竜王陛下の愛し子

ミヅハ

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悲劇

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 本日は快晴なり。
 朝から照り付ける太陽に目を細めたルカは、井戸から水を汲む際に浮いた汗を手の甲で拭った。
 レイフォードが訪れなくなってからすでに十日が経ち、彼が来る前の日常に戻ったようなものなのだが、一月もいなかったはずの彼の名前を村人は今も世間話で出す。

(インパクトはあるもんな。竜王様で、物凄い美形で、偉そうじゃないしむしろ気さくで親切)

 嫌味な部分が一つもない完璧な人がこの世にいるとは思わなかった。しかも言ってしまえば、この世界の頂点にいるような人で本当ならお目にかかる事すら出来ない存在だ。

(そもそも、王様なのに毎日来てたらそりゃ仕事も溜まるって話だよ。どんな仕事してんのか知らないけど、大国動かしてんだからかなり大変だとは思う)

 桶から水瓶に移し、自分の家を始めとしてぐるりと村の中を走り回って配る。こういう仕事もレイフォードがやってくれていたから、少しばかり腕力が衰えたかもしれない。
 水瓶を配り終えると今度は腰の悪い村人の代わりに洗濯をする。川まで行き布を擦り合わせるように洗って搾り、振ってシワを伸ばして木の枝に橋渡ししたロープに干す。それを繰り返して全部干したルカはずっと曲げていた腰を反って伸ばし空を見上げた。
 地上からは決して見えないが、雲より上には竜の国〝アッシェンベルグ〟が居を構えている⋯らしい。

「空の上って天気とか気温とかどうなってんのかな。そもそも息出来るのか?」

 幼い頃からこの村に住んでいる為ルカに教養はないが、子供でも知っているような小さな常識はちゃんと頭に入っている。ただ読み書きは出来ないから、いつか街に出るとしてもそこだけが難点だ。

「陛下はいつお越し下さるのかねぇ」
「お忙しいのだろう」
「陛下がいらっしゃると、ルカも楽しそうで村の雰囲気も明るくなるんだがね」
「別に楽しくないし」

 洗濯物が入っていたカゴを手に歩いていると、井戸端会議をしている祖母と二人の村人を見付けた。自分の名前が聞こえて近付いたら不本意な事を言われたからつい返してしまう。

「おや、ルカ」
「洗濯ありがとうね」
「どういたしまして。乾いたら持ってくな」
「ありがとう」
「それよりルカ、陛下はいついらっしゃるんだい?」
「何で俺に聞くんだよ。どうせ仕事が立て込んでるんだろ? 落ち着いたらまた来るんじゃないか?」
「来て下さるかねぇ」

 空を見上げる三人を後目に自分が発した言葉に気付いたルカは口元を押さえて考え込む。

(あれ、何で来るって思ってるんだ、俺。相手は竜王様で、ここは辺境だぞ? 普通だったらもう来ないだろ)

 まるで当然だとでもいうように自然と口にしてた。
 自分の思考なのに意味が分からないと首を振り、他の仕事をする為に三人に一言告げルカは走り出した。





 村全体が寝静まった夜も深い時間に何かの音で目が覚めたルカは、目を擦りながら起き上がり首を傾げる。風を入れる為に開けていた窓から縁側に出て辺りを見回すけど、特に変わった様子はない。

「?」

 気の所為かと思い布団に戻ろうとしたが、ふと焦げ臭さを感じて外に飛び出したルカは見えた光景に驚愕した。
 少し離れた場所にある家の畑が燃えていて、今にも建物に火が移りそうになっている。この村にある家は全て茅葺き屋根に木の板で出来ている為非常に燃えやすい。ひとたび燃え移れば一気に広がるだろう。

「⋯っばあちゃん! みんな起こして!」

 外から祖母へと声をかけ走って件の家へと向かう。きっと住人は気付かず寝ているだろうから、起こして連れ出さなければ最悪の事態になる。

「おばあ!」
「⋯どうしたんだい、ルカ⋯こんな時間に⋯」
「立てる? 急いで外出るよ!」
「ルカ⋯?」

 肩を貸しつつもほぼ抱き上げるような形で立たせ、ペースを合わせながらもなるべく足早に外へ出る。すでに壁に火の手が迫っていて、それを見た村人は驚きに声を上げた。

「な、何事だい? どうして火が?」
「分かんない。でも避難はしないと⋯ここから川の方に行ける?」
「ああ、大丈夫だよ。ありがとうね、ルカ」
「真っ直ぐ、振り返っちゃダメだよ!」

 曲がった背中が歩いて行くのを見て今度は燃え始めた家の近くに飛び込む。そうして村人を次から次へと起こして川へと誘導し、足腰の悪い村人は背負って逃げて、ようやく全員を風上へと連れ出した頃には畑や木を伝いほとんどの家へと燃え移っていた。

「⋯⋯家が⋯」

 ここまで広がってしまえば、唯一動けるルカだけではどうしよもうもない。天まで燃え上がる炎を呆然と見ている事しか出来ないでいたら、不意に厚い雲が上空を覆い頬に雫が落ちた。

「え⋯⋯うわ!」

 今の今まで星が瞬いていたのに、突然真っ暗になった空から叩き付けるほどの勢いで雨が降り注ぎ轟々と燃えていた火の勢いを弱めていく。
 訳が分からなくて手で雨を防ぎながら空を見上げたら巨大な何かが動いているのが見えた。

「⋯⋯?」

 火が小さくなるにつれ雨足は弱まり、完全に鎮火するとまるでその為だけに降ったとでもいうように雨は止んだ。雲が晴れ、月と星が再び顔を出した時、そこにいた何かが姿を現しその場にいた全員が息を飲む。

「⋯銀色の、竜⋯?」

 月の光に照らされて、神々しく輝く銀の鱗を纏った竜が悠々と上空を旋回していたのだ。
 幻想的ともいえるその光景をぼんやりと眺めていたら、銀色の竜は確認するように一周したあとゆっくりと下降を始める。あんな巨体が降りて来たら森が大変な事になると焦ったが、竜は途中で人型になり背中に生えた翼を羽ばたかせて地に足をつけた。
 その姿にルカは大きく目を見瞠る。

「⋯⋯レイ」

 十日姿を見せなかった美丈夫が、キリッと整えられた眉尻を下げながら辺りを見回し残念そうに溜め息をついた。
 驚くルカの傍まで来て申し訳なさげに目を伏せる。

「すまない、間に合わなかった」
「⋯そんな事ない⋯」

 村人を逃がす事に必死で他は何も出来なかった。畑も家も思い出も、何もかもが燃えて灰になる様子を見る事しか出来なかった。
 ルカはよろけながらレイフォードの胸元に額を当てると、彼が羽織っているマントを強く握り目を閉じる。

「⋯ありがとう⋯あのままじゃ、延焼して森に住む動物たちまで焼け死ぬところだった⋯⋯村だけで済んで良かったよ」
「ルカ⋯」

 あれだけ勢い良く燃えてたのに、森にまで被害が及ばなかったのは不幸中の幸いだ。村周辺は多少燃えたけど、それは微々たるものだろう。
 自然豊かで気候も暖かいこの地方には群れて暮らす動物たちがたくさんいて、たまに遭遇するルカにとっては家族も同然だった。
 レイフォードの手が躊躇いがちに頭に触れ撫でる。大きな手がくれる心地良さに心の中が温かくなった。

「陛下、助けて頂きありがとうございます」
「いや、私は火を消しただけだ。怪我をした者はいないか?」
「ルカが守ってくれたので、私たちは大丈夫です」
「そうか。ルカは? 怪我はないか?」
「平気⋯っつ⋯」
「ルカ!」

 レイフォードから離れ、村の様子を確認しようと踏み出した足に痛みが走りルカの身体が傾く。瞬時にそれを支えてくれたレイフォードが視線を下に向けるとすぐに難しい顔をしてルカを抱き上げた。
 急に高くなった目線にルカは戸惑う。

「は? え、ちょ、何?」
「平気ではない時に平気だと嘘をつくな」
「⋯嘘ついた訳じゃなくて、気付いてなかったんだよ」

 何せ必死だった。とりあえずみんなの命を守らないとと走り回っていたから、いつ怪我をしたのかも覚えていない。
 今更ながらにズキズキと痛み始めた右足首は、恐らくは捻って出来たものだろう。熱も持っているし、結構腫れているようだ。

「村、全焼は免れたけどもう住めないな⋯一から頑張るしかないか」
「その事なんだけどね、ルカ。お前は陛下と城へ行きなさい」
「⋯何言ってんの?」
「私たちは私たちで生きていくから、ルカはルカの人生を生きるんだよ」

 祖母の言葉にぎょっとしたルカは、抱かれている事も忘れて身を乗り出そうとしレイフォードの腕に抑えられる。
 だけどそれに構っている余裕はなかった。

「何で? どうやってここから立て直すつもり? 家を建てるにしろ畑を耕すにしろ、俺がいた方が都合がいいじゃん! ばあちゃんたちには木を切る力なんてないだろ? 俺が全部やるから⋯!」
「お前一人では無理だよ。それに、ルカは充分良くしてくれた」
「してない⋯出来てないよ⋯! 俺、まだばあちゃんたちに全然恩を返せてない! ⋯それに言ったじゃん、ばあちゃんの事看取るって⋯傍で長生きして欲しいって」
「ルカ⋯」

 見ず知らずの子供を拾っただけじゃなく親探しまでしてくれて、見付からなければ村の一員にしてくれて育ててくれた。ルカにとってこの村にいる人は全員が家族であり親だ。
 泣きながら祖母の服を掴むルカを見たレイフォードは、少し考えたあとこの空気に似つかわしくない明るい声で提案する。

「ならば、みなでアッシェンベルグに来ればいい」

 その場の時が完全に止まった気がした。
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