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LostAngel

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第十七話 『フライ・スタンピード』 前編

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[第十七話] 『フライ・スタンピード』 前編

☆サイド:トール

 紅絹先輩と別れた後。

 学校から帰ってきて、色々と家事雑用を済ませておく。

「慣れたもんだ」

 寝室の学習机にかじりついて今日の分の復習を終えた俺は、ベッドに腰かけた。

 そしてチェリーアプリをセットし、[AnotherWorld]にログインする。

 昨日ログアウトした地点、ホテルハミングバードの部屋からゲームが始まる。
 
 改めて見てもきれいな部屋だな。汚してしまって本当に申し訳ない。

「もうちょっと作ってみるか」

 まあ、汚れてしまったのなら遠慮はいらないだろう。

 魔力は十分に回復しているし、三人と集合する時間は十七時。もう少し時間に余裕がある。

 試験管立ても十本分空いているから、もう少し何か調薬してもいいだろう。

 近々、『アレ』が大量発生することも見越して。

 そのために必要なものは……。

「そうだ」

 いいことを思いついたのでやってみる。

 俺は早速、左手の親指を噛んだ。

 そして用意したぬるま湯に、ナオレ草とともに自分の血を入れてみる。

 後は、前に上手くいった手順でポーションを仕上げ、冷まして出来上がりだ。

〇アイテム:体力・出血回復ポーション 効果:体力回復:微、出血回復
 体力をわずかに回復し、出血状態を回復するポーション。人によっては発熱の状態異常が発現することがある。

 血を入れたことで体力回復の効果が落ちた。中々上手い具合にはいかないな。

 それにしても、最後の一文は何だ。『発熱』はその名の通りで熱が出てしまうという状態異常だが、どうしてこんな説明が入るんだろう。

 少し考えてみる。

「はっ!」

 まさか。

 俺の血が入ったポーションを飲むということは、別のプレイヤーからしたら他人の血を摂取するということだ。

 だから、免疫過剰の拒絶反応によって熱が出るってことか?

 どこまで細かいんだこのゲームは。

「まあ、[AnotherWorld]だから仕方ない」

 このVRゲームは作り込まれている。プレイヤーメイドのアイテムであっても、複雑な効果が設定されているに違いない。

 ナオレ草も残り少なくなってきたので、十本できた体力・出血回復ポーションをまとめてストックしておき、俺は次のアイテムを取り出す。

「おお~」

 試験管ホルダーだ。

 見た目は、五つの輪っかが等間隔に縫いつけられた黒いベルトといった感じ。

 調薬ギルドで出会ったおじいさんの説明では、試験管ホルダーにセットした五つの薬は、戦闘時にも即時に消費して効果を得られるらしい。

 というのも、通常アイテムを使用する場合、インベントリを開いてアイテムを選択して消費を決定するという、めんどくさい手順を踏む必要がある。

 だが、このホルダーを使うとその手順をショートカットできる。

 また、名前に『試験管』と名についているが、錠剤や丸薬などの形状の薬もセットできるらしい。そこらへんの融通が利くのがゲームっぽいな。

 早速俺はメニューを操作し、腰装備の欄に試験管ホルダーを装備してみる。

 さらに、ホルダーのスロットに体力回復ポーションを三本、体力・出血回復ポーションを二本セット。

 気になったので、部屋にある姿見で腰回りをチェックする。

「うん」

 ちぐはぐだ。

 ホルダー単品が渋くてかっこいいので、白いポロシャツとカーキのスウェットパンツに挟まれてかなり浮いている。

 ま、まあ実用的であれば問題ない。見てくれと強さは比例しないものよ。 

 ちなみに今の俺の格好は以下の通り。

 頭に薄茶色のちゃちなベースボールキャップ。上半身にゴワゴワのポロシャツ、キラキラと輝く水色の鱗のマント。

 腰に黒い試験管ホルダー。下半身にぶよぶよしたスウェットパンツ。足先にこげ茶色のスニーカー。

 そして、手には赤いサンゴの枝。

 完全に不審者の出で立ちだ。

「まあいいか」

 俺は諦めつつ、部屋を出た。

 時刻は十六時五十分。

 昇たちとの集合場所は中央広場だからすぐそこだ。これでもちょっと早いくらいに着くだろう。

 楽しみだな。初の四人パーティプレイ。

 そして、『アレ』のスタンピードもどうなることやら。

 吉と出るか、凶と出るか。

 未来にはどんな展開が待ち受けているのだろうか。


☆サイド:フクキチ

 あと一分で十七時。

 集合場所の噴水広場に行くと、他の三人は既にいた。透も昇も静も、ほとんどリアルと同じような背格好をしている。

 変に気を遣わせないように僕が最後か。ちょっと申し訳ないな。

 黒い短髪に恰幅のいい肩幅。目の色は青緑色にして少し印象を変えた。

 背中には大きな槌を背負っている。

 しかしそれでは装備重量の都合上、元々遅い動きが更にスローになってしまうので、エクリプス装備店で買った最軽量の服を全身に纏う。

 それが僕の格好だ。

「よお、彰」

「おっす」

「さっきぶりですわ」

 僕も現実での体つきと変わらないから、皆はすぐに気づいたようだった。口々に挨拶してくる。

「こっちではなんと呼んだらいいんだ?」

「フクキチだよ。実家で飼ってる犬の名前。皆はなんていうの?」

「俺はトール。『お』じゃなくて伸ばす棒の『-』な」

「俺はライズ。『昇る』を英語にしただけだ」

「私はローズ。アニメの主人公の名前から取りましてよ」

 なんか、皆らしいや。

 透は適当で昇は安直だし、静に至っては相変わらずだなあという気持ちしかない。

「トールにライズにローズね、覚えた。…それで、皆の職業はなんなの?そろそろお披露目といこうよ」

「お、いいな」

 集まってすぐだけど、これから狩りに行くんだ。

 皆の手の内を知っておきたいから聞いてみると、トールが賛同してくれた。

「やろうぜ」

「よろしくてよ」

 ライズとローズも賛成してくれたので、こっちの世界での自己紹介が始まった。

「じゃあ言い出しっぺの僕から。僕はフクキチ。職業は商人だよ。後ろにハンマーをしょってるのは飾りな部分もあるけど、一応はフィールドでもそれなりに戦えるよ」

「すまん、商人ってどんな職業なんだ?」

 僕が手短に言うと、トールが食いついてきた。

 商人は割とメジャーな職業だけど、あんまり[AnotherWorld]について調べずに遊んでるのかな。

「その名の通り、モノの売り買いができる職業だよ。値段交渉スキルで安く買ったり高く売ったりできるんだ」

「なるほど。それはいいな」

 めちゃくちゃざっくり説明すると、トールの目がきらりと光る。

 なにか悪いこと考えてない?

「中々面白そうな職業だ。……じゃあ、次は俺だな。俺の名前はトール。水属性魔法使いをやっている」

 水属性!?

 僕は心の中で驚きの声を上げる。

 魔法使いは典型的な遠距離攻撃タイプだ。基本的に、魔物に近づかれると弱い。

 それに、水属性は初期から選べる魔法の四属性の中で一番火力に欠ける。

 ソロだとかなり厳しいはずだけど、立ち回りはどうするつもりなんだろう?

「珍しいですわね。なにか考えがあってのことなんですの?」

 ローズがすかさず質問する。

 僕と同じことを考えていたみたいだ。

「ああ、調薬に便利かと思ってな。まだ卸していないが、副業でお金稼ぎができると睨んでいる」

 なるほどね。だからさっき、僕が商人って言ったときに目が怪しくなったのかな。

 考えることは皆同じだ。現実でもゲームでもお金はたくさんほしい、浴びるほどね。

 なら、後で薬を売ってくれるか交渉しようか。

「売りたいときは僕に言ってよ。損はさせないから」

「元よりそのつもりだ」

 ちなみに、トールの格好は控えめに言ってもやばい。いくらお金がないと言っても、これはない。

 ま、予算が招いた悲劇だろうから余計なことは言わない。友情にヒビが入りそうだから言えないというのもある。

「次は私がいきますわ」

「あっ、ずるい。トリって恥ずかしいじゃんか」

 話が終わったとみるや、素早いスタートダッシュを見せたのはローズ。

 ブーブー言うライズを横目に、さっさと自己紹介を始めてしまう。

「私はローズ。槍を手にしていますけれども、本職は魔物使いですわ。どうぞよろしく」

 魔物使い!

 これまたピーキーな職業だね。

 魔物使いは、弱らせた魔物を従魔という仲間にして一緒に戦うことのできる職業だ。

 この手のゲームでよくある、従魔が経験値を吸ってしまうというシステムは[AnotherWorld]にはなく、きちんと主人が得た経験値と同量のものが従魔にも与えられる仕組みになっている。

 でも、魔物をテイムするためにはソロでモンスターを瀕死に追い込み、専用のスキルで勧誘する必要があるんだよね。

 これが魔物使いという職業の難易度を跳ね上げているんだけど、一体でも従魔を作れてしまえば莫大な戦力となる。

 また、従魔をインベントリにしまったり、召喚と送還で戦闘のときだけ力を貸してもらうなんて便利機能はない。従魔は常に主人の傍にいて、主人がログアウトしているとき以外はずっと実体化し続ける。

 これも特大のデメリットだけど、一応救済措置はある。それが『使役の結晶』と呼ばれるアイテムだ。

 『使役の結晶』は従魔をアイテム化できるアイテムだ。

 アイテム化された従魔は『使役の結晶』の中に閉じ込められ、一つのアイテムになる。アイテムになってしまえば、インベントリに収納できる。

 いい加減、『アイテム』って言葉がゲシュタルト崩壊してきた。

 とにかく、『使役の結晶』はとても便利なアイテムなんだけど…。

「名前からして、魔物を仲間にできるのか!?」

「そうでしてよ。でも、簡単にというわけにはいかないんですのよね」

 …かなりの値段がするので、初心者には手が届かない代物になっている。

 だから結局、魔物使いが敬遠されているという問題は解決していない。

 しかもアイテム化してる最中の結晶はスタック化できないので、例えば三体の従魔をアイテム化しているときは、インベントリの枠を三消費することになる。

 これも、効率よくアイテムを抱え込みたい冒険者にとって痛いデメリットだと思う。

「条件が色々あるのか」

「それでもすげーよ!進んで選ぶなんて」

 察して納得したトールだが、ライズは感心気味だ。

「ありがとう。苦労は買ってでもしろと言いますし、人生はハードモードが一番ですわ!」

 ローズの心意気にあっぱれ!今度、『使役の結晶』があったら安く仕入れておこう。

 ちなみに、彼女の格好は完成されていた。

 バラを思わせる赤褐色の髪は、いつもの彼女と同じくポニーテールにしている。

 上下は動きやすい皮鎧一式で、わりかし上等そう。

 背中に斜めがけしている銀色の槍は長さ一メートルくらいかな?これもそこそこの値段がするとみた。

 総合すると、彼女は初期タメル以上のお金を装備につぎ込んでいるだろう。

 依頼をこなしまくった?それとも、効率した稼ぎを発見したとか?

「よし、最後は俺だな」

 トリを押しつけられたライズは変に声が上擦っている。

 最後の発表って緊張するよね。

「俺はライズ。見ての通り剣士をしている。ガンガン前で戦うから、近接は任せろ、よろしくな!」

 彼はいつでも元気いっぱいだ。

 職業については、腰に剣みたいなのぶら下げているし、まあ剣士だよね。

 剣士は、[AnotherWorld]の中で最もスタンダードで、かつ人気のある役職の一つだ。斬属性、突属性の強力な攻撃を、武器の耐久力が続く限り何度でも撃てる。

 スキルも戦闘寄りのものが多くて、フィールドでは頼りになる存在になるね。

「よろしく」

「よろしくお願いしますわ」

「よろしくね」

 ちなみに、ライズの格好は比較的まともだ。

 頭装備はなし。邪魔にならない長さをした金髪を無造作にさせている。

 上は金属鎧だ。銀色のプレートメイルは薄く、何枚ものパーツが組み合わさったような造りをしていて、防御と機動力を兼ね備えていそう。かなり値が張るだろうね。

 対して、下は貧弱に見える。灰色の薄い布生地のスウェットだけど、トールのよりは履き心地も通気性も軽さも良いと思う。上半身にお金をかけすぎた結果なのか、あえてそうしているのかまでは分からない。

 結論としては、初期タメルの範囲内でライズなりに考えられている。

「これで全員の紹介が終わったね。それじゃ早速、皆で狩りに行こうよ!」

「ああ」

「いいぜ!」

「行きますわよ!」

 僕の号令とともに、各々が兜の緒を締めるのでした。


☆サイド:ローズ

 皆さんごきげんよう、ローズですわ。

 今日は男友達三人と狩りに行きます。いわゆる、パーティプレイというやつですわね。

 とはいえ東西南北、どこのフィールドに行くか皆さん決めていらっしゃらなかったので、私が手を上げましたわ。

「皆さん決まっていないようでしたら、カゾート大森林に行くのはどうでしてよ?」

「カゾート大森林?名前は聞いたことがあるが、どんな場所か分からないな」

 トールは南部にばっかり行っていたみたいでしたから、知らないのも無理はありませんわ。

 カゾート大森林は、王都の西部に広がる森のフィールドになっております。

「大森林ならトリッキーな魔物もいなくて、皆がバランスよく戦えると思いましてよ」

「そうなのか、もうハエとか蚊はいないか…?」

 ライズがげんなりとした声で言う。

 あら、あなたもご存じなくって?

「ええ、いませんわ。大森林は乾燥しておりますし、除虫効果のある植物が生えておりますので、虫系統の魔物はおりませんの」

「森なのに虫がいないなんて天国じゃないか!」

 フクキチは虫が嫌いですのね。私もですわ。

 ですから、実を言うと私、今まで大森林にしか行ったことがありません。

 皆の前で醜態をさらさないように、今回先んじて提案したという隠された思惑もありますの。

「それでしたら、カゾート大森林でよろしくて?」

「ああ」

「行こうぜ!」

「しゅっぱーつ!」

 皆さん快く賛成してくれて良かったですわ。

 ということで私たち一行は、西門を目指して王都西通りを歩き始めたのだった、ですわ。


 ※※※


 私サイドが終わると思いました?残念ですわね、終わりませんわ。

 王都西部騎士団長のご子息であるアレックスさんに挨拶をして西門をくぐった私たちは、ガルアリンデ平原(西部)へとやってきましたわ。

「とうとう皆と遊べるんだな」

 まだ森に到着しておりませんのに、トールが静かに感動しておりますわ。

 まあ、私も同じ気持ちですが。

「何しみったれてんだよ」

 情緒のかけらもありませんわね、ライズは。

「ははは…」

 フクキチは止める気がありませんようね。

「さっさといくぞ!日が暮れちまう」

 彼に急かされる形で平原を進んでいく私たち。

 十九時で完全に日が沈んで夜になってしまいまして、今は十五時十五分ほどですから、タイムリミットはあと二時間ないくらいですわね。

 平原で多少魔物と戦闘になっても、森で遊ぶ時間は充分にありましてよ。

「それにしても…」

 しかし、行けども行けども魔物が現れません。

 案内役として先頭に立つ私が目を皿にして辺りを見渡してみますが、何もなくってよ。

「おかしいな、ここは依頼が出るほどファングウルフがいるはずなのに」

 トールが首をかしげています。

 その依頼なら私も受けましたことがありますわ、ざっと五回分ほど。 

「もしかして、森の強いモンスターがこっちに来てるとか?」

「その可能性は薄いですわ。木材加工所が浅いところにありますので、森の魔物は王都側には寄りつかなくなっていましてよ」

 フクキチが挙げた疑問に、私が回答しました。

 [AnoterWorld]では人の出入りが多い場所に魔物は近づかないようになっておりまして、街はもちろんフィールドにある拠点にも若干の魔物除けがされております。

「…普通でしたら」

 ですが、いくらなんでもこれはおかしくて?

 ファングウルフだけでなく、グリーンラビットすら一匹もいないなんてことが本当にあり得るというんですの?

「あら?」

 けれども、たまにはそういう日があるのかもしれません。

 私はそう思うことにして歩き続けていると、ある音が聞こえてきましてよ。

 虫の羽音みたいな、形容するのも恐ろしい耳障りな音ですわ。

「ん?」

 三人も気づいたのか、全員一斉に立ち止まって音の聞こえる方向、南側を向きましてよ。

「なあ、これって…!」

「『アレ』、だな…」

 『アレ』ってもしかして…。

 もしかして、もしかしてもしかして、アレですの?

 私たちから見て南側には、小高い丘がある故に見通しが悪いですわ。

 ですので、今すぐ上って状況を確認しないといけません。

「自分の目で見て確かめろ、ですわ!」

「ちょっ、待てって!」

 ライズの静止も効かず、私は一心不乱に丘を駆けのぼりますわ。

 そんなはずはありません。

 アレが、あの魔物がこんなに大群で近づいてきてるなんて、想像するだけで…。

「ローズ!」

「明らかにおかしいよ!?」

 トールとフクキチの声を遮るように、音はどんどん大きくなって参ります。

 きっとこれは集団幻聴の一種ですわ!

「何かの間違いに違いありません…!」

 息を切らし、やっとの思いで丘を登りきりましたわ。

「なん…ですの」

 そこに待っていたのは、なんと。

 おぞましい羽音を轟かせる…、キャンユーフライの黒い群れでしたわ。


☆サイド:ライズ

 ぶくぶくぶく。

 変な音が聞こえてからおかしくなり、丘に登りきったローズが泡を吹いて倒れた。気絶したな。

 なんだよ、なにがあったってんだよ?

 俺たち三人が動けずにいると、『アレ』がゆっくりと現れた。

「おいおいおい!」

 大地を覆う黒い雲。キャンユーフライの大群だ。

 数匹の羽音は聞いたことがあるからもしやとは思ったが、こんなに大きな群れになるのか!?

「あれって…?」

 俺は大群の中心を指差して注意喚起した。

 とても気持ち悪いが、敵を観察するのは近接職には必須。

 目を凝らしてよく見てみると、先頭にいるフライの羽根は大きく、気取った赤いサングラスのようなものをかけてやがる。

 平原の魔物とは大体戦ったが、あんなやつは見たことない。

「あれ…、まずい!上位種のキャンユーフライ・ハイヤーだ!逃げよう二人とも!」

「逃げるって、ローズはどうすんだよ!」

「彼女は、もう…」

 フクキチはそう言って、俺に目で合図をする。

 見ると、フライ・ハイヤーが彼女の体をがっちりと掴む瞬間だった。

「ハイヤーは普通のフライと違って、拘束力と飛行能力が段違いだ。ああなったら助からないよ」

 フクキチが沈んだ声で言う。

 そうか…。

「だからフライ・ハイヤーが彼女に気を取られている間に、逃げよう!どのみちあの数は無理だし、ローズの死は無駄にできない!」

 フクキチが声を張り詰める。今にも生き残りの俺とトールに掴みかかって引きずりまわそうかという勢いだ。

「分かった」

 四の五の言ってられないか。

 仲間を見捨てたくないが、全滅したら元も子もない。今の俺の腕では、あの数を下すことも無理だ。

「じゃあ…」

「ああ、走るぞ!」

 ずっと無言のトールとともに、俺とフクキチは全速力で黒い渦から敗走した。

 そう、せざるを得なかった。 

「…っ」 

 もう後ろは見ない。

 音で察するに、幸いと言えばいいのか、リーダーがローズを捕食しているためにフライたちの進みが停滞しているようだ。

 この隙に距離を離す。

「もう、大丈夫だ」

 数分後。西門が見えてきたところで俺たちはいったん足を止め、後ろを振り返る。

 群れは追ってきていないようだった。

「いったいなんなんだよ、あれ!」

「分からない、分からないよ」

「……」

 フクキチは首をぶんぶんと振り、トールは恐怖で青ざめている。

 この場の全員が、事態を受け止めきれていなかった。

 あのハエが大量発生し、平原中の魔物を食い尽くしたからやけに静かだった、ってことでいいのか?

「でもね、ただ、一つ言えるのが…」

 舌なめずりをして乾いた唇を潤したフクキチが、声を絞り出す。

「…これが、『緊急依頼』に相当する事案だということだね」

 かくして、俺たちがフィールドに出てからわずか三十分後。

 王都全域の騎士団員、冒険者に向けて、緊急依頼…。

 『フライ・スタンピード』が発令されたのだった。
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