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サブストーリー
私と侯爵くん
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彼と出会った時のことをふと思い出した。あれはまだ私が18歳だったころだ。
「明日から研究所に新しい所員が入る」
「新所員ですか。でも時期的に珍しいですね」
「学園を飛び級してきた秀才だ。君たちも抜かれないように」
「は~い」
「後それと侯爵家の子息だからそのつもりで。名前は…エイリヴギュニアーシュニーギュアドス=レンブラントだ」
今所長は何と言ったのだろう?エイリブギーニャ?
「しょ、所長もう一度お願いできますか?」
良かった。私以外にも聞き取れなかった人がいたんだ。
「だから、エイリヴギュニアーシュアー?エイリヴギュージュ?なんだ、とにかく失礼のないようにな。ここは結構平民もいて、貴族もあまり気にしていないものが多いが、彼もそうとは限らない。そういえばお嬢様だけでなく君もだったな」
所長がわざわざ私の話をする。
「一応は伯爵家ですけど、男爵家に入ることが決まっているのでまあ、ギリギリ…」
とは言ってもその婚約自体は5年後だ。相手はまだ12歳でそもそも成人もしていないから、結婚は学園の卒業を待ってという事だ。私からしたら完全に弟なんだけどね。
「だが、マナーなどは詳しいだろうし頼むよ」
「ええっ!?」
そんな~。カノンちゃんみたいな子ならともかく男の子だし…。
「がんばってね。案内」
そう言われたら頑張るしかないか。そんな憂鬱な気分で迎えた当日。
「紹介するよ。彼が新しい所員のエイリヴ…ギュニアーシュ…ニーギュ…アドス…=レンブラント侯爵子息だ。みんな仲良くしてあげてくれ」
「言いにくいでしょう。どんな呼び方でも結構です。研究室はどこですか?」
淡々とした言い方にみんな戸惑っている。もちろん私もだ。その時、彼と目が合った。思わず私はそらしてしまう。何と呼んでもいいかわからないし、反応に困っていたからだ。
「ああ、彼女に施設は案内してもらうといい」
「よろしくお願いします」
目を合わさないように案内する。
「大体施設はこんなところです。あと、研究はチームで行うので」
「一人でもできる」
「それがここのルールです!」
思わず強く言ってしまったけど大丈夫だろうか?
「ふん、すぐにわかる」
それから3日経ち彼の様子を少し見ようと思った。一応は頼まれてるしね。その間も、ちらっと眼が合うと反らしたりしてるから嫌われてるだろうけど。
「おにいちゃん、すご~い」
見るとカノンちゃんがあの子を褒めていた。彼女は褒め上手だ。100のうち自分が99知っていて相手が70しか知らなくとも、その1を知っていればすごいと褒める。私たちからすれば、もっと多くの知識を持っていて、自分たちがたまたま彼女の知らないことを知っているだけなのだが…。
「おい…」
なんだか彼が困っている様子でこっちに目を向ける。思えば彼ときちんと目を合わせたのはこれが初めてだろう。
「あっ、ねぇねぇ。おにいちゃんすごいんだよ。私が知らないこともいっぱい知ってるの」
そういって机を見れば、ポーションの組成の部分が書かれた紙があった。それはそうだろう。カノンちゃんは魔力系の研究が義務付けられ、教師もついていないからポーションなど、分野外の知識は極端に低いんだから。
「そうなんですね。あっ、カノンちゃん。彼に用事があるからちょっといい?」
「うん、じゃあね。おにいちゃん!」
ばいばーいと手を振って別れる。戸惑う彼とともに横の部屋に入る。
「何なんだあいつの知識は。ものすごいと思ったら素人同然だし、ちぐはぐだ!」
そう怒る彼に私はカノンちゃんの境遇を説明する。彼なら力に成ってくれると思ったからだ。
「なに!そんなことが許されるのか!」
「とはいっても、当主命令ですし、反対した使用人が首にされたとも聞きました」
これまでのこともだけれど、最近の魔力回復薬の改良版の仕打ちも説明する。それに対し、彼は真剣に怒ってくれる。思った通り彼とならきちんとやっていけそうだ。
あれから、ひと月が経った。昨日は面白いことがあった。なんでも今までカノンちゃんが彼をお兄ちゃんと呼んでいたのは年上だと思っていたからだった。私たちも特には聞かなかったが、彼が飛び級しているという噂から大体このくらいだろうと分かっていたのだ。彼女はそれを知らず、ずっと年上だと思っていたら同い年だったという事だ。
「じゃあ、新しい呼び名が必要だね」
「なんでだ?俺は構わんぞ」
この間にも彼はカノンちゃんのことを大事にするようになった。たまに気づかれずに手を貸していることもある。
「だめだよ。おにいちゃんじゃないんだから。でも名前は長くて言えそうにないし…そうだ!侯爵くんってどう?」
「は?何を言ってるんだ。確かに俺は侯爵家の人間だが当主でもないし、継ぐのは兄上だ」
「でも、侯爵家の人なんだから間違ってないよね?いやなら別の考えて!」
「別のって言ってもな…」
「出てこないなら決まり!」
「お前な…まあ、それしか呼び名が出ないなら仕方ない」
「やったー」
「侯爵くん…はっ!すみません」
ペコペコ
なんだかかわいいと思ってつい口にしてしまった。
「いやいい、お前らも呼びにくいんだろう。俺も自分の名は嫌いだ。これからはそう呼んでいい」
「じゃあ、侯爵くん。これからもよろしく!」
あれから半年がたった。もうすっかり侯爵くんは定着し、ようやく彼が研究所の一員になった気がする。それと大きな変化がもう一つ。
「おいカノン!この研究、ちょっと手を加えれば終わらせられるが、持って行ってもいいか?」
「えっ、ほんと侯爵くん。私こっちで手いっぱいで助かるよ」
こうやって侯爵くんがカノンちゃんの研究を自分の研究の一部として一緒にこなすようになった。ちなみに侯爵くんが今言ったことは大ウソだ。なぜなら今持って行った研究資料を彼は開きすらしていないのだ。そんなことを言えば、カノンちゃんは譲らないだろうから、うそをついてまで持って帰り負担を減らしている。
「またですか侯爵くん。私たちはいいですが、あなたも疲れているんでしょう?」
「だが、放っておけばまた倒れてしまう。あいつは無茶をしすぎなんだ」
以前にもカノンちゃんは倒れたことがあった。ちょっと疲れただけと言っていたけど、明らかなオーバーワークだ。彼が手伝うようになって起きていないのだから。そうなのだろう。
「だけど侯爵くんも大変だろ?愛のなせる力だね」
「そんなんじゃない。研究者として負けたくないだけだ!」
顔を真っ赤にして言うものだから、皆にからかわれるのに。
「それじゃあ、わたしも手伝いますか」
「別にいい」
「わたしがここのリーダーですよ。権限で帰らせますよ」
「お前も変なやつだ」
それからはずっと彼を手伝いながら研究を続けた。おかげで私たちの研究所はかつてない成果を上げている。まあ、給料もろくに出ないし、勲章をもらう人も出ないけど。所長に聞けば宰相様に言えば分かったと言われるが、周りの貴族連中に爵位を上げるのかとか、金の無駄とか言われて降ろされるらしい。一番は魔導研究所の妨害だそうだ。
「まあ、認めちゃえば魔導研究所の予算が減るだろうしねぇ」
「どうした?手が止まってるぞ」
「はいはい」
残念ながら彼の才能は素晴らしく、1年後には彼がリーダーで私が副リーダーになっていた。だけど、私は彼の手伝いができてうれしい。そういえば前に同僚にからかわれたっけ。
「お前って侯爵くんのこと好きだよな」
考えてもみなかった。だって、すでに私は婚約済みで、そんなこと考えたって仕方ないと思ってたから。でも言われてみると彼のことをいつも最近は目で追っているなぁ。
「そっかぁ、そうなんだ…」
「なんだ、気付いていなかったのか。アタックしたらどうだ?」
「残念ながら男爵家入りの決まった伯爵家3女なんて引き取ってくれませんよ。大体、部下ですよ部下。上司ならわかりますけど、劣ったの取ってどうするんです?」
「うわぁ~、やっぱ貴族って大変なんだな。平民でよかったよ」
「そうですよ、まったく…」
おかげで、気づきたくもない気持ちに気づいてしまったんだからこっちは。だけど私は間違っても彼には告白しない。彼ならもっといい縁談もあるし、何よりカノンちゃんがいる。あの子の婚約者は第2王子だが、婚約したのも病気を治せるかもという打算からだ。実際に治ればまた別の相手になる可能性もある。あの2人ならお似合いだ。カノンちゃんには恋愛感情はないだろうけど。
それからも私は研究に没頭した。ある時からカノンちゃんの家のメイドのアーニャさんも来てみんなで頑張り、とうとう『魔力病』の治療薬の治験に入ることができたのだ。
「ようやく…ようやくだな」
「ええ、これでカノンちゃんも…」
彼と乾杯をした。この時間がもっと長く続けばと思ってしまう。だけどこの時間もあと2年。2年後には男爵家に嫁ぐのだから。
そう思っていた時に事件が起きた。いきなり、カノンちゃんは婚約破棄され行方不明になってしまったのだ。
「こ、こ、侯爵くん!」
「分かっている。全力で調べる!」
それからしばらくして彼女は隣国で生きていることが分かった。一先ずは安心だ。だけど、今回のことは許せることじゃない。第2王子ともあろうものが、この研究所の全員を馬鹿にしたんだから。
「愛の力で治ったなんてあるわけないじゃない!」
バン
「全くだ」
その後、侯爵くんの意見で研究所の3分の2が彼女を探しにいくことになった。
「本当に良かったの?行かなくて」
「これでも暫定所長だぞ?それに、侯爵家の俺までいったらあいつが危険な目に合う」
確かにそうだ。残りの研究成果を持ってこさせるために他国の男に乗せられたとか、いろいろ言われそうだ。そうなったら、向こうも開戦覚悟になってしまう。さすがに令嬢一人とは替えられないだろう。
そして数か月後、噂でカノンちゃんが結婚するんだという話が流れた。
「あ~あ、今頃は式が始まってますよ。侯爵くん」
ほんとにこのままで彼は納得しているんだろうか?
「式が挙げられるようなやつに出会ったという事だろう。俺はそれだけ分かればいいんだよ」
「素直じゃないですね」
ほんとに。
「うるさい。こっちはまだ20人しかいないんだ。薬の開発も遅れるんだから、きびきび働け」
「あ~あ、新所長はきびしいです~」
「それと『侯爵くん』と今後は呼ぶな。呼び名を考えろ」
呼び名を考えろって急に言われてもね。なら考えようか、彼のこの尊い精神に会う名前を!
「ただし、おかしな名前にはするなよ」
「それじゃあ…サブライムで!」
「なんだそれは?」
「いいから、それでいきましょう」
知らないならそれでいいよ。あなたのような『気高い』人にはふさわしい名前だから。
「じゃあ、今日からサブライム所長ですね。よろしくお願いします!」
元気よく言った私だが、彼は上の空のようだ。
「それで幸せな思い出になるんならそれもいいかもな」
寂しそうにつぶやいた彼の言葉は聞こえないふりをした。私はできる女なんだから。
あれから1年がたった。今日のサブライム所長は手ごわい。みんなが帰った後も議論中だ。
「だから所長!何でなんですか?隣国で薬学研究所の見学と研究の発表会とがあるんですよ。見学をパスするなんて!」
もう彼女は人妻だし、何よりこの国との関係を考えればこれが今生最後の出会いかもしれないんだから。
「何度言うんだ。危険がある以上はそれをしない。これは、俺たち全員の約束だ」
「だからって…だからって…王都の宿で過ごすなんて…。サブライム所長はほんとにそれでいいんですか?」
「…ああ、それがお互いにとって一番良いんだ」
「でも…でも…」
「俺のために泣いてくれるのはうれしい。だけど、もう俺はふっ切ってるから」
え、泣いて…あれ?ほんとだ。私いつの間にか泣いてる。おかしいな…。
その涙を彼が拭ってくれる。
「それにな。行きたくない理由はもう一つあるんだ!」
明るく彼が言う。その瞳は真剣に私を捉えていた。
「な、なんですか?」
「あそこに行けばカノンの奴が危険になるのはもちろんだが、接触しようとすればお前が危険にさらされるんだ。俺はそれが嫌だ!お前を危険な目に合わせるならあいつと会わなくてもいい…」
「えっ、何を…」
「ああ~もう~~。お前もあいつと一緒だな。俺の好きになる奴はどうしてこう。男心が分からないやつばかりなんだ!」
チュ
え、これってわたし…キス?されてるの…。
「これだけすれば分かっただろう?」
「で、でも、私には婚約者が…」
「それなら先日、伯爵にお願いして消してもらった。大丈夫だ。弟のようにかわいがってたあいつには、こっちからいいやつを紹介してやるから」
「ほっ、それなら…ってもう話し済んでるんですか?どうして?」
「お前は断らないって分かってたからな。それとも嫌か?」
「うれしい。嬉しいですけど…」
ボロボロボロ
「お、おいどうした?なんか、変なこと言ったか?」
「え、えへへ、せめて女心をかけらぐらいは学んでください」
それから私は彼と結婚し、彼は所長としての功績を認められ、侯爵家の次男から正式に男爵→子爵→伯爵となっていった。そして子供も3人出来てみんな元気だ。
「次はどっちだろね~」
「ね~」
「おとうと?いもうと?」
「さあどっちかしら」
「また、外か。少しはおとなしくなるかと思ったら。お前たちも中にいなさい」
「「「は~い」」」
「ごめんなさい、あなた。ずっと娘が欲しいのでしょう?息子ばかりで…」
「気づいていたのか?」
「はい。まだカノン様のような娘が欲しいと思ってるんですよね…」
「ルージュ…」
「いいんです。あなたが忘れられないのは無理ないです。私もあの方は大好きでした。今でも…」
「違う、違うんだ、ルージュ!」
ぎゅっと彼が私を抱きしめる。
「では、どうして!」
「あの、そのな。俺とルージュが出会った時、お前はもう18だっただろう?立派な大人だった。もし俺に娘が生まれたら…。別人だとはわかってるんだ。でも、お前の小さかった頃ってこんなのだったのかなって思える気がして…」
「ま、まあ!あなたったら!」
「いや、娘にもお前にも悪いよなこんな…」
「いいえ。言って頂けたら、実家にはまだ私の姿絵がいくつかあるはずですわ。すぐに取りに行きましょう!」
「お、おいこら、迷惑が…」
「先日もこそっと援助なさっていたでしょう?断ることなんてできませんよ。出かけます!誰か準備を!」
こうやって私と伯爵くんとの毎日が幸せに過ぎていく。子供たちにもこのような出会いがありますように…。
その後、生まれた女の子に彼は大はしゃぎで子供たちもあきれるほどだった。
「明日から研究所に新しい所員が入る」
「新所員ですか。でも時期的に珍しいですね」
「学園を飛び級してきた秀才だ。君たちも抜かれないように」
「は~い」
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「しょ、所長もう一度お願いできますか?」
良かった。私以外にも聞き取れなかった人がいたんだ。
「だから、エイリヴギュニアーシュアー?エイリヴギュージュ?なんだ、とにかく失礼のないようにな。ここは結構平民もいて、貴族もあまり気にしていないものが多いが、彼もそうとは限らない。そういえばお嬢様だけでなく君もだったな」
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「一応は伯爵家ですけど、男爵家に入ることが決まっているのでまあ、ギリギリ…」
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「だが、マナーなどは詳しいだろうし頼むよ」
「ええっ!?」
そんな~。カノンちゃんみたいな子ならともかく男の子だし…。
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そう言われたら頑張るしかないか。そんな憂鬱な気分で迎えた当日。
「紹介するよ。彼が新しい所員のエイリヴ…ギュニアーシュ…ニーギュ…アドス…=レンブラント侯爵子息だ。みんな仲良くしてあげてくれ」
「言いにくいでしょう。どんな呼び方でも結構です。研究室はどこですか?」
淡々とした言い方にみんな戸惑っている。もちろん私もだ。その時、彼と目が合った。思わず私はそらしてしまう。何と呼んでもいいかわからないし、反応に困っていたからだ。
「ああ、彼女に施設は案内してもらうといい」
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目を合わさないように案内する。
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「一人でもできる」
「それがここのルールです!」
思わず強く言ってしまったけど大丈夫だろうか?
「ふん、すぐにわかる」
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「おにいちゃん、すご~い」
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「おい…」
なんだか彼が困っている様子でこっちに目を向ける。思えば彼ときちんと目を合わせたのはこれが初めてだろう。
「あっ、ねぇねぇ。おにいちゃんすごいんだよ。私が知らないこともいっぱい知ってるの」
そういって机を見れば、ポーションの組成の部分が書かれた紙があった。それはそうだろう。カノンちゃんは魔力系の研究が義務付けられ、教師もついていないからポーションなど、分野外の知識は極端に低いんだから。
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「うん、じゃあね。おにいちゃん!」
ばいばーいと手を振って別れる。戸惑う彼とともに横の部屋に入る。
「何なんだあいつの知識は。ものすごいと思ったら素人同然だし、ちぐはぐだ!」
そう怒る彼に私はカノンちゃんの境遇を説明する。彼なら力に成ってくれると思ったからだ。
「なに!そんなことが許されるのか!」
「とはいっても、当主命令ですし、反対した使用人が首にされたとも聞きました」
これまでのこともだけれど、最近の魔力回復薬の改良版の仕打ちも説明する。それに対し、彼は真剣に怒ってくれる。思った通り彼とならきちんとやっていけそうだ。
あれから、ひと月が経った。昨日は面白いことがあった。なんでも今までカノンちゃんが彼をお兄ちゃんと呼んでいたのは年上だと思っていたからだった。私たちも特には聞かなかったが、彼が飛び級しているという噂から大体このくらいだろうと分かっていたのだ。彼女はそれを知らず、ずっと年上だと思っていたら同い年だったという事だ。
「じゃあ、新しい呼び名が必要だね」
「なんでだ?俺は構わんぞ」
この間にも彼はカノンちゃんのことを大事にするようになった。たまに気づかれずに手を貸していることもある。
「だめだよ。おにいちゃんじゃないんだから。でも名前は長くて言えそうにないし…そうだ!侯爵くんってどう?」
「は?何を言ってるんだ。確かに俺は侯爵家の人間だが当主でもないし、継ぐのは兄上だ」
「でも、侯爵家の人なんだから間違ってないよね?いやなら別の考えて!」
「別のって言ってもな…」
「出てこないなら決まり!」
「お前な…まあ、それしか呼び名が出ないなら仕方ない」
「やったー」
「侯爵くん…はっ!すみません」
ペコペコ
なんだかかわいいと思ってつい口にしてしまった。
「いやいい、お前らも呼びにくいんだろう。俺も自分の名は嫌いだ。これからはそう呼んでいい」
「じゃあ、侯爵くん。これからもよろしく!」
あれから半年がたった。もうすっかり侯爵くんは定着し、ようやく彼が研究所の一員になった気がする。それと大きな変化がもう一つ。
「おいカノン!この研究、ちょっと手を加えれば終わらせられるが、持って行ってもいいか?」
「えっ、ほんと侯爵くん。私こっちで手いっぱいで助かるよ」
こうやって侯爵くんがカノンちゃんの研究を自分の研究の一部として一緒にこなすようになった。ちなみに侯爵くんが今言ったことは大ウソだ。なぜなら今持って行った研究資料を彼は開きすらしていないのだ。そんなことを言えば、カノンちゃんは譲らないだろうから、うそをついてまで持って帰り負担を減らしている。
「またですか侯爵くん。私たちはいいですが、あなたも疲れているんでしょう?」
「だが、放っておけばまた倒れてしまう。あいつは無茶をしすぎなんだ」
以前にもカノンちゃんは倒れたことがあった。ちょっと疲れただけと言っていたけど、明らかなオーバーワークだ。彼が手伝うようになって起きていないのだから。そうなのだろう。
「だけど侯爵くんも大変だろ?愛のなせる力だね」
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「そうですよ、まったく…」
おかげで、気づきたくもない気持ちに気づいてしまったんだからこっちは。だけど私は間違っても彼には告白しない。彼ならもっといい縁談もあるし、何よりカノンちゃんがいる。あの子の婚約者は第2王子だが、婚約したのも病気を治せるかもという打算からだ。実際に治ればまた別の相手になる可能性もある。あの2人ならお似合いだ。カノンちゃんには恋愛感情はないだろうけど。
それからも私は研究に没頭した。ある時からカノンちゃんの家のメイドのアーニャさんも来てみんなで頑張り、とうとう『魔力病』の治療薬の治験に入ることができたのだ。
「ようやく…ようやくだな」
「ええ、これでカノンちゃんも…」
彼と乾杯をした。この時間がもっと長く続けばと思ってしまう。だけどこの時間もあと2年。2年後には男爵家に嫁ぐのだから。
そう思っていた時に事件が起きた。いきなり、カノンちゃんは婚約破棄され行方不明になってしまったのだ。
「こ、こ、侯爵くん!」
「分かっている。全力で調べる!」
それからしばらくして彼女は隣国で生きていることが分かった。一先ずは安心だ。だけど、今回のことは許せることじゃない。第2王子ともあろうものが、この研究所の全員を馬鹿にしたんだから。
「愛の力で治ったなんてあるわけないじゃない!」
バン
「全くだ」
その後、侯爵くんの意見で研究所の3分の2が彼女を探しにいくことになった。
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「これでも暫定所長だぞ?それに、侯爵家の俺までいったらあいつが危険な目に合う」
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そして数か月後、噂でカノンちゃんが結婚するんだという話が流れた。
「あ~あ、今頃は式が始まってますよ。侯爵くん」
ほんとにこのままで彼は納得しているんだろうか?
「式が挙げられるようなやつに出会ったという事だろう。俺はそれだけ分かればいいんだよ」
「素直じゃないですね」
ほんとに。
「うるさい。こっちはまだ20人しかいないんだ。薬の開発も遅れるんだから、きびきび働け」
「あ~あ、新所長はきびしいです~」
「それと『侯爵くん』と今後は呼ぶな。呼び名を考えろ」
呼び名を考えろって急に言われてもね。なら考えようか、彼のこの尊い精神に会う名前を!
「ただし、おかしな名前にはするなよ」
「それじゃあ…サブライムで!」
「なんだそれは?」
「いいから、それでいきましょう」
知らないならそれでいいよ。あなたのような『気高い』人にはふさわしい名前だから。
「じゃあ、今日からサブライム所長ですね。よろしくお願いします!」
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「それで幸せな思い出になるんならそれもいいかもな」
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「何度言うんだ。危険がある以上はそれをしない。これは、俺たち全員の約束だ」
「だからって…だからって…王都の宿で過ごすなんて…。サブライム所長はほんとにそれでいいんですか?」
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「でも…でも…」
「俺のために泣いてくれるのはうれしい。だけど、もう俺はふっ切ってるから」
え、泣いて…あれ?ほんとだ。私いつの間にか泣いてる。おかしいな…。
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「な、なんですか?」
「あそこに行けばカノンの奴が危険になるのはもちろんだが、接触しようとすればお前が危険にさらされるんだ。俺はそれが嫌だ!お前を危険な目に合わせるならあいつと会わなくてもいい…」
「えっ、何を…」
「ああ~もう~~。お前もあいつと一緒だな。俺の好きになる奴はどうしてこう。男心が分からないやつばかりなんだ!」
チュ
え、これってわたし…キス?されてるの…。
「これだけすれば分かっただろう?」
「で、でも、私には婚約者が…」
「それなら先日、伯爵にお願いして消してもらった。大丈夫だ。弟のようにかわいがってたあいつには、こっちからいいやつを紹介してやるから」
「ほっ、それなら…ってもう話し済んでるんですか?どうして?」
「お前は断らないって分かってたからな。それとも嫌か?」
「うれしい。嬉しいですけど…」
ボロボロボロ
「お、おいどうした?なんか、変なこと言ったか?」
「え、えへへ、せめて女心をかけらぐらいは学んでください」
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「次はどっちだろね~」
「ね~」
「おとうと?いもうと?」
「さあどっちかしら」
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「「「は~い」」」
「ごめんなさい、あなた。ずっと娘が欲しいのでしょう?息子ばかりで…」
「気づいていたのか?」
「はい。まだカノン様のような娘が欲しいと思ってるんですよね…」
「ルージュ…」
「いいんです。あなたが忘れられないのは無理ないです。私もあの方は大好きでした。今でも…」
「違う、違うんだ、ルージュ!」
ぎゅっと彼が私を抱きしめる。
「では、どうして!」
「あの、そのな。俺とルージュが出会った時、お前はもう18だっただろう?立派な大人だった。もし俺に娘が生まれたら…。別人だとはわかってるんだ。でも、お前の小さかった頃ってこんなのだったのかなって思える気がして…」
「ま、まあ!あなたったら!」
「いや、娘にもお前にも悪いよなこんな…」
「いいえ。言って頂けたら、実家にはまだ私の姿絵がいくつかあるはずですわ。すぐに取りに行きましょう!」
「お、おいこら、迷惑が…」
「先日もこそっと援助なさっていたでしょう?断ることなんてできませんよ。出かけます!誰か準備を!」
こうやって私と伯爵くんとの毎日が幸せに過ぎていく。子供たちにもこのような出会いがありますように…。
その後、生まれた女の子に彼は大はしゃぎで子供たちもあきれるほどだった。
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