うそとまことと

深月カメリア

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逃げて、逃げて

第21話

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「スタジオに現れた?」
「……です、……てて」
 井上の声らしい、スマホの向こうから聞こえてくる。だが内容は分からない。
「すぐに行く」
 都筑は通話を切ると、表情を引き締め琴を見た。
「ごめん、緊急だ。すぐに戻らないと」
 琴が何か言う暇もない。彼は万札をテーブルに置くと走って行ってしまった。
 琴が持ってきたお土産も置いたまま。
 琴は仕事なのだ、仕方ない、と自分に言い聞かせ、しかし彼らの仕事で緊急なら、きっと大変なことが起きたのでは、と気が気でなく、紅茶も残したまま都筑の後を追うように店を出た。
 サンダルが食い込んで痛いが、風の吹く中をスタジオ目指して早足で歩く。
 やっぱりいつものスニーカーにすれば、と思ったが後悔しても遅い。
 なんとかスタジオが見え、都筑の姿を探した。
 赤信号の向こう、警備員が警戒しているような雰囲気で、遠くから見るのがやっとだ。
 何があったのか、と周囲もざわめいていた。
 信号が青に変わる。
 琴は足早になって、ざわめいていたスタジオの車出入り口をのぞいた。
 誰かがいる。女性だ。
 足が長く、すらりとしているのに不自然なグラマラス。どこかで見た、と琴は感じる。
 警備員が慌ただしく移動している。
 都筑の姿が見えたその時。

 風が吹いた。
 強い風だった。
 琴の視界にそれはスローモーションに見えた。
 風に倒れる多くのガンマイク、三脚、ライト。
 それら機材の向かう先は先ほどの女性。
 都筑が駆けつけ、彼女を庇うように覆い被さり、「先輩!」と心臓に響くような井上の声が聞こえたと思ったら、機材の倒れる騒々しい音が琴の鼓膜に響いた。

***

「先輩! 大丈夫ですか!?」
 井上はすぐに機材をどかし、都筑の声をかけている。
 警備員が電話をかけていた。
 救急車を呼んでいるのだろう。
 琴は足を震わせ、力をなくした指先はお土産を落とす。
「都筑さん……」
 弾かれたように走り、膝がすれるのも構わずにコンクリートについて、井上が機材をどかすのを手伝う。
 細いが重い棒をどかせば、ようやく都筑の顔が見えた。
 都筑は背中に機材を受け、両腕でしっかりと先ほどの女性を守っている。
 彼女は気を失っているのか目を閉じたままだ。
「都筑さん!」
「先輩!」
 ようやく全てをどかすと、救急車のサイレンが聞こえてくる。
 都筑が目を開いた。
「……か」
「え?」
「先輩、話さない方が」
「……彼女は、無事か?」
 都筑が女性をのぞき込み、井上が彼女の鼻先に手をやって確認する。
「無事です。血も見えません」
 それを聞くと都筑は頷き、一瞬だけ琴を見た。
「よかった」
 そう言って、都筑は目を閉じた。
 救急車がそばに停まり、救急隊員がストレッチャーに都筑を乗せた。もう一台も女性を乗せる。それを見ていると、井上が振り向いた。
「上原さん、俺現場にいないと。都筑先輩と一緒に行ってくれませんか?」
「え、あ」
「恋人のフリしてるって知ってます。でも多分、知り合いがいた方が良いと思うし、何かあったら先輩のスマホから俺に連絡いれて欲しいんです。先輩の血液型は……」
 井上が早口に言った。
 彼も心配なのだろうが、プロとしての自覚から現場を放り出せないのだろう。
 琴がそれを理解出来たかは分からないが、何度も頷いて救急隊員に促されるまま乗り込む。
 命をつなぐための機材が所狭しと並ぶ車内に、ストレッチャーに寝かされた都筑は服をハサミで切られ、消毒と同時に傷口を確認されていた。
 琴は口元を押さえて泣きそうになるのをこらえるのに必死だった。
「頭部、左肩に裂傷、心拍異常なし。意識不明」
 救急隊員が手早く確認し、琴を振り返る。
「患者様の事をお訊きしても良いですか?」
 隊員の質問に答え、やがて救急車は走り出す。
 機械音が聞こえる中、向かう病院の名が車内に響く。
「大丈夫ですよ、見た目ほど大きなケガではありません」
 隊員が琴を安心させるように言った。
「はい」
 琴は返事しながらスカートをきつくきつく握りしめ、都筑を見ていた。
 彼女のその手は色を失っている。
「○×病院へ搬送、患者の容体は――」

***

 都筑の怪我は大きな物だったが、命に別状はなく数時間経つと意識を取り戻した。
 事故から2日経った。
 都筑は気づいたら病院にいたという、タイムスリップを味わった。
 頭に包帯が巻かれていたが、どうやら異常はなかったようだ。
 強く打った左足、左肩はしばらくまともに動かせそうにないが、骨折には至らず、不幸中の幸いといえそうだった。
「上原さんに同乗を頼んだんですよ」
「そうなのか?」
「はい。青白い顔になって、泣きそうだったけど隊員にちゃんと説明してくれました。あの子見た目よりしっかりしてるんですね」
 その後ちゃんと連絡もくれたし、と井上は付け足す。
「そうか……全く面倒かけたな」
「そうですよ。ちゃんとお礼したげて下さいね」
「お前が言うのか」
「良いじゃないですか、デートに誘う口実になったでしょ」
 おどけて言う井上を都筑は半眼で睨む。
 井上はしかし、都筑が動けないのを知って余裕の表情だ。
「スタジオが治療費とか諸々出すって」
「なんでまた……」
「アドバイスくれたのに活かしてなかったからだそうです。それと危機管理も頼みたいって」
「遅い」
「ですよね。まあ、やらない気づかない考えないよりマシですよ」
「……司さんは」
「ああ、無事です。気絶したのはいつもの……アレです。ケガとかなかったって。今は元の病院に戻ってますから」
「そう」
 井上はそれを報告すると荷物を手にした。
「悪いな、休憩時間なのに」
「いいっす。何回もおごってもらってますし、これくらい普通ですよ」
 井上はそう言うと部屋を出て行った。
 大部屋だが4人分のベッド、荷物入れに机、椅子、そして思ったより広いスペースとなかなか設備は良かった。
 腕を動かすと傷口がじんじんと痛む。
「全く」
 そう呟き、右手を伸ばして水を取った。
 昼食が運ばれ、都筑は身を起こす。
 彩り鮮やかなものだった。
 特に食事制限のない都筑は病院食が豪華なのに驚いた。
 白米に鶏肉の塩焼き、人参とブロッコリー添え。味噌汁はわかめ、副菜にはサラダ、野菜ジュースとデザートに小さなカップ入りプリンだ。
 てっきり塩分も少ない、修行僧に対するような食事が出るものだと思っていたのだが、味付けもしっかり。メニューも中華、フレンチと幅広い。
 が。
 物足りない。
 冷たくてもきっちり詰められた、あの弁当が懐かしい。

***

 見舞いに来た琴だが、勇気が出ない。
 つい先ほど井上が病院を出るのを見かけ、とっさに隠れてしまった。
 事故当日の数時間後に都筑は意識を取り戻し、怪我のせいか汗をびっしり浮かべていたが、琴を見つけると大丈夫だと知らせるように頷いた。
 それを思い出すと泣きそうになり、息を整えると足を動かした。
 都筑が入院している303号室につくまでの間、どうしても気になってしまうのはあの女性だ。
 沖が見せた画像の彼女だ。
 そう気づいたのは昨日だ。
 危険も顧みずに助けるほど、大切な人なのか。 
 ――いるよ、好きな人なら
 喫茶店で都筑はそう言ったのだ。
 視界が暗く見えるのは、伏せたまつげのせいなのか、気分のせいなのか。
 都筑は怪我人だ。
 心配させてはいけない。
 頭をふって顔を整えると、琴は病室を訪れた。
 カーテン越しに挨拶し、都筑がどうぞと言ってから入る。
 この2日、同じようにしている。
「こんにちは」
 笑顔を作って顔を出すと、都筑が頷いた。
「ああ、こんにちは」
 琴は都筑の水筒の中を入れ替え、見舞いに持ってきた軽食を差し出す。
「せっかくの休みだったんだろ? 病院に通って終わりは申し訳ないよ」
「良いんです。こっちに友達いないし、遊びに行くお金はないので」
 ここなら定期使えるし、と琴はカードを見せる。
「病院は見舞客の方が疲れるものだろ。君はちょっと……」
「ちょっと?」
「お人好しだな」
 都筑は軽口でそう言った。
 彼の髪はシャワーを使えないため適当に櫛を通しただけ。
 髭も生えて、雰囲気がかなり違う。
 それでも話すと都筑は都筑だった。
 琴は内心ほっとしつつ、わざとらしくむくれてみせる。
「良いです、お人好しで。目の前で知人が怪我したのに、ほっとくのは気が引けるし」
「そう。分かった、言い換える。君は……」
「私は?」
「……」
 都筑が言葉を切り、口も閉じてしまう。
 にらみ合う格好になり、やがて都筑がぷっと吹き出した。
「ごめん、ごめん。つい」
「なんですか、ついって!」
「可愛くて、つい見てた」
「かわ……」
 琴は思いがけない都筑の言葉に心臓を跳ねさせ、顔を真っ赤にした。
「な、なんですか。なんなんですか!」
「しーっ」
 都筑が人差し指をたてた。
 琴は周囲を見回し、声を落とす。
「都筑さん、暇だと人をからかうんですか?」
「暇? ああ、かもしれない。君は反応がいいから、つい」
「ついって……もう」
 琴が唇を尖らせると、都筑は表情を和らげた。
「退院はすぐだよ。傷口がふさがったらだそうだ。だから、もう心配いらない」
「すぐ? 良かった」
「ああ。ありがとう」
 会話が途切れ、琴は視線を落とした。
 何か気になるのか、ちらちらと都筑を見る。
「何かあった?」
「あの……一緒にいた女の人は……」
 琴がそう言うと、都筑は表情を固い物にした。
 ややあって都筑は口を開く。
「彼女は……無事みたいだ。別の病院にいる」
 なぜかこれ以上は踏み込まないでくれ、と言われたように感じる、どこか固い声だった。
「そうですか。無事なら……」
「上原さん。君に話しておこうか、悩んでいたけど……」
 琴はどきりとした。
 その女性が好き?
 もうフリは終わりにしたい?
 聞きたくない。
 そうだ、沖が自分を諦めると言った、それを報告するのを忘れていた――琴は都筑が言う前に、口を開いていた。
「そうだ、あのね。沖さんがもうしつこくしないって。諦めるから、普通にスタッフとして映画を作ろうかって。それにもうすぐ撮影も終わりますから、都筑さんにもう、面倒をかけないで済むかも……いえ、済ませます。私、ちゃんとするから……」
 琴は一息に言って息を吸い込む。
 目が熱くなった。
 これで都筑といられる口実を失ったのだ。
 都筑は目を見開いて琴を見つめていたが、視線を外すと「そう」と言った。
 沈黙が耳に痛い。
 琴は泣いてしまう前に、と立ち上がり、都筑に頭を下げた。
「今まで、ありがとうございました。その、また、改めて、お礼をさせて下さい。それから、退院の日が決まったら、教えて下さい。ちゃんと来ます」
「……ああ。わかった」
「じゃあ、私、これで……ゆっくりして体を大切に……」
「うん」
 琴は逃げるように病室を出る。
 トイレに駆け込んで、洗面台で顔を洗う。
 顔から落ちる滴は水なのか涙なのか、わからなかった。
 わがままな自分が、憎らしかった。
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