竜王陛下の愛し子

ミヅハ

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朝から心臓に悪い

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 帰宅後、うっかり寝落ちてしまったルカが目を覚ましたのは月がてっぺんまで登り切った頃だった。夕飯時はとうに過ぎているが、レイフォードの事だから起こさなくていいとでも伝えたのだろう。

(レイはちゃんと食べたかな)

 この城に来てそれなりの日数は経つが、食事を共にしなかったのは今回が初めてだ。まさか「疲れたー」と言いながらベッドに倒れ込んで、そのまま寝落ちてしまうとは思わなかった。
 起きた時はきちんとベッドに入っていたから、リックスかレイフォードが寝かせ直してくれたんだろう。
 ベッドから降りて窓辺に近付き両開きの窓を押し開けると、少しだけ冷たい風が髪をなびかせた。

「もうすぐ冬かー。あの村は冬でもあったたかったし、この国だとどれくらい寒くなるんだろ」

 北の方はとんでもなく寒くなるし雪も恐ろしい程降ると聞いたが、経験した事がない為想像さえ出来なかった。雪が何なのかも、その色さえもルカは知らない。
 ふるりと身を震わせて窓を閉めたルカは、帰って来たままの格好だった事に気付いて着替える事にした。
 ナイトウェアは決まっているし、今はソフィアもいないからわざわざパーテーションに行く必要もない為その場で脱いで身に着ける。

「⋯⋯やば、お腹空いてきたかも」

 完全に目が覚めた事で腹の虫が主張をし始めた。
 この時間はソフィアは完全に寝ているし、リックスも自身が隊長を務める〝白の騎士団〟の団員二人と数時間のみ交代して休んでいるから頼れる人はいない。
 この城の中でルカが信頼してるのはレイフォードを始め、ソフィアとリックスとハルマンだ。近衛騎士であるバルドーとアルマはあまり接した事がない為分からないが、レイフォードが信頼しているからそれに値する人たちなのだとは思っている。

「⋯⋯⋯」

 きゅるきゅると切ない鳴き声を上げる腹を我慢して寝るのは辛いが出来ない事もない。だが正直何かしらは食べたい気持ちではあった。
 自分が寝落ちておいて我儘だとは思うが、少しでも腹に入れたい。

「⋯⋯レイもたぶん、寝てるよな」

 どうせ使わないしと思っていた扉は現在まで本当に使う事はなく飾りと化していたが、今になって使うべきかどうかの悩みが出てきた。
 扉前まで行き耳を当ててみるけど何も聞こえない。
 起きているのか寝ているのかさえ分からなくて首を傾げるけど、起きている事に賭けて開けて見る事にした。
 ドアノブを掴み、ゆっくりと回す。どうやら中は二枚扉になっているようで、少しだけ扉と扉の間に空間が出来ていた。
 どういう意図の作りなのかは分からないが、もう一枚の扉をそっと開けたルカはまずは視線だけで部屋の中の様子を伺う。部屋の中は明るいが、歩く音や衣擦れの音はしない。

(⋯⋯いない?)

 思い切って開けたルカは、初めて見るレイフォードの部屋の広さとそれに見合わない家具や調度品の数に目を瞬いた。
 圧倒的に物が少ない。
 部屋の中心に大きな天蓋付きベッドが置かれているところは同じだが、ソファとテーブル、柔らかそうなクッションが乗ったロッキングチェア、それから大きな本棚くらいしかなくて何もない部分の方が大きかった。
 足を踏み入れると毛足の長い絨毯が素足に触れて少しだけ擽ったい。

「やっぱレイ、いないのかな」

 何の音もしないからもしかしたらまだ仕事をしているのかもと思い部屋へと戻ろうとしたが、ベッドの方で微かに物音がしてルカは足を止めた。少し考えて近付くとレイフォードが眠っていて少しだけ驚く。
 一部を除いて天蓋が下ろされていたから気付かなかった。

(初めて寝顔見た⋯⋯やっぱ綺麗だなぁ⋯)

 眠っていてもキリッとした眉に長い睫毛、高くてスッと通った鼻筋、薄い唇。肌もシミ一つないし、背も高くて体格もいい。
 人の美醜は良く分からないルカでさえ一番整っていると思うくらいレイフォードは何もかもが美しかった。

「⋯⋯あれ⋯」
(何か⋯眠気が⋯⋯)

 さっきまでは空腹の方が強かったのに、急にふらつくほどの眠気が襲ってきた。どうにか耐えようと踏ん張るルカだが、異様な程に眠くて堪らない。
 あっという間に前後不覚にまで陥ったルカは気を失うようにその場に崩れ落ちそうになったが、何故かその身体が床に倒れ込む前にふわりと浮き上がりレイフォードの隣へとゆっくり下ろされた。
 クスクスと笑う声が二人の上を何度か旋回したあと、窓から抜けて遠くの方へと消えて行く。
 残されたのは穏やかな表情で眠るレイフォードとルカの姿だけだった。



 
 腕の中が妙に暖かくて何処からともなく良い匂いが香ってくる。
 微睡みの中その不思議な感覚に目を覚ましたレイフォードは腕を上げようとして手に何かが絡まっている事に気付いた。

「⋯⋯?」

 寝起きの働かない頭で確認し、それが黒い髪の毛だと知ると眉を顰めたが胸元で何かが動いた気がして視線を落とす事数秒、そこにいるはずのない人物を見付けてギョッとした。
 しかもしっかりと抱き締めていて慌てて腕を離す。

(⋯ルカ!? な、何故ルカが私のベッドに⋯?)

 もしかして無意識に連れて来てしまったのだろうかとも思ったが、ふと慣れ親しんだ気配の残り香がして溜め息を零す。

(精霊たちのイタズラだな⋯まったく、とんでもない事をしてくれる)

 この国の王であるレイフォードが精霊から心を置かれているのは当然として、人間相手にこんな事をするのは初めてだった。庭の時にも思ったが、どうやらルカは人間でありながら精霊に好かれているらしく、昨日の誘拐の際に精霊が動いたのもルカに危害を加えられそうになり怒ったからだろう。
 レイフォードはルカの寝顔を見下ろすと頬に掛かった髪を避けてやりそのままサラリと撫でた。

「ん⋯⋯」
「!」

 反応し僅かに身動いだルカが更に胸元へ擦り寄ってくる。おまけに抱き枕だと思っているのか背中に腕を回してきてレイフォードは息を飲んだ。
 愛しいと思っている人にこれ程密着されて何とも思わないはずがない。

(生殺しだ⋯)

 可愛らしい寝顔とルカの温もりと甘い香り。ルカの全てがレイフォードの理性を刺激してきてクラクラする。だがここで手を出す訳にはいかないと必死で耐えていると、再び頭が動いて小さな声が聞こえて来た。

「⋯⋯⋯⋯あれ⋯?」

 どうやら起きたらしいが、寝惚けているのか胸板をぺたぺたと触り始めるからその手を取ると、目線を上げてレイフォードを見るなり不思議そうな顔をする。

「⋯⋯レイ⋯?」
「ああ。おはよう、ルカ」
「おは、よう⋯⋯え?」

 頭が冴えて来たのか事態を理解し始めたルカはベッドに手をついて起き上がり目を擦る。肩からサラサラと髪が落ちるのを見たレイフォードは無意識に手を伸ばし、毛先を掬うとそこへ口付けた。
 それを目にしたルカが訝しげに眉を顰める。

「何してんだ」
「綺麗だったからついな」
「ソフィアは凄いよな。あんなに日に焼けて傷みまくってた髪、こんだけサラサラに出来るんだから」
「元々の髪質がいいんだろう」

 栄養ある食事としっかりとした休息、それからソフィアの手による丁寧な手入れによりルカの髪は日に日に色艶が良くなり、今では射干玉ぬばたまを思わせる程の輝きを放っていた。

「ってかさ、俺、床で寝たと思ったんだけど⋯レイがベッドに上げてくれたのか?」
「⋯そもそもどうして私の部屋に?」
「お腹空いて。レイならもしかしたら起きてるかなーって」
「⋯⋯⋯」

 空腹だったら自分に対して下心のある男の部屋に平然と入って来るのかとレイフォードは項垂れる。

(これ程までに意識されていないとはな⋯)

 ルカは今いろいろな事を学んでいる最中の為敢えて積極的にアプローチを取っている訳ではないが、少なくともルカにしかしていない事はたくさんあるのに欠片も響かないのは何故だろう。
 今の髪へのキスだってルカが初めてなのに。

「レイが寝てるって知ったところまでは覚えてるんだよなぁ。急に眠くなって、気絶するみたいに意識なくなって⋯気付いたら朝」
(なるほど。精霊に無理やり眠らされてベッドに上げられたか)
「ちゃんと寝れたか? 人と一緒だと寝れない人もいるみたいだし、レイはいろいろ気を張ってるから」

 身体を起こし窓の外を見ていたらそう問い掛けられてハタと思う。そういえば、いつもなら夜間に何度も目を覚ましていたはずなのに、寝入ってから次に見た景色が朝日だったのは初めてだ。

「いや⋯むしろ良く眠れた」
「そっか、なら良かった」

 それには自分でも驚いてしまい呆然とした声で返すとルカがにこっと笑う。
 思った以上にルカの存在はレイフォードにとっての安寧となっているらしく、笑顔に釣られるように頬へと手を伸ばした時部屋の扉がノックされた。

「誰だ」
「ソフィアで御座います。陛下、お部屋にルカ様がいらっしゃらないのですが⋯此方においでになっておりますか?」
「あ、ヤバ」
「ああ、いる。すぐに戻すから部屋で待っていろ」
「畏まりました」

 文字を勉強しているルカの為に、ソフィアは誰よりも早く起きて仕事を終わらせるようにしていた。それを知っているのはルカ以外だが、知れば絶対に気にするだろうから誰にも言うなとは告げている。
 ルカは慌てたようにベッドから降りると、お互いの部屋を繋いでいる扉の方へ駆け出した。

「部屋戻るな」
「ああ。⋯⋯そうだ、ルカ」
「?」

 同じようにベッドから降りて見送ろうとしたレイフォードはふと思い出してルカに近付くと、彼の細い顎に指を掛けて上向かせ顔を近付ける。
 これだけ近付いてもキョトンとするだけなのだから、本当に先は長そうだ。

「頬へのお礼のキスは、私以外にしてはいけないよ」
「え、何で?」
お願いした事だろう? 他の人は言っていないのに、されたら驚かないか? 現にリックスは青褪める程驚いていたぞ」

 青褪めさせたのはレイフォードだが、あれは事前にレイフォードへのお礼をしていたのを見ていたのに察しなかったリックスが悪い。
 だがルカは言葉通りに受け取り、納得がいったように瞬いた。

「あー⋯そっか、それもそうだよな。だからソフィアはダメって言ったのか」
「⋯⋯ソフィアにまでしようとしたのか?」
「そりゃ文字教えて貰ってるし、普段からもいろいろして貰ってるし。でもお礼しようとしたらいけませんよって言われた」

 さすがソフィア、この城で長くメイドとして働いているだけに非常に優秀である。レイフォードは手当てでも付けてやるかと考えルカの頭を撫でた。

「それが懸命だな。とにかく、するなら私だけにしてくれ」
「分かった。あ、昨日は夕飯行けなくてごめんな」
「疲れていたんだろう、気にするな」
「ありがと。じゃ、あとでな」
「ああ」

 背伸びをして頬に口付けてくるルカに微笑み扉を開けてやると、にこやかに手を振って二枚目の扉の向こうへと消えて行く。
 それを見送って閉めると、再び扉がノックされた。

「陛下、ハルマンです。お目覚めですか?」
「起きてる。着替えは済ませるから、果実水を持ってきてくれるか」
「畏まりました。すぐにお持ち致します」

 扉の向こうの気配が遠ざかり、レイフォードは腕を組んで口元を緩めると、ルカの部屋へと通じる扉を見て目を細める。

「本当にルカは可愛いな」

 素直で疑う事を知らず、レイフォードが言う事を何でも信じてしまうルカの純粋さは多少心配にはなるがいつまでも変わらないでいて欲しいとも思う。ただうっかり大人の悪い部分が出てしまいそうで、それだけは自分でどうにかしないといけないのだが。
 今頃ソフィアの手によって身支度が整えられているだろうルカを思い、レイフォードは自分も着替えるべく服を脱ぎ始めた。
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