小指の先に恋願う

ミヅハ

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想いを重ねて

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「…ん…」

 薄暗い部屋の中、小さく漏れた自分の声で目を覚ました。
 微睡みながら時間を確認しようとして気付く。右手が暖かいものに包まれていると。
 空いている左手で目を擦り視線をズラすと綺麗な顔が目の前にあって驚いた。悲鳴を上げなかった事を褒めてもらいたいくらいだ。
 数回瞬きをし、間近にある凌河の顔をじっと見る。眠っていても綺麗だなんて狡いと心の中でむくれながらも、普段は見られない距離にドキドキしてきた。
 人の顔が近付くのが苦手。そう聞いたから、七瀬はなるべく顔を近付けないようにした。抱き締められた時、不意に後ろから肩を抱かれた時、顔を上げたくても上げなかった。

「寝顔、ちょっと幼くなるんだ…」

 普段は切れ長で少し冷たい印象を持つ灰色の瞳も、今は閉じられて色さえ見えない。薄い唇が少しだけ開いて寝息を立てている。

「手…」

 今なお暖かいもの─凌河の大きな手に包まれている右手はすっぽりと覆い隠されているため、まるで何からも守られているように感じた。嬉しい、と思ってしまう。
 体調を崩した自分を案じて見舞いに来てくれただけではなく、眠ってしまった後もこうして傍にいてくれた事が。

(好き…だなぁ…)

 初めて会った時はただただ怖くて不審感しかなかったのに、いつの間にかこんなにも好きになっていた。人の気持ちとは不思議なものだ。
 七瀬は目の前の幸せを噛み締めながら左手で金糸に触れた。ブリーチしているのかと思ったが、根元を見る限りこれは地毛のようだ。サラサラとして触り心地が良い。

「…くすぐったいよ」
「…!」

 突然笑いを含んだ声が聞こえ慌てて手を離す。頭を一個分後ろに下げて見れば、目を細めて微笑む凌河と視線が合った。

「お、起きてたんですか?」
「さっきね。…あー、ヤバ、カラコンしたまま寝ちゃったから目が…」

 右手から熱がなくなり凌河の目元へ移動する。何かを取るかのように指を動かし、瞬きで違和感を取り除いてから開けられた目の色は─青だ。
 七瀬は驚いて言葉を失う。
 さすがに灰色が本来の目の色ではないと分かってはいたが、その下が青なのは予想外だった。
 日本人離れした容姿に地毛の金髪、そして青い瞳。

「凌河さんは、外国の人なんですか?」
「いや、隔世遺伝。親父の曾ばあちゃんがイタリアの人だったらしいけどね」
「そうなんですか…」

  外したカラコンを捨て目頭を揉む凌河は特に気にしていないように見えたが、答えた声が何となく冷たく感じ聞かない方が良かったのかなと七瀬は思った。
 洗浄液も替えのカラコンもない為そのままなのだろうが、いつもと違う色の瞳がこちらを向きドキッとする。澄んだ空を思わせるような、綺麗な青。

「それより七瀬、熱は?」
「あ、もう大丈夫そうです」
 右手と左手で七瀬と自分の額を触り、大差ないと知るとそのままぐしゃぐしゃと頭を撫でられる。
「ん、確かに熱はなさそうだね。良かった」
「はい」

 寝落ちる前、凌河の冷えた手が額にあった事は覚えている。思い込みかも知れないがそれが功を奏したのかもしれない。
 好きな人の温もりほど、病気に効くものはないのだから。
 七瀬は身体を起こして窓の外を見た。

「もう夕方か…結構長居しちゃったね」
「何のお構いも出来なくてすみません」
「七瀬は病人だったんだから、気にしなくていいんだって」

 そうは言っても見舞いに来てくれたお客さんだ。途中で寝てしまったし、看病もさせてしまった。
 しゅんとする七瀬の頬を大きな手が包む。

「申し訳ないと思うんなら、今度からはちゃんと連絡して」
「え?」
「七瀬が苦しんでる時に傍にいられないのは、辛いよ」
「凌河さん…」

 本当に良いのだろうか。今日だって欠席の連絡をした時寂しいと思ってしまったのに。…いや、友達なら心配して当たり前なのか。
 自分から友達を選んだのだから、友達として助けを求めるのは当然かもしれない。

「分かりました。今度からはちゃんと連絡します」
「約束」
「…約束」

 何度目の約束だろう。授業をサボってしまった日にした『勉強を教えてくれる』という約束は既に果たされているし、この数週間の間に交わされた約束もいくつか完了している。
 一番大きな約束が果たされるのはまだ先だけど、これだってもう決定事項のようなものだ。
 小指と小指が絡まりゆびきりげんまん。
 するりと離れた指が寂しくて自分の小指を眺めていると不意に影が出来た。
 驚いて上げた目の前に、凌河がいる。

「え!? な、なんで…」

 顔が近付くのは嫌いではなかっただろうか。
 鼻先が触れそうな程の距離と凌河への心配で軽いパニックの七瀬だったが、長い人差し指が頬を滑り固まった。

「少し前から思ってた。七瀬にはもう、大丈夫じゃないかなって」
「…え?」
「七瀬、俺に顔が近付かないよう気を遣ってくれてたよね。それに気付いてから、少しモヤっとして…」 
「モヤ…?」

 コツンと額が合わさる。青色の瞳が七瀬の黒い瞳をじっと見つめ、息が止まりそうになる。

「俺をちゃんとみて欲しいって、そう思うようになって…それなら顔を近付けても平気なんじゃないかって……実際そうだった」
「あ、の…」

 近い、もう吐息が触れそうなほど近い。
 熱がぶり返しそうなほど顔が熱くて、心臓が激しく脈打って痛いくらいだ。
 凌河の手が動きマスクがズラされる。

「…だから、七瀬も俺を見て。顔を逸らさないで」
「……りょ…」

 名前を呼ぼうとした唇を塞がれた。
 ドキドキと耳の中がうるさくて、凌河に聞こえてしまうんじゃないかと心配になるほど大きな心音。
 触れるだけのキスは一瞬だったようなそうでないような、それでも七瀬の心を掻き乱すには充分で目頭が熱くなる。
 優しく微笑むその唇が今度は瞼に触れ、浮かんだ涙がポロリと零れた。

「七瀬」

 逞しい腕が背中に回され抱き締められる。
 どうして? も、何で? も、言葉に出来ずに彼の胸元へ縋り付いた。

「ごめんね。卒業式の約束、反故にさせて欲しい」
「……っ…」
「……七瀬……俺のものになって」

 ではなく、
 それが凌河の望みなら、七瀬には断る理由などない。

「…ん、なる……凌河さんのものに、なる…」
「……!」

 触れ合う身体がピクリと跳ね、抱き締める腕の力が強くなった。
 髪に頬擦りされる。

「七瀬…七瀬……」

 痛いくらいに強まった腕と違い、名前を呼ぶ声は優しい。七瀬は広い背中に腕を回し、もしこれが夢ならどうか醒めないで欲しいと願った。

 夕飯はデリバリーを頼んだ。
 テイクアウトすらした事のない七瀬は初めて経験する宅配弁当に興味津々だった。
 ドライバーが受け取った商品を運んでくる様子が見られる地図をずっと見ていたし、玄関前に商品が置かれていた事にも感動した。

「凌河さん、すごいです! 誰にも会わずにこんなにホカホカのご飯が届きました!」
「うん、便利だよね」

 二人で並んでベッドの前に座り手を合わせる。七瀬は病み上がりという事もあり消化の良いうどんを、凌河は別で頼むのも面倒だったため天ぷら蕎麦の大盛りにした。
 猫舌の七瀬は箸で持ち上げたうどんに何度も息を吹きかけ冷ます。視線を感じて振り向けば、面白そうにこちらを見る凌河と目が合った。

「何ですか?」
「いや、ずいぶん冷ますなって…」
「熱いの苦手なんです」
「そっか、大変だね」

 そう言って熱々の蕎麦を啜る凌河に唖然とする。あんなに湯気が立ってるのに、平然と口の中に入れられるなんて信じられない。
 ムッとした七瀬はつゆに浸っていた蒲鉾を挟み冷ます事なく口へ運んだ。そして案の定。

「あつ…っ」
「七瀬!」
「…舌やけどしたかも…」
「全く、何やってんだか」

 呆れたように言いながら立ち上がった凌河は、冷凍庫を開けて買って来た氷を取り出すと半分に齧って七瀬の口へ放る。途端にヒリつく舌が冷やされホッと息を吐いた。

「ちゃんと冷まして食べな?」
「ひょうははんろへいれふ」
「え? 何?」
「んー!」

 もごもごと抗議する七瀬にわざとらしく聞き返す辺り確信犯だ。
 七瀬はもう一度、今度は氷を噛み砕いて飲んでから同じ事を言った。

「凌河さんのせいです!」



 時間というものは楽しければ楽しいほど経つのが早い。

「こんな時間までお邪魔してごめんね」
「い、いえ、来てくれて嬉しかったです」

 玄関で靴を履く後ろ姿に首を振って答える。立ち上がり、ドアノブに手を掛けられると途端に寂しくなった七瀬は、駄目だとは思いつつも凌河の制服の裾を掴む。

「七瀬?」
「ほんとに、帰っちゃうん…ですか…?」
「…帰るよ。ここにいたら手ぇ出しちゃうから」
「いいよって、言ったら?」
「駄目。病み上がりだし何より…」

 肩に手が回され抱き締められる。上がり框で少しだけ距離の縮まった身長差で耳元に凌河の唇が触れた。

「大事にしたいんだ、七瀬の事」

 低い声に優しくそんな事を言われぶわっと気持ちが溢れそうになった。今日だけで何度凌河に惚れ直しただろうか。
 七瀬は仕方なく手を離し目の前の肩へと頬擦りした。

「また来てもいい?」
「もちろんです。いつでも来て下さい」
「ん。じゃあまた明日、学校で」
「はい、また明日」

 離れる間際、薄い唇が額に触れ別れの挨拶を紡ぐ。頷き、部屋を出た背中が見えなくなるまで手を振った。
 また明日。明日にはまた会える。
 七瀬は寝込んでいた間の汗を流すべく浴室へと向かった。
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