恋するポドフィリア

灰塔アニヤ

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恋するポドフィリア

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そこは、時間も季節も感じさせない店だった。

大通りに面しているが、マーケットや色鮮やかな雑貨店に挟まれて、まるで色褪せた写真のように街の空気からくすんで、しかし確かに存在している靴屋だった。

いつ来てもひんやりとして、革と布地と靴墨のつんとした匂いだけが香った。
扉を開けると、軋んだ音がするばかりで来客用のベルも鳴らない。
しかし、ここの店主は、そんなことに関わらず私の来客に、また私であると言うことに必ず気づく。

「いらっしゃい。そろそろ来るだろうと思っていた。靴底のソール交換だろう?そこに、足を置いて。見せてごらん」

店主であるシューフィッターは、いつもの場所に腰掛け、目の前の丸椅子に座るよう促す。
私は腰掛け、靴を履いたまま小さな踏み台に足を乗せる。

「失礼…うん、これは…。初めから予見はしていたけれど、そろそろこの靴は手放したほうがいい」

何故だろう、確かに仕事用にと購入し、だいぶ履きこんだ靴ではある。
かかとも少し擦れてきた。
しかし、だからこそ革が柔らかく馴染んできてまだ直しながら履き続けようとここへ来店したのだ。

「そうだね、この靴は本当にあなたに相応しい。靴底の減り具合も均等で、きちんとした姿勢で、大切に履かれていたことも分かる。けれどね、今のあなたの脚は見るに耐えないほど疲弊している。このままでは靴が壊れるより先に脚が壊れてしまう。7cmのヒールはあなたをより美しくみせるが、同時にあなたの足場を切り崩していく裏切り者となるだろう」

それはまた、困った話だ。 
これは仕事の為、一番快適に履き続けてきた靴だ。
初めにシューフィッターがこの靴を見立てた時には、申し分のない靴、とまでお墨付きを頂いた。
確かに、幾分いくぶんか時は経たけれど、それほどまでに変わるものだろうか。
シューフィッターへ異論を唱えると、

「確かに、初めてこの靴を履いた瞬間、あなたのこの靴に対する熱意と、靴自身、持ち主であるあなたへ従順であろうとするさまが伺えた。しかしね、直すたび、靴に対して、あなたの疲弊が募るばかりで…そろそろ潮時ではないかな、と。だから、用意した物がある。申し訳ないけれど、君の後ろの棚、サテンのリボンがついたフラットシューズがあるはずだ。色…?私に分かるわけがないだろう。でも、あなたならわかるはずだ」

丸椅子越しに振り返り、たくさんの靴が乱雑に並べられた棚を見遣みやる。
サテンのリボンがついたフラットシューズ。
爪先の丸いもの。
尖ったもの。
ビジューに彩られたもの。
ローヒールのもの。
しばし眺めて、私はスエード地に濃紺のサテンリボンがついたフラットシューズを手に取った。
星のない、深い夜闇のような色に惹かれた。シューフィッターへ、選んだ靴を手渡す。
渡した靴の手触りを確認しながら、

「さすがだね。じゃあ、履いてきた革靴を脱いで」

私は革靴を脱ぎ、踏み台の上に再び足を乗せる。
私の素足をシューフィッターは躊躇ためうことなく持ち上げ、右脚からゆっくりと、まじまじと触れる。親指の指先から小指へ、骨を揉みしだくように足の甲をしっかりと撫で、くるぶしの凝りを確かめる。
掌で足首を掴み、徐々にふくらはぎ、膝の裏まで私の脚の具合を確かめる。

「やはり疲弊していても、均整が取れた、相変わらず美しい脚だ。惚れ惚れするよ」

左脚も同様に確かめ、ふたたび納得したように小さく頷いた。

「では、新しい靴を合わせるよ。…以前の靴ほど主張が少なく、あなたの足を優しく包み込んでくれるだろう。サテンのリボンも束縛することなく、あなたがどこまでも行けるよう支えてくれる心強い相棒となってくれるはずだ」

シューフィッターの言うとおり、スエード地のフラットシューズはまるで皮膚そのもののように私の足に馴染んだ。
サテンリボンも肌触りが良く、しかし簡単には解けずに優しく脚を固定していてくれる。
だが、今まで長い間を共にした革靴はどうするべきだろう。

「そうだね…私は、直ちに処分することを勧める。その靴を履いて、通い続けている者のことも、勤務先も、何もかも。なるべく早く断ち切ることを勧めるよ。…私がこんなことを言うのは、初めてではないだろう?見えないからこそ、分かることがある。初めて、あなたがここで靴を選んだ時も同じことを言ったはずだ」

シューフィッターは濁った目を細めて告げた。

「それに、これ程まで美しい脚に靴を誂えることなんて、そうそうないんだ。いくら美しい靴があろうと、私にはもう二度と履くことなど出来ないからね。もちろん、今日も値引いてあげるよ。そもそも、ソール交換のつもりできたのだろう。…今日から、もう新しい靴を履いて行くと良い。私がリボンを結び直して差し上げよう。もう一度、足をこちらへ」

私は、踏み台に足を再び乗せ、フラットシューズのリボンが結ばれていく様を眺めていた。
断片的に、シューフィッターの言うような心情の変化が脳裏を過ぎったが、自身の脚を眺めていても、脚からは以前と何かが変わったのか読み取ることなど出来なかった。

「おまたせ、出来たよ。少し寄り道してもいいから、慣らしてあげて。じゃあ、また困ったことがあったらおいで。私からは訪ねられないから、なるべく早く、大変なことになる前に来るんだよ」

支払いを済ませ、靴屋を後にする。

街は夜の気配がしていた。外からはデリカテッセンの魅惑的な脂と肉の香り、遠くでサーカスの訪れを告げる陽気なメロディが聞こえる。
空は、サテンのリボンのように深い濃紺の夜闇に染まろうとしてた。
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