けていたのと、髪で顔が隠れてたせいで気がつかなかった……。
「グッモーニン、B君! どうだい、美少女に朝起こされる気分は? 最高だろ! 今度は私にぜひやってくれ!」
朝からテンション高過ぎて、ついて行けない……。
———昨夜、俺とササPは『パジャマパーティー』を決行したのだ。
いや、させられた。
「お邪魔します!」と有無を言わさず、ネグリジェと枕片手に俺の部屋に突撃してきたササP。
女子とは言え不審なことこの上ないので、当然メイドのリトに阻止されると思いきや、何故か俺を見ながら二人で熱く語り合った後、最後は固い握手を交わして許可されてしまった。
当然俺は会話の内容を二人を問い詰めたが、ササPには「君のことだよ」と軽くかわされ、リトには「お嬢様の話題で、ご家族以外でこんなに意気投合する人は初めてです」と煙に巻かれた。
……まあ、結果的に楽しい夜ではあった。
貞操の危機を感じて最初は身構えていたが、ササPは『ガールズトーク』ならぬ『生前トーク』に終始した。
彼と俺は十歳くらい離れているので、多少のジェネレーションギャップはあったが、それぞれの学生時代に流行ったゲーム、漫画、アニメ、その他いろんな話題で大いに盛り上がった。
ササPは話し上手、聞き上手で、さすがコミュ力必須なプロデューサーを務めるだけはある。
彼との思い出話は本当に楽しかった。
同時に俺たちの思い出は、この世界の誰にも共感されないことが、少しだけ寂しいと思った———
「はーいB君、手を大きく上げてー、お着替えしようねー」
起きたてで少しボーッとしてたら、ササPにネグリジェを脱がされた。
この時の俺は危機感が欠如していた。
ササPが俺のネグリジェを持ったまま、停止する。
彼が急に黙り込んだのを不審に思って顔を上げる。
頬を赤らめ、熱を孕んだ瞳がこちらを見ていた。
「……B君、やっぱり私たち一線越えない?」
「は?」
「朝っぱらから何を」と言い返そうとして、俺はハタと気づく。
下はかぼちゃパンツみたいなズロースを穿いてたから油断してたけれど、上には何も着けていない。
俺は上半身裸で、ササPの前にいることになる。
「ぎゃああああっっ!!」
遅まきながら胸を手で隠して、ベッドの上で彼から距離をとろうとした。
だがしかし、ササPはそれを許さず、逆に押し倒された。
「ひえっ!」
「大丈夫、女同士の経験はないけど、痛くしないから❤︎」
「何の根拠が!? ああっ、あなたまで脱がないでくださいましっ!!」
「B君だって、見たいくせにー」
「全年齢ヒロインがいけませんわ、こんなこと!」
「『ソラトキ』の年齢別レーティングは15歳以上対象だよ!」
「おはようございます。お嬢様、クレア様そろそろ起きて支度をなさいませんと……」
俺たちを起こしに来てくれたリトが言葉を無くした。
無理もない。
ベッドの上で主人とその友人が半裸で睦み合っていたら、俺だってフリーズするわな。
とにかく彼女の誤解を解かないと!
「これは違うの、リト! クレアさんが着替えを手伝ってくださって……ああっ! もう! 話している最中に抱きつかないでくださいませ!!」
説明しようとしている先から、さらにややこしい事態にするな!
「……クレア様」
しばらく黙っていたリトが口を開く。
さすがにこんな痴態を見せられて怒っているのか、ジト目メイドの声と表情がいつもより固い。
「はい、何でしょう、リトさん」
ササPも異変を察したのか、少し大人しくなる。
「私、お嬢様の生まれたままの姿を見たことがございます。半裸ごときで新参のあなたが調子に乗らないことですね」
何のマウントだよ!?
っていうか、いつ俺の——フィリアの全裸なんて……いや、仕事柄結構あるか。
「くっ! 上には上がいたっ!」
そして何故かササPはその事実にダメージを受けていた。
結果、リトの登場で俺の貞操は守られたのだった。
「ねー、まだ怒ってる? フィリア様」
「別に怒ってはいませんわ、クレアさん。でもパジャマパーティーは金輪際いたしません」
「怒ってるじゃん!」
寮から校舎までの短い通学路。
ちらほら他の生徒がいるので、『クレアさん』『フィリア様』呼びで俺たちは会話していた。
実際のところ、言う程怒ってはいない。
俺もクレアの半裸を見てしまったしな……。
でもケジメは必要だ。
「もし私の気が変わって、次に開催することになったら間にリトを挟んで、川の字で寝ますわ」
「うーん、それはそれで楽しそうだけれど……フィリア様を抱き枕にして寝たいしな~」
クレアはブツブツ言っているが、スルーだスルー。
「フィリア様!」
突然、意外な人物に呼び止められた。
「グランス様!?」
彼と会うのは演習戦以来だ。少し居心地悪そうな様子で、こちらを見ている。
「怪我はもう大丈夫なのですか?」
俺はグランスに駆け寄り、彼の頭から爪先までジロジロ凝視した。
一見したところ、先日の大怪我が嘘のように治っている。
「ええ、あの後ラティオ先生に治してもらって、次の日には普通に動けるようになりました」
「そうなのですね。良かった……ノクス先生に無事だと聞いてはいましたのよ。でも、やっぱり心配で……本当に良かったですわ!」
ラティオ先生の腕前を信じてない訳ではないが、あの大量に流れた血や、苦悶を浮かべた表情を思い出すと気に掛かっていたのは確かだ。
こうして彼の元気な姿が見られて、俺は素直に嬉しいぞ。
「!」
あんまり俺が締まりの無い顔でニコニコしてたからか、グランスに目を逸らされた。
そうだった。今は中の人『俺』でも身体は『フィリア』だ。
推しにダラシない顔をさせるのは良く無い。キリッとしよう。
「それで、私に何の御用かしら? グランス様」
「これ」
拳を突き出すように、小さな包みを渡された。
アレ? 俺この後の展開を知ってる気がする——
「これは……?」
しかし念のために聞いてみる。
「……街の小さなお菓子屋の焼き菓子が美味しいって、評判で……」
「私にくださるんですの?」
グランスは、こくんと小さく頷いた。
「あなたには世話になったから、それだけです!」
真っ赤な顔で言い切ると、彼は振り向きもせずに早足で行ってしまった。
「あー、これはフラグ立っちゃったねえ」
俺の隣で一部始終を見ていたクレアが楽しそうに言う。
「いや、これは何かの間違いですわ! 私、悪役令嬢ですもの!」
「作った本人が言うのもなんだけど、フィリア様は悪役令嬢と言うには弱いんだよね。それにこの展開って、まるで——」
そう、乙女ゲーム『ソラトキ』では『グランスルート』に入った印だ。
焼き菓子を作った小さなお菓子屋には、ブルケル男爵の援助を得て、働ける程度に健康を取り戻した母親がいる。
グランス自身は男爵との約束で、母親には会いにいけない。
従者に「評判の焼き菓子を食べたい」との名目で、買いに行かせているのだ。
唯一母親と繋がることが出来る大切な焼き菓子をプレゼントされる———
結構重い行為だ。
でも知り合って間もない女の子に、そんなにすぐ惚れるか?
逆の立場で考えてみよう。
少女の危機を救ってピンチになるも、彼女の機転で死の危機を乗り越える(美味しいところは殿下に取られたが)———これは吊り橋効果も相まって盛り上がってしまいそうだ……。
ヒロインが機能しない乙女ゲームの恐ろしさを、俺は今ヒシヒシと感じていた。
最近見ていなかった、フィリアの記憶の中の一コマだ。
場所はおそらく最初に見た庭園と同じ。
違うのは季節と、時だ。
フィリアの目の前に立つディエスは、今よりは幼いが背は随分伸びていた。
「ディエス殿下……?」
控え目に、彼女が声をかける。
彼が振り向き、恐ろしいものでも見たように顔をこわばらせた。
フィリアもディエスの変化に気づき、戸惑う。
「どうなさいましたの、殿下? お顔の色が良くないわ」
フィリアが一歩近づき、ディエスが一歩後退する。
「何でもないよ、フィリア。何でも……」
彼の顔にはもう何の感情も浮かんでいなかった。
「私、殿下のことは殿下より詳しいのですわ! 先の遠征でお怪我をなさったのでは?」
なおもフィリアが食い下がろうとした時、
「ディエス」
城の回廊から声が聞こえた。
ああ、ここは王城だったんだ。
「叔父上———いえ、モーレス陛下」
声の主をディエスはそう呼んだ。フィリアはお慌てて礼をする。
その人物——モーレス王は、ディエスよりノクスに似ていた。
まあ兄弟だから当然か。
しかしノクスの凶相とは違って、モーレスは優しそうで線の細い男性だった。
———それなのに、王とディエスは似ていた。
正しくは姿形ではなく、その目だ。
虚無を映し、何の感情も見出せない目は、過去ではない現在のディエスと良く似ていた。
「王都の南の森に魔物が出たとの報告だ。すぐに支度をして騎士団と向かいなさい」
「はい、陛下」
ディエスは自分を——フィリアを振り返ることなく去って行く。
ぎゅうっと胸が締め付けられるように痛くなった。これはフィリアの痛みだ。
俺は彼女の中にいながら、どうすることも出来ずにただ見ていた———
「……ん」
ああ、また違う夢が始まった。
「……くん」
髪の長い美少女が俺にまたがって、身体をまさぐってくる。
淫夢というヤツか。
こういう夢を見るの、死んで以来だな。
抵抗せず好きなようにさせていると、彼女が俺の耳に唇を寄せてきた。
「起きないと、勝手に脱がせちゃうぞ、B君❤︎」
俺の意識はハッキリと覚醒した。
「ササPさん!!」
俺の上にいる美少女は淫夢などではなく、残念ヒロイン『クレア』——ササPだった。
俺が寝惚けていたのと、髪で顔が隠れてたせいで気がつかなかった……。
「グッモーニン、B君! どうだい、美少女に朝起こされる気分は? 最高だろ! 今度は私にぜひやってくれ!」
朝からテンション高過ぎて、ついて行けない……。
———昨夜、俺とササPは『パジャマパーティー』を決行したのだ。
いや、させられた。
「お邪魔します!」と有無を言わさず、ネグリジェと枕片手に俺の部屋に突撃してきたササP。
女子とは言え不審なことこの上ないので、当然メイドのリトに阻止されると思いきや、何故か俺を見ながら二人で熱く語り合った後、最後は固い握手を交わして許可されてしまった。
当然俺は会話の内容を二人を問い詰めたが、ササPには「君のことだよ」と軽くかわされ、リトには「お嬢様の話題で、ご家族以外でこんなに意気投合する人は初めてです」と煙に巻かれた。
……まあ、結果的に楽しい夜ではあった。
貞操の危機を感じて最初は身構えていたが、ササPは『ガールズトーク』ならぬ『生前トーク』に終始した。
彼と俺は十歳くらい離れているので、多少のジェネレーションギャップはあったが、それぞれの学生時代に流行ったゲーム、漫画、アニメ、その他いろんな話題で大いに盛り上がった。
ササPは話し上手、聞き上手で、さすがコミュ力必須なプロデューサーを務めるだけはある。
彼との思い出話は本当に楽しかった。
同時に俺たちの思い出は、この世界の誰にも共感されないことが、少しだけ寂しいと思った———
「はーいB君、手を大きく上げてー、お着替えしようねー」
起きたてで少しボーッとしてたら、ササPにネグリジェを脱がされた。
この時の俺は危機感が欠如していた。
ササPが俺のネグリジェを持ったまま、停止する。
彼が急に黙り込んだのを不審に思って顔を上げる。
頬を赤らめ、熱を孕んだ瞳がこちらを見ていた。
「……B君、やっぱり私たち一線越えない?」
「は?」
「朝っぱらから何を」と言い返そうとして、俺はハタと気づく。
下はかぼちゃパンツみたいなズロースを穿いてたから油断してたけれど、上には何も着けていない。
俺は上半身裸で、ササPの前にいることになる。
「ぎゃああああっっ!!」
遅まきながら胸を手で隠して、ベッドの上で彼から距離をとろうとした。
だがしかし、ササPはそれを許さず、逆に押し倒された。
「ひえっ!」
「大丈夫、女同士の経験はないけど、痛くしないから❤︎」
「何の根拠が!? ああっ、あなたまで脱がないでくださいましっ!!」
「B君だって、見たいくせにー」
「全年齢ヒロインがいけませんわ、こんなこと!」
「『ソラトキ』の年齢別レーティングは15歳以上対象だよ!」
「おはようございます。お嬢様、クレア様そろそろ起きて支度をなさいませんと……」
俺たちを起こしに来てくれたリトが言葉を無くした。
無理もない。
ベッドの上で主人とその友人が半裸で睦み合っていたら、俺だってフリーズするわな。
とにかく彼女の誤解を解かないと!
「これは違うの、リト! クレアさんが着替えを手伝ってくださって……ああっ! もう! 話している最中に抱きつかないでくださいませ!!」
説明しようとしている先から、さらにややこしい事態にするな!
「……クレア様」
しばらく黙っていたリトが口を開く。
さすがにこんな痴態を見せられて怒っているのか、ジト目メイドの声と表情がいつもより固い。
「はい、何でしょう、リトさん」
ササPも異変を察したのか、少し大人しくなる。
「私、お嬢様の生まれたままの姿を見たことがございます。半裸ごときで新参のあなたが調子に乗らないことですね」
何のマウントだよ!?
っていうか、いつ俺の——フィリアの全裸なんて……いや、仕事柄結構あるか。
「くっ! 上には上がいたっ!」
そして何故かササPはその事実にダメージを受けていた。
結果、リトの登場で俺の貞操は守られたのだった。
「ねー、まだ怒ってる? フィリア様」
「別に怒ってはいませんわ、クレアさん。でもパジャマパーティーは金輪際いたしません」
「怒ってるじゃん!」
寮から校舎までの短い通学路。
ちらほら他の生徒がいるので、『クレアさん』『フィリア様』呼びで俺たちは会話していた。
実際のところ、言う程怒ってはいない。
俺もクレアの半裸を見てしまったしな……。
でもケジメは必要だ。
「もし私の気が変わって、次に開催することになったら間にリトを挟んで、川の字で寝ますわ」
「うーん、それはそれで楽しそうだけれど……フィリア様を抱き枕にして寝たいしな~」
クレアはブツブツ言っているが、スルーだスルー。
「フィリア様!」
突然、意外な人物に呼び止められた。
「グランス様!?」
彼と会うのは演習戦以来だ。少し居心地悪そうな様子で、こちらを見ている。
「怪我はもう大丈夫なのですか?」
俺はグランスに駆け寄り、彼の頭から爪先までジロジロ凝視した。
一見したところ、先日の大怪我が嘘のように治っている。
「ええ、あの後ラティオ先生に治してもらって、次の日には普通に動けるようになりました」
「そうなのですね。良かった……ノクス先生に無事だと聞いてはいましたのよ。でも、やっぱり心配で……本当に良かったですわ!」
ラティオ先生の腕前を信じてない訳ではないが、あの大量に流れた血や、苦悶を浮かべた表情を思い出すと気に掛かっていたのは確かだ。
こうして彼の元気な姿が見られて、俺は素直に嬉しいぞ。
「!」
あんまり俺が締まりの無い顔でニコニコしてたからか、グランスに目を逸らされた。
そうだった。今は中の人『俺』でも身体は『フィリア』だ。
推しにダラシない顔をさせるのは良く無い。キリッとしよう。
「それで、私に何の御用かしら? グランス様」
「これ」
拳を突き出すように、小さな包みを渡された。
アレ? 俺この後の展開を知ってる気がする——
「これは……?」
しかし念のために聞いてみる。
「……街の小さなお菓子屋の焼き菓子が美味しいって、評判で……」
「私にくださるんですの?」
グランスは、こくんと小さく頷いた。
「あなたには世話になったから、それだけです!」
真っ赤な顔で言い切ると、彼は振り向きもせずに早足で行ってしまった。
「あー、これはフラグ立っちゃったねえ」
俺の隣で一部始終を見ていたクレアが楽しそうに言う。
「いや、これは何かの間違いですわ! 私、悪役令嬢ですもの!」
「作った本人が言うのもなんだけど、フィリア様は悪役令嬢と言うには弱いんだよね。それにこの展開って、まるで——」
そう、乙女ゲーム『ソラトキ』では『グランスルート』に入った印だ。
焼き菓子を作った小さなお菓子屋には、ブルケル男爵の援助を得て、働ける程度に健康を取り戻した母親がいる。
グランス自身は男爵との約束で、母親には会いにいけない。
従者に「評判の焼き菓子を食べたい」との名目で、買いに行かせているのだ。
唯一母親と繋がることが出来る大切な焼き菓子をプレゼントされる———
結構重い行為だ。
でも知り合って間もない女の子に、そんなにすぐ惚れるか?
逆の立場で考えてみよう。
少女の危機を救ってピンチになるも、彼女の機転で死の危機を乗り越える(美味しいところは殿下に取られたが)———これは吊り橋効果も相まって盛り上がってしまいそうだ……。
ヒロインが機能しない乙女ゲームの恐ろしさを、俺は今ヒシヒシと感じていた。
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