竜王陛下の愛し子

ミヅハ

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いつかその日が来るとしても

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「陛下、その後は如何ですか?」

 執務室で仕事をしているレイフォードへと、執事長であるハルマンがお茶を運びながら尋ねてきた。
 連日ルカのもとへと通っていた為いよいよ公務が溜まりだしてしまい、本日は残念ながら積み上げられた書類と睨めっこの日だ。
 レイフォードは視線を走らせながら「何の話だ」と問い返す。

「竜妃様のお話で御座います。現在親交を深めている最中だと窺っておりましたが、少しは進展致しましたか?」
「まだ竜妃ではないし進展がどの程度を示すのかは分からないが、ルカには最初から壁らしい壁はなかったからな、それなりに仲良くはやれていると思うよ。ただ、意識して貰うのが非常に難しい」
「おや、陛下のご尊顔を持ってしてもですか?」
「ルカは見目の善し悪しよりも中身のようだからな」
「それは素敵な事ですね」
「ああ。真っ直ぐで裏表がなく、悪意も貴賎もない。心の綺麗な子だよ」

 人の目を見て話すルカの蒼碧の瞳を思い出しレイフォードは笑みを零す。そんな主の様子に懐かしさを感じたハルマンは、芳ばしく香る紅茶を主人の前へと置き微笑んだ。

「陛下の嬉しそうなお顔を見るのはご幼少の頃以来ですね」
「そうか?」
「ええ。私めも早くお会いしとう御座います」
「ルカが頷いてくれたらな」

 レイフォードもそれを望んではいるが、本人の意思を無視する事だけはしたくない為、ルカがこの城へ足を踏み入れるとしたらルカが自ら来ると決めた時だけだ。
 果たしていつその時がやって来るだろうか。

「まぁ、気長に待ってやってくれ」

 一月にも満たない現状ではルカの気持ちを動かす事は到底出来ない。そもそも今のルカにとって何よりも大事なのは祖母と村人たちなのだ。
 受け入れられているとはいえ、レイフォードへの認識などせいぜい村によく来る人程度のものだろう。
 最近になって向けてくれるようになった愛らしい笑顔を思い浮かべたレイフォードは、どうすればもっとルカに近付けるかと考えながら紅茶へと口を付けた。





 レイフォードが来なくなって三日が経つ。
 少しの間、仕事で忙しいから来れなくなると聞いていた為気にはしていないが、あれほど毎日見ていた人がパッタリと姿を現さなくなると何だか物足りない。
 窓の外を眺めていたルカは、雲で覆われた空から無数の水滴が降る様子を見て溜め息をついた。

「雨か⋯」

 雨の日にはあまりいい記憶がない。
 自分が拾われた時も雨だったし、祖父が亡くなった日も雨だった。それに、雨の日は村人の手伝いが出来ない。

「今日は何しよ」

 この地方ではめったに雨が降る事はなく、降ったとしても一日で止む事がほとんどで、川が増水したり土砂が崩れたりはルカが聞く限り起きてはいないらしい。
 だからこの雨も明日には止むのだろうが、普段村人の為に外を走り回っているルカには家の中は退屈で、雨が降るたびに悩んでしまう。
 とりあえず壊れかけの農具でも直すかと納屋へ向かおうとしたルカに祖母から声がかかった。

「何? ばあちゃん」
「少しお茶に付き合ってくれないかい?」
「うん、いいよ。淹れてくるな」
「ありがとう」

 この村の調理場には石で出来た竈があり、火打ち石を使って火を灯す仕組みになっている。
 大きな街や国まで行けば、文明の発達により生まれた火を点ける装置とやらで簡単に点火する事が出来るらしいが、残念ながらここは南の辺境にあたる小さな村で、そんな高価なものを買う余裕も設置するだけの設備もない。
 それに案外、打ち金に火打ち石を擦り当てるのは楽しく、ルカは自ら火付け役を買っていた。

「ばあちゃん、お茶請け何にする?」
「そこの棚に草餅がないかい?」
「あ、あったあった。俺ばあちゃんの草餅好き」
「嬉しい事言ってくれるねぇ」

 小鍋にセットした水が沸くまでに棚に入っていた草餅を皿に乗せてテーブルに運び、コップを出してお茶っ葉をポットに入れたルカはガラスを叩く雨の音に窓の外を見る。
 時間的にはまだ昼前なのに夜みたいに暗い。
 ぼーっと見ていたらお湯が沸騰したボコボコという音が聞こえ我に返る。火から下ろしてポットにお湯を注ぎ、少し蒸らしたあとコップに移すと火を消してから部屋へと戻った。

「はい、ばあちゃん」
「ありがとうね」

 向かい合って座り湯気の立つお茶に息を吹き掛けて冷ましていると、祖母がじっとこちらを見ている事に気付いた。

「何、ばあちゃん」
「陛下がいらっしゃらなくて寂しいね、ルカ」
「え? そりゃまぁ⋯力がいる仕事溜まってるしな」
「それだけかい?」
「? 何が言いたいんだよ、ばあちゃん」

 大体寂しいのは自分たちだろうと思いながらお茶を飲む事は諦め草餅へと手を伸ばす。柔らかい為優しく持たなければすぐに潰れてしまう草餅は、ここに来た時からおやつとして食べてるルカの大好物だ。

「ルカ、陛下とお城には行かないのかい?」
「何で?」
「乞われているじゃないか」
「だとしても、俺にとっては行く意味がない」
「天下の竜王様なんだがねぇ⋯お近付きになりたい人はたくさんいるんだよ」
「⋯だから?」

 さっきから祖母が何を言ってるのか、何を言いたいのかが分からない。
 眉を顰めるルカの頭を祖母は優しく撫で、草餅を持っていない方の手を両手で包むように握ってきた。

「ルカはまだまだ子供だからね。私たちが年寄りだから、あまり色恋を教えてあげられなかったのも悪かったんだろうけど⋯」
「別にそういうのはいいよ。俺はばあちゃんたちと一緒にいられればそれでいいんだから」

 そもそも過ごして来た年数が違うのだから、ルカが知り合ったばかりのレイフォードについて行く訳がないし、色恋の相手に彼を選ぶかすらも分からない。だからそんなことよりも、親代わりになってくれた村人と共にいたいと思うのは当たり前ではないか。
 だが、祖母はどこか寂しげに目を伏せると握る手に弱々しく力を込めた。

「ルカの気持ちは嬉しいよ。でもね、どう抗っても、私たちはルカより先に逝ってしまう。私は、一人になってしまうお前が心配だよ」
「⋯⋯」
「この村にはもう若い者はいない。例え陛下がお越し下さらなくとも、いずれはこの村を出るよう言うつもりだった。お前はまだ若いからね。世界を知るのもいいと思ったんだよ」

 この村で暮らしているのは、ルカを除けばみな高齢者ばかりだ。祖母はその中でも若くはあるが、それでも七十は超えており年々体力が衰えている。
 ルカ自身もそれは分かっているし、いずれはこの村で一人になるだろう事も理解はしていた。
 それが人の世の理であり自然の摂理である事も。

「俺は、ばあちゃんを看取るつもりでいる。⋯だから、まだ傍にいさせてよ。一人になってから考えたって、遅くはないと思うんだ」
「一人は寂しいよ?」
「そうだな。でも、今はまだ考えたくない」

 時が来れば、今自分の手を握っている温もりはなくなる。だがそれは十年も二十年も先だと思っているから、正直現時点では想像もしたくなかった。
 ルカは話を終わらせるよう草餅を食べ、拾われた頃より皺の増えた祖母の手を見つめる。

(いつの間にこんなに小さく⋯)

 子供の頃に手を引かれて歩いてた時は大きいと思っていたのに、気が付いたら身長も抜いていた。祖母の腰が曲がったという理由もあるが、並んでいるとずいぶん小柄になったと感じる事も多い。
 背の高いレイフォードが村人に混じると更に小さく見えて何度切なさを感じたか。

「ばあちゃん」
「何だい?」
「俺、ばあちゃんの健康維持頑張るからさ、長生きしてよ」

 今望むのはそれだけだ。
 祖母の方へ草餅が乗った皿を押しやると、ルカはそう言ってにっこりと笑った。
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