小さな兎は銀の狼を手懐ける

ミヅハ

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兎は狼の噂を聞く

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「……い、…さ………せんぱ……」

 何だ? 何かが頭に触って……呼んでる…?
 軽く揺さぶられてる気がしてゆっくり目を開けると、眼前に眠そうな目をしたイケメンがいて一気に頭が冴えた。
 慌てて起き上がり壁まで下がる。

「うわっ」
「あ、起きた」
「な、何して…っ」
「だって先輩、起きねぇから。朝飯食わねぇの?」
「へ?」

 言われて時計を見ると既に食堂が開いている時間は過ぎていて、終了まで残り三十分を切っていた。学校に間に合うギリギリまで食べられるとはいえ、食べて着替えて準備してってなるともう少し余裕が欲しい時間だ。
 目覚まし掛けなかったっけ? とスマホを見たけど。

「自分で止めてた」
「オレのバカ!」

 何で止めてんだよ。何の為の目覚ましだよ。
 とにかく急いで行って食べないと。転校初日に遅刻とか心象最悪すぎる。
 オレはダッシュで洗面所に行き顔を洗うと、寝癖を適当に整えて戻り財布を掴んだ。
 それにしても。

「律儀に待ってくれてたんだな」
「約束だし」
「それでもさ、面倒臭いって思わないでくれて、起こしてまでくれただろ? ありがとな」
「……」

 見上げて笑顔でそう言うと、大神は眠そうな目を少しだけ見開きポケットに突っ込んでいた手を俺に向けて伸ばして来る。だけど肩に触れる寸前で止まり慌てたように手を戻すと、無言のまま足早にドアへと行き先に出てしまった。

「へ? あ、ちょ…っ、大神?」

 待っててくれたんじゃないのかよ。
 そう思いながら閉まる寸前のドアを押すと、大神は片手で口元を覆い壁に寄り掛かって立ってた。
 左目しか見えないけど、どういう感情なんだろ、あれ。

「大神?」
「………何でもない。行こ、うさぎ先輩」
「お前、それ直すつもりないんだな」
「うさぎ、可愛いじゃん」
「そりゃうさぎは可愛いけど…オレは宇佐見なんだよなぁ」

 何度言ってもうさぎで通す大神にオレはもう諦めてる。直す気がない奴には口煩く言うだけ無駄だし、むしろ反発してより酷い呼び名にされても困るからな。
 もう呼びたきゃ好きに呼べばいい。
 時間が迫っているからか食堂に人はまばらで、オレは選ぶのが面倒だったから大神が買ったものと同じメニューを見もせず決めて受け取った。
 そのせいで、嫌いなトマトとご対面する羽目になった訳だけども。

「…………」
「先輩、トマト駄目な人?」

 気難しい顔をしてトマトを見ていると、気付いた大神に問い掛けられたから素直に頷いておく。
 これだけは本気で駄目なんだ。

「無理。だって噛んだ瞬間ぶにゅって出てくんだぞ? それがゾワ~ってなってうわぁってなる」
「…ふ、何それ。いいよ、俺んとこ入れて」
「え、マジで? やった、サンキュー」

 まだ口を付けていない箸でトマトを大神の皿に移し、今度こそ手を合わせると彩りのなくなったサラダを食べる。新鮮野菜うまうま。

「やっぱうさぎだな」
「ん?」
「何でもない。早く食わねぇと間に合わねぇよ」
「いや、大神もだからな?」
「俺一口がデカイから」

 まるで人の一口が小さいみたいな言い方だな。オレだって早食いしようと思えば出来るんだ。
 見てろよと言わんばかりに睨むと、オレは自分の出来る限りの速さで朝食を掻き込む。結局は大神の方が早かったけど、どうにかこうにか登校時間に間に合ったオレはパンパンなお腹を撫でながら安堵の息を吐いた。
 ちなみに職員室までは大神が案内してくれました。あの子マジで良い子。何で怖がられてんの?



 オレが入ったクラスはのんびりした人が多いのか、騒がしいよりもほのぼのとした空気の流れるクラスだった。
 転校生って話のネタになるから囲まれやすいものだけど、クラスメイトは穏やかな笑顔で困った事や不便な事があったら教えてねと言ってくれたくらいで、転校理由は聞いてこなかった。
 ちょっと拍子抜けしたけど、こういう空気の方が好きだから有り難い。

「ねぇねぇ宇佐見くん」
「何?」
「宇佐見くんって、大神くんと知り合いなの?」
「え、何で?」
「昨日の夜、学食一緒に食べてたから。見た事ない人いるなって思ってたから、転校生でびっくりしちゃった」

 ああ、そこ見られてたんだ。というか、一年生なのに上級生に知られてる大神って一体。
 ちなみに学食は共同で寮の外の建物にあって、寮自体は男女別だ。

「あー、オレ寮で大神と同部屋なんだよ。だから案内して貰って、ついでに一緒に食った」
「え?」

 言った瞬間教室がザワついた。それに目を瞬くオレに目の前のクラスメイト─木下さんが声を潜めて教えてくれる。

「大神くんって、見た目派手だし背が凄く高いでしょ? 威圧感っていうのかな、ちょっと怖いし…喧嘩とかもしてるって噂だよ」
「確かに見た目派手だけど……アイツ良い奴だよ?」
「宇佐見くんは怖くないの?」
「それアイツにも聞かれたな…。自分が怖い事されてないのに、何で怖く思うのかが分かんないな」
「この間なんて、喧嘩で一人病院送りにしたって…」
「直接見た訳じゃないんだろ? その話が本当だったとしても、俺は見てないから信じない」

 噂だって所詮噂だろうに。
 オレは自分の目で見た事しか信じない。本人の話は、本人の口から言われた事しか信じない。
 人伝なんてどこで話が捻れるか分からないしな。

「……なんて言うか、宇佐見くんってパッと見ふわっとしてるのに自分の考えハッキリしてるよね」
「あ、ごめん。嫌だった?」
「ううん、素敵だと思うよ」
「ありがとう」
「でもね、やっぱりちょっと気を付けた方がいいかも」

 木下さんは、長い髪を耳にかけると眉尻を下げてオレの耳元に口を寄せてきた。
 女の子が好きそうな甘い匂いにドキッとする。

「大神くんが気に食わないって人も一部いるから、仲良くしてたら宇佐見くんも目を付けられるかもしれないでしょ? それに宇佐見くん、狙われやすそうな雰囲気してるから」
「狙……?」
「小さくて可愛い子は、より標的にされやすいの」
「…………」

 悪気がないのは分かってる。分かってはいるけど、やっぱりグサッとくるもので。特に女の子にそんな風に言われると、最初から異性として見られてないんだなってハッキリ気付いちゃうからさ。
 そんな木下さんはオレより背が高いし。世知辛い世の中だ。



 オレの父さんと母さんは、バリバリに仕事をこなす働き者だけど、ちゃんとオレの事も大切にしてくれる優しい両親だ。
 父さんは朗らかで怒ったとこなんか見た事ないくらい穏やかな人で、母さんは明るくていつもにこにこしてる暖かい人。
 両親に対しての不満は全くないし、むしろ大好きなんだけど……その身長だけが唯一残念でならない。
 父さんは167cm、母さんは143cm。そしてオレは、ギリ150cm。突然変異は残念ながら俺の身には起きなかった。
 母さんよりは伸びたけど、それでも男子としては低すぎて…オマケに母さん似の童顔だから年相応に見られた事がない。
 男としてのコンプレックスの塊みたいなオレだけど、それでも親から受け継いだものだ。弄られて落ち込んだりはするけど、腐らず受け入れていきたいとは思ってる。
どうしても気にする時もまぁあるけどな。



 初日という事もあり、クラスメイトも先生も色々と気を配ってくれたおかげでオレはどうにか一日を終える事が出来た。
 休み時間には校内の説明をしてくれて、オレがいる校舎は二年棟と言うらしい。一年生と三年生にも棟があって、全て渡り廊下で繋がっている。特に理由がない限りは他学年の棟へ行く事は原則禁止で、オレは昨日一年棟で迷っていたようだ。さっそく校則破ってるし。
 教室移動もあったけど一人じゃなかったから迷わなかったし、みんな気さくに話してくれるから嬉しくて嬉しくて。物凄く充実した一日を過ごせたと思う。

 ──そうして足取り軽く寮に戻ったオレが、うっかり部屋の階数を間違えて知らない人と鉢合わせしてしまい、気まずくなった事だけはここに報告しておこうと思います。
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