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兄と弟
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弱々しく名前を呼ばれ弾かれるように振り向いたルカは、さっきまで握っていた手が僅かに浮いている事に気付いて慌てて駆け寄った。その手を挟むように包み顔を覗くと閉じられていた目蓋がゆっくりと開いていく。
「…兄さん…っ」
薄緑の瞳が揺らいで徐々に焦点が合い、覗き込むルカと視線が重なると柔らかく微笑んだ。その表情は十年前と何も変わらなくて、ルカの目に涙が浮かんでクレイルの頬に落ちる。
「……ジェリス…」
「兄さん……ごめん…ごめんなさい…っ」
「…どうして謝るの……君が無事で…本当に良かった…」
ボロボロと涙を流すルカの頬を震える手が撫でて拭ってくれるけど、優しい声に溢れて止まらなくてクレイルの手さえ濡れそぼっていく。
その姿を後ろから見ていたレイフォードは抱き締めたくなる気持ちをぐっと堪え、少しだけ離れた場所に移動し二人を見守る事にした。本当には二人にしてやるべきなのだろうが、ルカを置いて部屋から出る事は出来ない。
方々から過保護だ心配性だと言われようが、泣きじゃくるルカに背を向けるなど出来るはずもなかった。
「僕の方こそ…何も出来なくてごめんね……いなくなったって聞いて後悔したんだ…」
「あの時の事は、俺も分かんないんだ…気が付いたらばあちゃんに拾われてて…」
「…優しい人に育てて貰ったんだね…」
「うん…」
もしあの時精霊が気付かなければ、ルカは今ここにはいないのだろう。ルカの姿をしたクレイルになっているか、はたまたこれまでのように失敗して命を落としているか。
それを想像してレイフォードはゾッとした。
今でこそ幸せではあるが、ルカと出会えなかったら愛しいと思う気持ちも、自分以外は見て欲しくないという嫉妬心も、誰にも触れさせたくないという独占欲も自分にある事を知らないまま、変わり映えのない日々を送っていただろう。
ルカが与えてくれる陽だまりのような温もりさえ知らないまま。
(知ってしまった今は、とてもじゃないが失えないな)
もしルカを失ってしまったら、レイフォードはきっと耐えられないだろう。ルカが人間である事は理解しているが、もし彼が眠りにつくなら共に逝きたいとさえ思っていた。
目を伏せて眉根をよせていると、不意にルカに呼ばれ手招きされる。
僅かに目を見瞠って近付いたらぐいっと腕を引かれた。
「この人が、俺の特別な人」
「素敵な人だね…ジェリスが幸せそうで、僕も嬉しいよ…」
「兄さんみたいに優しくて、俺を大切にしてくれるんだ」
「そっか……それならもう大丈夫だね…」
もうほとんどクレイルの生命力が落ちている事をレイフォードは分かっていた。それでもルカの為に、最後の力を振り絞って話してくれているのだろう。
小さく呟いたクレイルは真っ直ぐにレイフォードを見つめるとふわりと微笑んだ。その笑顔がルカに似ていて、やはり兄弟だなと思う。
「ジェリスの事…よろしくお願いします…」
「ああ。誰よりも幸せにするから、安心して欲しい」
「…ありがとうございます…」
「兄さん…?」
握り合ったクレイルの手から僅かに力が抜けたのか、ルカが不安げな声で呼び掛ける。深く息を吸ってゆっくり吐いたクレイルは緩慢な動きで数回瞬きして目を閉じた。
「兄さん…」
「ごめんね、ジェリス……ちょっと疲れて…少し眠ってもいいかな…」
「あ、そっか、そうだよな。ごめん、ゆっくり休んで」
「うん…おやすみ、ジェリス…僕の可愛い弟……大好きだよ」
「俺も大好きだ。……おやすみ、クレイル兄さん」
開け放たれた窓から心地良い風が吹き、目を閉じたクレイルの微かな寝息が聞こえてきた。だが、恐らくはもう目を覚ます事はないだろう。
ルカの肩が震えている事に気付いて後ろから抱き締めると、くるりと反転して正面から抱き着いてきた。
「…っ…レイ…」
「我慢せずに泣けばいい」
「…ひ、く…っ…ぅ…ぁ……あぁぁ────…!」
ルカにとってクレイルは血の繋がった本当の家族であり、記憶を失う前も思い出してからもその存在はとてつもなく大きい。
一番最初の別れが実の兄とだなんてどれだけ辛い事か。
声を上げて泣くルカに何も出来ない歯痒さを感じながら、レイフォードは抱き締める腕に力を込めた。
〝黒呪法〟の詳細が記された文献や夫人のメモ、使途不明の支出金が記された帳簿、地下室に残された痕跡などどう足掻いても言い逃れ出来ないほどの証拠が出て来た事でバーシアも認めざるを得なくなり、アイリスの処罰はアッシェンベルグが下すままを受け入れると言質を取った。
ルーヴェリエ侯爵家に至っては、バーシアが本当に知らなかった事で国への判断に任せる事になったが恐らくは廃爵となるだろう。
泣き疲れて眠ってしまったルカを城へと連れ帰ったレイフォードは、今はルカの傍にいてやりたいと事後処理を翌日に回して部屋へと戻った。
「陛下、こちらでルカ様の目を冷やしてあげて下さい」
「ああ、ありがとう」
「お飲み物等は此方に置いておきますので、他に必要な物が御座いましたらいつでもお呼び下さい」
「助かる」
ルカを着替えさせ、甲斐甲斐しく世話をしてくれたソフィアに礼を言いヘッドボードのクッションに背を預けて座ったレイフォードは、先に寝かせていたルカの頭を自身の膝に乗せ腫れぼったくなった目に濡れタオルを被せる。
一瞬ピクリと反応したが起きる事はなく、それに安堵し髪を梳くように撫でながら大きく息を吐いた。
(ようやく終わったな…)
ルカの失っていた過去に関係する事柄はアイリス並びに使用者の処刑を以て数ヶ月のうちに終息するだろう。徹底的に調べ上げる為に思った以上の時間が掛かってしまったが、これでルカも本当の意味で前に進めるはずだ。
ルカにとってはこれからが始まりなのかもしれない。
あのあと、クレイルは一時間ほどして息を引き取り、遺体は代々の王族が眠る宮の傍らにひっそりと埋葬する事にした。あそこならルカも墓参りに行けるから寂しくはないだろう。
「……君がいなくなる未来など、来なければいいのに」
何故寿命に違いがあるのだろう。何故この世に種族の違う生物が存在するのだろう。全てが同じなら、こんなにも辛い思いをしなくて済むのに。
レイフォードは時々しゃくり上げるルカの肩を撫でながらそんな事を考え再び溜め息をつく。
自分が竜族でなければ良かったのにと考えてしまったのは初めてだ。
「…兄さん…っ」
薄緑の瞳が揺らいで徐々に焦点が合い、覗き込むルカと視線が重なると柔らかく微笑んだ。その表情は十年前と何も変わらなくて、ルカの目に涙が浮かんでクレイルの頬に落ちる。
「……ジェリス…」
「兄さん……ごめん…ごめんなさい…っ」
「…どうして謝るの……君が無事で…本当に良かった…」
ボロボロと涙を流すルカの頬を震える手が撫でて拭ってくれるけど、優しい声に溢れて止まらなくてクレイルの手さえ濡れそぼっていく。
その姿を後ろから見ていたレイフォードは抱き締めたくなる気持ちをぐっと堪え、少しだけ離れた場所に移動し二人を見守る事にした。本当には二人にしてやるべきなのだろうが、ルカを置いて部屋から出る事は出来ない。
方々から過保護だ心配性だと言われようが、泣きじゃくるルカに背を向けるなど出来るはずもなかった。
「僕の方こそ…何も出来なくてごめんね……いなくなったって聞いて後悔したんだ…」
「あの時の事は、俺も分かんないんだ…気が付いたらばあちゃんに拾われてて…」
「…優しい人に育てて貰ったんだね…」
「うん…」
もしあの時精霊が気付かなければ、ルカは今ここにはいないのだろう。ルカの姿をしたクレイルになっているか、はたまたこれまでのように失敗して命を落としているか。
それを想像してレイフォードはゾッとした。
今でこそ幸せではあるが、ルカと出会えなかったら愛しいと思う気持ちも、自分以外は見て欲しくないという嫉妬心も、誰にも触れさせたくないという独占欲も自分にある事を知らないまま、変わり映えのない日々を送っていただろう。
ルカが与えてくれる陽だまりのような温もりさえ知らないまま。
(知ってしまった今は、とてもじゃないが失えないな)
もしルカを失ってしまったら、レイフォードはきっと耐えられないだろう。ルカが人間である事は理解しているが、もし彼が眠りにつくなら共に逝きたいとさえ思っていた。
目を伏せて眉根をよせていると、不意にルカに呼ばれ手招きされる。
僅かに目を見瞠って近付いたらぐいっと腕を引かれた。
「この人が、俺の特別な人」
「素敵な人だね…ジェリスが幸せそうで、僕も嬉しいよ…」
「兄さんみたいに優しくて、俺を大切にしてくれるんだ」
「そっか……それならもう大丈夫だね…」
もうほとんどクレイルの生命力が落ちている事をレイフォードは分かっていた。それでもルカの為に、最後の力を振り絞って話してくれているのだろう。
小さく呟いたクレイルは真っ直ぐにレイフォードを見つめるとふわりと微笑んだ。その笑顔がルカに似ていて、やはり兄弟だなと思う。
「ジェリスの事…よろしくお願いします…」
「ああ。誰よりも幸せにするから、安心して欲しい」
「…ありがとうございます…」
「兄さん…?」
握り合ったクレイルの手から僅かに力が抜けたのか、ルカが不安げな声で呼び掛ける。深く息を吸ってゆっくり吐いたクレイルは緩慢な動きで数回瞬きして目を閉じた。
「兄さん…」
「ごめんね、ジェリス……ちょっと疲れて…少し眠ってもいいかな…」
「あ、そっか、そうだよな。ごめん、ゆっくり休んで」
「うん…おやすみ、ジェリス…僕の可愛い弟……大好きだよ」
「俺も大好きだ。……おやすみ、クレイル兄さん」
開け放たれた窓から心地良い風が吹き、目を閉じたクレイルの微かな寝息が聞こえてきた。だが、恐らくはもう目を覚ます事はないだろう。
ルカの肩が震えている事に気付いて後ろから抱き締めると、くるりと反転して正面から抱き着いてきた。
「…っ…レイ…」
「我慢せずに泣けばいい」
「…ひ、く…っ…ぅ…ぁ……あぁぁ────…!」
ルカにとってクレイルは血の繋がった本当の家族であり、記憶を失う前も思い出してからもその存在はとてつもなく大きい。
一番最初の別れが実の兄とだなんてどれだけ辛い事か。
声を上げて泣くルカに何も出来ない歯痒さを感じながら、レイフォードは抱き締める腕に力を込めた。
〝黒呪法〟の詳細が記された文献や夫人のメモ、使途不明の支出金が記された帳簿、地下室に残された痕跡などどう足掻いても言い逃れ出来ないほどの証拠が出て来た事でバーシアも認めざるを得なくなり、アイリスの処罰はアッシェンベルグが下すままを受け入れると言質を取った。
ルーヴェリエ侯爵家に至っては、バーシアが本当に知らなかった事で国への判断に任せる事になったが恐らくは廃爵となるだろう。
泣き疲れて眠ってしまったルカを城へと連れ帰ったレイフォードは、今はルカの傍にいてやりたいと事後処理を翌日に回して部屋へと戻った。
「陛下、こちらでルカ様の目を冷やしてあげて下さい」
「ああ、ありがとう」
「お飲み物等は此方に置いておきますので、他に必要な物が御座いましたらいつでもお呼び下さい」
「助かる」
ルカを着替えさせ、甲斐甲斐しく世話をしてくれたソフィアに礼を言いヘッドボードのクッションに背を預けて座ったレイフォードは、先に寝かせていたルカの頭を自身の膝に乗せ腫れぼったくなった目に濡れタオルを被せる。
一瞬ピクリと反応したが起きる事はなく、それに安堵し髪を梳くように撫でながら大きく息を吐いた。
(ようやく終わったな…)
ルカの失っていた過去に関係する事柄はアイリス並びに使用者の処刑を以て数ヶ月のうちに終息するだろう。徹底的に調べ上げる為に思った以上の時間が掛かってしまったが、これでルカも本当の意味で前に進めるはずだ。
ルカにとってはこれからが始まりなのかもしれない。
あのあと、クレイルは一時間ほどして息を引き取り、遺体は代々の王族が眠る宮の傍らにひっそりと埋葬する事にした。あそこならルカも墓参りに行けるから寂しくはないだろう。
「……君がいなくなる未来など、来なければいいのに」
何故寿命に違いがあるのだろう。何故この世に種族の違う生物が存在するのだろう。全てが同じなら、こんなにも辛い思いをしなくて済むのに。
レイフォードは時々しゃくり上げるルカの肩を撫でながらそんな事を考え再び溜め息をつく。
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