フェアリー・ドロップ〜推しだらけの異世界生活〜

【序章】

∞、廻る世界の輪の中で

「…ねぇ。」

　風で水面が波立つ。

　私にとって、最初で最後になるであろうその第一歩を踏み出そうとした瞬間、ずっと黙っていたあの人が、そっと口を開いた。

「…行かないでよ。」

「！」

　少し掠れたテノールが、震える声で私を引き止めた。
　背中の向こう側からひしひしと伝わってくる熱に、決意が揺らぎそうになるのを必死に堪えて、前を向く。
　
　振り向かないーー。

　顔を見てしまったら、もう戻れない気がして、振り向かないまま、一番嫌いな別れの言葉を、あの人の元に乱雑に置き去っていく。

「…バイバイ。」

　ーーパシャンッ。

　雨上がりの空。太陽のそばに薄っすらとかかった巻雲けんうんが、七色の光を放ち、真っ青な空に鮮やかな架け橋をつくる。

　水面に映った架け橋に足を乗せれば、もう、引き返せない。

　ーーヒュウゥッ。

　風に乗って、ちょっぴり天邪鬼な優しい檸檬の香りが、私の鼻孔をくすぐった。

「っ…！」

　もう膝まで水中に沈み込んだ体を、反射的にくるりと捻る。
　涙でボヤけた景色の向こうで、必死な顔をしたあの人が叫んだ。

「ーー！！」

　容赦なく沈み込んでいく体。生まれた泡が全てを巻き込み、正しい世界へと私を誘いざなう。

　廻めぐる世界の輪の中で、もしまたあなたに会えたなら、私は……。