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禁忌の魔導書

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 一歩ずつ距離を縮められると匂いが濃くなる。
 それに露出させた肌が、俺の欲望をかきたてる。

 今ならわかる、これが吸血鬼の宿命だと。
 人間の女に弱く、人間の女を欲するのだと。


「やり残したこと……」


 実の母親だろうと関係ない。
 目の前にいるのは吸血鬼である俺を奮い立たせる最高の女。
 胸も尻も肉付きがいいのに、締まる部分はちゃんとしている。
 であれば、抱かずに帰れるわけがないだろう。

 手を伸ばすと、カーラも同じく手を伸ばした。
 指先が絡まり、俺は──


「──はい、いってらっしゃい」
「は?」


 その瞬間、二秒ほど意識が遠のき、視界が明るくなる。目の前に広がっていたのは無数の木々だった。


「転移魔術か。だがここは……?」
『そこは試験会場よ』


 頭の中に声が響く、カーラの声だ。


「なぜ俺をここに転移させた」
『なぜって、あなたはヴェリュフール魔剣学園に入学するために人間界に来たのでしょ?』
「だが既に試験は終了していると言っていたではないか」
『それは受付がよ。だけど管理理事権限で受けさせてあげるわ』


 よくわからないが、今から試験を受けろということだろうか。


『気乗りしない?』
「当たり前だ。元から人間が教える学園など──」
『もしこの試験を合格できたら、ママのこと、好きなだけ味わっていいわよ?』
「──なッ!?」


 その言葉を聞いて、俺の心臓が大きく音を鳴らした。


『この試験を合格できたら、ママがあなたのこと、すっごく気持ちよくさせてあげる。他の人間の女では味わえないぐらいの、ねぇ……?』
「他の、女じゃあ……」
『だけど急がないと試験が終わっちゃうなぁ……このままだと一生、味わえないで終わっちゃうかもしれないなぁ』


 このままだと一生……。


「……ふん、仕方ない。試験だけは受けてやろう。こんな簡単な試験!」
『さすがね! 試験内容は簡単よ。この森の一番奥にある試験官に会う、ただそれだけよ。ただ道中に訓練用の魔獣がいるから気を付けてね』


 その言葉を聞いているときにはもう、俺は走り出していた。
 簡単な試験だ。魔獣を蹴散らし、その試験官とやらと会えばいいだけ。

 そうすれば、俺は最高に気持ちいいことが……。


「はははっ、ハアーハッハッツハッハアッ! 待っていろ、オンナァ!」


 目の前から現れる魔獣を蹴散らしながら、俺は颯爽と進んでいった。 











 ♦











「無事に試験を受けてくれたようだな、カーラ……」
「ええ、あなたが見栄なんか張らず、あの子にちゃんと説明してくれていたら、私も方々に根回しせずに済んだのだけど……ねぇ?」
「……うっ」


 学園内にある個室。
 管理理事を務めるカーラは、吸血鬼の現在の長──エルス・アストレアを睨みつける。
 大柄な体型をしたエルスはシュンと委縮する。


「ただまあ、あなたの性格を知っていたのに迎えを寄こさなかった私の落ち度でもあるからいいわ。ちゃんとこの学園で、主要の女学生を虜にしてくれればね」
「……ユクスにそんなことできると思っているのか? あれは今まで、人間の女と関わってこなかったのだぞ?」
「だからよ」


 カーラは即答すると笑みを浮かべる。


「今のあの子は、吸血鬼の本能に目覚めたばかり。言ってしまえば、膨大な力を持った赤ん坊のようなもの。そんな赤ん坊が、私なんかとは比較にならないほどの魔力を持った女学生たちに囲まれながら過ごして、正常でいられるわけがないでしょ?」
「そうだが……」
「それに、あの子から動かなくても、強者に自ら近寄ってくる女学生もいるでしょう──強者の子を孕むことが国の為、なんてことを教えてる国の生まれの子も入学するでしょうから」
「……お前からの手紙で聞いていたが、人間界はお互いの国を牽制し合っている状況なのか?」


 エルスの問いかけに、カーラは頷く。


「今年、この学園に入学した子たちが三年間の学生生活を終えて卒業したと同時に、世界中で大きな戦争が起きると予想されているわ」


 カーラは悲しそうにため息をついて言葉を続ける。


「その為に王族や貴族に属する子たちは、互いの友好関係や同盟関係を構築しながら、敵になるであろう他国には自分たちとの優劣を見せつけていく。そして、自国愛の無い学生や中立国の学生は他国に自分を売る。有能な人材ほど、良い待遇で招いてくれるでしょうからね」


 各国の兵力や国土が拮抗していたことや、力を持った者の育成に励む時間が必要だったなど、今まで戦争が起きなかった理由は色々とあるが、よく今までよく戦争が起きなかったぐらいだ。


「だけど、戦争が行われる理由が生まれてしまった」


 窓の外を眺めるカーラの表情は、未来を暗示して憂いているようだった。


「人間界に保管された禁忌指定の魔導書、その一冊がどこかの王国に盗まれた。それがこれから起きる戦争の引き金になるでしょうね」


 かつてこの世に存在したとされる大魔術師マクスウェルが残したとされる三冊の魔導書。
 その力は絶大で、世界を滅ぼすほどの力を持っているとされている。人々はその魔導書を恐れ、誰も触れることができないよう封印を施した。

 ──が、その魔導書の一冊が何者かに盗まれた。

 このことは各国を統べる王族に連なる者にのみ知らされることとなった。
 各国が、いつその魔導書が使用されるのかと警戒した。けれどいまだに、盗まれた魔導書が使用されたことはない。


「盗まれた魔導書、それを手に魔術を使えば、世界を意のままに操ることができるだけの力を得たも同然……。けれど今だに動きはない。だとすれば考えられることは一つ、禁忌の魔導書を使えるだけの力を持った魔術師がいないのでしょうね」
「使えない、か……。つまり並大抵の人間では扱えないほどの魔力が必要な代物ということか?」


 カーラは頷く。

 そもそも魔術というのは、誰もが扱えるような簡単な力ではない。
 魔術を極める才能とそれを扱うのに必要な魔力を持った者が、魔術が記された魔導書を用いて魔術を使用する。

 そのため、魔導書が手元にあっても、才能や魔力が足りていない者にはそれを扱えない。
 未だに禁忌の魔導書が使われないということは、それを扱える人材がいないということだろう。


「そんな中、人間界を統べる三つの国からの提案で、この学園の設立が急遽決まったのよ。剣術と魔術の学園と称して、より優れた才能を持った者が一堂に会する場がね」


 もしも、禁忌の魔導書を使用できるほどの力を持った者が学園に現れたら、盗んだ国の者たちはどうするだろうか?

 おそらくは仲間に引き入れるだろう。
 魔導書を使わせて、世界を手中に納めるため。


「だが並大抵の人間では扱えない可能性がある。それで、我らの息子か」
「本来は魔導書を用いなければ使えない魔術。もちろん、下級や中級の魔術なら、人間の中にも魔導書無しでも使える者はいる。ただあの子は他と違う、そうでしょ?」
「ああ、ユクスはありとあらゆる魔術を、魔導書無しで発動できる……」
「そんな魔力と才能を持ったユクスなら、禁忌の魔導書を使用できる可能性がある。その存在を、盗んだ連中は放っておかない。それほどの力を、あの子は持っているのでしょ?」
「……ああ」


 エルスは小さくうなずく。


「それに今まで人間の女性を知らなかったってことは、まだ誰の血も吸っていないのでしょ?」
「うむ」
「だったらこれから、多くの女性を眷属にして力を得ることだってできる」


 カーラは自らの太ももにうっすらとできた噛み痕と、眷属になった際に刻まれた紋章に触れる。

 吸血鬼は元から身体能力も魔力も秀でているが、何より人間の女性を眷属化することで互いに力を得ることができるという特性を持っている。
 カーラ自身も、かつてはそこまで魔力を持っていなかった。けれどエルスの眷属となったことで変われた。
 そして人間の女性を眷属にしたことによって、エルス自身も力を得た。


「きっと、ユクスはこれから多くの女性を眷属にして、今よりもっと力を手にするわ。そうすれば、禁忌の魔術書を盗んだ連中が接触してくる」


 そこで連中を止める。
 そうすれば、戦争の引き金となる問題は取り除ける。


「そうだな」


 と、そこで二人の会話が終わった。


「……それじゃあ、約束は守ったぞ」


 すると、エルスはコホンと大きく咳払いをした。


「ええ、ユクスを学園に連れて来てくれたこと、あなたには感謝しているわ」


 カーラは立ち上がると、にっこりと微笑み、


「いいわ、今日は好きなだけご褒美をあげるわ……」
「んッ、はあッ!」


 ソファーに座るエルスを勢いよく踏みつけた。
 踏みつけられた巨漢のエルスは顔を赤くさせながら、甘美な声を漏らす。


「あなたは昔から、こうやって踏まれるのが好きだったわよね。こんな図体して、情けないと思わないの!?」
「いや、その、あっ!」
「ほら、もっと鳴きなさい! ほら、ほら、ほらッ!」
「はああああああああああああああッ!」


 エルスの本当の姿──性癖を知る者はカーラしかいない。
 それが彼が、彼女以外の眷属を作れなかった理由でもある。
 そして、このことを息子のユクスが知ることは、おそらくないだろう……。
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