小指の先に恋願う

ミヅハ

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少しずつ※*

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「ぁっ、ん、いい、気持ちい……っ」
「…………」

 BAR黒猫。凌河たちが溜まり場にしているここは、元々は同じグループにいた灘城 楓なだしろ かえでが行き場のない後輩のために開いた店だ。
 凌河にとって楓は尊敬すべき先輩であり唯一頭が上がらない存在で、その穏やかな性格から他のメンバーからも慕われ相談などもされる程人望に厚い人だ。
 その店の奥の個室、気まぐれに来た凌河が寝食する部屋で彼は今ソファに寝そべっている。目を閉じてまるで寝ているようにも見えるが、彼の上であられもない姿を晒している少年の動きがちゃんと起きている事を表していた。

「ん、ん、りょうが、さぁん…っ」
「………」
「……っあ!」

 必死に腰を振り快感を追う姿は凌河には酷く滑稽に見えて、身体を起こし乱暴に少年を振り払うと身なりを整える。
 あと少しで絶頂だったのだろう、小刻みに震える少年を一瞥した凌河は何も言わず、そのまま放置して部屋を出た。
 後ろで少年が「どうして…!」と叫んでいるが知った事ではない。

「あーらら、あの子もう捨てちゃうの? 結構可愛い子なのに」

 すぐそこにあるトイレにでも行っていたのか、柳 進やなぎ しんがニヤニヤ笑いながら凌河の肩に腕を乗せる。それを払い落とされ舌打ちをするも、すぐに笑顔になって今しがた凌河が出てきた扉を指さした。

「んじゃ、俺貰っちゃおったかなー」
「どうぞー」

 ただの性欲処理の相手だ。誰がなにをしようがハナから自分には関係ない。
 すでにドアノブに掛かっていた手は返事を聞くなり回され、凶悪な顔をした進が中へと入って行く。閉じられた扉の向こうで少年の悲鳴が聞こえるが、凌河は興味がないとばかりにカウンターへと向かった。
 進は加虐趣味を持っている。痛め付け、傷だらけで泣いて懇願する姿に興奮するらしい。凌河にはさっぱり分からないが、おかげで追い縋ってくる奴もいないから助かっていた。

「凌河、ご飯食べるかい?」
「お願いします」
「オッケー。じゃあ少し待ってて」

 高めの椅子に座るなり楓から問い掛けられ少し考えて頷く。
 食事が用意される間、凌河は二週間前の事を考えていた。
 ようやく見付けた三年前の少年、天宮七瀬と顔を合わせてからもう二週間。あれ以来、見掛けても声を掛ける事を躊躇っている自分がいる。
 覚えていなかった事もそうだが、あの日の怯えた姿を思い出すと何となく近付く事さえ遠慮してしまうのだ。凌河らしくない行動に凌河本人が戸惑っているが、相手は夢にまで見るほど捜し続けていた人物だ。おいそれと触れてはいけないような、そんな神聖さが七瀬にはある。ただあの時は目の前にいる事に感動して勝手に身体が動いただけで、抱き締めるつもりなど毛頭なかった。
 しかも凌河は名実共に恐れられている人物だ。絶対に怖がらせて嫌われるのだけは避けたい。
 ただ叶うのなら、時間がかかってもいいから思い出して欲しいと思うのは凌河の我儘だろうか。

「はい、お待たせ」
「ありがとうございます」

 目の前にサンドイッチとコーヒーが置かれる。
 手に取り齧ったところでイライラした様子の進が部屋から出てきた。

「あークソっ、あいつすぐ気絶しやがった!」
「いつも言ってるけど、この店で悪い事するの辞めてくれる?」
「それなら凌河に言えって。店で爛れた事してんのは凌河くんだしー」

 別に凌河がしたくてしている訳ではない。相手が勝手に来て、勝手に服を脱いで勝手に跨ってくるんだ。しかしそんな言葉はサンドイッチと共に飲み込み、凌河は進を睨み付ける。

「楓さんに迷惑かけるなって」
「てめぇが言える事かよクソが」
「進くん口悪ーい」
「きめぇ事言ってんな」

 ふざけた物言いも進の苛立ちを加速させるだけのようだ。
 凌河は仕方なくサンドイッチをコーヒーで流し込み立ち上がる。

「楓さん、これお金。帰って寝るわー」
「ああ、ありがとう」

 ここにいてもする事はない。進の絡みもいい加減煩わしくなってきたしと店から出ると、外でたむろっていた奴らがシンとなる。
 冷めた目を向けると途端にザワつきだすのが鬱陶しい。
 凌河は長い足で悠然と歩きながら路地裏を抜け自宅へ向け歩き始めた。

(七瀬、今頃何してんだろ)

 思い出すのは三年前の七瀬と、二週間前の七瀬。あの頃より大人びてはいたが、笑った顔は全然変わっていない。
 想像していたよりも小さかったし、あの細さは体質なのだろうなとも思った。

「やめて下さい!」

 七瀬の事を思い出していたら、七瀬の声が聞こえてきた。今時の妄想は声までリアルなのか、すごい……という逃避にも似た思考を頭から追い出し、凌河は声がした方へと足を向ける。
 少しだけ薄暗い細道、そこに七瀬はいた。ニヤニヤと笑う三人の男たちに囲まれて。

「帰らなくちゃ行けないんですってば!」
「遊んでからでもいいじゃん」
「そうそう。お兄さんたち、楽しいとこ知ってるからさー」
「楽しい〝事〟も知ってるよー」

 下卑た笑いを浮かべる男たちの考えは凌河にはお見通しだった。ここで絆されてくれるなら、あわよくばホテルにでも連れ込もうとしているのだろう、そのうち無理矢理にでも引っ張りそうだ。
 しかし、人というのは薄情なものだな。誰も助けには入らないのだから。

「もう、いい加減に…!」
「なーにしてんの?」

 七瀬の腕を掴む男の肩に手と顎を乗せる。凌河に気付いた七瀬が目を見開き、どこかホッとしたような顔をした。

(…俺でも、助けに来てくれて嬉しいってか…)

 どうせなら自分だから嬉しいって思って欲しいなと思っていると、男が大きく動いて振り払われる。

「何だよてめぇ、邪魔すんじゃねぇよ」
「邪魔も何も、嫌がられてんじゃん」
「ンなもん連れて行けばこっちの……っぐぁ…!」
「!?」

 言葉途中に鳴った鈍い音と共に男が吹っ飛ぶ。凌河は殴った方の手を振り残り二人に目をやるとニヤリと口端を上げた。

「次はどっち?」
「……っひ」
「こ、こいつ、久堂凌河じゃねぇか…! 勝てるかこんな奴に…!」

 仲間が殴られ一気に腰が引けた男たちは、気絶した仲間を抱えて情けない声を上げながら逃げて行った。
 殴り返す根性もない奴は嫌だねぇと思いながら七瀬を振り返ると、難しい顔をしてどこかを見ている。

「七瀬、だいじょ……」
「大丈夫ですか?」
「え?」

 まるであの時のように心配そうに眉尻を下げた七瀬は、男を殴った方の手を両手で包むようにして自分に引き寄せた。どうやら怪我がないかの確認のようで、少し赤くなっている程度だと分かると安堵の息を吐く。
 伏せた睫毛の長さに凌河の心臓が跳ねた。

「怪我はしてないみたいですけど、念の為に帰ったら冷やして下さいね」
「…七瀬は優しいね~」
「だって、殴る方の手も痛いって聞くから…」
「…………」

 やっぱり変わっていない。七瀬はあの頃のままだ。
 懐かしむように目を細めた凌河は、包まれた手とは反対の手で七瀬の髪を撫でる。サラサラと触り心地の良い髪は凌河の手に良く馴染んだ。

「あ、あの…」
「ん、ありがと」

 どこか気まずそうに目元を染める七瀬は、恐らくこういった事には慣れていないのだろう。
 もちろん凌河の見た目も関係しているかもしれないが、異性だろうと同性だろうと触れられればこうして顔を赤らめる気がする。
 自分の容姿の良さを自覚している凌河は、この時ばかりはこの顔で良かったと思った。

「帰るんでしょ? 送ってくよ」
「え? いえ、大丈夫です」
「ダメダメ。ここら辺はああいう奴多いから、また声かけられちゃうかもしれないよ?」
「え……」
「だからさ、大人しく送られな」

 また絡まれる、と聞いた瞬間あからさまに不安気な顔をした七瀬は、しばらく悩んでから頷いた。

「じゃあ、お願いします。あ、あと、助けてくれてありがとうございます…」

 この時の凌河の顔は、これまでにないほど優しい表情だった。七瀬が見る事も、凌河本人が気付く事もなかったが、この瞬間から二人の関係が少しだけ変わった事は確実だった。
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