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挿話 疾風の女性

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 その日は僕にとって人生を大きく揺るがす日だった。僕はエルマン子爵家に生まれ元気に育っていたと思う。ただし、それが続いたのは僕が十五歳のころまで。ちょうど学園に通っていた時のことだ。



「なあ、この間から雨が降ってないだろ? この調子じゃ、うちの領地もやばいかもな……」

「アレンのところはいいよな。お前の土地が飢えに苦しむなんて想像できないぜ」

「まあ、僕のところはそれが産業だからね。だけど、このまま日照りや凶作が続いたら流石にうちの領も食糧を供出しなくちゃいけないから大変だけど」

「そればっかりは食料を作ってる領地のさだめだな」

 そんなことを言っていたのが、僕の人生の頂点だった。それからしばらくして……。

「おい、聞いたか? 王国中の食料を集めないと回らないらしい」

「領地はどうなっちゃうのかしら?」

「お母様たちは大丈夫かしら?」

「うちの領地の近くはエルマン子爵領があるから大丈夫だろうけど、他の領地はどうするんだ?」

 日々飢饉の可能性が噂されるこの会話の五日後、学園は衝撃に包まれた。

「聞いたかエルマン子爵領の話」

「聞いたわ。なんでも供出を嫌ってあろうことか一.五倍で売り出したんでしょ?」

「ああ、在庫がある限りそうするらしい……陛下はどうされるんだろう?」

「おい、アレン。あの話は本当なのか?」

「ぼ、僕のところには何も……」

 さらに二日後。

「おい、アレン! お前のところはどうなってるんだ!」

「ど、どうって?」

「聞いてるんだろ! エルマン子爵領は陛下からの要請にも応じず、相変わらず高値で食料を売ってるって! この前から小麦の一kgの価格が倍だぞ!」

「そ、そんな……」

 その日から僕に話しかけるものはほとんどいなくなった。領地を継いだ後のことも考えて、色々な人とも話していたけれどそんな事態ではなくなった。

「悪いがお前とは話すことができない、分かってくれ」

 あれだけ仲良くしていた友人たちも遠目にみるようになった。当然だろう。王家の要請にも逆らうような貴族だ。表面上は貴族側が領地経営の裁量で拒否できるといっても、今回のことは軍事行動の協力などではない。直接民の命が脅かされているのだ。

「貴様があの地の領主の息子か。何とかうちの領地に回してもらえるよう頼めないか?」

 彼のような人は毎日のようにやってくる。だけど、僕のところにはその情報自体が入ってきていないのだ。きっと父上は商談で今はそれどころではないのだろう。噂通りならもうすぐ公爵家お抱えの商会との商談らしい。父上なら箔が付くとでも思っていそうだ。

 最近、傷が増えた。毎日のようにいじめられたり暴行を受ける。だけど、これが普通なんだと自分に言い聞かせる。みんなの家族が危険にさらされていて、僕の両親さえ力を貸せば、その危険から助けられるのだから。手紙も書いてみたが、お前には経済のことは分からないようだと返された。

 結局、この騒動は近年の王国史に残る一大騒動となった。それ以来うちは『飢え殺し』とののしられ、領民からも支持を失った。何とか学園は卒業したものの王都で働くことも、縁談も見つけることもできなかった。そもそも王都の就職予定先は内務省だったから『君に国内の何が分かるのかね?』というたった一言の面接だった。
 縁談も領主同士のつながりより、金だと分かれば縁を結んでくれるところなどあるはずもない。そんな家に戻った僕に父上が言った言葉がこうだった。

「お前に政治は向いていないようだな。家で本でも読んで大人しくしているがいい」

 それからは本を読み、少しでも政治を知ろうと頑張った。こんな父上の元では領民たちが不幸だと思ったからだ。だけど、教師も実践もない毎日。例え、一地方を任せてほしいといっても、お前には才能がないの一点張りだ。執事にも最近は父上に意見する機会を握りつぶされていた。そんな僕の前に現れたのが彼女だった。


 彼女の第一声はとてもびっくりした。彼女のことについて僕が知っていることと言えば、親が放蕩息子であり若いころから大変な好色で、娘もそれに似ているという噂だ。なのに僕の心配をしてくれた。それに、この領地の現状を話すと。

「何もないですって! よく言えたものね」

 そう言って、この領地がまだまだいい土地なんだと力説してきた。あの日以来、領地の者たちでさえそんなことを言ったことはない。それがこの土地に来たこともない彼女に褒められるなんて。ケイトには本当に感謝だ。彼女……イリスならきっとこの閉塞した領地を変えてくれるだろう。だけど、こんな素敵な女性である彼女が僕のところに嫁いでくるなんて本当に良いのだろうか?

「それじゃあ、街へ行きましょう!」

 元気よく彼女が言う。はっこり言って僕ら子爵家は領全体で恨まれている。騎士がいなければ今すぐにでも乗り込まれるぐらいには。彼女はそれを知らないのだろうか? 街についても先ほどと変わらぬペースで彼女は話し続ける。僕は話していて久し振りに友人と会話をした気がした。

「熊は人里に近づかないならいい動物だよ。そうそう、あと好きなのは鷹かな?」

 彼女が入った店は意外にも普通の小物屋だ。それも、僕を見て気を悪くした店員にも堂々と意見を言って黙らせてしまった。そこでも僕は彼女の知識に舌を巻いた。何気なく僕らが目にしていた植物がこの土地の特産で、他の土地では珍しいというのだ。自分の領地から離れたこの土地のことまでよく知っている彼女がこの時、僕のあこがれになった。

「今、あなたはフランクに私と話をしているわよ」

 彼女に言われて気が付いた。確かに今までは邸でも気を使って話していたけれど、今は次から次へと言葉が出てくる。結局、イリスが良いというので親しげに話させてもらえることになった。この出会いをくれたケイトとイリスには祈りを捧げたい。また楽しく話ができるなんて思ってもいなかった。最近はケイトに子が生まれればその子がこの領地を継ぐとさえ思っていたのだから。

「ちょ、ちょっともういいから……」

「あら、アレン。遠慮は不要よ。次期領主にこれだけ無礼なことをするんだもの。今ここが寂れてるのは努力不足よ。あなたたちを隠れ蓑にしてね」

「な、なにぃ!」

「だったら、ここの野菜は何? クレーヒルの野菜の方が新鮮なんでしょ? 領都が新鮮な食べ物の一つも揃えられないことに不満はないの? この細工物だって、流行りのものとは違うわよ。今の王都の流行は知っているかしら?」

「そ、それは、前に商人が持ってきた……」

「その商人はいつ来たのかしら? 先月? それとも先々月かしら? いつもとは言わないけど、情報料は払ってるのかしら? 職人だからといってそういうところを疎かにしてはいけないわ」

「ぐぐっ……」

「ほ、ほら、もういいでしょ」

「ちょっと、押さないでよアレン。私はあなたのことを思って……」

「言いすぎだよ、イリス。もう十分彼にも伝わったから」

「そう? ならいいわ。行きましょうか」

 全く、本当に目が離せない人だ。今回は急な来訪だったから十分なもてなしも出来なかったし、次に来る時までには……そうだね、お詫びじゃないけど、あの細工屋でアクセサリーでも買っておこう。イリスと会ったこの日から、僕の心には再び火がともるのだった。
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